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古式竜魔法

 


 竜の深紅の瞳が、赤い閃光を空に描きながらゆっくりと動き、俺の視線と重なった。


 頭蓋の奥で警鐘が鳴らされる。

 竜が咆哮もせずに俺たちを観察している。それは暗に、俺たちが取るに足らない存在だと、雑魚に興味はないと言っているようだった。

 

 そう見えたのに、そんな雰囲気を醸し出しているのに、やはり赤焔竜の殺気は放出され続けている。邪魔するものは全て殺す、と言わんばかりに。


「なんだよ……これっ……!」


 両手が、両足が、全身が、震えていた。


 震えの理由は分かりきってる。これは恐怖、俺はあの異質な存在に恐れをなしているんだ。

 けど、それがどうした。何度も味わったことだろうが。それなのに、何故恐怖に震えて動かない。動け。



 恐怖を振り払うように両頬を叩いた。乾いた音が冬の空に響く。

 痺れるような痛みを頬に感じながら、片肺いっぱいに息を吸い込んだ。凍てつくような冷気が右胸の傷に沁みていく。  



 苦痛なんて笑ってやれ。苦笑いは得意だろうが。


 灼熱なんて利用してやれ。体を温めるには少し熱すぎるけれど。

 

 動け、動いて動いて動きまくれ。目まぐるしく動いて相手を翻弄しろ。

 


 暴論だと自分でも思うけれど、それでも、自身を奮い立たせるには充分すぎる。

 早く行けとでも言っているかのように、優しい強風が俺の背中を押した。どこからか、木の葉のざわめきが聞こえる。心を落ち着かせるように静かで、それでいて力強い音。


「なんだ、臆病風より木枯らしの方が強いじゃないか」


 苦笑が漏れる。痛みはもう忘れた、なんて都合のいいことにはならないけれど、耐えることはできる。

 やっぱり苦笑いは得意みたいだ。



 腰につけたポーチから魔神のナイフを取り出す。

 ムラサメを右手で構え、ナイフは左で構える。密かに練習をしてきた独自のスタイル。ムラサメを振る力が弱くはなるが、そこは機動力でカバーする。

 

「先手必勝!」


 竜との距離を詰めながら思案する。


 奴に痛みを感じる素振りがないのは狂気のせいだろう。破壊衝動に意識を向けるあまり痛みを忘れたってとこか?

 疑念を抱きつつも、速度を上げて竜へと迫っていく。竜が動く気配はまだない。 

 

 魔力を送り、ムラサメの切れ味を極限まで上げる。赤黒い妖気を纏わせたムラサメの切っ先を、竜の喉元に突き付けるようにしてさらに加速していく。

 その距離あとわずかというところで————竜の体を覆っていた黒の魔力が霧散した。魔力が霧となり、視界を闇で埋め尽くしていく。


 しかし、思考は澄みきっていた。

 “魔力感知”は使っても意味がない。それなら、他の感覚に頼ればいいだけのことだ

 

 目を閉じ、視覚以外の感覚を研ぎ澄ませる。

 耳に届いた風切り音、肌に伝わる焦熱。それらを感知しているのは右半身。


「————ッ!」 


 その場で高く跳躍する。右から薙ぎ払われた尻尾によって霧が晴れ、視界が良好となるも、体勢を立て直す間もなく追撃が来る。例えるならそれは、舞い踊る扇子だった。

 竜は広げた右翼を刃のように使って俺の体を縦方向に裂こうと画策しているようだった。薄いがゆえの鋭さ、他の部位に比べて軽量であるがゆえの速度を持った赤の翼が、狂気を纏いながら俺へと迫ってくる。



 突然、時の流れが緩やかになったように感じた。おそらく“危険察知”の能力だろう。


 色を失った世界の中でも、翼は動きを止めることがない。

 緩やかな世界の中で発揮される並々ならぬ翼の速度に一種の感嘆を覚えつつ、その速度と動きに目を凝らす。縦方向への単調な攻撃、鋭利な刃翼(ブレード)となったそれは俺の体を両断するには充分だろう。



 ————だったらその勢い、逆に俺が利用してやる!


