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姫さま、決断する

(やっぱり……おいしくないわね)


 血だらけの口元をぺろりと舌で拭ってパティは思います。生きるためとはいえ、動物の肉そのままを食してみましたがやはり元人間のパティの口には合いませんでした。


(まったく……いつになったらわたしは人間に戻れるのよ! 精霊様聞いてる!?)


 誰もいない雪山でパティは吠えますが返事は帰ってきません。


 ――あれからロニーの元を去ったパティはこの雪山で過ごしていました。いつ人間に戻っても良いようにあまり王国を離れず、かつ人間の居ない場所というのにこの雪山は適していたのです。ついでにその麓にはロニーのいる村がありますから。


(せっかくロニーの元を離れたのに、人間に戻るどころかさらにオオカミとして一人前になってしまったわ!)


 この一週間ほどで彼女はこの雪山で生き抜く術を身につけていました。他のオオカミの群れが縄張りにしている場所に入らないように気をつけたり、一人で動物を狩ってみたり……その生き様はもう野生の一匹オオカミと変わりありません。人間に戻らなくとも生きていけそうです。


(でもそれじゃ困るのよ。わたしは戻りたいよ……)


 そう思いながらいつもねぐらにしている場所に戻ろうと、足を動かした時でした。遠くから何か生き物の気配を感じ取ります。その匂いはどこか懐かしい気がしました。


(……ありえないわ)


 パティはそう思うものの、その場から動けませんでした。やがて足音と匂いが強まってきて、そして足音が止みます。


「パティ」


(……ロニー、どうして……)


 ゆっくりとパティは後ろを振り返ります。そこには彼女の思い描いた通りの人物……ロニーの姿がありました。


「良かった……まだ生きていたんだね……」


(……ロニー)


 彼女を見るなりロニーは安堵の表情を見せました。久々に会う彼の姿にパティは思わずしっぽを振ってしまうほどに喜びますが、すぐにそんな感情も抑えます。


「グルルルルっ!」


(何を……何をしに来たのロニー! 今すぐ帰りなさい!)


 パティはロニーに向かって威嚇をしました。ロニーはそんなパティの様子に慌てます。


「パティ! 僕の事を忘れてしまったのか? 僕だよ、ロニーだよ!」


(そんなの知ってるわよ!)


「パティ……」


 威嚇を止めようとしないパティにロニーは落ち込みました。ですがすぐに何かを思い出すと必死にパティに伝えます。


「今はそれどころじゃなかった! パティ! 君は今パトリシア様を殺した容疑がかかっているんだ!」


(……はぁ!? 何よそれ! わたしがわたしを殺したですって!?)


 パティはロニーの言葉に思わず威嚇を止めてしまいました。その隙にというかのようにロニーがさらに続けます。


「君がそんなことを……人を殺したなんて僕は思わないけど、他の人間たちは違う。もし他の人間に出会ったら君は殺されるだろう。今すぐここから逃げるんだ!」


(でも……逃げるってどこに……)


 二人がそうしていると、遠くから大勢の人の声が聞こえてきました。どうやら麓でオーリスが足止めをしていたあの警官たちが、追いついてきたようです。


「パティ! 早く逃げるんだ!」


(でも……ロニーは……)


「早く!」


 ロニーの必死の言葉に、パティは後ろ髪を引かれる思いで走り出しました。後ろから自分を狙っているだろう銃の音と、怒声が聞こえてきます。


 パティは逃げました。白い雪の上を、吹雪の中を。ですがこの吹雪による方向の分からない天候と慌てる気持ちもあったのでしょう。気づけば崖っぷちにたどり着いてしまいました。


「いたぞ! 白いオオカミだ!」


 後ろから声が聞こえてきます。どうやら追いつめられてしまったようです。


 ――そして、一発の銃声が響きました。パティはそれを避けようとして飛びます。その先が崖の向こう側であるという事に気づいたのは、足元に地面がない感覚を味わった時でした。


(……あぁ死ぬんだわ……わたし)


 崖の下は雪ですが、それでは助からないでしょう。パティは思わず目を閉じようとしますが、自分に被る影が見えて思わず目を開きます。


「パティ!」


(ロニー!?)


