開戦.1
「竜さんが一緒に戦ってくれたら心強かったんすけどねぇ……」
「仕方がない。子を連れて戦うなどという無茶をする親などどこにもいないってもんだ」
竜、というのはウィンドラの守護竜とも呼ばれている、緑嵐竜ウィンブラストのことだ。
守護竜の名を冠していることから、ザイクたちは協力を要請したのだが、ウィンブラストはまだ幼い雛を連れて北の方角へ悠々と飛び去ってしまった。
ザイクとしては太古の竜を仲間に引き入れて戦力の増強を図りたかったのだが、そう上手くいくものでもないようだ。
もちろん、仲間の実力を信じていなかったわけではない。が、ザイクたちが手も足も出なかったヴィアラをあしらうほどに強いウィンブラストと共闘関係を結べたのなら、それはかなり心強いと思ったのだ。
「もう一度会えただけでも私は嬉しかったわ」
「……まぁ、そうなんすけど……」
頬を膨らませて、眉をつり上げているクルトの様子が妙に可笑しかったのか、麗華は口許に手を当ててクスリと微笑む。
納得がいかない、というより少し寂しがるときなどに頬を膨らませるのは、騎士団時代からクルトの癖になっている。
「そんなに寂しがるなよクルト! 俺も少しは寂しいがな」
「別に寂しいわけじゃないっすよ!?」
「照れるな照れるな! 俺が喝を入れてやるから元気出せ!」
こういうときに優しくなだめてやるのはセルグの仕事だったかな、とザイクは懐かしさに微笑みながら、クルトの背中を叩いた。
軽い力だったつもりが、どうやらなかなかに強かったようだ。ザイクの大きな手がクルトの背中に触れてバシンと音を立てる。
クルトは「うあっ」と呻きながら飛び退いて、ザイクの方を半眼で見つめた。
思わず涙ぐんでしまうくらいには痛かったらしい。
「なにするんすかぁ! 超痛かったんすけど!」
「いやぁ、悪い悪い。ちょっと力んじまった」
「謝罪軽くないっすか!?」
「かえって緊張がほぐれてよかったんじゃないかしら?」
「麗華さんはこの痛みが分からないからそんなこと言えるんす!」
「私なら耐えられると思うのだけれど?」
麗華は、小悪魔的な微笑を湛えながらクルトを煽る。
麗華とクルトは、顔をあわせるたびに口撃を交わしているが、拓哉をからかうときなどには結託して策を練るため、仲がいいのか悪いのか判断が難しい間柄である。
喧嘩腰とも言える今の二人の態度はザイクも普段から見慣れている光景だった。
「ほら、そこまでにしておけ。いつ相手が仕掛けてきたっておかしくないんだからな」
「ちゃんとしないとダメよクルトさん? まったく、いつになったらザイクさんのような大人になれるのかしらね?」
「俺が悪いんすか!? 違うでしょ!?」
「私が悪いと?」
「い、いえ……そんなことはないっすよ……?」
あくまで強気な麗華の態度に臆したのか、クルトはすっかり勢いを失ってしまったようで、両手を挙げて降参の意を示す。
ザイクは呆れて溜息を吐きながら、二人の──ほとんど麗華の一方的な──口論を止めに入った。
「そこまでだ。まず、戦力を確認するぞ」
「俺も麗華さんも、それは頭に入ってるっすよ?」
「これでも一応指揮を任されていますから、そのあたりは完璧だと思いますが」
「確認だよ確認。試合の直前まで武器の調子をチエックするのと同じだ」
苦笑してザイクは、世界地図を卓上に広げ、カルマ大陸最東端の辺りに出張った三つの地帯にペンで印をつけていった。
三つの印は、上から、北部、本部、南部、という風に設置された拠点を示している。ウィンドラ東に広がる土地は崖地帯が多く、足を踏み外せば奈落のような海へと真っ逆さまだ。
境界島を拠点に置くというのなら、敵方はおそらくこのウィンドラ東部一帯に侵攻してくると予想される。
そこでザイクは、戦闘区域になると思われる三つの箇所に拠点を設営したのだ。リサーナの使い魔によれば、敵方はザイクの予想どおりこの三箇所を襲うつもりらしい。
「まず北部。ここの指揮はクルトだな」
「アリスさんが居るから戦力的には大丈夫っす。ちょっと狭いっすけど、団長の作戦は間違ってないと思うっす」
