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赤焔の竜


「やっと来たか八雲! ほれ、ムラサメじゃ!」

『ちょっと、投げないでよね!』

 

 竜王からムラサメを受け取り、腰に差す。


「竜王。あの竜は知り合いだろう? 会話はできないのか?」


 彼は難しそうに顔を(しか)めた。


「何度も試してはいるんじゃが……どうにも奴の思考はおかしくなっているんじゃ。殺す、壊す、燃やす、としか言わん。前はあんなやつじゃなかったんじゃがの……」 

 

 寂しそうにつぶやく竜王。それにしても、あの竜はなぜ怒っているのだろうか。そして——、


「破壊衝動……か」


 破壊衝動、ということは、あの竜は確実にこの村を狙っていることになる。それだけは、絶対に防いでみせる。せっかく、本当の意味で孫に向き合うことができた一人の老女の幸せを、みすみす壊させるわけにはいかない。

 

「どうするんですか? イーナちゃんとアクアちゃんはまだ村長さんの家ですから安心ですけど……」


 竜王の判断を待つ。彼にとっての戦友だ、できれば俺だって戦いたくない。だが、もしアイツがこの村を、俺の“家族”たちを傷つけるってんなら容赦はしない。

 勝てる保証はないし、死ぬ可能性だってある。それでも、俺はアイツを止めてやる。死に物狂いで、たとえ俺が死んでもいい。アリスたちを殺させはしない。


 「奴と交戦してほしい。その間、わしは念話で奴に話しかける。それでもだめじゃったら、そのときは——」


 ——殺してやってくれ、そう言って竜王は瞑目した。

 


「アリス、一緒にいくぞ」

「はい。勝てるかわかりませんけどね……」

「バッカお前。竜王が説得してくれるに決まってるだろう? 俺たちがアイツと殺しあう必要なんかないんだよ」

 

 舌を出して笑うアリスに、俺も笑いながら話す。

 嘘だ。本当は、俺も彼女もわかっている。竜王の説得が意味のないものだということを。今からアイツと殺し合いをすることを、理解している。

 

 だから、嘘を()いた。冗談めかして言った。恐怖を和らげるために、アイツの放つ威圧感を少しでも緩和するために。

 俺も彼女も等しく命は一つしかない。一度破ってしまえば、そのフィルムはもう映像を紡げない。たとえ死霊魔法というテープでくっつけても、生命というフィルムが見せる映像は全く異なってしまう。


「アリス、行くぞ。村には絶対に入れさせない」

「もちろんです」

 

 深く息を吸い込み、体全体を絞るようにして息を吐き出す。白く染まった息は、ほんの少しだけ温かい。

 隣の彼女に目を向ける。彼女もまた、瞑目し、深呼吸をしていた。

 

「よし、もう大丈夫だ」

「私も大丈夫です」

「竜王、無理なときは言ってくれ」


 竜王が深く頷いた。

 それを見てから、空中を駆けて赤焔竜のもとへと向かう。ムラサメを抜刀し、さらにスピードを上げる。

 

「アリスは後方支援に徹してくれ。魔法のサポートを頼む」


 再びの咆哮。轟音を肌で感じながら、ムラサメでその体躯を斬りつけた。

 キン、という金属音を耳にすると共に、猛烈な熱気を感じたため、一旦離れる。

 

 やはり、硬い。強固な鱗に刃が通らない。それに、竜の放出している熱気が凄まじい。素肌が焼かれそうだ。

 

「アリス、水魔法でアイツを冷やせるか?」

「……難しいです。水魔法はあまり得意ではありませんから」


 無理か。なら、と愛刀に視線を移す。


「ムラサメ、あの鱗を斬ることは?」

『一瞬しか触れてないけど、あの感触だと無理かも。切れ味を上げて、一点に集中攻撃をすればもしかしたらってところ』

「可能性はかなり低いってことか。厳しいな……」

 

 竜王の念話もまだ終わらないとなれば、とりあえず時間稼ぎに徹するしかなさそうだ。

 

「アリスは俺のカバーを。ムラサメは戦闘中にアドバイスをくれ」

 

 それだけ言って、再び竜と対峙する。気を抜けば足が笑いそうだ。

 

「グルゥ……!」

 

 その双眸は怒りに染まっていた。熱気がさらに増していくことが感じられる。

 竜が咆哮した。光に反射して、赤に煌めく粉塵が赤焔竜の周りを舞う。そして大きく開いた口の前に、巨大な火球が形成されていく。 


『ブレスが来る!』

「わかってるッ! “聖壁”」

 