 ――落下する自分に向かって同じく、落ちながらも手を伸ばすロニーの姿を見てしまいました。









 ドサリ。雪を踏み潰す音があたりに響き渡ります。ですがパティに痛みは襲いませんでした。


「パティ……大丈夫かい?」


 それもそのはずです。パティを守るように下敷きとなったロニーがいたのですから。


(ロニー! ロニー! なんでこんな無茶をしたのよ!)


 パティが彼の胸の上で抗議をするように前足で叩いて言います。


「痛いよパティ……」


 そういうロニーの声は弱々しく……そして血の匂いが辺りに充満していきました。ですがロニーは優しく微笑みかけるのです。


(やだ……ロニー死なないで……死んじゃだめよ!)


「僕を心配して……くれるのかい……」


 ロニーは泣き叫ぶパティを胸に抱いたまま、頭を撫でます。


「大丈夫……僕は大丈夫……だから……」


(ロニー!!)


 そのままロニーは目を閉じてしまい、パティの頭を撫でていた手がするりと力なく落ちていきました。


(嫌だ……こんな別れ方いや……起きなさいロニー! これは命令よ! いますぐに起きなさい!)


 何度ロニーに声を掛けても、何度体を揺すっても、ロニーは起きません。


(ロニー! お願い……起きてよ! 誰か……助けて……わたしじゃ無理なの……オオカミのわたしじゃ……ロニーを助けられ……)


 そこでパティは気づきます。もしかしたら、あの存在ならば、自身をオオカミにした存在ならばロニーを助けてくれるかもしれません。


「ガウウウウウ!!」


(精霊! あなたどっかで見てるんでしょう!? だったら今すぐ出てきてロニーを助けなさい! 助けなさいよ!!)


 精霊が出てきてくれるのをパティは願います。ですが一向に出てくる気配はありません。


(……何が国を救いし精霊様よ! 肝心な時に現れないなんて……! この役立たず!! 悪霊! ポンコツ精霊!)


『酷い言い草ですね。そんなに言うなら止めましょうか?』


 その時眩しいくらいの光が突如として現れます。あの時の夜に現れたあの光がパティの目の前に現れました。その光を見るなり、パティは叫びます。


(遅いわよ! 何をしていたの!!)


『これでも急いで来たんですよ? それより精霊様に対してなんて言葉の使い方を……』


(そんな事、どうでもいいわ! さっさとロニーを助けなさい!)


『まったくこれだから人間は……』


 精霊ぽい光がどこかため息を付きます。パティとしてすぐにロニーを救って欲しいのに、この精霊はまだ動きません。


『助けてもいいですけど……一つ条件があります』


(何よ? まさか生け贄が必要なんて言わないでしょうね?)


『そんなものはいりませんよ。条件というかついでですが――あなたを元の姿に戻してあげます』


(えっ……)


 その精霊の言葉はまったく予想もできないものでした。自分の姿を戻してくれるというがなぜ今なのでしょうか。


『いつまでも貴方をその姿のまま……というわけにもいかないですからね』


(ちょっと! 勝手に戻さないでよ!)


『あら、そちらの男性を助けたくないのですか?』


(それは……)


 パティはロニーを見ます。自分が元に戻る事と、ロニーが助かる事。それが一体何の関係があるのか分かりませんが、たったそれだけでロニーは助かるのです。ならば悩むことなどないではありませんか。


(……いいわ、ロニーを助けて)


『では――人間のオオカミさんの願いを叶えてさし上げましょう』


 その声と共にその場が優しい光に包まれていきました。強い光は徐々に弱まっていきます。そして光が収まったその場所には傷の治ったロニーと人間の姿に戻った彼女の姿がありました。












