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少女の絵



 リアが納得するまで花を摘んでいたら、いつの間にか空は夕焼けに染まっていた。燃えるような夕日が雲を赤く照らしながら、水平線に沈んでいく。そして、緑の山肌からは「私の出番ね」と言わんばかりに紅の月が現れた。

 荘厳な夕焼けと紅き月の光の境界では、暖かみのあるオレンジと、冷たく凄艶(せいえん)な紅の二つの色が融合していた。ちょうどその境界付近上空を一匹の竜が華麗に飛んでいる。竜はその真白の体躯に、融合された色を反射させている。伝説なんかに出てきそうなほどの美しさだ。

 俺が見惚れていると、腕の中の少女が説明する。

 

「あれはね、フロスティア様だよ。白幻竜(はくげんりゅう)フロスティア様」

「フロスティア?」

「うん! フロスティア様はね、このあたりの守り神なんだよ!」

「へぇ、リアは物知りなんだな」

 

 俺がそう言うと、リアは自慢げに頷いた。それにしても、白幻竜か。たぶん、天下の六竜のうちの一種なのだろう。

 天下の六竜————赤、青、緑、黒、白、銀の六色の竜。竜王に教えてもらった知識の一つだ。それぞれ何千年も前に活躍していた竜だという。たしか、『八つの災厄』だかを退治したんだったか。まぁ、それはいい。

 そして、竜王はその六竜にあがめられるほどの存在らしい。 

 

「俺って、すごい人の指導を受けてたんだな……」

「すごい人?」

「ああ、すっごい人だ。優しくて、暖かい人だ。俺はその人を尊敬してる」

「そんけーしてるんだ! じゃあ、きっとすごい人なんだね!」


 そうだぞ、と頭をなでる。彼女の純粋な質問に、つい本音が出てしまった。少しの気恥ずかしさがあるが、竜王たちはこの場にいない。

 そのことに安堵しつつ、俺は村へと歩を進めた。

 

 


 村に着くころには、すでに太陽の姿は見えなくなっていた。暗闇が世界を覆い、月の明かりだけが村を照らす。

 静寂に包まれた村は、どこか暖かみを感じられる。それはたぶん、立ち並んだ木造の家の窓に浮かぶ蝋燭の灯りが見えるからだろう。人の姿は見えなくとも、そこに人がいることは把握できる。爛々(らんらん)と揺れる火は幻想的であるが、その揺らめきはかえって不気味にも思えた。

 

「リアの家はどこだ?」


 俺が訊くと、彼女は目をこすりながらこちらを向いた。疲れて眠くなってしまったらしい。


「ん……とね……あっち、だよ……」

「あの少し大きい家か?」

「ん……そう……」

 

 答えてから、リアは小さく欠伸(あくび)をした。つられて俺も大きな欠伸が出そうになったが、それを噛み殺して涙を拭う。

 

「リア、寝てていいぞ。あとは俺が連れていってやるから。な?」

「あり……がと……」


 そう言って、彼女は俺の首を抱きかかえるようにして寝息を立てはじめた。

 今日は色々な場所に行ったからな。俺も疲れている。魔力が枯渇しかけているということだろう。“空歩”で階段を作ってそこを歩くのは本当につらかった。途中で落ちてしまうのではないかと不安になったくらいだ。


「よいしょっと」


 俺の首のわきにある彼女の頭を左手で支えながら、右手で彼女の体を下から抱える。そうすると、やはり髪の毛の一本一本が首をくすぐる。たまに、柔らかな狼耳がふわりと左頬をなでる。こそばゆさに、声を出して笑ってしまいそうだ。

 

「おやすみ……」


 返事はないが、その代わりに彼女の体の温もりだけが伝わってくる。

 山肌から吹いてくる少し肌寒い風を感じながら、ゆっくりと歩く。風が冷たいのは、やはり標高が高い上に雪山が近いからだろうか。それとも、俺の心に寂しさが残っているということなのだろうか。


「まぁ、いいか」

 

 口から呟きが漏れた。少し立ち止まってみる。


 閑静な村。雄大な景色。穏やかな風。上半身に触れている彼女の温もり。それらが俺という容器を満たしていく。静寂は心に静けさをもたらし、雄大な自然は視界を彩り、ゆったりとした風は俺の肌に“(せい)”の感触を与え、彼女の体温は生命(いのち)の暖かさを伝えてくる。

