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死と愛のまえ、幾分か。

作者: えのまりや

 ♂

 父からいったのが悪かった。おかげで、ちぎられ、ばらばらにされ、少しずつ、余すところなく消化されていく父を見て、母が上げた、獣ですら上げないようなむき出しの唸り声が、未だに耳に残って離れない。順番が逆であれば、父はもう少しだけ、冷静な対応を取ったのではないだろうか。どちらにしろ、助かったのは俺だけだったと思うけど。

 両親が死んで以来、俺にとって世界で一番愛している、密かに生涯愛し続けることを決めた、そう思った女性が目の前で眠っている、仮眠をとっている、その右手首に、彼女が起きないよう気を付けながら、彼女のものとうり二つの腕時計を巻きつけた。


 ♀

 暫定的にキャンデーと名付けられたそれは、瞬く間に、働き蟻や働き蜂と同じような部下とも呼べる個体群を率いて、山口県全域を壊滅させた。ほとんどの人間が殺されるか県外に逃れた。逃げ遅れた人の多くは息をひそめ、積極的に活動しているのは、命をささげることを前提として募集された私的な義勇軍、私たちのような存在だけだ。多くの犠牲者と引き換えに、キャンデーを取り巻く個体を相当数減らすことが出来た。あと一歩なのだ。

「うれしい、ほんとうにうれしい」

 普段クールな彼が、子供みたいに顔をほころばせる。

 多くの書架は打ち崩れ、床は本で散らかっている。周囲には死臭が漂い、次の瞬間には私たちの命も危ういかもしれない、そんな状況をすっかり忘れてしまったみたいだ。彼は、ピュアなのだ。

 私は覚えず唇をかんでいた。

「こういうのってつけたことないから、なんだかさ」

「貸して?」

 ネックレスを受け取り、はにかむ彼の首に手をまわす。彼はこそばゆそうに身じろぎした。つけたあと、クリーム色の石を正面、鎖骨の間の辺りに整え、それからなんとなく、彼の髪を手櫛で梳いた。彼の顔色は、気恥ずかしさと恐れによる興奮と、それらが使命感と混じり合い、気力が満ち満ちている。

 私の笑顔のこわばりに、どうやら彼は気付かないようだ。私たちの上司ともいえるフレア、彼が持つ研究室から、私にだけ支給された燃料気化爆弾が、ネックレスの正体だ。

 私たちの誰かが、犠牲にならなければならないのだ。


 ♂

 先輩が屋上から戻ってくるのを待つ間、俺は本棚に背を預け、彼女が装備を点検する様子を眺めていた。自分の装備は彼女が仮眠をとっている間に整えた。とはいえ、大した装備はない。俺にはコルト社のガバメントが一つきり、カスタムもなく予備のマガジンは一つだけ。彼女にはレミントンのショットガン、薬室のものも含めて弾は七発、予備はない。これでもフレアがなんとか集めてくれたものだ。

 ――屁みたいな装備ね。

 フレアから銃を受け取った時、彼女が言った。他にはナイフが一本ずつ支給されている。こんな装備で、例え零距離で打ち込んだとして、キャンデーを倒せるわけがない。彼女はそう思っているし、同じ立場なら俺だってそう考えただろう。

 俺にはフレアから、内密に渡されたものがある。それはいま彼女の、白くてほっそりとした右腕に巻かれている。

「外はどんな感じ?」

 俺はブラインド越しに窓の外を見下ろした。穏やかな陽ざしに満ちた大学構内は、密やかなお祭りの最中みたいだ。静まり返っていながら、非日常な雰囲気がある。地面のところどころにある黒ずんだ塊は、キャンデーを取り巻く個体の食べ残しだ。ほんの少し前まで、人だったものだ。

 俺たちがいる図書館から本館まで二十メートルちょっと、といったところ。いまキャンデーは、この大学の本館のどこかにいるらしい。それも単独でだ。

「静かだ。フレアの情報は確からしい。これならすんなり乗り込めるだろ」

「乗り込めたとして、ただの犬死になんて、死んでも、うぅん、生きてもごめんだけどね」

 その強気な態度が心強い。彼女はぎりぎりまで計画を知らされず、それまでは俺の指示に従う、という約束になっている。だからこそ彼女が今後の行動を訝しむのは無理もないが、実のところ、最後まで彼女が計画を知ることは無い。

