食卓
少し歩けば、また賑やかな声が聞こえる。声の発生源となっている部屋の前に立つ。なんて言って入ればいいのかわからない。ただいま? それともお邪魔します? ここはやはり……。
無駄なことを悩んだ末、軽くノックをしてドアを開ける。俺の第一声は————
「盛り上がってるかー! いえーい!」
………………。
…………。
……出落ち感がやばい。俺、爆死した。完全に浮いてる。あのアクアやアリスでさえも口をぽかんと開けている。竜王と村長さんは真顔だ。怖い。
そんな中、一人の少女が片手を上げた。小さなシャンデリアの灯りに反射して、深紅の長髪が輝く。
「……い、いえーい?」
「ありがとうイーナ……」
「て、テンションの落差が激しいですね……」
落ち込んだ俺に、アリスの言葉が突き刺さる。泣きっ面に蜂とはこのことなのか。
「冗談はこれくらいにしておいて、本題に入ろうか!」
空元気も元気のうちだ。めげるな、俺。
「本題? なんですか?」
「そ、それはあれだ……そうだ!」
話題が見つかった。気になっていたあのことだ。
「リアはなんで耳が二つあるんだ?」
「……何言ってるんですか八雲さん? 耳は左右に一つずつで二つありますよ?」
説明が足りてないみたいだ。アリスだけではなく、他のみんなも不思議そうな顔をしている。
「そうじゃなくて、なんでリアには獣人特有の獣耳と人間の耳の両方があるんだ?」
「……ああ、そのことですか」
俺の問いに村長さんが応える。彼女は理由を知っているようだ。
「それはですね……血の混じり具合、とでも言いましょうか。もともと……」
彼女の説明は至極簡単なものだった。
獣人というのは魔人の亜種のようなものだ。魔素を大量に取り込んでしまった結果、獣耳やら尻尾ができたらしい。しかも村長さんの話によると、原初の獣人は獣耳と人間耳の両方があったという。そこからの進化によって、今の獣人のほとんどは人間の耳がなくなっているのだとか。
しかし、最近では獣人と魔人の結婚も多いため、生まれてくる子供に人間の耳もついていることがあるようだ。その場合、獣耳には聴覚がなく、感情の起伏に応じて動いたりするだけで、聴覚機能は人間の耳に備わるらしい。
長いので簡潔に要約すると、リアの狼耳と尻尾は可愛いということだ。可愛ければそれは正義だ。異論は認めない。
嬉しいときに耳がぴょこぴょこ動いたり、尻尾がふりふりと動くところを想像すればわかると思う。やはり可愛い。
「ごしゅじんあそぼー」
「ん? いいけど……腹が減って……みんなは何か食べたのか?」
「あぁ、そうでした。では、食事にしましょうか」
「じゃあ、私も手伝いますね!」
やはり食べていなかったらしい。そりゃあ、今日は招待されてたもんな。俺だけ残して先に食べるなんて……ないよね?
不安を覚えつつ、用意された椅子に座る。テーブルは五人席のものだったため、アクアを膝の上に乗せ、フレアには瓢箪の水を飲ませてあげた。
しばらくの後、アリスが深皿を五つ乗せたお盆を持ってきた。
目の前に置かれた小さな深皿と大きな深皿。それらから発せられる香りは俺の鼻腔をくすぐって、食欲を増幅させる。道中、猪肉などの臭みの残るものばかり食べていたこともあり、それがかえって目の前の料理の上品な香りを引き立てているようにも思える。
それからも、アリスがさまざまなものを運んできた。焼き色がついた丸パンに、新鮮な野菜を使ったであろうサラダ。早く食べたいという衝動を抑えるのがつらいほどだ。
「おいしそーだね!」
アクアも早く食べたいらしい。足を揺らして、椅子の脚をトントンと叩いている。リズミカルに繰り返されるその音は耳に心地よい。