 心地よさを感じながら、東の空に目を向ける。遠くにそびえたつ雪山は、ほんの少しだけ赤い。

 

『主人ってば、まるで詩人だね』

「なっ、ムラサメ。お前起きてたのか!? ってか、何でわかるんだよ!」

『私、主人のことはなんでもわかるの。それにしても、今日は妬けちゃった。アリスとはいい雰囲気だし、リアちゃんとは親子みたいな雰囲気だし……』


 今日の出来事を振り返る。しかし、ムラサメの言葉どおりには思えない。

 

「それはない。俺なんかじゃ……」


 俺は『いつも通り』をできているだろうか。みんなに心配させていないだろうか。俺の中の化け物を飼い慣らせているのだろうか。

 不安が募る。いつかみんなが自分から離れていってしまいそうで、いつか自分が暴走してしまいそうで、怖い。


『主人~? やめてよそういうの。私がこう言ってるんだからさ、主人は頷いてればいいの。竜王の言葉も思い出して!』

 

 少し怒り気味なムラサメの声音。彼女なりのフォローなのかもしれない。

 竜王の言葉————『離れない』という暖かい言葉。彼の優しげな微笑や、アクアやイーナの笑顔、そしてアリスの太陽のような笑み。

 思い出すだけで、不安はどこかへと消え去った。

 

「……そうだな。ありがとうムラサメ」

『それでいいの。少し嫉妬しがちな私が認めてるんだから!』

 

 そうだな、と苦笑する。でもムラサメ、お前の嫉妬は少しじゃない。かなり大きいよそれ。

 だが、そんなムラサメの言葉にちょっとだけ救われたような気もする。俺はネガティブ過ぎたかもしれないな。


「これからも、お前には敵わない気がするよ」

『もちろん! 私は主人から離れないもの!』

「そっかぁ…………」


 やっぱり、お前は俺の愛刀だ。自信をもってそう思える。恥ずかしくて口には出さないけど。




 それからもムラサメとの会話を楽しんでいると、リアの家の前に着いた。他と比べて少し大きいその家からは、女性や老人、子供の賑やかな声が聞こえた。

 リアの家族構成————祖父母、姉、リア、妹、とこんな感じだろうか。

 考察をしながら木製のドアをノックする。コンコン、と小気味よい音がした。 


「すみません。リアちゃんを連れてきましたー」


 声を掛けると、ドタドタという足音の後に勢いよくドアが開かれた。

 すると、水色の髪を揺らしながら俺の足めがけて幼い子が突進してきた。


「ごしゅじんだー!」

「うおっ、アクアか!?」


 俺の足に抱き付いてきたのはアクアだ。見れば、その後ろには竜王、イーナ、アリスがいた。さらに、その後ろの通路からは村長のお婆さんが姿を見せた。四人とも笑顔でこちらを見ている。アリスの腕の中にいるフレアも、笑顔……に見える。

 足元のアクアはもちろん花のように顔を(ほころ)ばせている。それを見て、自然と俺も頬が緩んでしまった。


「そうか、村長さんの言ってた孫ってのはリアのことだったのか」

「ええ、そうですよ。服部さん、リアの面倒を見てくださってありがとうございます……」

「いやいや、俺も楽しかったですから。気にしないでください」

 

 頭を下げる村長さんに言葉を掛けると、彼女は顔を上げて微笑んだ。


「あらあら、リアもこんなに懐いて……」


 俺に体を預けているリアを見て、彼女は涙ぐんだ。


「すみません……リアが楽しく過ごせたと思うと嬉しくて……。立ち話もなんですから、どうぞ中へお入りください」

「はい……と、その前に。リアの部屋を教えてください。寝かせてあげないと」

 

 あぁ、そうですね、と言って彼女は歩き始めた。俺がついて行こうとすると、アクアが俺の足を強く掴む。

 

「ごしゅじんはあくあとあそんでくれないの……?」

 

 そう言う彼女の顔は今にも泣きそうだ。娘も同然なアクアを泣かせるだなんてとんでもない!

