春が来ない!
チェダーちゃんの住む町に困ったことが起きました。もうすぐ五月になろうというのに春が来ないのです。いつもだったらとっくに鯉のぼりが気持ちよさそうに空を泳いでるはずなのに、チェダーちゃんの町はまだ北風が吹いていて、木は枯れ枝のままで花壇の花も咲きません。
「そうだ! 春を迎えに行こう!」
チェダーちゃんはお気に入りの白いコートを羽織り、赤いマフラーを首に巻きました。そして、おばあちゃんの部屋のドアをノックしてそっと開けました。
「おばあちゃん、わたし春を迎えに行くね」
返事はありません。おばあちゃんは風邪をひいて昨日から寝込んでいました。
「行ってきます」
チェダーちゃんは囁くように言うと、おばあちゃんを起こさないように静かにドアを閉めました。
ブーツを履いて外に出ると相変わらず北風が吹き荒れていました。チェダーちゃんは仲良しのエメンタールちゃんを誘おうと思いました。エメンタールちゃんの家へ向かっていると、チェダーちゃんのとなりの家に住んでいるゴーダくんが一人で広場でボールを蹴っていました。
「ゴーダくん! ヒマ?」
「あ、チェダーちゃん! うん、ヒマだよ」
「じゃあ、一緒に春を迎えに行こう」
「え? 春を迎えに行くの?」
「うん。なかなか来ないから」
「そっか、わかった。行こう」
冷たい風が一層強く吹き付けたので、二人は飛ばされないように手を繋いでエメンタールちゃんの家に向かって歩き出しました。
エメンタールちゃんの家に着いたのでチェダーちゃんはインターホンを押しました。
ピンポーン
「はい」お母さんの声でした。
「こんにちは。チェダーです。エメちゃんいますか?」
「あら、チェダーちゃん、こんにちは。ちょっと待っててね」
ほどなくガチャっと鍵を外す音がして、ドアが開きエメンタールちゃんが顔を出しました。
「チェダーちゃん、どうしたの? あ、ゴーダくんもいるんだぁ!」
「エメちゃん、春を迎えに行こう」
「え? 春? 春って迎えに行くものなの?」
「ホントは違うけど…… もうすぐ五月なのに、春来ないでしょう」
「そうだね。春遅いよね。うん。行く行く」
三人は春を迎えに北風に背中を押されながら歩いて行きました。
「ねえ、チェダーちゃん。どこに春はいるのか知ってるの?」
エメンタールちゃんが言いました。
「知らない」
「え? それじゃあ、どうやって迎えに行くの?」
「うーん……」
チェダーちゃんは困ってしまいました。
「あ!」
ゴーダくんが思い出したように言いました。
「ゴルゴンゾーラじいちゃんに聞いてみようよ。じいちゃんならきっと知ってるよ」
ゴルゴンゾーラじいちゃんはこの町の神さまみたいな人です。町の人たちは困ったことがあるとゴルゴンゾーラじいちゃんのところに相談しにいくのです。
「そっか! ゴーダくん頭いいね〜」
「行こう、行こう」
三人は手を繋いでゴルゴンゾーラじいちゃんのところに向かいました。
ゴルゴンゾーラじいちゃんの家の前に着くと看板が立っていました。
「あれ? 何か書いてある」
相談料一件につき1000円
「ええ! お金いるんだぁ」
三人は顔を見合わせました。
「わたしはおばあちゃんに羊羹を買おうと思って500円持ってる。エメちゃんとゴーダくんは?」
「エメはおやつ代にお母さんに300円もらった」
「僕は……」
ゴーダくんは左右のポケットの中に手を突っ込んで何か探していました。
「あった! 100円」
合計で900円。100円足りません。
「どうする?」
チェダーちゃんが困った顔をするとゴーダくんが思い付いたように言いました。
「僕たち子どもだから半額だよ」
「そっか! ゴーダくんすごい頭いいね〜」
三人はゴルゴンゾーラじいちゃんのところに行きました。ゴルゴンゾーラじいちゃんは三人の話を聞くと深いため息をつきました。
「そうか。わしも今年は春が遅いので心配だったんじゃよ。うーん……たぶん春は乗り換えを間違えたか、乗り遅れたか、それとも体調不良か……そんなところじゃろう」
三人は意味が分からずポカンとしていました。
「いいか。春は324番線にやって来る。324番線ホームを見つけるんじゃ」
チェダーちゃんが尋ねました。
「春は電車に乗って来るんですか」
「いや、電車ではないが電車みたいなもんじゃな」
「でも……どこにあるのかな? 324番線ホーム」
エメンタールちゃんが呟きました。
「きみたちなら見つけられるじゃろう。子どもってのはすごい力があるんじゃ。わしがとうに失くしてしまった力がある」
「あのー」ゴーダくんが言いました。
「なんじゃ」
「相談料なんですけど、子どもは半額でいいんですよね」
ゴルゴンゾーラじいちゃんは顔をくしゃっとさせてニコッと笑いました。
「ああ、表の看板のことか。あれはいいんじゃ。あれはつまらん相談をしてくる大人たちを追っ払うために作ったんじゃ」
「じゃあ、無料ですか?」
「もちろんじゃよ。この町のために春を迎えに行くなんて、わしは涙が出るほど嬉しいよ」
三人はとにかく324番線ホームを探すことにしました。
「もしかしたら、駅に行けば隠れ通路とかがあって、そこを進めば隠れホームがあるかもしれない」
ゴーダくんが目を輝かせて言いました。
「わぁ! それすごい!」
三人は駅に向かって歩き出しました。すると、どこからか泣き声が聞こえてきました。
