『高山の村リオルド』
皆さんいかがお過ごしでしょうか! どうも、服部八雲です!
俺? もうね、ヒャッハーだよヒャッハー。まぁ、見とけ。俺の本気を。
獣人ってあれですよね! 可愛い耳があって、さらにふにふにと動く尻尾もあるんですよね!
それって素晴らしい! 頭なでなでして耳さわって尻尾がふりふりですよね! つまりあれだよ!
世界は可愛いで構築されているんだよわかったかこの野郎!
こんな感じ。
……ごめん嘘ついた。真実を話そうじゃないか。ってか、俺は誰に向かって話してるんだろう? いや、気にしたら負けだ。
実のところ、すでに俺たちは『高山の村リオルド』に着いていた。
標高はそこまで高いわけではなく、息苦しさは感じられない。山の麓には色とりどりの花が一面に咲き誇っている。観光名所にもなれそうなほどだ。
そして、村の入り口からは『漁師町ルカ』やその先に広がる海、通ってきた道をも一望できた。
村へ入ると、お爺さんお婆さんが俺たちを歓迎してくれた。“お爺さんとお婆さんだけ”、ここ重要な。
村内の住民は百人ほどで、そのほとんどが老齢の方々だ。若者たちは王都――魔王城の城下町の方へ行ってしまっているらしい。所謂過疎地域だ。
子供に教育を受けさせたいものや、出稼ぎに行くもの、夢を追うものたちは皆王都に行ったとのことだ。嘆かわしいことである。田舎には田舎の良さがあるのにな。
きっと、王都に行ったものたちもいずれ気づくだろう。都会の喧騒に包まれるよりも、自然豊かな田舎でゆったりと過ごす方がはるかに幸せであることに。
「ようこそ。申し訳ありませんが……この村には宿はありません。ですから、魔獣車の中で寝泊まりしていただくことになるのですが……」
「いえいえ、気になさることはないですぞ。我々は旅のもの。こうして気に掛けていただけるだけでもありがたい」
申し訳なさそうに話す羊耳のお婆さんに、竜王が対応する。
どうやらこのお婆さんはこの村の村長らしい。とは言うものの、この村ではすべてのことを村民全員で決めているようなので実質的な権限はないようだ。
「代わりと言ってはなんですが、今晩は私の家にぜひいらっしゃってください。きっと孫も喜びます」
「お孫さんがいるのですか? 実はうちにもいまして、ほらこの子です。名前はイーナ。私の可愛い可愛い孫娘ですよ」
「……こんにちは。イーナです。十二歳です」
紹介されたイーナは少し戸惑っていたが、しっかり自己紹介ができた。
「あらあら、偉いわねぇ。私の孫より少しお姉さんなのね。仲良くしてあげて?」
「……もちろんです」
ふふふ、と笑って、お婆さんはイーナの頭をなでる。
いきなりのことで驚いたようだが、イーナは気持ちよさそうに目を瞑った。
その後、俺たちは自己紹介を済ませ、各自解散した。
竜王はそのままお婆さんと世間話、イーナとアクアはお孫さんに会いに行った。
アリスはどこに行こうか迷っているらしかったので、俺は彼女に声を掛けた。
「なぁアリス。ちょっと手合せしてくれ」
突然の俺の提案に、彼女はきょとんとした顔になる。
人差し指を唇に当てる仕草はあざとさを感じるが、これで素なんだよなぁ。
「その、なんだ……。アリスの本気と勝負したらどうなるのかを知りたいだけだ」
「……あぁ。そういうことなら是非。私も体を動かしておきたいですからね」
理由を話すと、アリスは快諾してくれた。
確かに彼女も体を動かさねばなるまい。食べてばかりだと太ってしまうからな。
「八雲さん……今失礼なこと考えてましたね?」
「えっ、い、いやお前何言っちゃってんの? べべ、別にそんなこと考えてないっつの!」
「顔に出てるんですよ八雲さんは。……全く、次はないですからね?」
「……はい。すいませんでした……」
俺のポーカーフェイスは通用しないようだ。というか、顔に出てるってなんだよ。俺そんなに悪い顔してたのか?
