エチュードop1-4
嘘だろ?
どうして結衣が?
何の罪もない、むしろ善良ないや、善良すぎる市民であるのに。
その赤黒い怒りは、頭の芯を熱くとかし、自分の指をカバンの裏底に取り付けられたアルミ製のアタッシュケースに向かわせる。
「許せない」
その一言を発すると冷静にはなったが、怒りは冷たさを帯びると同時におぞましいものと変化した。
理性的な怒りほど恐ろしいものはないのだと思った。
適当に振り回すバッドとチンピラの組み合わせよりも、戦車を破壊するために作られ、確実に脳幹を打ち抜くために使われるアンチマテリアルライフルと凄腕の命令のみで動く冷徹なスナイパーの組わせではもちろん後者が恐ろしいことは言うまでもない。
アタッシュケースの五ケタのアナログの暗証番号を入力する。
中には家庭用の端末よりも数兆倍もの演算能力を持つ、いや、それ自体は持ってないないが、回線につなぐことにより外部の強力な演算装置からその演算能力を得ることができる。
ジャミングもかかっていたが、これは軍事用の端末であるからそんなやわなジャミングに妨害されるものではない。
おそらく、家庭用の端末に対しての物だろう。
攻撃する側が自分たちの回線が使うことに不自由しないように、いや攻撃を継続するためにその程度のジャミングにとどめているのだろう。
明らかなサイバーテロ。
いや、サイバーテロより軍事的な攻撃ではないだろうか。
ケースの端末を開きデジタルの暗証番号を打ち込み、取り付けられた受話器から直通回線を呼び出す。
「000部隊、あれこの番号明石君じゃない。めづらしい。おもちゃじゃないんだからそんな遊びでこれを使ったらだめよ。大体……」
「准尉、それどころではありません。早くそちらの演算装置の処理能力の三十パーセントを開放してください」
「わかってるわよ。状況は把握してる。うちの部隊も秘密部隊ながらも協力を求められているくらいなの。丁度優秀な情報解析者が欲しかったのよ。いいわ。でも、これは秘密の案件、やめた人間にその端末を与えていること自体かなり特例というか、部隊から漏れたらかなりやばいことになるわ。必ず足がつかないようにすること。ちなみに攻撃を仕掛けているのはお隣さんよ。生半可な連中ではないと思うけど、まぁ気にする必要はないわね」
「重々承知しています。やはりそうでしたか」
「でも、どうしたの急に、この世界から足を洗うんじゃなかったの。恩赦を得られると同時に予備役になるぐらいなんだから」
「……」
「まぁいいわ。聞かないでおいてあげる。健闘祈ってるわ。そして今度食事にでも誘ってあげる。そして、うちの部隊はあなたのことをずっと待っている。この機会に……」
「急ぐので」
会話の途中、演算装置が解放されると同時に作業に入っていた。
あちらもそれを承知の上で話しているようだった。
喋りながら作業もできなくもないが、そんな気分じゃない。
下準備が終わった。
あとは最近開発したプログラムを胸ポケットに入っているUSBを差し込んで起動して終わりだ。
いくらマイクロの時代でもあまりにマイクロすぎると不便なのでUSBは昔から残っている。
あっけのないものだ。
磨きに磨きをかけた技術は衰えることはないようだった。
復習とは虚しいものだな。
そう思いながらUSBを差し込む。
電波のジャミングがやみ、そこらじゅうで急な回線の復旧に驚き喜ぶものの声が混ざっていた。
もちろん喜びの声だけではない。
少しは、結衣の無念を晴らすことができていればいいのだが、そう思いながら目を頭上に転がし天井をながめ感傷に暮れる。
もう少し手ごたえのある戦いなら少しは満足できたのだろうか。
そう思いながらケースを閉じ、思い切り蹴り飛ばした。
守りたいものが守れなきゃこんなものに価値はあるのか。
金属のぶつかる音が病院のリノリウムに響き、雑踏の中に消えて行った。




