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前夜

 明日、戦争が始まる。

 嵐の前の静けさ、というやつだろうか。夜の城内は恐ろしいほどに静まり返っていた。


「アクア。お前は竜王と一緒にここにいなくちゃいけないからな? 絶対に外に出ちゃダメだぞ?」

「……でも、ごしゅじんは?」

「あれだ、言ってみればサービス残業だな。少しの間、帰ってこれないけど心配しなくていい」


 前線に向かうのは、ザイク率いる本隊と、南條率いる遊撃部隊だ。俺は遊撃部隊だから、前線で勇者たち──つまりクラスメイトたちを食い止めないといけない。

 俺たちが食い止めれば、カルマ内陸に住む人々は安全なのだ。


 戦えるだけの力のない竜王や、そもそも戦うことのできないフレアは戦場に連れていかない。

 西條率いる医療部隊は魔王城に待機だ。前線に医療部隊を置いてしまうと、優先的に攻撃される可能性が高いからだ。それに、東西南北と中央には転移魔法陣が張ってあるため、怪我人が出たらすぐにでも魔王城に連れていける。医療部隊を前線に置く意味がないのだ。 


「フレアや西條もいるから心配すんな。いっぱい遊んでもらうといい」

「……や」

「大丈夫だ、フレアには優しくするように言ってあるし、西條も暇なときは遊んでくれるそうだ」


 アクアと仲良くしろ、と言うとフレアは渋々ながらも条件付きで承諾してくれた。

 「絶対に危険なことだけはしないで。死んだら殺すから」という条件だった。まったくもっていい嫁である。嫁じゃないけど。

 

 破らない努力はする。が、破らない保証はない、と告げた。


 無言でビンタされたけれど、それはつまりフレアが本気で心配してくれているということだ。むしろ嬉しいくらいである。

 

「……や」


 アクアはずっとこの調子だ。

 俺がなにを言おうとも拒否の姿勢を見せてベッドに入ろうとしないのだ。


「フレアが嫌なら、レナに頼んでおくよ。あいつのとこには可愛い動物とかいっぱいいるしさ」

「……そーゆうことじゃないもん」

「なら、どういうこと?」

「……ごしゅじんとはなれるの、やなの」

「俺も嫌だ。だから今日はたくさん遊んだだろ? それにアクアもさっきから眠そうなんだし、そろそろ寝よう」

 

 アクアは先ほどから目を擦っている。何度か欠伸もしているし、たまに倒れそうになっているくらいだ。

 それだけ今日は疲れているのだ。早めに寝かせて、俺はその間に準備をしないといけない。


 俺が前線に行くことを伝えなければよかったのだが、伝えないのも可哀想だと思った。

 伝えないのが優しさだなんて、ただの言い訳、自己満足でしかない。残された方は裏切られた気分を味わってしまうものなのだ。


「よし、じゃああれだ。本読むか!」

「うん!」

「よしよし。じゃあ横になっててくださいねー」

 

 俺が本を取り出すと、すでにアクアはベッドに寝転がっていた。なんとも行動が早い子である。

 本──ルカで買った童話のようなものである。結局読める文字は少ないままだが、これを読んであげるとアクアはすぐに眠りにつくので、毎度のごとく読み聞かせているのだ。

 

「その男には家族がいました。また、親しい友人もいました──」

「…………」

「──寝るの早いな、ほんとに」


 仰向けで寝るアクアの横顔を見ていると、心が穏やかになってくる。少し強張っていた頬の筋肉が弛緩していくのがわかる。

 俺はいつもこの小さな女の子に癒されているのだ。それは精神面だけではなく、おそらく身体面でも同じなのだろう。幼い言動は根拠もないし、理知的というわけでもない。しかしそこには、確固たる信念がある。


 『信念』、と言うよりは『想い』と言うべきかもしれない。一見すると脆く儚いようではあるが、その実、なによりも力強く自己を通そうとするのが子供というものなのだろう。まだ十八の若輩者が言えることではないのだろうが。

 

「風邪ひいたら大変だっていつも言ってるのに……」


 布団をかけてやると、アクアは俺の指を握りしめた。無意識のうちだったらしく、彼女は安心しきった寝息を立てている。


 アクアと初めて出会ったときのことは絶対に忘れないだろう。いや、右眼を使って他の記憶がなくなろうと、アクアや竜王、イーナやアリスと出会ったときのことは、絶対に忘れたくない。

 裂け目から落ちて死んだと思ったのに、目は開いた。そうして脱出を図るうちにアクアに出会った。恐らく俺は寂しさを紛らわせたくて、無性に話し相手が欲しかったんだと思う。だからアクアと出会ったとき、すごく安心した。

 絶対に、忘れない。

 

 カーテンが揺れて、さわさわと微かな音を立てている。蝋燭は爛々と輝き、室内をぼんやりと照らしている。

 

 アクアの手を握り返した。この小さな手に何度救われたことだろうか。

 出発する前にもう少しだけ、この小さくて温かい力を感じていたい。想いを馳せながらアクアの頭をなでたとき、無遠慮にドアがノックされた。

 

