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古の赤焔



「おはようございます。村長さん、起きてますか?」


 玄関のドアをノックする。十秒ほど経っても反応がない。

 それもそうか。やっと朝日が昇ってきたくらいだしな。来るのが早すぎた。


「でもなぁ……」


 村長さんだけが起きてそうな早朝に来てみんなの寝顔を見る作戦がっ! リア、イーナ、そしてアクアの寝顔を立て続けに見たかったのにっ! そうすればっ、俺は悟りを開けたはずなのにっ! 

 神よ……あなたはなぜこのような試練を私に課すのですか……? 


「あ、俺は神に呪われてるんだった。なら納得だわ」


 いや、納得いかねえよ!? 何が神だこの野郎! 待てよ……女神かもしれないから野郎、というのは不適切なのか? 


「……どうでもいいわ! なんでこんなこと考えてるんだよ俺は!」


 ムラサメやアリスを起こそうにも、彼女たちがあまりにも気持ちよさそうに眠っていて起こせなかった。あ、でもムラサメは起こしてもよかったかもしれない。

 『ふふ、主人はもう逃げられないよ……だって……』とか言ってたからな! あの寝言はヤバいと思ったね。本能的な何かが、俺に逃げろと言ってたよ。だから一人で来た。

 え? 竜王? いやぁ……老人を起こすのは申し訳ないし。寝不足で倒れられたら困るからな。実際、本気で戦えるほどの体力もないらしいし。


「暇だし、山にでも行ってみるかー」

 

 

 

 ということで、村の後方にある山の奥に来てみたのだが……何もいない。大型魔物どころか小型魔物までいないなんて、どうなってるんだ?


「なにかいないのか?」


 山中に俺の声だけが響く。“魔力感知”を発動するが、反応はない。といっても俺の感知できる範囲は俺を中心にして半径百メートルくらいだからな。歩きながら使っていけばそのうち見つかるかもしれない。

 

 枯葉が斜面を覆っていて少し滑りやすいな。こんなときアクアがいれば……いや、どうにかなるわけじゃないけど。やる気が出るってもんだ。

 背の高い木々が生育しているこの山は空気が美味しい。それに、力が湧き上がる感じがするというか、細胞が活性化されていくような感じがする。


「もしかして、魔素が濃いのか……?」


 ということは、この森のどこかにダンジョンが構築されている可能性があるな。それなら魔物がいないことにもうなずける。とりあえず、探索してみよう。

 

「あ、ダメだ。これ以上奥まで行ったら戻るのに時間がかかる……」

 

 初のダンジョン探索をしてみたかったのだが、また今度にしておこう。そろそろ村長さんも起きているかもしれない。

 しぶしぶ帰ろうとしたところ、斜面下の方から何かが走ってきた。目を凝らしてそれを見ると、猪だった。大猪ルボアレグだ。


「手土産にしてやる!」


 腰からムラサメを————ん? 

 

「あ。ムラサメ持ってきてないんだった」


 ってことは魔法で戦わないといけないわけでして。でもあの猪は文字通り猪突猛進してくるわけでして。つまり——

 

「頑張るしかないわけだっ! “聖壁”、“獄炎”!」


 猪の進行方向——俺の目の前に“聖壁”を展開。同時に爆発式の“獄炎”を魔法陣のままで設置。

 

「さぁ来い猪!」


 俺の言葉に触発されたのか、猪はスピードを上げて突っ走ってきた。あと少し。


「ブモォォォオ!」


 唸りながら突進してくる猪。“聖壁”に送る魔力を増やし、強度を上げていく。バジリスクのときと同じくらいの強度でいいはずだ。


「よし!」


 ちょうど猪が“聖壁”にぶつかる瞬間に、待機状態にしておいた“獄炎”を発動させる。

 設置しておいた魔法陣から黒の火球が飛び出し、猪の腹部にぶつかる。バスケットボールほどの大きさだった火球は衝撃と同時に爆発。爆風は“聖壁”で防いでいるから、俺に爆発の影響はない。


「ブモッ!?」


 爆風による砂煙が晴れると、そこには無傷の猪がいた。といっても、猪の下半身はすでに穴の中だ。穴から抜け出そうと必死にもがいている。

 “聖壁”を解除。“迅速”を使って猪へと近づく。猪の体表の大部分は鋼鉄で覆われている。が、頭部は別だ。兜のようなものをつけているだけ。


「そのまま落ちろ!」


 ダメ押しとばかりに猪の顎を思い切り蹴り上げる。猪は白目を剥いて穴の中へと落ちた。

 穴の中でのびている猪を一瞥して、ぽつりとつぶやく。


「顎だって急所なのに……なんでそこには装甲がついてないんだよ」 

 

 脳にダメージを与えやすい部位だってのに……。アホなのかこの猪は。まぁいいか、そのおかげで楽に倒せたわけだしな。感謝感謝。

 

「一旦戻るか。ムラサメと竜王がいないと殺せないし、血抜きもできないからな……」

 

 穴から這い上がることもできなさそうだし、とりあえずはこのままでも大丈夫だろう。


「ん? 揺れてる……?」


 地震だ。それもかなり大きい。


 だんだんと揺れが大きくなり、轟音が大きくなっていく。いや、轟音が近づいてきている……?

