the night
「はぁっ、はぁっ……夢、か…………」
動悸が激しい。呼吸が乱れて落ち着かない。
最近、嫌な夢を見ることが多くなった。
みんなが死んでいく夢。俺は夢の中にはいなくて、みんなが俺の名を呼んでも助けにはいけない。そして、みんなが次々に殺されていく夢。
『八雲さんっ……たす、け、て……』
「ぐっ、アリス……」
フラッシュバック。
アリスの悲痛な叫びが頭の中で反響する。
『お兄ちゃん……い、や……』
『八雲……逃げて……』
「イーナっ、フレアっ……」
フラッシュバック。
イーナが手を伸ばして。フレアはどこにもいない俺に逃げろと言って。
「嫌だ……失いたくないのに……どうして俺は……」
夜。部屋の中。暗くて、暗くて、一人。独り。
月明かりもない、暗闇の中。手を伸ばしても、その手がどこへ向かうのかわからない。自分が何に手を伸ばしているのか、わからない。
「ごしゅじん? どうしたの?」
「……アクア。夜だから、寝てなさい。大丈夫だよ。……痛ッ!」
フラッシュバック。
アクアの顔に血がついていて。血まみれで。でも、アクアの死に顔は安らかで、
――――ひどく、冷たいんだ。
「だいじょーぶ?」
覚醒。夢から呼び戻されたかのような虚脱感。
「あ、ああ。大丈夫だって。俺はほら、強いから。な?」
震えそうになる声、崩れそうになる笑顔。でも、この子に心配をさせるわけにはいかないんだ。
彼女は今、きっと泣きそうな顔になっている。暗くてよく見えないけれど、声は弱々しく、でも、彼女の指は俺の服をぎゅっと握っている。
俺が泣いてどうするんだ。俺がみんなを護ると決めたのに、俺が弱気でどうするんだ。
「何も心配することはないから。アクアは、いつもどおり笑ってくれればそれでいいんだよ」
彼女の手を握って。彼女の小さな体を抱き寄せて。その小さくて、柔らかで、暖かい想いを抱きしめて。
「ごしゅじん……」
「大丈夫、大丈夫……」
小さな手が、きゅっと俺の背中を握りしめる。
弱くて、強い。小さくて、大きい。彼女の手。
「大丈夫。絶対、大丈夫だから。俺が絶対、護るから」
ゆっくり、穏やかに、ささやく。
彼女に言い聞かせるように。自分自身に言い聞かせるように。
「絶対に、失いたくないから」
♢ ♦ ♢ ♦
中庭には、誰もいなかった。
ベンチにひとり、腰掛けて、空を見上げる。
闇。真黒な空。漆黒の夜。
言い方はいくらでもある。けれど、空はひとつしかない。
同様に、俺も、彼女らも、ひとりしかいない。代わりなんてどこにも見つからないし、見つけたくもない。
俺が臆病になっていると、必ず俺の背中をさすってくれるような存在がいる。俺を認めてくれて、俺を護ってくれて、俺を包み込んでくれる人がいる。
「久しぶりじゃな、八雲」
「……竜王」
「ここ、いいかの?」
「もう座ってるじゃないか」
なんて会話をして、二人とも、笑う。
竜王はずるい。いつだって、俺の弱いところを支えてくれて、俺に付き添ってくれる。
「八雲」
「ん?」
「イーナのことは、知っておるな」
「そりゃあまぁ」
突拍子もない質問だ。生活を共にしてきた女の子を、忘れるわけがない。
「わしとイーナは、血が繋がっておらぬ。予想はついておったじゃろ?」
「ああ」
竜王は、自身の両手を見つめる。
「あの子は人間じゃ。なのに、髪が赤いのはなぜじゃと思う」
「……わからないな。親のどちらかの髪が赤かったんじゃないのか?」
深いしわをたたえた、柔らかい、穏やかな表情だった。
「忌み子、じゃよ」
愕然とした。
「十二年も前のことじゃ。わしが大穴から外に出ようとしたとき、突然赤子が落ちてきたんじゃよ。それが、イーナじゃ」
竜王は語る。