「そうですね。狭いから敵としては精鋭を送り込んでくる可能性もありますし、だからこそクルトさんの幻術で意表を突くことができるかもしれない」
いつしかザイクの両隣では、クルトと麗華が真剣な面持ちで図面を覗き込んでいた。ザイクはうむと頷く。
アリスが持つ電光石火のごときスピードや、クルトが、使役する変幻自在な幻術魔法は、本来広大な土地で発揮されるものであるが、しかしザイクは、それを逆手にとって狭い場所で活かすことを提案した。
精鋭だけを配置することで、それぞれの意思を疎通させることもできるだろうし、さらにはアリスのスピードで敵を撹乱し、そこをクルトの幻術で雁字搦めにすることができると考えたからだ。
その旨を伝えたところ、アリスは快諾し、クルトとともに深夜まで作戦を練っていた。
アリスは少々素直すぎる節があるため、ザイクとしてはなかなかに不安な要素でもあるのだが、そこはクルトがカバーしてくれることだろう。クルトも平時は鷹揚な態度で過ごしているものの、いざという時は人が変わったように鋭い牙を剥く。
アリスと八雲のような、深い信頼関係によるコンビとまではいかないだろうが、そこそこいいコンビと言えるだろう。
「次は本部。まぁ、俺だな。ここは敵方からすれば一番狙いやすいところだ」
本部。つまりはザイクたちのいる現在地だが、ここには総指揮を預かるザイクと、一番の強者である八雲がいる。さらに、遠隔地からの魔法攻撃に対応するため、アルカナたち魔法部隊の大半がここに置かれていた。一般兵は、北部より多く南部よりはずっと少ない配置にしている。
「八雲がいるから、もし聖也が来てもおそらく大丈夫だろう。魔法に関してもアルカナがいれば対応できる」
「でも、ヴィアラと聖也が同時に来たら不味いのでは?」
麗華の訊いたとおり、たしかにヴィアラと聖也が同時に同箇所に現れれば、かなり厄介である。
それを承知で、しかしザイクは太々しく笑んだ。
「ここを通すようなことにはさせないさ。それこそ死んでも、だ」
「無茶はやめてほしい、と言いたいところですが……すみません、お願いします」
「おいおい、そんな風に言うなよ……まるで俺が死ぬみたいじゃないか」
唇を噛みながら頭を下げる麗華の仕草は、まるで自分のことを信頼してくれていないように思えて、ザイクはがっくりと項垂れる。
事実、ザイクは八雲よりも弱いし、下手をすれば麗華よりも弱いかもしれない。が、ザイクにはこれまでに積み重ねた修練と、何重という戦場を潜り抜けてきた経験がある。すぐ死んでやるつもりは毛頭ない。
「大丈夫っすよ麗華さん。団長はしぶといっすから!」
と、クルトが楽天的な口調で麗華の肩に手を置く。
場の雰囲気を変えようとしての行動なのだろうが、「しぶとい」というのはいささか不本意な言葉である。
ザイクはこめかみに青筋を浮かばせながら顔を上げて、クルトをジロリと睨んだ。
「……どういう意味か教えてもらおうか」
「強いって意味っすよ、他意は……ないっす」
当のクルトは、視線をそこかしこへ泳がせており、ザイクとはかたくなに目を合わせようとしない。
すると麗華は横目でクルトを見遣って、
「あるわね。むしろ他意が占める割合の方が高い可能性があるわ」
「もういいっすよ! んなことより続きっす! ほら、本部は木も何もない平野っすよ! というより、荒野?」
「ごまかしたわね……」
「ごまかしたな……まぁいい」
クルトの言うとおり、この場所は、ほとんどが崖である北部や山林地帯に囲まれた南部と違い、開けた荒野となっていて、また、境界島からは一直線上にある。こちらに地の利がないため、敵としては弱者から強者までまんべんなく戦力を注げるだろう。
「なにか意見があったら遠慮なく言ってくれ。各拠点の戦力配置に不満がある場合もだ」
「俺はないっすね。負ける気がしないっすもん」
堂々と胸を張るクルトに、ザイクはククッと失笑する。
自らの力を信じることは強さに直結するものだ。過信は身を滅ぼすが、適度な自信は力を向上させると言える。
普段、自己を低く評価しているクルトには、自信を持ちすぎるくらいの発言がちょうどいいかもしれない。もっとも、彼はおそらく本当に自分の力を信じきることはできていないのだろうが。