歩きながら考えていると、アリスが俺を見て、くすりと笑みを零した。
「考え事したって無駄ですよ? ほら、早く行きましょうよ!」
「……それもそうだな。んじゃ、いくか」
できるだけ平地を探そうと歩いていると、ちょうどいい感じに開けた場所があった。周りに木などの障害物もない、しかし、崖に近い場所だ。
まぁ、崖から落ちても“空歩”があれば大丈夫だからな。心配はいらない。
「この辺りならいいだろ? あ、そうそう。今回は攻撃魔法はなしだ」
「ええ、いいですよ。私の本気、見せてあげます」
アリスが目を閉じる。その瞬間、彼女の纏う雰囲気が変わった。
静かな中にも、ひしひしとその戦意が伝わってきている。
「ムラサメ。頼むぞ」
『わかってるよ主人』
愛刀を構えて、深く息を吐く。
森の間を通り抜けてきた緩やかな風がアリスの髪をさらさらとなびかせる。
彼女は目を開くと、真っ直ぐ俺に飛び込んできた。
すかさずムラサメで聖剣に対応する。そのまま剣戟が続く。
彼女の剣は重く、そして速い。
このままじゃ防戦一方だ。埒が明かない!
機を窺いながら、刀と剣を打ち合わせる。
ここだ!
彼女の剣に一瞬の隙ができたところに、すかさず俺はムラサメで聖剣を上に弾く。
驚いた表情のアリスの脇腹に渾身の回し蹴りを入れようとしたが、聖剣で防がれた。
それでも、体勢を立て直すには充分だ。
「今度はこっちからだ!」
上段からムラサメを振り下ろす。アリスは器用に身を捻って躱した。
甲高い金属音が耳に響く。
振り下ろし、横薙ぎ、斬り上げ。どうやっても、ことごとく防がれ、躱される。
アリスは空中へと逃げた。
俺の出せる最高速度で追撃を図る。が、突きを放った剣は風切り音だけを残した。
どこに行った!?
“魔力感知”を使う。魔力の残滓を目の前と背後に感じた。左肩の上からムラサメを通し、首の左側を守る。
すると、左耳にキン、という音が響いた。
「よし!」
そのまま剣の勢いを上に逸らす。一旦距離をおいてから振り向くと、案の定アリスは少し動揺していた。
今の隙に、と一撃を入れようとした。そのとき、アリスの背後の崖に小さな何かが見えた。それが何かを確認した俺は叫んだ。
「ストップだアリス!」
間抜けな顔をするアリスを無視して、“迅速”と“空歩”をフル稼働し、空中を駆ける。
崖から落ちそうになっているのは少女だ。彼女は必死に岩を掴んで助けを呼んでいた。
俺と少女の距離は五十メートルほど。
とうとう少女は力尽きて、その腕を離してしまった。
崖と地面の高低差は十メートルあるかないか。ほんの数秒で、少女は地面に接触してしまうだろう。
もっと速くだ! もっと!
スピードを上げるにつれて、全身に痛みが走っていく。俺の体は悲鳴を上げているが、そんなのは関係ない。
「間に合えぇぇええ!」
間一髪、彼女と地面の間に滑り込む。俺は彼女を守るように抱え込み、体勢を反転させて崖側に背中を向けた。
耐久力を落とした“聖壁”を背後に何重も張り、その速度を少しでも緩和させようと試みる。
が、勢いはほとんど止まらず、そのまま崖へと突っ込んだ。
背中に大きな衝撃が走り、轟音が響く。
俺の体は崖下の岩を破壊していく。全身の骨が軋む音と、岩の砕ける大きな音がする。
数秒ほどで俺たちは止まった。目を開けると、そこは広い空間だった。
腕の中の女の子は気絶している。目立った外傷はない。穏やかな寝顔だ。アクアと同じくらいの歳に見える。
「よかった……」
そのまま立ち上がろうとすると、全身が動かなかった。
どうやら何か所もの骨が折れているようだ。そのことに気づいた瞬間、激痛が体を襲う。
「痛ッ! ……このまま俺も気絶しておけばよかったのにな。無駄に頑丈な体だ……」
いや、頑丈じゃなかったら死ぬな。それに、この子も守れなかっただろうし。
そう思うと、幾分か気が楽になった。かなりの衝撃だったのに、骨折だけなのが信じられない。
それにしても、人間ってのは不思議なもんだ。思い込みで痛みを覚えることがあれば、思い込みで痛みを和らげることだってできる。
思い込みの痛みってのは、幻肢痛などがいい例だ。痛みを和らげるのはあれだ。「痛いの痛いの飛んでけ~」ってやるやつだな。アクアにやってもらえたら、俺は今から音速で走れる気がする。服が燃えちゃうなそれ。
