開戦.3
中田仁は、勇者召還されたものたちの中でもかなり上位の実力を発揮した。
今代最強の勇者と名高い者には歯が立たないものの、中田は一人で竜の討伐を楽にこなせるまでの強さを持っている。
火属性魔法のセンスにおいて、中田の右に出るものはいない。これに関しては最強の勇者が持つセンスをも凌駕するだろう。
しかし中田の強者たる所以は、火属性に特化した魔法攻撃ではない。
身を切り売りしてでも敵に食らいつく、狂犬のような剣技こそが、彼の強者たる所以だ。危険を顧みずに突撃し、狂喜乱舞しながら敵を殺しにかかる姿勢が中田の戦闘スタイルなのである。
中田をここまで狂人めいたものにさせたのは、友人と好いた女性の死だ。
しかし中田は時間が経つにつれて、死した友人たちの名前だけでなく、他の人間の名前すらも思い出せなくなっていた。狂乱剣の副作用である。
なぜかは分からないが、自身の裡から湧き上がる憎悪と殺意、そして狂気に中田は身を委ねた。
そして中田は、自らの力がどこまで通用するかを試すために、血反吐が出るほどの鍛錬を重ねてきたのだ。
だからこそ、中田は今の状況に喜びを隠せなかった。
魔術師の発現させた魔法陣に飛び込んだ先にいた白髪の魔人はこう言ったのである。
「その魔王さまってのは、俺のことらしい。何の恨みがあるのか知らねえが、てめえらが仕掛けてきたんだ。容赦はしねえ」
求めていた存在。中田よりもはるかに強い敵。
中田は、胸が高揚するのを感じた。
「……ヒヒッ……ヒヒヒヒッ……!」
「なんだこいつ……気持ち悪いな……」
白髪は身震いしながらも、腰に差した鞘から一振りの刀を抜いた。漆黒の刀身に陽光が反射して紫に輝いている。
中田は愛用している狂乱剣に舌を這わせると、全身を駆け抜ける愉悦を噛み締めるように瞳を閉じた。
「てめェ……名前は?」
「八雲だ」
白髪は怪訝な目を中田に向けると、諦めたように呟いた。
その名前を聞いて自分の心が打ち震えていることに気がつき、中田は不敵な笑みを浮かべた。
「いい名前してるぜ……なぜか知らねえが無性にぶっ殺してやりたくなる名前だ」
「そりゃ面白いな。俺はお前に興味ないけどよ」
「ヒヒッ……つれねえこと言うんじゃねえよ……俺は今最高に嬉しいんだからよォォォオオ!」
全力で地面を蹴り、中田は白髪に斬りかかる。
首はもらった。そう思ったときには、白髪の刀が中田の剣を受け止めていた。
「南條や北條よりも速いか……」
白髪は口中でブツブツと呟いている。その名前を耳にしたとき、胸にチクリとした痛みがあったが、中田はそれを無視することにした。
久々に対峙する強敵に、中田はますます胸の高鳴りを抑えられなかったからだ。
「いいねイイねぇ! ……やっぱ簡単に終わったらツマンねぇもんなぁ!」
「別に楽しいもんでもないけどなっ!」
白髪の刀に剣が押し返される。
押し負けた瞬間に後方へ跳躍して一回転する。宙を蹴って距離をとると、中田は空いた左手を白髪に翳して呪文を唱えた。
「我が裡うちに秘められし猛火よ。敵を焼きつくせ! “火焔”!」
火属性の低威力魔法。
しかし中田のそれは尋常でない猛威を誇る。
本来ならば炎の奔流が押し寄せるだけの魔法であるが、中田が使役した“火焔”は牙を剥いた大蛇の形をして白髪に襲いかかった。
「なんだこれっ!? “聖壁”!」
飛びのいて、白髪が左手を翳す。