 “聖壁”を幾重にも展開するが、補強する間もなく、灼炎の火球が迫ってくる。空間を歪ませながら迫るその速度は、次々に“聖壁”を破壊してもなお、落ちる気配がない。だが、最後の三枚にはかなり多めの魔力を送ってある。少しはもつはずだ。


 “魔力感知”を発動させると、それが膨大な魔力の塊であることが判明した。


 一枚が砕けた。残りは二枚。


 ブレスは魔力の塊。そうだ、ムラサメにはまだもう一つの魔力の使い道がある。果たして効果があるかはわからない。が、やるだけの価値はある。


 二枚目が光の粒子となった。残るは最後の一枚。


 ムラサメを目の前に掲げた。黒の刀身が光に反射し、妖艶な紫の輝きを放っている。


「妖刀ムラサメよ、我が魔力を吸い、その力を我に使役させたまえ」

 

 刀身に指を這わせて、聖属性の魔力を与えていく。途端に、ムラサメから青と黒の入り混じった、藍色の妖気が迸る。


 そして、最後の一枚が消失した。その瞬間、灼熱の火球が視界を覆う。


 迫る熱気を全身に感じながら、言葉を紡いだ。


「抜けば玉散る氷の刃、我が敵を凍てつかせよ!」 

 

 愛刀を両手で上段に構え、全力で振り下ろす。

 ムラサメから迸る青黒い妖気は冷気を纏い、瞬時に俺の体をも冷やしていった。


 眼前の火球はすでに二つにわかれていた。魔属性を変換した妖気が斬ることに特化したものだというのなら、聖属性を変換した妖気は魅せることに特化したものだと言ってもいいだろう。


 火球を縦に切り裂いた藍の妖気が、斬撃となって飛んでいく。火球を斬り、スピードを増していった斬撃は、赤焔竜の首元へと迫っていく。ちょうど首筋を捉えたその瞬間、合いの言葉を放つ。 

 

「凍てつけ、“三尺氷(さんじゃくごおり)”」

 

 俺の言葉に応じ、斬撃が氷の華を咲かせた。触れたものを着実に凍らせていく、死の華。

 しかし、まだ赤の(ほのお)には遠く及ばない。華のような結晶となった後、氷は溶けて蒸発してしまった。

 

「やっぱり溶けるか。竜王、まだダメなのか!」

「まだじゃ! まだ声が届いておらぬ!」


 焦りが募り、舌を鳴らす。その瞬間、竜が雄叫びを上げ、天高く飛翔した。

 南東へと昇った太陽と、赤焔の竜が重なる。逆光が邪魔をして、その姿をはっきりと見ることは難しい。


 ただ、揺らめく空間だけがそこにあった。それが竜の怒気によるものなのか、それとも陽光によるものなのかはわからない。


「だったら俺もその高さに行ってやるッ!」


 “空歩”でジグザグに足場を作り、それを“迅速”で駆けあがっていく。


「気をつけてください!」


 アリスの声が耳に届くと同時、俺の体を光が包んだ。奥底から湧き上がってくる感覚に、拳を握りしめる。彼女の補助魔法だ。

 魔法でさらに速度が増し、竜のいる高度に到達した。晴天の空には似つかわしくない熱気が、怒気のように感じられる。その赤いオーラがひしひしと伝わってくる。


「わざわざ俺を待ってたのか?」


 挑発するように、鼻で笑う。上空での戦いなら、周囲を気にすることもない。果たして竜の意図したことだったのか、それとも怒りのままに飛び上がっただけなのかはわからない。どちらにしても、俺にとっては好都合だ。

 

「アンタがここにいる理由もわからないし、知るような理由もないからなッ!」

 

 ムラサメを構え、全身にブーストを掛けるかのように駆け出す。竜は翼を広げ、その足でもって攻撃を仕掛けてきた。

 すんでのところで体を(ひね)ってかわし、スピードを落とすことなく竜に肉薄する。狙うはその首。

 

「通れッ!」


 全力の突きが、その頸動脈あたりを捉える。氷のごとき妖気を噴出させながら、ムラサメの切っ先は竜を目指した。確実に刃が通る、そう思った。


 しかし次の瞬間、視界が赤に染まった。灼熱を顔に感じ、咄嗟に身を翻す。


「ぐっ!」


 背中に衝撃と火炎を感じた。歯を食いしばって、焔の熱さと脳の揺れに耐える。

 勢いのまま吹き飛んだ。体を反転させて“空歩”で足場を作り、それをけりつけた反動で勢いを削ぐ。

 

