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姫さま、飼われる

 青年に拾われて一週間が経ちました。パトリシアは少しはオオカミの姿にはなれたようです。


「君ってすっごい綺麗だよね。それにふかふかしててずっと触っていたいよ」


 床に座り込んだパトリシアにブラッシングをしながら青年が言います。この家に来た時は灰色に汚れていた毛並みも、今や光り輝くダイヤモンドのような美しさを持っていました。ですがダイヤモンドのように固くはなく、毛は柔らかくまるで雲を触っているかのようです。


(フフン、わたしの髪の毛と同じ毛並みなのよ。綺麗なのは当たり前だわ!)


 青年にブラッシングを受けながらパトリシアはとても満足気な気分でした。しっぽが揺れています。


(でも、いつまでわたしに馴れ馴れしく触っているのかしら? いい加減にその手を退けなさい!)


「うわっどこか引っかかった? ごめんね」


 パトリシアはブラッシングがある程度終わった所で抗議の一吠えをした後、自身を撫で続けていた青年から離れます。


(こんな風にわたしに気安く触れるなんて事、いつものわたしだったら許さないわね。あなたを牢にでも閉じ込めていたと思うわ)


 若干怒った感じで青年を見つめれば、その感情が伝わったのでしょうか? 青年が困ったような笑みを浮かべながら片付けを始めました。


(まったく……いつまでわたしはこの姿なのかしら……)


 あの誰もが羨む美しかったパトリシアでしたが今はただのオオカミです。他のオオカミに比べて綺麗だと思いますが、元の姿に戻りたくて仕方ありません。


 自分がこうなった原因はあの時現れた謎の光のせいでしょう。その正体はこの国に古くから伝われる精霊だと思われます。精霊を象った像にティーカップをぶつけてしまい、怒りを買ってしまったパトリシアはこうしてオオカミにされてしまいました。


(思い出すだけでも腹が立つわ! 何が王国の救いし精霊よ、邪霊か何かの間違いじゃないかしら!)


 一度謝ったというのに姿は戻りません。もう一度きちんと謝ればいいのかもしれませんが、今のパトリシアは反省も何もしていないので無理なのかもしれません。


「さてと……今日で一週間になるけど君はもう大丈夫だよね」


 パトリシアが一人精霊に対して怒っていると青年がそう言いました。青年は入り口の扉を開けます。その先は小道がこの建物に続いている景色と、それを挟むように木々が立ち並んでいました。雪が降り積もっており、扉から入ってきた寒い風が部屋の温度を下げていきます。


「ほら、森に帰るといいよ」


 そう言って青年は扉の向こうを指しました。どうやら外に出てもいいようです。


 しかし――


(……帰れって言われてもわたしは本当のオオカミじゃないから森には帰れないわ。でも人間でもないから王宮にも帰れない……)


 パトリシアは困惑した表情で扉の外ではなく青年の顔を見上げました。今のパトリシアはどこからどう見ても白いオオカミです。ですが彼女は人間。この家を出て森でオオカミとして暮らすことなど出来ませんし、王宮で甘やかされて育ったお姫様にそんな事ができるでしょうか? その王宮に帰ろうにも姿が戻らない限り誰もパトリシアだと気付かず、撃ち殺されてしまうでしょう。


「えっと……」


 いつまで経っても動かないパトリシアを見て青年もまた困ったように彼女を見ます。


「もしかして行きたくない?」


「……ガウ」


(ええ、何処にも行く場所がないわ……)


 青年の言葉にパトリシアは頷きました。そんな風に自分の言葉に相槌を打った彼女に驚きつつも青年は話を続けます。


「……それならこの家に住むかい?」


「ガウ!!」


(あらいいの? はっきり言ってこんなボロ屋に住みたくないのだけれど……仕方ないわね、このボロ屋で我慢してあげるわ!)


 パトリシアは青年の言葉にそう思いつつまた返事を返します。しっぽはとても嬉しそうです。


「懐かれちゃったかな?」


 青年もそんな反応を見せるパトリシアに微笑みながら頭を撫でようとしますが、その前に避けられてしまいます。ちょっと青年は残念そうでした。


「……そういう事なら君の名前を決めないとなぁ」


(名前? わたしにはパトリシアって名前があるから要らないわ)


 しかし青年はパトリシアの名前など知るはずもありません。うーんと考え込んだ後に青年が言いました。


「真っ白いから……マッシロシロロンなんてどう?」


(ダサいわ! 嫌よ)


「ダメ? ならフワフワフワリン……」


(あなたどんなネーミングセンスしてるのよ! 絶対に嫌だわ!)