すると金色の魔法陣が現れ、大蛇の侵攻を阻む。が、蛇という動的な生き物に壁を向けたところで意味はなかった。
「馬鹿がっ!」
中田は瞬時にイメージを起こす。
操作。
二俣に分かれた舌をチロチロと出して、大蛇が金色の壁を避けて白髪へと迫った。
「水魔法は使えねえってのに……“聖壁”!」
「馬鹿の一つ覚えかよ!」
中田は内心嘲笑しながら、大蛇に注ぐ魔力をより濃密にしていく。
そして──大蛇の頭が潰された。
中田は驚愕に目を見開いた。白髪の使役した“聖壁”は、平面ではなく球形をしていた。
魔法陣を丸めるなんて、普通の発想ではない。思いついたとしても、実行するには膨大な魔力量が必要なはずだ。
それを顔の色ひとつ変えずに淡々と実行したこの男は、やはり絶対的強者。
「炎天を我が身に。すべてを熱し、あらゆる魔を熔とかす力を寄越せ!」
中田は即座に術式を変更、新たな火属性魔法を詠唱する。この世界において劫火を司るとされる炎神マグヌスの力を借り受ける最上級魔法だ。
ただひとつの問題点は、時間制限だ。長時間使用すれば、中田の身体は焼き焦げて、その後溶けきってしまう。もって二分だ。
中田の眼前に魔法陣が展開される。その異常性は、魔法陣自体が燃え盛っていることにあった。
「来やがれ!」
言葉に応じて、魔法陣が中田を飲み込んでいく。精神までもを焦がすような猛火が中田を包んだ。
「なんだよその魔法……! めちゃくちゃじゃねえか」
白髪が眉を顰める。
中田は今、焔を纏っているのだ。太陽のフレアのごとく、指先からは炎が舞い、煮えたぎるマグマのような熱気が中田の周囲でバチバチと弾けている。
「俺は燃えてる敵に相当縁があるらしいな。それも、触ったら火傷どころじゃ済まないレベルの奴らばかりだ」
「ハッ! そこらの魔物と一緒にすんじゃねえよ! 俺のは触った瞬間蒸発するぜ? なんせ神の力を取り込んでんだからなァ!」
「なら触らなければいいんだろ? 触らぬ神に祟りなし、ってな!」
白髪は詠唱なしに魔法を紡いだ。
眩い閃光が辺りを照らす。迫り来る光の波に、中田は目許を手で覆う。
その光力は中田の知識では、フラッシュグレネードに酷似していた。直視すれば網膜が焼かれていただろう。
網膜が焼けるという事態にはならなかったものの、光による刺激はいまだに残っている。目を開けることはまだできそうにない。
「魔法じゃねえな!? 魔力を暴発させたってことかァ! クソッタレ!」
罵詈雑言を白髪に浴びせ、怒りをあらわにしているようだが、その実、脳はいたって冷静。
魔力の探知を開始。ソナーのように中田は周囲の魔力反応を感知しながら白髪の攻撃に備える。
「当たりだクソ野郎! 魔力は魔法を展開する用法だけじゃねえってことだ!」
感知。
膨大な魔力が右から迫っている。本体か。それとも魔法か。魔力には属性が宿っていない。
──本体だ。
膨大すぎるがゆえに、その輪郭までは掴めない。が、魔力とは違う反応がある。妖気、もしくは闘気と判断。
中田は、左手を白髪に向けた。
「焼け!」
その言葉だけで、燃え盛る炎の矢が射出される。が、白髪は回避、接近を試みていた。
ここにきて両目に伝わる痛みが消えた。
目を開けると、すぐそこには明確な敵意が刀を携えて近づいていた。
赤黒い妖気を放出する刀身を、中田の剣が捉える。
一撃、二撃と続く刀を辛うじて抑えつつ、中田は空いた左手に炎の剣を生み出す。
すると白髪は顔色ひとつ変えずに、
「“閻魔”」
と静かに唱えた。