 胸の辺りに異物が込み上げてきそうな感覚がある。キャンデーに対面するのは恐ろしいが、この感覚は恐怖だけではない。

「緊張しないで」

 後ろから柔らかく髪に触れられた。俺の髪を梳くのが、彼女の癖だった。俺はその癖が好きだったけれど、いつもどこか気恥ずかしかった。

「信じてる。私のことはあなたに預けてるから、大丈夫だと思ってる」

 内臓がねじ切れそうな異物感だ。何も言えずにいると助け船が来た、先輩が屋上から戻ってきた。

 先輩はくしゃくしゃの紙切れに目を通している。作戦に関する情報が書かれているのかもしれない。

「やはり周辺には何もいない。それと、本館二階の窓にキャンデーの姿を確認できた。一番奥の、袋小路の教室だ」

 先行して潜入していた先輩とは、この図書館で偶然行きあった。仲間を失い、一人で隠れていたらしい。彼には既に計画について話している。

 俺たちはそれぞれに、互いの顔を確認した。互いの覚悟を、無言のうちに確認し合った。彼女の瞳の深さを、自身にしみこませるように記憶した。これが最後なのだ。

 三人で裏口から図書館を後にした。俺はいつのまにか、未だつけなれていない、ネックレスの石を握りしめていた。


 ♀

 キャンデーに対しいくつか試された事がある。例えばトリカブトを始め、毒物を仕込んだ肉を数回設置した。その時キャンデーは、周囲を取り巻く個体に何か指示を出すような唸り声を上げた。その後、その肉に興味を示す個体は一匹もなかった。また、移動を続けるキャンデーのルートに先んじて、爆発物を仕掛けたこともあったが、キャンデーは巧みにそのルートを避け、隠れた人々を探し出し、捕食を続けた。

 今回の案はいわゆる、最後の手段、に近いものではないかと私は考えているが、用心深いフレアのことだ、他にも何か準備を進めているのかもしれない。どちらにしろ、作戦行動を行う当人にとっては、最後の手段に違いない。

 限定空間蒸気霧爆発。理論が開発され、すぐに極小の熱量気化爆弾として応用され、今回の作戦がたてられた。有効範囲が極めて狭いが、限定空間爆発による強大な圧力と、三千度に近い高温を発生させる。

 これをキャンデーの内側から爆発させる。その役目を、彼が担う。

 仮眠から目を覚ますと、彼は既に起きていた。私が目を覚ました事には気付いていない。

 横になったまま寝起きの頭で、椅子に座って作業している彼を見ていると、毎週末、彼の家に泊った朝のことを思い出す。

 彼は装備を点検している。拳銃の作動、弾の確認、ナイフの位置取り。それらの作業の合間に、はにかむような表情で、首元に手を伸ばす。愛おしそうに、石を撫でている。

 彼はその石を、純粋に、私の想いがつまったお守りだと思っている。

 彼が捕食され、生体電流の読み取りが五秒滞ると、信管が作動する。そのとき彼は、どんな気持ちになるだろうか。

 私は右腕の腕時計を確認し、体を起こした。そろそろ作戦開始だ。


 ♂

 本館には問題なく入ることが出来た。先行していた先輩の観察では、二体ほど小さな個体が残っているのを確認したらしい。それぞれ、本館入り口で一体、奥に進み、二回への階段で一体、始末することが出来た。銃声が響いたが、耳を澄ましてみてもキャンデーが近づいてくる気配はなかった。

 ショットガンには残り三発、俺のガバメントも弾倉1つ分、七発だけだ。先輩に武器はない。

 ここからは彼女と別れて行動しなければならない、俺は計画を話した。

 バックパックから小さな小箱を取り出して彼女に見せる。彼女が二階へ行き、キャンデーがいる教室前の角で待機する。俺と先輩は二人で、キャンデーの真下の教室の天井に、小箱に入っている梱包爆弾を設置する。爆発で床が崩れ、落ちてきたキャンデーに、一階床に設置したC―4でとどめを刺す。突然の事態に対処できないキャンデーはやすやすと引っかかるはずだ。

 二人で時計を合わせ、きっちり五分後、作戦を開始する。彼女が教室に飛び込み、距離を取ってキャンデーに一発打ち込む、その音を合図に、下では爆弾を起動させる。

 ショットガンではせいぜいひるませることしかできない、無茶と言えば無茶な計画だが、彼女は普段通り、不敵な笑顔で頷いた。

 変に未練を残したくない、俺は打ち合わせも早々に背を向けようとした、彼女はその背中に、

「何か言っておくことない?」

 わずかに懇願するような響きがあった。

「何か私に隠してることない?」

 難しい質問だと思った。隠している事はあるし、言いたいこともたくさんある、例えば、ごめん、だとか、しかし、言えることは何もなかった。

 なにも。そう応えると、「そう」、彼女は素っ気なく受けてから、「気を付けてね」、その言葉だけを残して、足早に階段を駆け上がった。

 作戦開始だ。


 ♀

 もとより、彼も私も生きて帰るつもりはないけれど、結局最後まで口に出すことは出来なかった。


 ♂

 音を立てないよう廊下をかけ、角を二つ曲り、キャンデーがいる最奥の教室が見える位置に来た。

 奥から静かな唸り声が聞こえる。既に警戒されているような、こちらの位置を把握されているような感覚に、全身がピリピリと痺れた。耳に音が届きそうな程、心臓が胸を打ち付けている。