「そいつは頼もしい。お前の本領を存分に発揮してくれよ、幻術使いさん」
「もちろんっすよ!」
クルトの実力は折り紙つきだ。アルカナに教えを受けたおかげで魔力の扱いは上達し、簡単な幻術魔法ならば詠唱を省略しても使役できるようになった。
ザイクはクルトの肩を軽く叩いたのち、麗華に視線を移す。
「麗華からは何かあるか?」
「ええと……」
言いよどんで、麗華は顎に手を当てて黙考する。
「服部くんがいれば戦力としては充分だわ。それに魔法のプロフェッショナルとも言えるアルカナさんもいるから、北部や南部よりは安心ね」
瞑目した麗華は自らの考えを淡々と呟き続ける。ひょっとすると、麗華は思考をそのまま口に出していることに気がついていないのかもしれない。
麗華は瞼を持ち上げると、ザイクの瞳を真っ直ぐ見据えて臆面もなく言い放つ。
「兵士たちの闘志は充分だけれど、味方に頼りすぎている節があります」
「それはまぁ、強い味方がいればそいつの活躍に期待してしまうんだろう。こればっかりは仕方がないと言えば仕方がないんだがな……」
「いいえ。仕方がないで身は護れません。その期待は捨てさせておくべきでした。用心は必要不可欠です」
得心してザイクはうむと首肯する。
麗華の言うとおり、兵士たちは少々周りに頼りすぎる傾向がある。自分から進んで戦うというより、周囲に合わせて戦うといったところだ。
それではいざというとき、自分の身を護ることができないのも確かである。実際に戦うのはそれぞれ各兵士であるのだから、周囲に流されるような闘志では生き残る可能性が低くなってしまうのだ。
「確かに用心は必要だ。備えあれば憂いなし、ってな」
「ええ、そのとおりです。しかし用心もしすぎれば足元の注意を怠ってしまう可能性もあります。灯台下暗し、なんて言いますから」
丁寧な口調だが、毅然とする麗華の言葉には、触れるものを刺す小さな棘があった。
それは、ごく小さな、普通ならば気にも留めないようなものであるが、ひとつ間違えれば致命傷にもなり得る棘だ。
麗華は暗に、仲間だからと言って安易に信用するなと喚起しているのだろう。
ザイクたちは以前、セルグの入れ替わりに気がつけなかった。外見が同じだから気がつかなかった、なんて言い訳をすることはしないが、あそこまで演技が上手いと見破ることは極めて困難だ。
しかしだからこそ、最大限の注意を払わなければならない。よく考えてみれば、今までザイクは仲間を疑うことはおろか、疑心さえ持ったことがない。言ってみれば全幅の信頼を仲間に置いているということだが、裏を返せば不注意にもほどがあるとも言える。
やはり麗華は指揮官に向いている。
ザイクはその的確かつ優しい指摘に口許をニヤリと歪める。
「了解だ、氷結の麗女さん」
「なっ!?」
そのあだ名が出てくるとは予想もしなかったのか、麗華は熟れた林檎のように頬を紅潮させると、握りこぶしを作って、悔しげに背中の槍に手を伸ばす。
「なぜそんな恥ずかしいあだ名を知ってるんですか!」
「待て待て! まずは槍を下ろせ!」
「……なぜかと、聞いているんです」
「悪かった! 話す! 話すからそれを向けないでくれ!」
麗華が構えた一本槍の穂先は、少し動かせばザイクの目を貫いてしまいそうだ。
ザイクは麗華の激昂ぐあいに驚愕するとともに、眼前に待機している鋭い武器の銀のきらめき、しかしそれ以上に鋭利な輝きを放つ二つの瞳に、味わったことのない種の恐怖を抱いた。
──この歳でこの威圧感とは……将来の結婚相手がかわいそうだ……。
心中で麗華の将来を嘆くザイクは、もはや年相応に親戚の叔父さんのようだった。なにせ五十を超えている。叔父さんというよりかはおじいさんの方が正しいのかもしれない。
それにしても、麗華の優しさははたしてどこへ行ってしまったのか。今の彼女がザイクに向ける敵意は、獰猛な魔物に向けるそれと同等かそれ以上だ。
「……もし次にそのあだ名を言ったら──」
「──れれ、麗華さん!? 落ち着くっす! 団長も謝ってるんすから許してあげてくださいっ!」
慌ただしく手を上下させながら、麗華の凶行を止めようとクルトが間に入る。
──お前が原因だろうが!