とにかく、思い込みというものは良くも悪くも恐ろしいものだ。自信を持つ、という行為がその代表例と言ってもいい。
自分は強いという念を抱けばその分実力を引き出せる。反対に、自分は弱いという念を抱けばその分実力は引き出せない。
結局、人間ってのは自己暗示と自己保身をしながら生きていく。
だから、環境に優しいと銘打った商品を買えば、自分も環境保全に貢献した気分に浸れる。その実、しっかりとしたゴミの分別をしていないという面も持ち合わせているのに。
勝手に動物たちの住処を破壊したくせに、自分たちの生きる環境が危うくなれば進んで自然を大事にしようと言う。
絶滅危惧種を保護しようとする団体はたくさんいるし、彼らは自分たちが正しいと思っているだろう。確かに、俺たちの価値観で言えばその行動は善行だ。尊敬するし、素晴らしいことだと思う。
だが、それはあくまで俺たちの価値観だ。
逆の立場で考えてみると俺たちは紛れもない略奪者だ。牧場のように、理不尽に生命を成育させてはそれを刈り取る。
そう考えると保護、保全、という言葉は便利だ。自分たちの行為を正当化できる。しかし、そこには幾つもの問題が浮上する。
例えば、その個体数が増えたら、という問題だ。その個体数が増えたら俺たちはどうするのか。再び放置して、その数を減らすのか。それとも、保護を続けるというのか。
「減少を避けて、今のまま保護するべきだ!」と唱える者は少なからずいるだろう。
ならば俺は、敢えて問おう。保護した動物の増殖によって他の動物の個体数が減ったらどうするんだ? アンタらはその他の動物の保護もできるのか? と。
俺たちは自然のあるべき姿に手を加えてしまった。その時点で歯車は外れ、ネジが飛び、“自然”という構造は狂い始めているのだ。
まぁ、これは俺の持論だし。極論とも言えるだろうけど。なんか捻くれてんな俺。
「って、何で今こんなこと考えてんだ俺は。痛みは和らいだけど……」
全く、自分の哲学的思考にほれぼれしちまうよ。俺に惚れたら……火傷するぜ? ハードボイルドだろぅ?
某お笑い芸人さん……最近見ないよなぁ。まぁ、見ることができないわけだが。
なんて考えていると、心配そうなアリスの声が洞窟内に木霊した。
「八雲さ~ん! 大丈夫ですか~!」
「ああ、ここだ……」
「よかった~。いきなりどうしたのかと思いましたよ……。はいこれ、飲んでください」
「……ありがとう」
瓢箪を受け取り、腕の中の少女の口に含ませる。小さな喉をこくりと鳴らして彼女は水を飲みこんだ。
痛がっている素振りもないし、切り傷も治った。これで一先ず大丈夫だろう。
彼女の口から瓢箪を離して、そのまま俺も水を呷る。すると、ベキベキという音を立てながら骨が治った。今の音だけで交響曲演奏できそうだな。
脳内で有名音楽家の交響曲を流していると、アリスが喚いた。
「あわわわわ……。まさか、そこまで変態だったとは……!」
「あん? 何が?」
アリスは左手を口元に当てながら、瓢箪を指さしている。
何か拙いことがあるのか? ていうか、そこまでってなんだそこまでって。俺が変態というのが前提じゃねえか。
内心で俺は不満を述べるが、完全に否定することもできないのが歯がゆいところだ。それだけの前科があるからな。
「小さい女の子と間接キスしようだなんて……!」
小さい子との間接キスなんかどうでもいいだろうに。
慌てたような彼女の発言に、俺はあきれてしまった。
「はぁ? そんなもん気にしてられるか。この子の内臓にダメージがあったら大変だから先に飲ませただけだ」
「で、でも……八雲さんってその……」
言葉を濁すアリス。目を泳がせながら指を突き合わせている。
「俺が何なの?」
「その……幼女好きと言いますか……そういった趣味なんですよね?」
待て待て、今何て言った? 俺がロリコン? そんなことはないのだが……。
なぜそう判断されたのか。自分の今までを振り返ってみる。
…………俺、ロリコンに見えても仕方ないかもしれない。この子も小さいしな。というか、幼女だ。
俺的には妹や娘を愛でるくらいの気持ちだったんだが……確かにロリコンと言われてもおかしくはない……かも。
とりあえず、誤解だけは解かないと。俺の名誉に関わることだ。え? 既にボロボロだって? 人が気にしてることを言うんじゃない!