聞き覚えのない魔法だが、意に介さず、中田は炎剣を殴りつけるように振るう。
が、炎剣は跡形もなく消え去った。いや、飲まれた。
白髪もまた、左手から魔法を使っていたのだ。五本の指先から魔力の糸が伸び、炎剣のあった場所で漆黒の闇を作っていた。
しかもその闇は侵食を始め、中田の左手までもを飲もうとする。
「面倒くせえ! 焼き切れ!」
瞬時に中田の左手が劫火に包まれる。熱さはないものの、やはり精神が削られる痛みがある。
白髪の猛攻を振り切って距離を取るころには、“閻魔”とかいう魔法で生み出された闇は消失していた。
しかし中田の左手は黒ずんでいた。その指先の感覚もまた、消失している。さしづめこの魔法は敵の感覚を奪う、もしくは事象そのものをなかったことにするものだろう。
侵食自体は高威力の魔法で打ち消せるが、起こってしまった事象は打ち消せないらしい。
「闇属性か魔属性ってとこか。見たこともねェ魔法だ」
中田の呼吸は荒い。対して白髪は汗ひとつ流していなかった。
時間がないというのに、そのような魔法を連発されては、中田は手も足も出なくなってしまう。
「ご名答。まぁ、あの魔法はもう使えないけどな」
「誰が敵の言葉ァ信じるかってんだ」
「それもそうだ」
中田はニヤリと歯を剥いた。時間がないが、その分最後まで暴れようと決めたのだ。たとえ死んでもいい。この男と戦えなくなるよりははるかにマシだ。
戦闘に身を没する快楽が中田の脳髄を甘く痺れさせる。が、残酷にもタイムリミットが訪れた。炎神の守護が瞬く間に消えていき、中田はただの人間に戻った。
「最後はやっぱり剣だよなァ!」
言うが早いか、中田は白髪に肉迫して次々に剣技を繰り出す。もはや魔法を使う魔力は残っていないのだ。だが、ここで引くという選択は中田にはない。戦いこそが己のすべてなのだ。
今ここで引き、再戦したとしても、それは今とはまったくの別物。それではあまりにつまらない。死ぬか死なないか、それを賭けて戦う今こそが生を実感できる。
中田は心が求めるままに剣を振るい、体が動くままに体術を打ち込む。
しかし白髪は舌打ちしながらもそれに対応していく。
避けては斬り、躱しては突きの繰り返しだ。
両者の頰に赤い線が入り、血がたらりと流れ出す。殴られては蹴り返し、蹴られては殴り返す。
裂傷の熱や殴打の苦痛すらも、中田には快楽に感じられた。命を賭けたやり取りがどうしようもなく楽しいのだ。
一寸先は闇、とでも言ったところだろうか。切っ先の微かな動きや、避けるタイミングのずれによっては、瞬きをする間もなく死ぬかもしれない。目の前には死という暗闇が迫っているのだ。
そんな状況に身を置いているが、中田はまるで臆した様子も鬼気迫る様子もない。むしろ、獰猛な獣のごとく唸りながら剣を振るっている。
一方で白髪は、中田の狂人めいた連撃を冷静に対応しているものの、額に汗が滲み始めていた。
「速えな、クソっ! ムラサメっ!」
白髪の目の色が変わった。両手から魔力が溢れ出したかと思うと、今度は紫に輝く刀から青白い魔力のようなものが迸る。
「凍てつけ、“三尺氷”!」
省略した詠唱を聞いて、中田は目を剥いた。この男は剣と刀との打ち合いを魔法なんかで汚すのか。期待していたのに。
そう思うと、中田の胸中に怒りがふつふつと湧き上がってきた。
しかし白髪が刀を横に薙いだ瞬間、青白い何かはまるで荒ぶる白波のように押し寄せた。
──あ?