「失礼しますよー」

「レナか。どうした?」


 魔王城におけるマッドサイエンティストにしてマゾヒスト。ぼさぼさ頭にぐるぐる眼鏡を掛けた容姿は、お世辞にも綺麗とはいえないし、むしろ胡散臭い印象の方が強い。

 しかしレナとは気の置けない間柄である。せんぱい、と呼び慕ってくる彼女をウザったいと思うときもあるが、そんな彼女の笑顔を見ると自然と助けてやりたくなってしまう。ちょろちょろと付きまとう犬を構ってやりたくなるようなものだ。

 俺は犬嫌いの猫好きなんだけどな。

 

「アクアちゃん寝たみたいですね。そろそろ出発だそうです。あとは麗華さんとアリスさんとせんぱいだけですよ」

「わかった。ちょっと待ってろ」

 

 本を置いて、荷物をまとめる。といっても、支給された鎧──もとい鉄くずくらいしかないのだが。

 ムラサメはすでに腰に差してある。最近は喋らないが、多分元気だと思う。たまに夢の中でムラサメらしき女性に殺されるし。


「あれ? その本なんですか?」

「これか? いや文字が読めなくなっててな。でもこれを読むとアクアがすぐ眠るからさ」

「私が解読してあげましょうか? 解読用の魔法具ありますし、私天才ですし」


 薄い胸を張る姿はなんとも哀れに思えてくるが、自賛するとおりレナは天才だった。幼少期に才を見出されたらしく、それからは魔王城の研究室に引きこもって日夜実験に勤しんでいるのだ。

 レナの専門は魔法による遺伝子改良。厳しい環境でも育ちやすい作物の研究を進めているらしく、凍土や砂漠ではまだ充分な収穫が見込めないものの、『高山の村リオ』などの高山地帯では安定した収穫が得られているようだ。


 ただ、レナが天才と呼ばれる所以は他にある。どんなに難解な問題でも、解くまでは努力を惜しまない。努力を続けることができるからこそ、天才の名を欲しいままにしてきたのだ。

 レナの言う魔法具も、おそらくはたゆまぬ努力の副産物なのだろう。

 

 しかし、簡単にレナを天才と認めるのは癪である。


「わーすごい。魔法具すごーい」

「私もすごいのに……っ」


 悔しかったのか、レナは唇を噛んだ。

 満足である。


「知ってる。じゃあこれは渡しとく。それと、アクアのことよろしく頼む」

「わかってますよ。治療部隊である私の仕事を増やさないでくださいね、せんぱい」 


 ベッドを出て本を手渡すと、レナは笑顔で応えた。

 治療部隊に配属されたレナもまた、この魔王城での待機を命じられている。レナの主な仕事は患者の搬送と薬草の提供だ。


 レナの遺伝子改良によって生み出されたキメラとも呼べそうな魔獣を駆使して患者を運び、自身の開発した効き目の強い薬草を怪我の度合いによって使い分けるのだ。

 実際に俺も一度だけレナの薬草を塗ったことがあるが、効果は覿面だった。


「怪我しないでくださいってことな。わかったわかった」

「……ほかの皆さんを泣かせるような真似をしたら許しませんから。殺しますから」

「はいはい、殺されないように注意しておきますよっと」


 眼鏡の裏で目を三角にしているレナに軽口を叩きつけてから、ドアを開けて踏み出す。

 前に進もうとする右足が鉛のように重く感じられた。この一歩は俺にとっての開戦に等しい。


「……わたしだって心配なんですから」


 背後から聞こえた可愛らしい声は無視して、廊下をただひたすらに歩いた。

 窓からは中庭で揺らめく青い灯火、黄金に煌めく四つの魔法陣が見える。魔法陣の前で槍を背負っているのはおそらく南條だろう。遠くて表情は窺えないものの、その立ち居振る舞いからは彼女の内に秘められた峻厳さと鋭利さとが滲むようだった。 

 

 廊下の角を曲がろうとしたとき、後ろに何かの気配を感じて振り向く。そこには鮮やかな深紅の髪に、ブラックダイアモンドのように妖艶な輝きを放つ瞳を持った少女がドアの隙間から顔をのぞかせていた。


「イーナ……?」

「……お兄ちゃん……頑張って……っ!」


 それだけ言うと、イーナは部屋に入ってドアを閉めてしまった。

 彼女は震えた鼻声で、また、強く擦ったのか目許は赤かった。そして浮かべた作り笑顔は下手くそだった。


 人見知りをする、恥ずかしがりやの少女。最初に抱いた印象はあまりいいものではなかった。けれど、ともに過ごすうちに気づいた。

 イーナは誰よりも優しくて、誰よりも他人を思いやれる、強い少女なのだ。忌み子として捨てられたことを、彼女は知っている。それでも彼女は自身の過去を受け入れ、笑顔を浮かべることができる。

 絶対に忘れない。

 