 思考がスパークし、甘い痺れが脳内を満たしていく。

 知覚機能が加速している、そんな予測を立てたのもほんの一瞬でしかないのだろう。


 ステップを踏むように左足を後方へ下げて、そのまま体全体を左に九十度回転させる。鋭い音と共に目の前を下から上へと向かっていく刃翼。その軌道上には必ず柔らかな部位が存在する。

 それはすなわち翼膜。浮力を得るためのそれは薄く、また、硬質な竜鱗に覆われていない。


「ここだ!」


 凶刃の如き翼爪(よくそう)が過ぎ去ると同時に、ナイフを翼膜へと突き刺す。


 力を加えずとも、ナイフはカーテンを裂くように翼膜へと一本の線を引いていった。葉脈の如く広がっていた細い血管が次々に断ち切れて鮮血が噴き出す。

 それをムラサメで振り払って肌に直接浴びるのを回避。ナイフが翼膜を裂き切ったところで一旦後方へと跳び、距離をとる。


「これでお前は飛べないはずだ」


 竜の右翼はもう充分な浮力を得ることもできないだろう。

 しかしその考えは甘かった。俺の期待とは裏腹に、竜はバランスを崩さない。魔力がその体躯を支え、そしてその漆黒は突如として竜の右翼に絡まり始めた。

 

「グルゥォォオオ!!」

「……どうなってる?」

 

 竜の咆哮に合わせて、翼膜の裂傷が回復していく。いや、これは自動で回復しているわけじゃない。

 纏っていた黒の魔力が糸のように細くなって、裂けた翼膜を縫い合わせていた。それもかなりのスピードだ。


 縫合が瞬く間に完了し、竜は動作確認とばかりに翼を以て熱風を巻き起こす。

 もう一度試してやる。それでダメなら他の方法を取るまでだ。


「知恵は弱者の特権だからな」


 素早く竜の懐へと潜り込み、ムラサメで斬りつけ、逆手に持ち替えたナイフを腹に突き立てる。ずぶりと嫌な感触を感じながらもナイフで肉を抉る。

 

 腹部をナイフで裂きながら回転し、その勢いのままにムラサメを傷口から刺し入れて、力任せに横へ薙ぐ。しかしその感触は重く、竜の腹を割ることは適わなかった。


 反撃が来る前に竜の腹を蹴った反動を利用。そのまま宙返りし、魔力で固められた空気の塊を足場にして竜の懐から抜け出す。少しだけ裂けた腹部はすぐに魔力に覆われ、黒の霧が散った後には傷一つなくなっていた。

 

「キリがない……!」

 

 歯がゆい。斬れども斬れども、その都度回復されていたら意味がない。

 もっとこう、死に直結するような攻撃を————

 

「“閃光”」


 刹那、俺の思考を遮るかのように、右頬を掠める黄色の残光が空中に描かれた。

 澄んだ声に応えて射出された一筋の光。空を切り一本の矢となった光は、竜の左胸を穿ち、さらに体を突き抜けて後方の翼をも貫いた。


 知らず、俺の口から驚嘆の声が漏れた。それほどまでに光線は正確無比で強力だった。


 心臓を確実に撃ち抜いたのか、漏れる血液はこれまでの非ではない。いや、驚くべきはその魔法の鋭さと速度、そして威力だろうか。

 ムラサメでは斬ることも不可能であったことを容易に達成せしめたその光線。振り返り、魔法の使用者————アリスに目を向ける。


「遅れてすみません!」

「あ、いやそれは別にいい。それより、なんだあの魔法は?」 

 

 俺が一度喰らったことのある魔法とは似ても似つかない。東條の魔法と比べて、アリスのそれは精度と威力が段違いだ。

 

「普通の光属性魔法ですよ? ただ、魔力を凝縮させるのに時間が掛かりましたけどね」


 笑顔を見せながらも、アリスは少し呼吸が乱れていた。それだけ集中力を要したということだろう。


「魔力の凝縮……か」

 

 竜の動きに注意を向けながら黙考する。


 高密度に凝縮した魔力であの鱗を貫けるのなら、妖気でも同じことができるんじゃないのか?