正面に座った竜王はアクアを見て微笑み、その隣に座っているイーナは並べられた料理を見て目を輝かせている。そこへ、アリスが再びやってきて、五つのグラスをテーブルに置いた。
「もうちょっとだけ待っててくださいねー」
アリスが廊下に消えてから、数十秒ほどで彼女と村長さんが戻ってきた。二人の手には紫色の液体が入ったボトル。
その二つに興味を示したようで、アクアは俺の袖を引っ張り始めた。そんなアクアの様子に気づいたのか、あらあら、と村長さんが笑う。
「これは葡萄酒と葡萄のジュースですよ。八雲さんとアリスさんは葡萄酒でも大丈夫ですか?」
「ぶどーしゅ? じゅーす?」
アクアには少し難しかったみたいだ。それと、俺は酒は飲んだことないんだよな。
「簡単に言えば、美味しい飲み物だ。村長さん、俺は葡萄酒を飲んだことがないので遠慮しておきます」
「なんじゃ八雲。飲んだこともないのか? なら、飲んでみるのもまた一興じゃぞ? というか、飲むんじゃ。楽しくなれるぞい」
ふぉっふぉ、と快活に笑いながら竜王が葡萄酒を勧めてくる。葡萄酒ねぇ……。飲んでみたいとは思うけど、それで悪酔いとかしたら嫌だな。
「アリスは飲むのか?」
「そうですね……飲んでみたいです!」
彼女は頷きながら拳を天に向けた。そんなに意気込みしなくてもいいと思うんだがな。
しかし、アリスが飲んで俺が飲まないとなると、なんだか俺が負けたみたいで悔しい。飲み比べ、というわけではないが、俺も飲んでやろうじゃないか。
「村長さん! やっぱり俺も飲みます!」
「よし! 今夜は無礼講じゃ!」
竜王までガッツポーズ。よほどうれしいのだろうか?
「いや、いつも無礼講だと思うぞ?」
「ぶれーこーだね!」
「そうだな、今日は無礼講だな。騒ぐぞ!」
アクアが無礼講だと言ったらそれは無礼講だ。アクアが法だからな。それ以外の法律なんて知ったことか。未成年は酒を飲むな? それは日本の法律だ、関係ない。
「やっぱりアクアちゃんには甘いですよね……」
「……それがお兄ちゃんだから」
ボソッとつぶやいたアリスにイーナが小声で話しかけている。会話内容はわからないが、きっと他愛もない話だろう。
「では、みなさん。いただきましょうか」
俺とアクア以外のみんなは、目を瞑って両手を胸の前で組んだ。礼拝する際のポーズに似ている。
この世界にも神の信仰はある。しかし、国教が定まっているわけではない。アルス王国は定まっているかもしれないが。まぁ、国教が定まっていないということは食事前の儀礼——神への感謝——の方法もさまざま。よってこの魔界では、食事前に瞑目して心の中で神への感謝を告げるのが一般的だ。
創世の神、大地の神、大海の神……など、確か十二の神が信仰されているはずだ。といっても、違う宗教ごとに教会が建てられているわけでもない。神は等しく尊い、ということだ。だから宗教戦争も起きないし、むしろ親睦会が開かれるくらいだろう。
「アクア、目を瞑って。ほら」
「んー」
アクアに両手を組ませ、それを俺の両手で包み込む。俺たちは神話もなにも知らないので、とりあえず形だけ。
十秒ほどしてから目を開く。アリスはまだ瞑目しているが、他のみんなはすでに終わったようだ。
熱心にお祈りしているアリスを見て、竜王は微笑する。愛しい孫を見守るかのような瞳だ。
「あれ? どうしてみなさんこちらを見てるんです?」
「美少女だなぁ、と言っておったんじゃ。八雲が」
「俺なのかよ!?」
竜王のフリがひどすぎる。
「え、八雲さんが!? えへへ、嬉しいです……」
アリスは紅潮した頬に手を添えてつぶやいた。
いや、美少女っていうより美女だよな……。ってそこじゃない! まず否定しないと!