 空中を駆けあがり、太い枝の上に立って麓の方を見る。こちらに向かって、茶色の波が押し寄せてきていた。 


「なっ! なんだこれ!?」


 波はその速度を増して迫ってくる。よく見れば、それは波ではなかった。数秒ほどで魔物たちが全て通り去り、あとに残ったのは魔物で埋まった穴だけ。


「魔物たちか!? でも、なんでこんなに?」


 大中小さまざまな大きさの魔物たちはまるで何かにおびえているかのようだったな。

 しかし、村の方はなんともないんだよな……。こいつらの習性なのか? 冬眠前の儀式的な。


「まぁいいか。食糧が増えたしな」

 


 下山して再び村長さんの家に行くと、村長さんが笑顔で迎え入れてくれた。

 

「リアたちはまだ起きてないんですね?」 

「えぇ、まだ朝早いですからね。ただ、そろそろ起こした方がいいかもしれませんね」

「じゃあ、俺が起こしてきますよ」

「いいんですか? では、お願いします」

 

 お任せください、役得ですから嬉しいです、と言いたいところだが、そんなこと言ったら通報ものだ。俺の人生設計狂っちゃう。もともと考えてないけど。

 

「~~♪」


 鼻歌まじりに廊下を歩く。窓から差し込む朝日が暖かい。


「失礼します、っと。リア、起きてるか~?」


 彼女はまだ気持ちよさそうに寝ていた。起こすのは気が引ける。もう少し寝かせておいてあげよう。

 べ、別に寝顔が可愛いからもっと見ていたいとか、そんなんじゃないんだからねっ! 仕方なくなんだからねっ!


「にゃ……ん……」


 すっごく可愛い。ぐふふ。

 おっと、あまりの可愛さに涎が出るところだったよ。危ない危ない。

 

 俺が涎垂らしてたら気持ち悪いだけだからな。需要なさすぎて吐きそう。

 なんて、そろそろ起こさないとな。

 

「起きろ~。朝だぞ~」

「あさ……? やだぁ……」


 なにそれ可愛い。可愛すぎる。子猫と子犬と子パンダを混ぜるくらい可愛い。……絶対可愛くねえよそれ。げんなりしちゃうレベル。

 いやいや、リアを起こすんだろ俺。げんなりしてる暇ないだろ。 


「起きないとだめだぞ? おばあちゃんにお花あげるんだろ?」

「おはな……?」


 リアの耳がぴょこぴょこ動いていて可愛い。なでたい。もふりたい。


「ほら、昨日摘んだお花をおばあちゃんに渡すんだろ?」


 伸ばしかけた右手を左手で抑えつつ、さらに言葉をつむぐ。ちょっと厨二っぽい。鎮まれ我が右腕よ! 的な。イタイだけだなこれ。

 

「そうだったっ! おはよう!」

「おお、おはようリア。切り替え早いなぁ。じゃあ、花持っておばあちゃんのところに行くか!」

「うんっ!」

「着替えておいた方がいいぞ? 俺は外で待ってるからな」

 

 そう言って、部屋の外に出る。小さな女の子の着替えの現場に居合わせないための配慮、紳士だろう? え、普通? ま、まぁそうだな。 

 って、俺は誰と会話してるんだ。このままだと、そのうちエア友達ができるかもしれないな。 

 

「おきがえ終わったよー!」

「おっ、可愛い服だなリア!」


 うん、なんていう服なのかよくわかんないけどとりあえず可愛い。可愛ければなんでもいいや。


「ありがと!」

「そういえばリア。おばあちゃんをもっと喜ばせる方法があるぞ」


 俺が喜ぶわけじゃないぞ。絶ッ対に違うからな!


「教えて!」

「よし、教えてやろう。あのな……こうするんだ…………」

 

 リアの耳元で作戦を告げる。

 準備は整った。さぁ、宴の始まりだ!

  

 


「おばあちゃん……」

 

 ソファーに座っている村長さんにリアが近づいていく。もちろん、後ろ手で花を持った状態で、だ。

 ソファーはリビング入口のすぐ横に配置されている。そのため、俺の立ち位置からはリアの表情がよく見える。


「どうしたのリア?」

「あのね……いつもありがとう! これ、プレゼント!」


 横顔で、村長さんの目が見開かれた。どうやらサプライズは成功のようだ。


「これは……」

「昨日つんできたの! おばあちゃんにあげたかったから!」

「ふふ、ありがとうリア……とっても嬉しいわ……」


 村長さんの顔が綻ぶ。それを見たリアも緊張がほぐれたらしい、満面の笑みを見せた。これこそ、孫からの最高のプレゼントだろう。


「おばあちゃんはね、いつまでもリアのおばあちゃんだからね!」

 