「えーこれもダメなの? かわいいのに……」


 青年が名前を上げる度に拒否の吠え声が上がります。


(このままじゃ変な名前で呼ばれてしまうわ! 何か……何か……)


 パトリシアが辺りを見渡すとテーブルの上にある新聞が目につきました。その一面を見るなり、素早くそれを取ってくると青年の前で一面が見えるように地面に置きました。


「えっ何?」


 青年は不思議そうにパトリシアの行動を見ています。パトリシアは一面を前足で突きながら吠えていました。


「読んで欲しいのかい? ……パトリシア姫殿下、原因不明の病に。しばらくは王宮内にて療養と……」


 青年が一面を読み上げます。どうやらパトリシアは世間的には病に陥り王宮を出れない事にされているようです。


「お姫様大丈夫かな? 心配だねー」


(……心配も何もわたしがそのパトリシアよ!)


 ある意味今現在パトリシアは病にかかっていると言えるでしょう。オオカミになってしったという病に。青年は目の前にいる存在を知らず、今だ紙面を見ています。そこではたとパトリシアは気が付きました。


(そうだわ! 上手く行けばわたしがパトリシアだって気づいてくれるかもしれないわ!)


 そんな嘘っぱちの一面が書かれた新聞をパトリシアは自分の名前の所を叩いて青年に教えます。


「ん? どうしたの?」


(気づいて! わたしがパトリシアなの!)


「えっと……パトリシア?」


「ガウ! ガウガウガァ!」


(そう! パトリシア!)


 必死にパトリシアが訴えると青年がああと言った風に言いました。


「分かった! パトリシアって名前がいいんだね?」


「ガアアアアア!!」


(ちがああああああう!!)


 どうやら青年には上手く伝わらなかったようです。


「えっと……パトリシアって名前は嫌なの?」


(いいえ……違うわ……そうじゃないんだけど違うわよ……この役立たず)


 パトリシアはしっぽも耳もペタンと下を向かせつつも、いいえと首をふります。どことなく落ち込んでいるということが青年にも分かりましたが、なぜなのか分かりませんでした。


「とりあえず……名前はパトリシアがいいんだね?」


「ガウ」


「でも……さすがにお姫様と同じ名前を犬――いやオオカミに付けるのは失礼に当たるかな?」


 その目の前にいるオオカミこそがパトリシアですが青年は知りません。


「それじゃ……パティでどう? 愛称のほうならまだいいかな?」


「ガウ!」


(愛称ね。本当はあなたみたいな平民が呼んでいい名前じゃないけど……仕方ないから許すわ)


 少なくともあんな変な名前よりはマシでしょう。パトリシアは頷いて答えます。


「それじゃ今日から君はパティだ。そういえば僕の名前を言ってなかったね」


 青年がパトリシアと同じ視線に合わせて話します。


「僕はロニー。これからよろしくね、パティ」


 そう言ってロニーは頭を撫でようとしますが……やっぱり吠えられるのでした。






 そんなこんなでパトリシアはオオカミのパティとなり、ロニーとの生活が始まりました。どうやらロニーは猟師をしているようです。この一週間ほど銃を片手に外に出て行く様子が見られました。


「ねぇパティ、今日の狩りは一緒に来るかい?」


 いつものように出て行く前にロニーがパティを誘いました。


(……そうね。正直面倒なのだけれどずっと家にいるのは暇だったの、行くわよ)


 パティは定位置となりつつある暖炉の前からのそりと立ち上がり動き出します。それを見たロニーが嬉しそうな笑顔をしながら出かける準備をしました。


「ああ、そうだ。一応外に出るから……」


(何? 忘れ物でもしたの?)


 外に続く扉を開ける寸前にロニーが立ち止まります。ロニーを不思議そうに見上げていたパティの前にロニーはしゃがみこんで言いました。


「首輪つけるけどいいよね?」


 ロニーの手には赤い首輪がありました。革でできた頑丈な犬用の首輪です。それを付けると彼ははっきりと言いました。


(首輪? それがなんだって……はッ!? まさかわたしに付けるつもり!?)


 一体誰に? とパティが首を傾げそうになった所でそれが他でもない自分だと気付きました。パティはロニーから素早く離れます。


「あ、ちょっと! パティ待って!」


(嫌よ! 首輪を付けるなんて嫌だわ! 絶対に絶対にいやあああああああ!!)