「俺はそんなこと言ってない! だいいち、そんな話をしてたらアリスに聞こえるだろうが!」
少し声を荒げながら否定する。顔が熱い。もしかしたら、いや、もしかしなくても俺の顔は赤いだろう。
「そうですか……言ってませんか……」
俺の抗議を聞いて、アリスは落胆した。それがやけに綺麗に見える。なんだか申し訳ない気分になるが、仕方がない。そんな恥ずかしいこと言えないからな。
「考えてみよアリス。八雲の発言から察するに、おぬしは美少女じゃよ?」
「へ? どういうことです?」
「八雲はの、『アリスに聞こえるだろうが!』と言ったじゃろ? つまりそういうことじゃ」
「ちょっ! 竜王! 何言ってんだよ!」
竜王の口を塞ぐ。が、時すでに遅し。アリスは竜王の言葉の意味を理解してしまったらしい。手をポンとたたいた。
「私のいないところでなら、私が美少女だという話をしてもいいってことですね!」
「……別にそんなこと言ってないし。勝手に解釈しすぎだし……」
ぶっきらぼうな口調で言う。しかし、アリスは止まらなかった。
「恥ずかしがっちゃって~。可愛いところありますね八雲さんも!」
指で俺の頬をツンツンとつついてくる。否定しきれないのが悔しい。
「うぜぇ……」
竜王の口から手を離す。正直、アリスの顔を直視できない。恥ずかしくて。
「あらあら、若いっていいわねぇ……」
「全くですのう……」
ふぉっふぉっふぉと竜王が笑い、村長がうふふ、と口元に手を添える。
お前のせいだ! と言いたいところだが、自分の失言が原因でもあるため、それはできない。
「……早く食べたい」
「ごはんたべようよー!」
ずっと瞳をキラキラさせていたイーナとアクアはもう待ちきれないようだ。
俺も腹が減っているし、それ以上にこの空気を変えたい。
「ほら、早く食べよう! 冷めちゃうからな!」
そう言ってパンを一口大にちぎり、口へ運ぶ。味はない。シチューらしき料理につけてから、再度口に入れるとピリッとした辛さが広がる。
日本のシチューと変わらない味だ。故郷の味、というわけではないが、懐かしい風味に手がすすむ。
「お野菜を煮込んで作ったシチューに擂った山椒をかけたものですよ。それと、サラダは自家菜園で採れた新鮮な野菜を使っているの。ドレッシングは企業秘密ね」
笑顔で説明する村長さん。どこか嬉しそうだ。
そんな彼女の説明の中、竜王が待ちきれない様子で彼女に尋ねた。もう少し待てよ、と言いたい。
「すみませぬが、葡萄酒をいただいてもよろしいですかな?」
「ええ、今注ぎますね」
立ち上がろうとした村長さんを、アリスが片手で制止した。
「あ、私がやりますよ。村長さんは座っていてください」
「あらあら、ありがとうねアリスさん」
「いえ、お気になさらず。私がやりたいだけですから」
竜王、少しくらい動けよ。それとも、こいつはアリスがこう言うことを予測してたのか? 狸爺め。
あ、俺も動いてなかったわ。……よし、片付けは俺がやろう。皿洗いくらいなら余裕だ。プロになれるレベル。
「私と竜王さんは葡萄酒、イーナちゃんとアクアちゃんは葡萄ジュース、村長さんはどちらを?」
「じゃあ、私も葡萄ジュースにしようかしら。あまりお酒は強くないの」
「わかりました。八雲さんは葡萄酒でいいんですよね?」
「ああ。ありがとうアリス」
どういたしまして、と笑って俺のグラスに葡萄酒を注いでいく彼女。しばし見惚れてしまった。
無意識のうちに見惚れていたことに気づき、恥ずかしくなった俺は、次から次へと料理を口に運んだ。
「ふふ、たくさんの人と一緒に食卓を囲むのはやっぱりいいものね……」
食事の後、俺は食器洗いをしていた。洗剤なしでも食器を綺麗に洗えるというウォルデニスの皮、なんと汎用性の高い素材だろう。海竜の威厳はどこへいったのやら。
「おしゃけっておいひいでしゅね~」
「はいはい美味しい美味しい」
「むっ! なんでしゅかしょの反応は!」
「泥酔女は水でも飲んでなさい」
アリスは葡萄酒を四口ほど飲んだあたりから呂律が回らなくなり、今のような舌足らずの子供のような喋り方だ。本ッ当に黙っててくれ。何言ってるかわからないうえに、声がでかい。リアが起きたらどうするんだ! 外につまみ出すぞ!