 先輩からの情報通り、確かにキャンデーは一階にいた。

「これでいいのか?」

 先輩が問う。

「最初からそういう計画なんです」

 俺は首元のネックレスを撫でて見せる。クリーム色の石が柔らかく光っている。

「今から俺が飛び込みます。キャンデーは俺を躊躇なく飲み込むでしょう。あいつは行儀がいいから、食べかすを残すようなことはしません。目の前で見せられたことがありますから、間違いありませんよ」

 これは笑えないジョークだ。先輩も、ジョークだとは思わなかったようだ。

「俺がきっちり捕食されたのを確認したら、彼女の所に戻ってください。彼女の右手首にはめた腕時計、それが起爆装置です。彼女はそれを知りませんから、先輩が操作してください」

 手順を確認した。先輩は俯き、考えるように唸っていた。

 本当の事を、彼女には最後まで話せなかった。逆の立場なら、俺は彼女を絶対に許せないだろう。だから、彼女が俺を恨めしく思うだろうことを考えると、胸がつまりそうだ。でもそれ以上に、俺たちのどちらかが担わなければいけない役目を、自分が負えることが、それが何より誇らしい。

「わかった」

 先輩はいつのまにか微笑を浮かべていた。妙にさっぱりした表情をしている。右手を差し出した。

「拳銃を貸してくれ。もう必要ないだろ」

 確かにその通りだ。作戦の失敗を、あるいはその辺りに取り巻きの個体が残っている可能性を考えれば、先輩が持っていた方がいい。

 先輩に拳銃を手渡し、角からキャンデーを窺った。暴れる心臓を押さえつけ、覚悟を決めた、その時だった、脳が激しく揺れ、それから後頭部に鈍痛が走った。先輩に拳銃で殴りつけられたのだとわかった。何とか体勢を保ち、動けずにいると、もう一撃、体感としては一発目よりも激しく、同じ場所を打たれた。堪えきれず廊下に倒れ込む。薄汚れた廊下の先に、キャンデーがいる。先輩は俺をまたぎ、拳銃を床にそっとおいて。視界が揺れ、霞む。吐き気とともに、意識が遠のくのがわかる。先輩は前触れなく走り出した。キャンデーへと一直線に。景色がぼやける。先輩とキャンデーが、重なったように見えた。遠くで唸り声と怒声が聞こえた。それらの音が徐々に静まり、それから唐突に、くぐもった様な地鳴り、続いて破裂音、窓ガラスの割れる音、そうしてようやく、俺のいる場所に、強い衝撃と熱風が届いた。俺は転がりながら、音も視界も、思考も、全てが途切れた。


 ♀

 ねえ、と彼に呼びかけた。

 校舎の影から、本館の様子を窺っている。彼は極度の緊張からか、上手く返事ができず、喉を絞るような妙な音を出した。私はなんだかおかしくて、なんだかどうしようもないほど愛しくなった。

 こっそりと、彼のポケットにメモを滑り込ませる。彼の首に巻いているものについて、詳細が書かれている。そして、私の仕事についても。

 キャンデーを取り巻く個体は、多くの仲間の犠牲によって、ほとんど残っていない。そしてその最後を始末するのが私の仕事だ。命を賭して、奴らをキャンデーから引き離し、処分し、そうして残ったキャンデーを、自分の命を以って片付けるのが彼の仕事だ。自分の命はともかく、私のこととなると、彼は絶対に反対するから、最後まで言い出せなかった。奴らに食われた私を、彼はどんなに悼んでくれるか、考えると胸が裂けそうだ。

 最後に、

 ――愛してる。

 いっぱいの感謝を乗せて、最後にそう伝えたかったけれど、彼のことだから、変に舞い上がったり恥ずかしがったりされたら、作戦に支障が出てしまう。何も言えなかった。

 じゃあね、というのも変だし、生きて、もなんだか白々しい。私たちは命を捨てる覚悟でここにいる。

 結局、曖昧に笑っただけだ。

 壊れそうなほど高ぶった気持ちをのせて。


 ♀Ⅱ

 彼の頭を膝に乗せ、埃っぽい髪を指で梳いた。頬をそっと撫でる。

 キャンデーの死を確認した。作戦は終了したらしい。本来の予定とは少し違う形で。

 彼の首からネックレスを外し、自分の右腕から、彼がこっそりのつもりで取り付けた腕時計を外し、その両方を廊下の奥に転がした。

 フレアからは聞かされていた。私なら受け入れられると思ったのだろう。とんだ勘違いだ。

 彼の寝顔を見ていると、胸が溶けそうなほど熱くなる。目頭がツンとした。

 目を覚ますのが待ち遠しい。一番に、頬を殴りつける。それから怒鳴りつける。たくさんの説教をしてやる。

 だから。

 寝ている今のうちに、そっと囁いた。

「愛してる、ありがとう」

 壊れそうなほど高ぶった気持ちをのせて。


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