 しばらく首輪を持ったロニーとパティは部屋の中で追いかけっこをしました。


「ぜぇ……はぁ……なんで……そんなにこれがしたくないの?」


「グルルルルゥ……」


(そうに決まってるでしょ!)


 首輪をされたくないパティはうなり声を上げつつ、ロニーの手に持つ首輪を睨んでいます。


「分かった。そんなに嫌なら首輪はしないよ」


 そんなパティの様子を見てロニーは、仕方ないと言った風に首輪を机の上に置きました。


「でも約束して、外に出ても人を襲ったりしないでね?」


(そんなのするわけないでしょう?)


 パティが頷きます。ロニーは少し不思議そうに笑った後、外へ続く扉を開けました。






 外は相変わらず雪が降り積もっていました。雪の白さが太陽の光を反射して眩しいです。ロニーの小さな家から小道が続いており、少し行った所で二手に分かれていました。片方は遠くに家がいくつか見えたので村に続くと思われます。ロニーはその村に続く道ではなく、森の奥に続く小道を行きました。パティはそんなロニーの後をとことことついて行きます。


「……本当に森には帰らないのかい?」


 自分の後ろをぴったりと付いて歩くパティを見てロニーは言いました。今のパティは首輪もリードも付いていません。逃げようと思えば逃げられる状況でしょう。普通のオオカミならば逃げていくかもしれません。


(……こんな所に居なくていいならすぐに王宮に帰るわよ)


 ですがパティは普通のオオカミではありません。彼女は人間なのですから。ロニーの元を去ったとして何処でどうやって生きていけばいいのかパティは知りませんでした。


「……やっぱり懐かれたのかな?」


 しかしそんなロニーは彼女が人間だとは知らないのでそう思ったのでしょう。そして頭をまた撫でようとして吠えられるのでした。ロニーはとても残念のそうな、でも嬉しそうな表情です。





「あ、アランさん! お待たせしました!」


「来たか、ロニー」


 道なりに進んでいくと一人の年を取った厳つい男とその側に犬が数匹居ました。その男性も服装と手に持ったライフル銃からロニーと同じ猟師と思われます。


「……そいつか。拾ったとか言うオオカミは」


 アランと呼ばれた男がパティを見るなりそう言いました。どこかパティを警戒するように、そして見定めるように見ています。


(何よ、ジロジロ見るなんて失礼よ!)


 パティはその視線に不愉快になりました。しかし、アランのガタイが大きい事と厳つい顔もあって、思わずしっぽを降ろしてロニーの後ろに隠れました。


「ふん、オオカミの癖に怖がりな奴だな? おい、ロニー。こいつは猟犬に向かねえ」


「そうでしょうか?」


「前にも言ったがな、ロニー。猟犬にさせるなら赤ん坊の頃から育てなきゃならん。しかも人間に懐きにくいオオカミをさせるのは無理ってものだ……」


 アランの言葉を聞いてロニーは少し残念そうにパティを見下ろします。そんなパティは二人の会話がイマイチ分からずきょとんとしていました。


「……まぁやってみない事には分からんがな。とりあえず今日はそいつを連れ歩くだけにして、普通に狩りに出るぞ」


「分かりました!」


 アランと数匹の犬とともにロニーとパティは森の奥へと入って行きました。


(ねぇ……ちょっと! 猟犬ってどういうことよ?)


 行く道中でパティは先ほどの会話が気になったのか、ロニーのズボンを噛んで引っ張ります。


「ん? どうしたのパティ?」


 ロニーがそんなパティを見てしばらく考えこんだ後に、気づいたのかこう言いました。


「猟犬が丁度欲しいなって思ってね。パティならいい猟犬になりそうだし」


 そういってまた頭を撫でようと手が伸びますが……


(わたしをあんな犬みたいにこき使うつもりなの!? 嫌よ、猟犬なんて絶対にしないわ!)