「すまんの八雲。イーナは、おぬしと話せば話すほど辛くなると思っておるんじゃ」

「……そういうアンタはどうなんだ、竜王?」

「わしか? 辛いわけないじゃろうが。前にも言ったじゃろ? 信じておるとな。おぬしがこんな戦争ごときで死ぬわけがない」

「もちろんだ。俺はこんなとこで死ぬつもりはないよ」


 俺が肩を竦めると、竜王はふぉっふぉっと楽しげに笑った。 

 彼は俺の背中をさすってくれる、唯一無二の存在だ。俺を認めてくれて、護ってくれて、包み込んでくれる。


「これを渡しておく。研究の成果じゃよ」

「……瓶? 飴玉?」


 竜王が渡してきたのは、黒い飴玉がたくさん詰まった広口の瓶だ。

 見れば、彼は微笑を崩して真剣な面持ちに変わっていた。自然と俺の身体も強張る。


「言ってみれば、“魔竜吸素”の簡易版じゃな。ちと性能は劣るが、それで充分戦えるはずじゃ。使っても疲れ切って倒れるようなこともない。」

「俺のために?」

「当ったり前じゃろうが。おぬし以外に使わせたら死ぬわ!」

「俺の身体ならギリギリ耐えられるってことかよ……容赦ねえな。でも、ありがとう」


 苦笑しながらも、礼を言うと、竜王もうむと頷いた。


「ひとつ、注意しておこう。決して眼は使うな。あれは“代償の瞳”もしくは“遮断眼”と呼ばれるものじゃよ」

「……知ってるのか?」

「昔、ある馬鹿な青年が使ってな。身を滅ぼしたんじゃよ。その魔法は自分自身のことならなんだって遮断できる。しかし代償は大きいんじゃ」


 どこか遠くを見るように竜王は窓の外に目を向ける。つられて俺も視線を移したが、そこに誰かがいるはずもない。


「痛覚を遮断すれば、遮断している間に蓄積されたダメージは魔法が解けた後に一気に押し寄せてくる。魔力の枯渇を遮断して無理矢理魔力を得ることもできるが、その分の魔力が完全に回復するには何日もかかるんじゃ」

「でも、俺は記憶も失ってる……」


 愛しかった誰かを亡くしたかのように、竜王はただただ寂しげな表情を浮かべていた。

 

「その魔法は記憶を担保にして駆け引きをしておるんじゃよ。しかしその魔法が奪うのは記憶だけではない。大きい力を使えばその分代償も大きくなる」

「記憶じゃない大きな代償……もしかして、思考能力か?」

「いいや、身体の感覚じゃよ。身体の一部が突然言うことを利かなくなるんじゃ。だから八雲。おぬしは絶対に使うな……」


 その言葉を残して、竜王はイーナと同じように部屋に入っていった。背中が小さく見えた。

 そして俺の足は、震えていた。恐ろしかった。


「はは……とんでもねえ魔法を手に入れちまったもんだ……」


 乾いた笑いしか出てこなかった。

 竜王の入った部屋に向かって一礼し、俺は笑う膝に鞭打って再び歩き出した。

 

「でも、悪いな竜王……約束はできないんだ」


 大切なものを護るためならなんだってやる。 

 記憶があったとしても俺は級友たちに刀を振るえるだろう。


 俺の身体で大切なものを護れるのなら、喜んで身体を切り売りしてやる。自分が傷つかずに護るなんて、絶対にできやしない。誰も傷つけずに誰かを護るなんてできやしない。

 俺はヒーローじゃないんだ。地面に這いつくばってでも、泥水を啜ってでも戦ってやる。


 しかし竜王には言葉では伝えきれないほど感謝している。彼がいなかったら俺は今頃野垂れ死んでいたかもしれない。

 だから、絶対に忘れない。


 そして絶対に、彼らを護ってやるんだ。


「できれば死にたくはねえなぁ……」


 自然と溜息が出てしまった。まったく、薄幸な我が身を可哀想だと思うのは俺だけなのか?

 なんでもいいけど。それにしても……溜息を吐くと幸せが逃げる……だったか?

 

「幸せが逃げたから溜息が出るんだと思うけど……まぁいいか。俺は幸せじゃなくてもいいし」


 階段の踊り場に差し掛かる。暗がりの中に女性のシルエットが浮かび上がった。

 純白の衣は、危うい色香を匂わせる踊り子のようだ。しかし彼女が背負う長大な剣が、その色気を断ち切るかのような存在感を発揮している。

 

 絹糸のように細く滑らかな金の長髪が彼女の腰にまで届いている。

 そよ風にさらさらとなびく髪が、光に反射して煌めき、彼女の魅惑的な肢体をより幻想的に演出していた。

 

 思わず息を飲んだ。


 長い睫毛。蒼穹のごとき瞳。わずかに赤みがかった頬。潤おいを含んだ艶めかしい唇。

 何度も目に焼き付けた横顔は、これから戦争が起こることを忘れさせるには充分すぎるほどに美しかった。


「──アリス」


 幻想的な淡い灯火を背景に、『初代勇者』アリスは佇んでいた。

 声を掛けると、アリスは愁いを帯びた瞳を隠すように笑顔を作った。


「はい、アリスです。どうかしましたか?」 



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