「誰か泣いてない?」
「うん」
「行ってみよう」
三人は泣き声のする方に駆けていきました。すると、小さい男の子が泣いていました。この寒さの中、薄いシャツ一枚しか着ていません。チェダーちゃんはすぐに自分のマフラーを男の子に巻いてあげました。
「暖かいでしょう。お母さんの形見なんだよ。どうしたの? 迷子かな?」
エメンタールちゃんは手袋を男の子の冷たくなった手にはめてあげました。男の子は泣きじゃくるばかりです。その時、男の子のほっぺたに温かい缶があたりました。
「じゃーん、ミルクティーだよ。100円の自販機あって良かったよ」
ゴーダくんがニコニコ笑って言いました。男の子はミルクティーを一口飲んで少し落ちついたようでした。
「お家はどっちかな?」
チェダーちゃんが聞くと男の子はゆっくり上を指差しました。
その時です。小さなつむじ風が吹いたのです。
ぴゅークルクルクルクル
三人はしっかりと手を繋いでいました。それから目の前が白くなって、三人はまるで夢の中にいるような気持ちになりました。
「あれ?」
「なんで?」
「ここどこ?」
三人は駅のホームにいたのです。
「すげー、瞬間移動だ!」
ゴーダくんがはしゃいでいます。
「あ!! ここって324番線ホームだ!」
エメンタールちゃんが電光掲示板を見て叫びました。
「ホントだ! やったー!」
三人はぴょんぴょん跳ねて喜びました。
「あれ? 男の子は?」
チェダーちゃんは辺りを見回しました。すると線路を挟んで反対側のホームに男の子が立っていました。と同時に生暖かい風が吹いたかと思うと列車が入ってきたのです。薄いピンク色の車両で、Springと書いてあります。窓が見当たらないので中は見えません。
「春乗ってるかなー」
三人は列車が停止するのを待ちました。
キキーー プシューーーー
列車が止まり、ゆっくりとドアが開きました。しかし、誰も降りてきません。
「誰も出てこないね」
エメンタールちゃんがポツリと言いました。
ジリリリリーン ジリリリリーン
やがて発車のベルが鳴りました。三人は不安そうにホームに立っていました。と、その時、三人の目の前のドアから転がるように出てきた人がいました。
「ふぁーー、やったぞ〜」
その人は叫び声を上げました。肩ぐらいまで無造作に伸ばした髪の毛と髭がモジャモジャで顔がよくわかりませんが、ボロボロになったマントのようなものを羽織っていました。
「あのー」
ゴーダくんがその人に向かって喋りかけました。
「あ、はい。なんでしょう」
「僕たち春を迎えに来たんです。春は乗っていませんでしたか?」
その人はニヤリと笑い言いました。
「私が春です」
「えぇぇ! 何かイメージ違う」
エメンタールちゃんが言いました。
「あー、いや、この格好は、私は、戦火をくぐり抜け、悪を倒しやっとのことでここにたどり着くことが出来たのです」
「…………」
「いやね、おやじが急用で来れなくて代わりを頼まれたんだが、勝手がわからなくて異常に時間がかかってしまってね」
「そうだったんですか。エメたち春を迎えに来たんです」
「そっかー。ありがとう。では、みんなで一緒に帰ろう」
「あ、ちょっと待って下さい。あの子は?」
チェダーちゃんが反対側のホームに立っている男の子を指さしました。
「あの方はウィンター様ですよ。お帰りになられます」
春はやってきた列車に男の子が乗り込むまでずっと深く頭を下げていました。
(私が来るまでこの町を守って下さってありがとうございます。このご恩は一生忘れません)そう心の中で呟いていました。
「さあ、みんな! 手を繋いでまあるくなって、目を瞑って。いいかな。ワン! トゥ!! スプリング!!!」
気が付くと三人はゴルゴンゾーラじいちゃんの家の前にいました。
「????」
「あれ? 何でわたしたちここにいるの?」
「エメわかんない」
「何かじいちゃんに相談ってある?」
「ない!」
三人は顔を見合わせて笑いました。
桜が満開です。こいのぼりが青空を泳いでいます。
「あっ! チェダーちゃんのマフラーだ」
満開の花で垂れ下がった枝に赤いマフラーがかかっていました。
「エメちゃんの手袋もあるよ、いつ忘れたのかな? 不思議」
チェダーちゃんはふと空を眺めました。大きな雲が浮かんでいました。その中にマントを広げた人がスーッと入っていったように見えました。
エメンタールちゃんが言いました。
「じゃあ、あとでみんなでお花見しようね! カマンベール公園に集合だよ」
ゴーダくんが言いました。
「あと、お花見といったらアレだからね。絶対アレ持ってきてね」
「ただいまー」
チェダーちゃんはドアを開けると「おかえり~」とおばあちゃんの声がしました。
「おばあちゃん、もう風邪大丈夫なの? あ、羊羹買ってきたよ」
チェダーちゃんが心配そうに聞きました。
「まあ、ありがとう。何だか春の予感がしてね。外を見たら桜が満開だったから寝てなんかいられないわと思ってね」
「あ! 良い匂いがする」
「そうよ。すぐに焼き始めたわ。お花見と言えば……でしょ」
「うん、おばあちゃん。お花見と言えばアレだよねっ」
やがて町中からチーズの蕩けるいい匂いが漂ってきました。みんなお花見に出かけるみたいです。だって、お花見と言えばアレですからね。