「ロニー?」


 とても澄んだ声が辺りに響きます。その声は久々に人間の言葉を出すため、どこか戸惑っているようでした。


「…………パティ?」


 そんな声に呼び起こされたロニーが自身を覗きこむ美しい少女を見つめました。


「おかしいな……夢でも見ているのかな……パティが人間に見えるよ……」


 ロニーが彼女の小さな顔に手を伸ばします。頬に当てられたその手を彼女が優しく両手で包みました。


「ねぇパティ……もう何処にも行かないでくれ……僕の側を離れないでくれ……」


 しかし彼女は何も答えません。答えを聞けぬまま、ロニーはまたすぐに目を閉じてしまいます。今度はただ眠りに落ちただけのようでした。


「おやすみ、ロニー」


 そう彼に声を掛けてロニーの手をそっと胸の上に置きました。


「パ、パトリシア様!? どうしてこちらに!?」


 後ろからそんな驚きの声が上がりました。振り返ると先ほど白いオオカミを探していたあの警官たちです。


「まったく……もう少し遅く来れないのかしら! 変な時だけ有能なのね、この無能者達は!」


 そう彼女は――パトリシアは言いました。

















 行方不明になっていたルプルス王国の姫、パトリシアは無事に発見されました。なぜ行方が分からなくなっていたのか、どこで何をしていたのか不明でパトリシアも明かそうとしません。ですが彼女が無事に戻ってきた事に国王夫妻は喜び、王宮では連日宴をしていたそうです。


 そんな騒動が収まった頃。パトリシアは徐々にかつての王宮での暮らしに慣れた時でした。


「……紅茶おいしいわね」


 パトリシアはティーカップを片手に一人のメイドを見ます。以前彼女の機嫌を損ねていたあのメイドでした。


「お、お褒めいただき有難く思います……!」


 パトリシアに褒められて一瞬戸惑いましたが、メイドは嬉しそうに返事を返しました。


「これからも頑張りなさい……期待しているわ」


「は、はい! もちろんでございます!」


 パトリシアはメイドに一つ笑みを向けてからまた紅茶を飲みます。その紅茶に自分の姿が映り込みました。細くさらさらと美しい白い髪と、太陽の陽の光のように美しい琥珀の瞳を持つ、人間の少女が映っています。


(……ロニー)


 あれから、パトリシアはふとある事にロニーの事を思い出します。あそこで過ごした時間を忘れてはいません。会いに行こうと思えば会えると思います。ですが彼女は彼に会うのを恐れていました。彼が自分をパティだと気づいてくれるのかという不安。気付いたとして彼は自分を受け入れてくれるのでしょうか。オオカミではなくなった人間のパティを……。


(もしも……オオカミの方が良かったなんて言われたらわたし……立ち直れないわ)


 以前ならば嫌っていたあのオオカミの姿。ですが今ではあちらの姿になりたいと思えてくるほどです。


「あぁ、パトリシア。ここに居たんだね」


 雪の降り積もる庭がよく見える部屋で、紅茶を楽しみながら物思いにふけていたパトリシアに、声がかかりました。国王がやってきたようです。


「お父様、何の御用かしら?」


 国王はパトリシアの真向かいの席に座り、出された紅茶を一口飲みました。それから神妙な顔つきでこう言います。


「実はなお前に良い話を持ってきたんだ」


「良い話?」


「お前もいい歳だ……だからそろそろ結婚を考えて見合いを――」


「結婚!? お見合いですって!?」


 それを聞いた瞬間、パトリシアはものすごい勢いで立ち上がります。


「そんなのしなわよ! 絶対に!」


「だがいつまでも未婚のままでは王国の未来が……」


「結婚はするわよ! でも今じゃなくてもいいでしょう!!」


 パトリシアとて自分の責務を放棄するつもりはありません。ですがあまりにもタイミングが悪いのです。いつもならばパトリシアの言う事を聞いて下がる国王ですが、今日は違いました。