「赤の髪を持つ赤子は呪われている、アルスではそう信じられているんじゃよ。赤は血の色であり、災いをもたらすとして、イーナは忌み子として呪われ、捨てられたんじゃ」
人見知りだけど、明るくて、優しくて、他の誰よりも可愛い笑顔を見せてくれるイーナが、忌み子として嫌われていたという事実。
信じられなかった。信じたくなかった。
「わしは必死に育てた。この子がいつも笑顔でいられるように、とな。“イーナ”、というのは、竜の古い言葉で“花”という意味なんじゃよ」
「もう、いいよ……これ以上言わなくていい……」
聞きたくなかった。なぜか、聞きたくなかった。
別にこんなことを聞いたからといって、イーナへの感情やら態度やらが変わるわけではないのに。
もしかすると俺は、イーナがそんな過去を持っていたという事実から目を背けたかったのかもしれない。
俺は彼女らを護ろうとしている。つまり、俺は彼女らを自分より弱い者だと認識していたのだ。そうして無意識のうちに、俺は自分に生きる意味と価値を与えていたのかもしれない。
俺はイーナの過去を知って、彼女が俺よりもずっと強い人間であると認めることを恐れていたのかもしれない。
最低な人間だ。他人を下に見て、俺は俺を保とうとしていたのだ。
「俺はみんなが思うように強い人間じゃない! 弱くて弱くて、誰かを下に見ることで自我を保ってる、最低な野郎なんだっ!」
感情の爆発が止められない。
こんなことを言いたいわけじゃないのに。俺はただ、彼女らを護ろうとしたかっただけなのに。
――本当に、そうなのか。お前は、自分の居場所を護るために彼女らを体のいい理由にしているだけじゃないのか。
そんな言葉が聞こえてくる。俺の中から。俺という器に入っている俺自身がささやいてくる。
違う。そう言いたくても、言い切ることができない。
だって、俺は居場所を失いたくないから。独りになることをなによりも恐れているのだから。
嫌だ。俺が俺でなくなる気がする。支離滅裂で、意味不明な俺がいる。自分で自分が理解できない。なにがしたいのか、なにをしようとしているのか、わからない。
「八雲」
肩を掴まれる。ハッとして瞼を持ち上げると、そこには屈んで俺の目を見つめる竜王がいた。
「おぬしは、わしらを下に見ているわけではない。おぬしは、わしらを大切なものとして見ているんじゃよ。だから、わしらという、かけがえのない居場所を失いたくないと思えるんじゃ」
竜王は続ける。
「わしらは弱いし、おぬしだって弱い。おぬしが戦ってくれるのなら、わしらはおぬしを支えるために戦う。そういう関係では不服かの?」
横に首を振る。
支えてもらわないと、俺はいつか挫けてしまいそうだ。
「わしらを護ってくれるんじゃろ? わしらはおぬしを信じておるし、おぬしはわしらを信じてくれればいい」
胸が圧されて、瞼が熱くなる。
すると竜王は微笑して、
「血が繋がっておらずとも、わしらは家族なんじゃからな」
と俺の頭をわしわしとなでた。
「どれ、わしはもう戻るよ。八雲も早く戻るんじゃぞ? 夜風に当たりすぎると、体に悪いからの」
♢ ♦ ♢ ♦
ひとり、ベンチに座っている。
ずっと。
「失いたくないんだ……」
ひとり、噛みしめている。
ぎゅっと。
「大切な存在を、かけがえのない居場所を……」
ひとり、空を見上げている。
じっと。
「俺には護りたいひとたちがいる。俺を支えてくれるひとたちがいる」
視界に、滲んだ星々が瞬いていた。
大好きなひとと一緒に眺めた、いつかのように。
描いている。導いてくれている。
星が俺の道を、照らしてくれている。
「一人だけど、独りじゃない」
溢れる涙が抑えきれなくて。
ひとり、声を押し殺して泣いた。