 俺はリアを起こさないようにゆっくりとしゃがみ、彼女の頭をなでる。

 

「後でいくらでも遊んであげるから。だから、ちょっと待っててくれ」

「……ぜったい?」

「もちろん、絶対だ」

 

 俺が笑顔で返すと、アクアはしぶしぶ納得してくれた。小さな頬を膨らませた彼女はやはり愛らしい。

 もう一度彼女をなでてから立ち上がり、村長さんの後を追う。廊下を進んだ突き当りを右に曲がり、そこから二番目の部屋の前で俺たちは止まった。ここがリアの部屋らしい。

 

「さ、ここです。ベッドに寝かせてあげてください」

「では、寝かせてからそっちに行きます。アクアたちを少し見てやってください」

 

 わかりました、と言って彼女は廊下の奥へと消えた。


 わざわざ俺とリアの二人だけになった理由。それは彼女の右手に持った花だ。彼女がプレゼントするために摘んだ花を村長さんに見せないようにするために、俺は村長さんに背中を向けないようにしていた。

 せっかくの孫からのサプライズだ。先にそれを知っていたらつまらない。リアだって、自分のおばあちゃんを驚かせるためなんだしな。

 

「失礼します、っと。これは……」

 

 ドアを開けて部屋に入る。薄暗い部屋の中に、紅の光が窓から差し込んでいる。その光で照らし出された壁を見て、思わず感嘆の息が漏れる。

 

「本当に、おばあちゃん子なんだな…………」

 

 壁には絵がたくさん飾られていた。幼い少女の描いた絵の数々。それらに描かれているのは、ほとんどが羊耳のおばあさんと狼耳の少女。すごく上手というわけではない。でも、彼女の気持ちが詰まった絵だ。

 二人がニコニコと笑っている絵、少女がおばあさんの頭に花の冠を乗せている絵、二人が仲良く食事を楽しんでいる絵。幸せな日常を描いたそのどれもが、彼女の想いの強さを雄弁に語っていた。彼女はおばあさんが好きで好きで仕方がないのだろう。

 壁の絵を全て見てから、俺は彼女をベッドに優しく寝かせた。それから右手の花をとって布団を掛けてあげたところ、指を掴まれた。 


「んん……おばあちゃん……大好き……えへへ」

 

 むにゃむにゃと寝言を言う彼女は微笑んでいた。ゆっくりと手をほどいて、俺は静かにベッドから離れた。


「ごめんな。俺はおばあちゃんじゃないんだ」


 微笑して、花を部屋の中にあった花瓶に()してから、俺は部屋を後にした。

 

 リアの絵は暖かい。思い浮かべるだけで、胸の奥が、心がじんわりと温かくなる。ああいう絵を描くことは、大人はもちろん、高校生にだってできないだろう。

 子供だけにしかない純粋な心を持っているからこそ、自分の思ったことをありのままに表現できる。穢れのない澄んだ心、好奇心旺盛で何事にも興味を持つ感性、そして社会という汚さを視界に捉えたことのない瞳。これらの要因こそが、子供が子供である理由なのかもしれない。

 子供ってのは本当に不思議だ。彼女たちの瞳に映る景色は、どんな色をしているのだろう。


「俺も……できたらいいのにな……」


 自分の気持ち、そのとき見た風景、大好きな人。それらを上手く表すことなんて、俺には到底不可能だ。心の奥底にある気持ちやその瞬間に感じた想い。表面上を取り繕ってそれを表すことは可能だが、心の底からそれを表すことは絶対にできない。


 たった一言(ひとこと)


 その想いを込めた一言というのは、信じられないほどに重い。口に出そうとすれば、それは喉で引っかかってしまう。それを飲み込んでしまえば、今度は胸の奥につっかえる。それが、どうしようもなく苦しい。吐き出せないその想いは、どんどんその大きさを増して俺の胸を締め付ける。

 胸に抱いた想いは苦しいけれど、その想いは同時に、俺の奥底を温めてくれる。


「やっぱり、感情ってのは難しいもんだ……」


 暗く、肌寒い廊下を一人で歩く。先ほどは感じられなかった寒さだ。だが、嫌いじゃない。

 腰に差した愛刀も、俺の胸も、ほんのりとした温かさを感じられた。

 




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