「いいや、パトリシア! せめてお見合いだけはしてもらうぞ!」


「なんでよ! 大体どうして急になのよ!」


「またお前が居なくなってしまうかもしれないだろう!? 結婚して腰を据えればそんな事はないと……」


 パトリシアが行方をくらませた原因は様々な理由が考えられていた。その中で国王は彼女が家出をしたものだと思っているようです。


「い、いやよ! 結婚なんてしないわ! それこそ本当に家出をするわよ!」


「それは止めてくれ! だがせめて見合いだけでも!」


 数時間の口論の末、結局パトリシアは見合いを受けます。どうせぶち壊してしまえばいいと彼女は思っていました。






 そしてあくる日の今日。見合いの相手と彼女は顔を合わせて驚きました。何せその相手というのは――


「……えーと、お久しぶりでございます、パトリシア様。ブルストン辺境伯の息子、オーリスです」


(オーリス……)


 どうやら前々から噂のあったあのオーリスが本当に来てしまったようです。




 王宮内の談話室で二人の見合いは行われました。近くで暖炉の火がぱちぱちと爆ぜています。


「……パトリシア様は今日もお綺麗でいらっしゃいますね。さすがこの国一のいえ、大陸一の美しさを持つ姫であらせられる」


 オーリスがなんとか頑張ってパトリシアを褒めます。以前の彼女ならばその賛称も素直に受け入れていたでしょう。ですが……


(嘘おっしゃい、あなたにとって一番美しいのはシンシアでしょう?)


 オーリスには何よりも溺愛する飼い猫が居ることをパトリシアは知っていました。オーリスの言葉はどれも心にもない事ばかりでしょう。


 そんな彼女は見て分かる通り不機嫌です。オーリスはどうにかしてパトリシアを楽しませる会話をしようとしますが、どれも空振りでした。彼がここまで必死なのは彼も両親から頼まれたのでしょう。それとも国王からでしょうか? どちらにしてもオーリスは断れなかったのでしょう。


(このままいけば……このお見合いは失敗ね)


 退屈そうにあくびの一つでもしようかとパトリシアが考えたその時でした。


「えっと俺は趣味で狩猟をやっていてですね……この前もこんな大きな鹿を撃ち取って……」


 オーリスが手を伸ばして大きさを伝えてきます。それを見たパトリシアが思わず言いました。


「あらそれは子鹿の間違いじゃないのかしら? ロニーが撃ち取ったのがそれくらいの大きさだったわ」


「えっ? なんで知って……」


「あっ……」


 思わず出てしまった言葉にパトリシアは口をつぐみます。そんな彼女を驚いたようにオーリスが見ていました。


「そ、そうじゃないかなって思っただけよ!」


「そ、そうですか……。ですがなぜロニーの事をご存知で?」


「……彼は以前わたしと一緒に救助されていたでしょう?」


「そうでした……ですがよくお名前を覚えていらっしゃいますね……彼は庶民なのに」


 ロニーを最後に見たのはあの雪山で警官と共に一緒に保護された時でした。その後ロニーはオーリスが連れて行ったので彼女はその後の彼を知りません。


「ねぇ、ロニーは……彼は元気にしているの?」


 パトリシアは恐る恐るといった様子でオーリスに聞きます。オーリスならば知ってるでしょう。


「えっ? どうしてそんな事をお聞きに?」


「いいから答えなさい!」


「はい、すみません……そうですね。崖から落ちたのに怪我一つなかったので元気ですよ。ただ……」


 そこで一旦区切るとオーリスは暗い表情で言います。


「彼の飼っていた猟犬が居なくなってしまいまして……それですごく落ち込んでいます。落ち込みすぎて精神でも病んだのか『人間のパティに会った』とか訳の分からないことまで言っていて……病院に連れて行こうかと迷ったくらいです」


(ロニー……)


 オーリスの話を聞いた途端、会いたいという気持ちが今まで以上に、彼女の心を揺り動かしました。


「オーリス、一つお願いがあるの」


「なんでしょうか?」


「……わたし狩猟がしたいわ。だからわたしを狩猟に連れて行きなさい!」


 驚くオーリスを決心のついた琥珀の瞳が射抜いていました。





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