今の状況では、とてもではないが口に出すことができないため、モヤモヤとしたもどかしさが募る。
もしクルトが犯人だとバラしたら……と考えて、ザイクは恐ろしさに身を震わせた。もちろん槍の穂先に目が当たらないように。
「…………仕方がないですね」
麗華は柳眉を逆立てつつも、ザイクの必死の訴えを受け入れて槍を下ろした。
「さあ、理由をどうぞ」
「そりゃあ、俺は全軍を指揮する男だからだ。そんくらいの情報はすぐに入ってくるってな」
ザイクは腕を組み、片目でクルトをちらりと見る。
麗華の言う恥ずかしいあだ名を知ったのは、クルトの愚痴を聞いていたときだ。ついでに言うと、このあだ名を考え、広めたのもクルト自身であると本人が自慢げに話してきたのだ。
もっとも、その張本人は麗華の背後であわあわと狼狽えている。昨晩の自慢げな態度はどこへ行ったのだ、とザイクは心中で溜息を吐く。
「……もしそのあだ名の考案者に会ったときは言っておいてください」
「おお、なんでも伝えておこう」
「殺しますよ、とそれだけ言ってくれれば充分です。そして、私は本気ですから」
分かりましたか、と付け足した麗華がクルトを睨めつける。その視線を受けて、クルトは「ひうっ」と情けない声を出して後ずさる。
麗華は本当は犯人の正体に気がついているのではないだろうか。それとも目星をつけているのだろうか。どちらにせよ、麗華がクルトを疑っているであろうことに違いはない。
ザイクには麗華の思考を読むことなどできないが、それでも彼女が本気であることは、その憎悪の籠った目を見ただけで理解できた。
「さて、続きですよ」
「「えっ!?」」
「次が最後ですから」
「「…………」」
「南部はまぁ、私が指揮を執ることになっていますね」
「「ああ、うん……」」
ザイクとクルトが一斉に息を吐く。まるで全身の緊張を一気に弛緩させたようにスッと力が抜ける。
今の流れで一体どれだけ冷や汗をかいただろうか。もしかすると一生分ではないか、と馬鹿な考えを持つほどにザイクは焦った。それはクルトも同じようで、彼の額には玉の汗が浮かんでいる。
「トラップはすでに蘭が仕掛けました。拓哉は……なんだか猿みたいに木々の間を跳び回っています」
「予想どおりというかなんというか……拓哉さんらしいっすね」
「拓哉は根っからの野生児だもの。でもそれだけ動けるってことは、戦闘での活躍にも期待できるわ」
他よりも戦闘区域が広く、また、森林地帯が広がっている南部には、身軽な動きがゲリラ戦に向いている拓哉と、トラップを仕掛ける技術をクルトに教わっている蘭、そして荒くれ者の指揮を執る麗華を含めた遊撃部隊のメンバー大半と、南部付近の地形に詳しい多数の兵士を置くことにしている。
「ここは麗華に一任していいか?」
「ええ、私に任せてください」
「麗華さんなら大丈夫そうっすね! 麗華さんの恐怖政治なら全員土下座す──「なにかしら?」──お綺麗ですねっ!」
槍の持ち手を握った麗華に、クルトは恐れをなして引き下がる。躾とはこのことを言うのだろうか、とザイクは複雑な心境で二人のやりとりを見つめた。
「まぁいいわ。それより、敵がどう攻めてくるか、ですけど……おそらく、転移してきます」
麗華は冷たい表情から一転、苦々しい渋面を浮かべる。
ザイクは一方で、きょとんとした顔で麗華に訊き返す。
「しかし敵側の転移魔法陣はどこにも設置されていないぞ?」
ザイクは素っ頓狂な声で片方の眉を持ち上げた。
平時は落ち着いた発言をする──苛立ちが募ると荒くなるが──麗華にしては随分と突飛な発言である。
ザイクにはその意味が分からなかったが、クルトは目を見開いて「……そうだ」と麗華を見つめた。
「……いえ、一人だけいるっすよ。転移魔法を使える子が、勇者の中に居たはずっす」
「はぁ……クルトお前……」
ザイクは呆れたようにクルトを見つめる。
クルトも充分な魔力を保有しているのだから、魔法具を使えば転移魔法陣を設置することは容易であるはずだ。
その魔法具は、普通市場には出回らない特級品であり、王国でも限られた者しか持つことはできなかった。
魔王であるリサーナも持っている、羽ペンの形をした魔法具。それで魔法陣を描き、繋げたい地名を書くことで転移魔法陣となるのだ。