 抱き付いたリアを、村長さんが抱きしめ返す。ほら、昨日言ったとおりだ。リアからすれば、おばあちゃんはおばあちゃんなんだから。それは血縁で決まるものじゃない。たとえ今、血縁関係があるものがリアを引き取ると言ったとしても、リアは絶対にそれを断るだろう。

 

「ありがとう……本当に、ありがとう……」

 

 愛しい孫を優しくなでる彼女の頬には涙。リアの顔はこちらからは見えないが、きっと幸せに満ちたものだろう。

 二人の幸せな空間を邪魔するわけにもいくまい。少しこの場で見ていようか。リビング入口の陰に隠れて、というなんとも怪しい姿だけどな。

 

 

 少し経ってから、リアが村長さんから離れた。ここから、ここからが俺の教えた作戦だ! やってやれリア!


「おばあちゃん、リアのこと見ててね?」

「あらあら、見るに決まってるわ。さて、何をしてくれるのかしら?」


 涙を服の袖で拭いながら村長さんが応える。そして、その前でリアが徐に両手を頭の上に乗せた。そして——


「おばあちゃんいつもありがとにゃん!」


 きたぁぁぁぁぁぁぁああ! (たぎ)る、(みなぎ)る、湧き上がるぅ! いや、何がって……そりゃあ元気だよ。うん。

 とまあ、リアクションはこれくらいにしておいて、と。村長さんは予想外のできごとに驚いてしまったようだ。口が開いたままですよっと。

 

「おばあちゃん?」

「……え? あ、ええ! とぉっても可愛かったわ!」

「ほんと!? ありがとう!」

 

 ふっ、笑顔がまぶしいぜ。俺にはまぶしすぎるくらいだ。

 

「ところで、誰が教えたのかしら?」

 

 あ、そろそろ魔獣車に戻らないと。別に逃げようとしてるわけじゃないぞ! 戦略的撤退だからやむを得ないんだ!

 忍び足で玄関へと向かう。気づかれたら最後だ、そんな気がするからな。

 

「八雲くんどこ行くのー?」

「い、いやぁ……ちょっとお散歩しようかなー、って……」

「あらあら、健康的ねぇ。お散歩、ご一緒してもいいかしら?」

「ち、ちょっと俺、用事を思い出したんですよねー……あはは……はぁ」


 諦めよう。もう無理、逃げられる気がしない。きっと怒られるんだろうなぁ、うちの孫になにを教えているんですか、って。

 まぁいいか。自業自得、仕方ない仕方ない。

 

「じゃあ、三人で少し歩きましょうか」

 


 外の空気は新鮮だ。吹き抜ける風が肌をさらりとなでて、そのひやりとした空気の塊に体が震える。

 しかし、冷えた肌を温めるかのように太陽が輝いている。


「いい天気だねー!」

「ええ、本当に。気持ちいい朝ね……」


 二人の後ろを歩く。手を繋いだ二人、その繋がりはきっと離れることがないのだろう、そんなふうに思える。

 

「二人とも、寒くはないんで——」


 

 そのとき大気が、揺れた。




 大地が、揺れた。 




 木々が、その体を小刻みに揺らした。まるで、何かを恐れているかのように。




 その轟音に耳を塞ぐ。咆哮の発せられている方——南の空を見上げる。そこには、巨大な影。大きく広がった翼、長く強靭そうな尻尾、そして、射るように鋭い眼光。竜だ。

 その翼竜の周りの空間は揺らめき、(ゆが)み、燃えている。陽炎のように、竜の周りだけが揺らめいている。

 


「竜……か?」


 しかし、こんな威圧感は竜のものとは思えない。その辺の竜が出せるようなものじゃない。俺はこんな威圧感を、知らない。

 竜はまだはるか遠くだというのに、その咆哮はここまで届き、その威圧感は見る者すべてを圧倒した。


 太陽の光に照らし出されたその体躯は、力強いような、そしてどこか狂気に満ちたような、赤黒い煌めきを放っている。あまりの猛々しさに、思わず唾を飲み込んだ。




「八雲さん!」



 アリスが駆け寄ってくる。その声が耳に入ると、いきなり現実に引き戻されたような感覚に陥った。

 俺の声は、その感覚を否定するかのように慌てていた。絶対的強者、その迫力に気圧されたことを、悟られないようにするためだったのかもしれない。


「アリス! なんだアイツは!」

「早く、村の外へ! 村の中に入ってくるのは阻止しないと!」


 焦りの色を見せている彼女に腕を引っ張られて、そのまま一緒に走る。時間がゆっくりと流れている気がした。

 


「あれは……なんなんだ?」



 自然と漏れたつぶやき。アリスが重々しい口調でその問いに対する答えを告げた。



「……六竜の中の赤。赤焔(せきえん)竜ヴォルガンドです」



 天下の六竜。数千年以上前から存在する古の竜が、今、激昂の叫びを上げる。

 




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