 実用化できるかどうかより、行使するかどうかだな。ここにきて試行錯誤をしている暇なんてない。やらなければ殺される、ならやるしかないだろうが。


 妖気だけですんなりと首を落とせるか? いや、そう上手くはいかないかもしれない。

 念には念を入れよ、ってとこだな。


 強化した体に補助魔法でブースト、竜をスピードで翻弄しつつ最高速度と全身全霊の力を以て首を斬りおとす。

 これが最善であり、また、今の俺にはこれしか出来ないという最悪でもある。失敗すれば全員そこでお終いの駆け引き(デスゲーム)だ。 


「アリス、時間を稼げるか?」 

「策があるんですか?」

「一応はな。ただ、準備が必要だ」


 アリスは顎に手を添えた。


「ふふ、倒しちゃってもいいんですよね?」


 彼女は自身の胸を叩く。自信ありげな表情は頼もしい反面、どこか危うさを感じさせるものがある。が、彼女なら大丈夫という確信もあった。


「全く……初代勇者様は自信家だな」

 

 苦笑して、右ポケットから紙飛行機を取り出してアリスに手渡す。

 

「なんですかこれ?」

「合言葉を唱えれば竜のバランスを一時的に止めることくらいできる。お前も経験しただろ?」


 紙飛行機に込めてあるのは大量の魔力。前に一度だけ使ったことのある“重圧”だ。範囲は人一人分くらいしかないが、竜のバランスを崩すことはできるはず。

 時間制といっても媒体が燃えてしまえば効果は消える。使うのはここぞというタイミングでないと、竜の体表から発せられる熱気で紙がすぐに燃え尽きてしまう。

 

 ある程度理解したらしく、アリスはこくりと頷いた。


「頼んだぞアリス」

「任せてください!」


 泳がせた視線を竜に止める。

 すでに左胸の傷はない。心臓の機能を魔力で補っているのだろうか。ドクン、ドクンと心臓が拍動する音がこちらにまで聞こえてきた。 

 

「行きます!」


 アリスが空中を走る。竜の目の前で方向転換し、電光石火の如く彼女は宙空を蹴って駆け回る。

 目まぐるしく自身の周囲を廻るアリスに竜が精確な攻撃を放っていく。変化前までとは違い、竜に苛立ちの色は見えなかった。


 火球による灼熱、尻尾による衝撃、刃翼(ブレード)による斬撃の数々。

 しかしアリスは、それらを(ことごと)(かわ)しつつ、隙を見つけては一撃を加えてさらに竜の怒りを煽る。


 彼女が繋いでくれる時間も僅かだろう。俺はその時間を無駄にするわけにはいかない。


「こっちも準備だ」


 ムラサメを鞘に収め、ナイフを腰に差す。

 雄大な自然を全身で感じるべく、瞑目し、脱力。そして深呼吸。


 魔法の効果が切れる前にその首を斬ればいい。それならリスクなんて関係ない。



「——我は力を欲する者なり」


「——我は魔の道を征く者なり」


 紡ぐ言葉。太古の竜————竜王が創った魔法の詠唱。

 詠唱中は外界の音を遮断するため、耳には音が入らない。暗闇と無音の世界。自然との同化に不必要な情報は隔絶された世界だ。


「——我が道を阻む者は(ゆる)さず」


「——我が身を削らんとする者は全て滅す」


 体全体が自然と一体化する感覚を得るまでに掛かる時間の長短は場の魔素濃度によって異なる。


「——大気を創りし魔の素よ」


「——汝が力を我に与えたまえ」


 大気が体を包み込む。全身に染み入る暖かい何かが、内側から活力を漲らせていく。

 頭の先から足の先まで余すところなく温かさが満たしていく。


「古式竜魔法————“魔竜吸素(まりゅうきゅうそ)”」


 大気中の魔素を体内に取り入れ、血流と共に全身を循環させる魔法、魔力の源泉たる魔素を血液と同化させ、一つ一つの細胞を活性化させる魔法だ。

 俺が使える竜魔法のうちの一つであり、唯一の身体強化魔法。個々の細胞が活性化することで、その生み出すエネルギーは二倍にも三倍にもなり得る。


 目を開ける。視界に差し込む陽光が眩しい。

 見ると、アリスは息も絶え絶えの状態だった。対して竜は傷もなく、落ち着いた様子。


「ふぅ……」


 拳を握る。力が入っているのかは全くわからない。感覚を断ち切っているかのように思える。

 力まずとも漲る。この感覚はあまり好きじゃない。お前はすでに人間ではない、と誰かに言われているような気がするからだ。


「今はあの竜だ」


 嫌な思考を瞼の裏に隠して、俺は静かに宙を蹴った。




次はアリス視点です。

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