と言ってもこれは簡易的なものなので、一ヶ月ほどで消滅してしまうのだが。
消滅することのない転移魔法陣というのは、何千年も前に造られたものだけである。生成方法は不明であるが、その魔法陣は決して自然消滅せず、太古の遺産として世界各地に現存しているのだろう。
勉強嫌いのクルトだって、それくらいの知識はあるはずだし、進んで学ぶ意欲を見せる麗華などは知っていて当然と言っても差支えない知識である。
だからザイクは、クルトと麗華の突拍子もない発言を不思議に思った。
「魔法具とそれを使役するだけの魔力さえあれば転移魔法陣なんて描けるじゃないか」
「……魔法具を使う必要がないんすよ。俺で言う幻術魔法っす。つまり、固有魔法っすよ」
それを聞いて、ザイクは背筋が凍るような気がした。転移魔法というのは、普通魔法具を使って描いた魔法陣を通ることを指す。
魔法具なしに転移を行えるということは、ある意味無敵とも言える。敵の裏を突くこともできるし、どんな魔法や攻撃からも一瞬で逃れることもできるからだ。
はたしてクルトの言うとおり、そんな固有魔法を持っている勇者など居ただろうか。
記憶を辿ろうとするも、ザイクの脳裏に過るのは聖也や中田など、目立つメンバーばかりだ。こうしてみると、自分がいかに勇者一人一人に気をかけていなかったのかがよく分かる。
──俺の責任……なのかもしれないな……。
あの頃の自分を叱ってやりたい。聖也たちの実力にばかり目がいって、褒めそやすことばかりだったから、彼らは増長してしまい自らを省みなくなってしまったのではないだろうか。そうしているうちに他の勇者の指導を怠っていたのではないだろうか。
考えれば考えるほど、罪悪感は増すばかりだ。
ザイクが己の過失を後悔していると、唐突にクルトが麗華に尋ねた。
「麗華さん。居たっすよね?」
麗華がこくりと頷く。
思い出そうとするが、やはりザイクにはその人物に関する記憶がなかった。
「青山優奈です。彼女は目の届く範囲に転移魔法陣を出現させられます。もちろん、魔法具は不要です」
「……かなり厄介だぞそれは」
青山優奈と聞いても、ザイクにはピンとこないが、クルトはどうやら彼女を知っているらしく、顎に手を当てて黙考していた。
それにしても、転移魔法を固有魔法として扱える者がいるとは思ってもみなかった。魔法陣を書かずとも転移ができる勇者は貴重な人材であるから、あの聡明な、いや、狡猾なガルムが殺すはずがない。
むしろ優奈を洗脳し、利用価値のある素材として研究の素体とされる可能性もある。もっとも、ガルムならば改造してさらなる能力の飛躍を目指すかもしれないが、もしミスを犯せば優奈は使い物にならなくなってしまうだろう。
だとすれば、悪辣な研究者にして狡猾な脚本家であるあの男はどう動くだろうか。ザイクでは考え至らぬところであるかもしれないが、それでも一考する価値は充分にある。
ザイクは、己の持ちうるすべてを用いて、ガルムがこの局面で打つであろう一手を探るべく、思考の海に沈んだ。
転移魔法による奇襲。しかし勇者たちの姿は境界島で確認されている。いや、もしかすると境界島はフェイクであり、どこかからすでに上陸しているかもしれない。あり得る話ではあるが、ガルムが安易に決断するとも思えない。
──奴は他人の裏をかくはずだ。しかしそれだけではない。
「───」
「───」
ザイクの額に汗が滲む。もうザイクの脳は思考の鎖に搦めとられ、外界の情報をシャットアウトしている。
「クソッ!」
歯噛みして、ザイクは卓上の地図に拳をぶつけた。
視界の隅にビクリと身体を震わせて驚く男女が映るも、焦燥に駆られたザイクには二人に気を遣う余裕がなかった。
分からない。暗闇の中で虫を探す鳥のごとく、がむしゃらにザイクはガルムの思考を予測しようとしたものの、いかんせん情報が足りなすぎた。とうとうザイクは、ガルムの一手たりうるものを見つけることはできなかった。
自分では無理だったが、もしかするとガルムと言葉を交わしたことのある八雲ならば予測が立てられるかもしれない。
ザイクは、根拠のない推論を見出す。が、ザイクはすぐにその思考を切り捨てた。
──何を考えてるんだ俺はっ!? 八雲の傷を思い出させてどうする。……クソッ! 焦るな。焦れば焦るほど視野が狭くなっちまう……!