 パティはまたロニーに向かって吠えるとロニーから離れて行きました。


「あ、また逃げられた……」


「……ほらな、ロニー。オオカミは人間に懐かないものだ」


 パティに逃げられたロニーは手のひらを見つつ残念そうにし、アランがやっぱりなと言った感じに言います。


「やっぱりそうなんでしょうか? でも僕の元から離れませんし……」


「確かに、そこが不思議だな……」


 二人がパティを不思議そうに見つつ、そんな会話をしていました。



 パティはロニーの元を少し離れて歩いていると、その隣に一匹の犬が近づいてきます。アランの猟犬の一匹のようで他の犬と比べると若いビーグルでした。


(何よ、こっちに来ないでよ)


 そう意味を込めてパティがひと吠えして追い払おうとします。するとその犬は左右に振っていたしっぽを残念そうに下げながら鳴き声を発します。


『なんだヨ、せっかく仲良くしようと思ったのになァ……』


 ただの犬の鳴き声に聞こえるはずでした。ですがその鳴き声がパティにはこう聞こえたのです。


『い、犬が! 犬が喋ったわ!!』


『どうしたんダ? いきなり慌てテ……』


 パティの声に返すようにまた鳴き声が帰ってきて、そう言っているようにパティは分かりました。


(そうか! わたし今オオカミだから犬と喋られるのね!!)


 パティは今オオカミです。どこからどう見てもオオカミでした。人間の言葉を発することが出来なくても犬の言葉を理解することは出来るようです。


『いいえ、なんでもないわ。でも犬の分際でわたしに話しかけるなんて』


『ハァ? 確かにオレはあんたと違って普通の犬だけど、オオカミはそんなに偉いのかヨー』


『オオカミじゃないわ! わたしは人間よ!』


『ニンゲンって……あんたはどう見てもオオカミだヨ? 匂いもオオカミだし……』


『ちょっと止めなさい! この無礼者!』


 そういって鼻を、あろうことかおしりに近づけようとする犬からパティは距離を取ります。


『えー挨拶しようと思っただけなのニ……』


 その犬はとても残念そうにパティを見ていました。犬同士の挨拶をしようとしただけですが、パティは犬ではありませんから知りようがなかったのでしょう。


『せめて名前だけでも教えろヨ? オレはトビー』


 挨拶を断られましたがその犬――トビーはめげずにパティに話しかけます。


『犬に名乗るなんてバカバカし……』


 そう思い名乗るのは止めようとしたものの、先ほどその犬と変わらないパティに名乗った人を目の前で見ていた事を思い出しました。


『……パトリシアよ。パトリシア様もしくは姫さまと呼びなさい!』


『ヒメサマって何ダ? 長いからパティでいいカ? さっきお前のご主人様がそう言っていたシ』


『なっ! 犬の分際でわたしの命令を無視するの!? あとロニーはご主人様じゃないわ!』


 パティはとてもご立腹のようです。そしてロニーがご主人であると言われてもピンと来ません。はたから見ればパティはロニーに飼われているオオカミですが、パティは気づきませんでした。むしろロニーをメイドなどの従者として彼女は認識していたのです。


『……んーどういう事ダ? ロニーがお前のご主人様じゃないのカ? パティの言ってる事がちょっと分からねえヨ?』


 パティの言っている事が理解できないのか、トビーは首を傾げます。


(このバカ犬……!)


 やはり犬と会話することはできないと思いパティは無視することに決めました。ですがトビーは変わらず話しかけてきます。


『なぁなぁ、それよりサ。パティって猟犬に成り立てなんだロ? 狩りに出たのは何回目なんダ?』


『馴れ馴れしく話しかけないで頂戴。あとわたしは猟犬になるつもりはないわ。だから狩りなんてしたことないわ』


 パティは煩わしそうに、ですが答えます。猟犬にはならないと彼女は決めていました。そんな犬と同じ事をこの国の姫である高貴な自分がすることではないのですから。


『まじデ! じゃあパティはオレの後輩なんだナ!』


 ですがトビーはそんな彼女の様子など無視してそう言いました。どうやらトビーはまだまだ新米の猟犬のようです。今まで下っ端だった自分にその下らしきパティが来たことが嬉しいのでしょう。


『そっカそっカ! ならオレが先輩として猟犬の動き方を教えてやるゾ!』


『はぁ!? あなたわたしの話し聞いていたの? わたしは猟犬なんてするつもりは――』


『遠慮するナ、パティ。トビー先輩にまかせロ!』


 トビーはよほど嬉しいのかしっぽをブンブン振って先導するようにを歩いて行きました。


(もう! やっぱり犬とは話が通じないわ!)


 パティはトビーの後ろ姿を苛つきながら見ていました。ですが心なしか彼女のしっぽは揺れています。久々に会話らしい会話ができたからでしょうか。



「……パティ、楽しそうだ」


 そんなパティとトビーのやり取りをロニーが微笑ましそうに見ていたのを、パティは知りません。






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