剣を握っていた右手が動かない。
見れば、結晶のような氷の華が右腕を蝕んできている。
魔力の反応はない。つまりこれは、剣技だ。
「……死ね」
白髪が刀の向きを変えて、斜めに斬り上げようとする。その軌道は確実に中田の首を狙っていた。
「クソがァァア!」
中田は咄嗟の判断で身をよじった。
剣を握りしめた一本の腕が宙を舞う。
眉をピクリと動かすと、白髪は即座に刀を持ち替えて、中田の心臓を突き刺そうとする。
中田は余った左手で地面を殴り、身を捻らせて白髪の脇腹に蹴りを入れた。
喘ぐように声が漏れ出て、白髪の身体が飛ぶ。荒野を滑るように白髪は吹っ飛び、砂煙を舞い上げながら停止した。
砂煙の向こうから、中田の耳に「……約束、破っちまった」という白髪の声が聞こえた。
「痛えな……クソッタレ……」
中田は立ち上がり、自身の腕を躊躇いもなく踏み潰す。
狂乱剣を左手で握り、白髪に相対する。持ち手の棘が手首に突き刺さり、釣り針のかえしのように肉に食い込む。どうやら狂乱剣は今度こそ中田を放さないつもりらしかった。
「てめえを次に放すのは俺が死んだときだぜ」
自嘲して、中田は砂煙に浮かび上がるシルエットを見据える。
白髪の右眼──黄金色の瞳に魔法陣のような漆黒の六芒星が浮かび上がっていた。
「……お前、本当に人間かよ」
「てめえこそ、本当に魔“人”なのかよ。肋骨が何本か逝ってるはずだけどなァ」
苦痛に眉を顰めた中田が嫌味で返すと、白髪は肩を竦めた。
潮風が吹いて、中田の額に滲んだ脂汗を冷やす。周囲からは戦闘による悲鳴や唸り声、魔法による爆発音が聞こえてきていた。
「痛かったけどな。まぁ、今は大丈夫だ」
「化け物じゃねえかよ……ゾクゾクするぜ」
「ああ、そうかい」
白髪は唇をニヤリと歪める。それはさながら狂気と飢えに満ちた猛虎。
獲物だと思われている。そう直感して、中田は身を震わせた。背筋を駆け上がる戦慄と恐怖が、中田には何よりの快楽となる。
やはりこの殺し合いこそが己のステージにして墓場。死を賭けたゲームが、何よりも興奮させてくれる。
「死ねぇぇえええ────ッ!」
中田の絶叫は恐怖に侵されて発したものではない。中田はむしろ至って冷静だった。
左手で巧みに剣を操り、脚による体術を交えながら白髪がバランスを崩すのを狙う。
しかし白髪は、至ってシンプルに対応した。
剣には刀。体術には体術、という風に、白髪は中田の動きをすんでのところで食い止めていた。
最高だ。最高に最悪の敵で、だからこそ、最高に興奮する。
白髪の目に中田という人間は映っていない。勇者という獲物のみを映し、確実に命を刈り取ろうとしている。
「この身を代償にあの剣を打ち砕く力を」
「アァン? 何言ってやがるクソ野郎がァ!」
中田の使役する狂乱剣は、悪魔に祝福されていると言い伝えられている。
適合した使用者の精神と記憶を削り、存命の間には味わえない恐怖と狂気を与える魔剣だ。しかしその強度と斬れ味は絶大。
であるのに、白髪の刀には傷一つつかない。刀から迸っている赤黒い気が原因なのだろうか。
「てめえの刀、ぶっ壊してやるよォォォオオ!!」
すでに中田の脳内はぐちゃぐちゃだ。恐怖と憎悪、狂気に満ち溢れ、それを快楽がひとまとめにしている。
中田は全身を弓のようにしならせ、渾身の力を込めた一撃を放った。
狂乱剣が形状を変化させ、死神の鎌のごとく白髪に向かう。
「……この程度かよ」
呟きを残して、白髪は姿を消した。中田の視界に、血のように紅い閃光が弧を描く。
瞬いて瞳を開いたときには、すでに狂乱剣の鎌は無くなっていた。折れたのではない。まったく手応えもないままに斬られていた。
次に中田が目にしたのは、首のない胴体だった。
「悪いが俺は、大切なもんを護るためにお前を殺す」
脳に辛うじて残った血液と酸素が、中田の思考を瞬時に巡らせ、死を自覚させた。
「悪……ねぇ、つら……して……ぜ……」
白髪の魔人は、その瞳に覚悟を宿していた。
そうだった。目の前の男のように、もう一人も死なせないため、友を護るために、自分は鍛錬を積み重ねてきたのだ。それなのに自分は、なぜ戦いの快楽などを優先しているのだろう。
あまりに遅すぎる後悔だった。
遠のく意識の中で、中田は一人の女性を思い浮かべた。だがどうしても、名前だけは思い出せなかった。
涙がこぼれ落ちた。
最後にもう一度だけ、名前を呼びたかったのに。