「ざ、ザイクさん? 大丈夫ですか?」
「めちゃくちゃ汗出てるっすよ団長!?」
「あ、ああ……大丈夫だ」
クルトと蘭が心配そうな眼差しをザイクに注ぐ。
そのとき、まるで全身の感覚が鋭敏になったかのようにに、二人の気遣いが小針となって剥き出しの心臓を突くような感じがした。
まったく訳の分からぬ感覚に、ザイクは吃驚して自らの左胸に手を当てた。いつもどおりの鼓動、いつもどおりの心音が手から伝わってくる。しかもその感覚すら痛みに変換されている気がする。
──これは……集中?
自分でもおかしな発想だと思うが、無意識のうちに思考だけでなく感覚にまで集中が及んでいたのではないだろうか。
「魔法陣を展開していきなり攻めてくる可能性が高いっすね……団長」
「どうやら急いで持ち場に戻った方がいいらしいな。悪いが二人とも、早く戻ってくれ」
ザイクは二人を置いてテントを出ると、そのままアルカナを探すことにした。転移魔法で奇襲されるかもしれないと伝えるためである。
──まったく、さっきの感覚はなんだったんだ……。
先ほどまでの集中状態は脱したものの、まだ気味の悪い感覚がまとわりついているようだ。
さいわい、アルカナはそう遠くない場所にいたため、すぐに見つかった。
ザイクは、やけに目立つ薄紫色のショートヘアに近づいて声を掛ける。
「アルカナ。ちょっといいか?」
アルカナはなにやら八雲と話し込んでいたようだ。腕を組むアルカナの後方には、悔しげに唇を噛む八雲の姿が見える。喧嘩でもしたのだろうか?
「ザイクかい? いいよ。……ただ、ボクは今イライラしているから、簡潔に伝えてくれるとありがたいかな」
「大丈夫だ。そう長い話じゃない」
「なら歩きながらでもいいね?」
ああ、とザイクが返すと、よほどフラストレーションが溜まっていたのか、アルカナは答えを待たず足早に歩き出した。
ザイクは来た道を引き返しながら、先行するアルカナに、
「実は勇者側に転移魔法を使えるやつがいるらしい。それも、魔法具なしでだ」
と明かす。
振り返ったアルカナは初めきょとんとしていたが、次第に真剣味を帯びた顔つきになっていき、ついにはその中性的な顔に信じられないといった色を見せた。
しかしアルカナのオッドアイは目の前のザイクを映すのではなく、遥か後方を映しているようだった。
「馬鹿げてるね、とあざ笑いたいところだけど……どうやら君の話は本当らしい」
「本当だよ。なんせ麗華が言ってたんだからな」
「いいや、麗華が言ったかどうかなんて判断の材料にはならないよ。ボクは自分の目で見たものを信じる性質だからね」
それからアルカナは指を差して、
「早速だけど、戦争の開始だよ」
振り返って、ザイクはその光景に思わず息を呑んだ。
崖上空の辺りに白銀に染まる幾何学模様の魔法陣が展開され、そこから多数の武装兵が排出されていたのだった。