 どうやら、俺は灼熱を帯びている竜の尻尾で殴られたらしい。背中にジンジンとした熱さを感じる。服は焼け焦げてしまったようだ。さらに、立ちくらみのような感覚がして気持ち悪い。

 眼前の竜は翼を広げたまま空中にとどまっている。荘厳な出で立ち、狂気を内包したような瞳、吐息のように漏れる火、そのどれもが竜の威圧感を助長させていた。

 

 竜が動き出した。滑るような飛行で迫ってくる。滑空の姿勢から一転、獲物を狩る鷹のように広げた足。それを斬り上げ、弾き、(かわ)す。そして、器用に俺を狙って振られた尻尾をムラサメで受け止め、それを蹴り上げる。全力を込めた蹴りの勢いで、俺の体と地面が平行になった。

 

 全ての攻撃を(かわ)したかのように思えたその刹那、竜は縦に回転した。

 蹴り上げた尻尾に回転の勢いが加わって、俺の背を打つ。熱風が髪を焦がし、硬い鱗が肉に食い込む。


「カハッ……」


 激痛。熱した針が突き刺さるかのような痛み。顔が苦痛にゆがんでいることが感じられた。背中からの衝撃に、肺の中の空気が押し出される。

 

 視界いっぱいに広がる青。風を全身に受けながら、その風切り音のようなものを聴く。再び、体が宙へと投げ出されていた。次に聞こえたのは竜の咆哮。膨大な魔力を背後に感じ、そして、その斜め下から猛スピードで飛来してくる存在にも気づいた。

 

『主人、ブレスが来る!』

 

 わかってる。だが、避けずとも大丈夫だという確信が俺にはあった。

 

「大丈夫だ」

『何言ってるの! 避けないと!』

「俺が大丈夫って言ったら大丈夫なんだ。だから、心配するな」

 

 言い終えると同時、轟々(ごうごう)と迫る魔力は、下から来た小さな存在によってかき消えた。

 

「どうして避けないんですか! 私が来なかったら丸焦げだったかもしれませんよ!」


 戦闘をしていたとは思えないほどに明るく澄んだ声。そこには少しの焦りが含まれているが、俺はその声の持ち主をよく知っている。


「ああ、全くもってそのとおりだ。でも、お前が来たから大丈夫だった。それでいいだろ?」

「そういうことじゃないですよ! 危ないじゃないですか!」

「まぁそう怒るなよ。綺麗な感じが台無しだぞ?」


 振り向いて彼女の方を見る。聖剣を握ったアリスがそこにいた。


「えっ!? そんな……綺麗だなんて……えへへ」

「ごめん間違えた。綺麗なのは聖剣だけだったわ」


 悪戯(いたずら)っぽく彼女に笑いかける。ピシッと彼女の笑みが凍った。


「……あとで覚えていてくださいね」

「お前の記憶力がそれまでもつことを祈っといたほうがいいぞ?」

「……本当に怒りました。もう助けませんから」

 

 それは勘弁してくれ、と言って笑う。冗談交じりの会話を少しするだけで、痛みが和らいだような気がした。

 

『戦場だっていうのにこの二人は……』

「戦場だから、“死”に近い場所だからこそ、だ」


 あきれたようにつぶやくムラサメに、説明口調で告げる。だが、その言葉の意味がよくわからなかったらしく、ムラサメの語調は少し困惑気味になった。


『よくわからないけど……』

「わからないなら、それでいい。いちいち気にするようなことでもないからな」


 “死”に近い場所だからこそ、明るく振る舞うことが大事だと思う。たとえそれが偽りの明るさであっても。“死”の恐怖に打ち震えるより全然マシだ。


 自嘲気味の笑みが零れたとき、アリスの声が真剣なものになった。


「ヴォルガンドが来ます!」

 

 目を向ければ、竜はこちらへと迫っていた。こちらのほうが高度的には上だというのに、竜は滑るように飛んできている。まるで、周囲の大気が道を空けているかのようだ。


 ムラサメを構え直し、脱力する。全身の力を極限まで抜くと、自然に吐息が漏れた。思考は明瞭で、痛みもほとんど治まっている。痛むのは背中を熱する火傷のみ。

 敵は圧倒的に強い。絶対的な強者の威圧はすさまじい。


 だが、負けるわけにもいかない。

 たった一日を過ごしただけだが、この村を守りたい、という気持ちが確かに胸の内に湧いている。半年と少しをともに生活しただけだが、“家族”という、死んでも守り通したいと思える存在がここにいる。


 だから、負けない。


「今からが本番だ」


 自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。

 


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