「ふぉっふぉっふぉ。やはり酒はよいのう。そうは思わんかねフレア?」
竜王。お前も少し黙ろうぜ? たぶんフレア困ってるぞ。表情はわからないけど、雰囲気が困っている人のそれだからな。
彼もまた、ひどく酔っている。といってもアリスのようにうるさいわけでもないので、さほど気にしなくてもいいのが救いだ。
「まぁ、本当に葡萄酒は美味かったけどさ……」
葡萄酒は俺が想像していたより、ずっと美味しかった。酒、というからにはある程度のきつさを予想していたのだが、全くきつさはなかった。口当たりが上品で、酒というよりも濃縮した葡萄ジュースという感じだった。そこで、葡萄酒と葡萄ジュースの味を比較してみたのだが、やはり両者には明確な違いがあった。
一番の違いは香りだ。葡萄酒の方は、熟成させた葡萄を使っているということもあり、その香りは芳醇なものだった。口に含んだ瞬間に、葡萄の濃厚な香りが鼻腔にまで広がったときは素直に驚いた。逆に、葡萄ジュースの方は爽やかで甘い香りだった。日本で飲んだジュースと変わらない味は懐かしく、子供のころを思い出したほどで————
「すみませんねぇ服部さん」
開かれたドアから、俺へと声が向けられた。村長さんだ。彼女が謝っているのはおそらく食器洗いについてだろう。そんなこと気にしなくてもいいのに。
「いえ、気にしないでください。俺はなにも手伝っていなかったですから。それより、アクアとイーナはどうですか?」
「ええ。二人ともよく眠っていますよ」
「それはよかった。ありがとうございます」
アクアとイーナは食事後、疲れたのかこくりこくりと船を漕ぎはじめてしまった。そこで村長さんが、二人だけなら、ということで泊めてくれることになった。
「すみませんが、アリスと竜王を魔獣車に帰るよう言ってくれますか? 俺が言ってもたぶん効果ないので……」
「わかりましたよ」
笑顔で村長さんは二人のもとへ向かった。やはりというかなんというか、彼女の勧告に、二人ともおとなしく帰っていった。
それから五分ほどで食器洗いも終わった。ムラサメはすでに寝ている。
「村長さん、終わりましたよ」
ゆりかごのように揺れる椅子に深く座っている村長さんに声を掛ける。しかし返事はない。見れば、彼女はどこか寂しげな表情だ。
何か心配ごとでもあるのだろうか?
「村長さん? どうしたんですか?」
再度声を掛けると、彼女はハッとした様子でこちらを向いた。
「いいえ、なんでもありませんよ」
「俺でよければ聞きますよ? 案山子に話しかけるようなものだと思ってください」
「ふふ、ありがとうございます。でも、本当に些細なことなんですよ……」
彼女はか細い声でつぶやく。塵も積もれば山となる、ということもある。あれ? これはプラスのイメージ?
そんなこと、今はどっちだっていいか。とにかく、心労を重ねるのは体によくない。
「些細なことでも、抱え込めばいつか大きな病の元になりますから」
「……そうですね。では、場所を変えましょうか」
立ち上がった彼女は外へと向かった。家から少し歩いたところで止まり、その場に座りこんだ。俺も彼女の横に座り、話を聞けるようにする。
彼女は夜の空を数秒眺めたのち、ゆっくりと話し始めた。
「私とリアは血がつながっていません。それはすでにわかっていますよね?」
「まぁ……」
まず、獣人としての種類が違うだろうからな。リアは狼系統、村長さんは羊系統の獣人だろう。
「リアは、銀狼族の最期の生き残りなんです。両親はあの子がまだ赤子のときに死にました。崖からの転落死です。当時から村長だった私はリアを引き取って育てることにしました。それからずっと、いつか一人立ちできるようにと思って育ててきました。でも……」
彼女は言葉を濁した。悲しいような、寂しいような表情。
「でも……私はあの子の本当のおばあちゃんじゃない。血がつながっていない。そのことを考えると、すごく怖くなるんです。あの子がいつか私をおばあちゃんと呼ばなくなるんじゃないか、あの子が私を拒絶するのではないか、と思ってしまう……」
彼女の肩は震えている。リアが自分を他人だと意識してしまうのではないか、という疑心。血のつながりという呪縛に、彼女は囚われている。
そんな彼女に俺から言えるのは一つだけだ。
「村長さん。リアを信じてあげてください」
正直、リアがこの人から離れることはないだろう。あんなにおばあちゃん子なんだからな。それに、明日になったら村長さんも驚くだろうし。
そう思いながら微笑した俺に、村長さんは再び空を見上げてつぶやいた。
「今の私には、あの子を信じることしかできないものね……」
その後村長さんと別れ、俺は魔獣車へと戻った。竜王もアリスもぐっすりと眠っている。
「俺も寝るか……」
明日の早朝には村長さんの家に行くつもりだからな。リアからの感謝の言葉と贈り物を見届けないと。
ムラサメを横に置いて、寝袋の中に入る。今日の出来事を思い出しながら、俺の意識はだんだんと深い眠りに落ちていった。