と、どこかの誰かにツッコミを入れてから、アリスに向き合う。
「生憎と、俺はそんな趣味は持ち合わせていない。ただアクアやイーナを可愛がっているだけだ。恋愛対象には入っていない」
そう言い放つと、彼女はポカンと惚けた表情を見せた。
「へ? そうなんですか? 私てっきり危ない人かと思いましたよ~」
「ていうか、なんでお前はそんなこと考えてたんだ?」
「い、いやあれですよ? そうです! アクアちゃんたちに被害が行かないようにするためですよ!」
身振り手振りをしながらアリスは弁明した。身振り手振りというより、ただ慌てているようにも見えるが。
まぁ、それはもういい。ここを出てこの子を村に連れていかないとな。この洞窟が崩落することはないと思うが、村には彼女を心配する人もいるだろう。
そういえば、この子には狼のような耳と尻尾がついているが……人間と同じ耳もある。なぜだか知らんが、両方ついている。たしか村長は羊耳だけで、人間の耳はなかったはずだ。
理由は村に戻ったら聞いてみることにしよう。竜王辺りなら詳しそうだ。進化の研究とかしてるし。
「ここを出るぞアリス」
少女を抱えたまま立ち上がり、外へと歩き出す。
痛みは消えているのだが、足を前に出すたびに腰に違和感を感じる。もしや……ヘルニア!? いや、それはないか。この痛みは寝れば治るだろうし。
アリスが着いてこないことに気づき、少し進んだところで立ち止まる。振り返ると、そこに立っていた彼女――アリスはじっと上を見ていた。
「アリス? 何を見てるんだ?」
彼女の隣に立って見上げると、そこには宝石がちりばめられていた。いや、宝石ではないが、確かにその天井には色とりどりに光を放つ石があった。おそらく高純度の魔石だろう。
赤、青、緑、紫……
多彩な輝きを放つ魔石の数々は、天井と壁一面に幻想的な光景を演出している。暗がりの中で悠然と輝く魔石の数々は、宵闇に浮かぶ星々の瞬きを錯覚させるほどだ。
それらは個々の主張が激しいにもかかわらず、それぞれの煌めきを邪魔することはない。むしろ調和のとれた絵画のようで、気品すら感じられる。
「これは……すごいな……」
思わず溜息を吐いてしまう。それは感嘆によるものだ。
静寂に包まれた洞窟内に、俺とアリスの声が響く。
「……はい……とても……綺麗です」
俺も彼女も、この光景に魅せられていた。吸い込まれるような優美さを含んだその一枚は、俺たちに道を示しているようにも思える。
ふと隣を見ると、アリスは涙を流していた。俺の視線に気づいた彼女は、袖で涙を拭ってから儚げな笑顔を見せた。
「えへへ……なんか、涙が出ちゃいました……なんででしょうね……?」
彼女の笑みを見て、思う。
そういえば、アリスは今どんな気持ちでここに立っているのだろう。
彼女の身内はすでにいない。いや、血筋が絶えたわけではないが、その中に彼女の知る者はいない。そして俺も、この世界には家族がいない。
俺たちの境遇は似ているようで似ていない。いきなり家族と引き離された俺とは違って、彼女は実の父親に捨てられたのだ。その精神的ショックは少なくないはず。なのに、彼女は笑顔を絶やさない。
それがもしも、もしも壊れてしまわないためならば、彼女は俺と同じなのかもしれない。俺だって、普段は明るく陽気に振る舞っていないと壊れて狂ってしまいそうだ。
ならば、俺と彼女は似ているのかもしれない。境遇は似ていなくとも、心中は同じなのかもしれない。
そう考えるだけで、隣で立っているアリスに親近感を覚えた。それと同時に、彼女のことを見ていたら、なぜか胸が締め付けられるような苦しさを感じた。
「……もう少しだけ、ここにいるか」
不意に、そう言ってしまった。もう少しだけでも彼女と共に、この光景、この時間を共有したいと思ってしまった。
内心、不安に思う気持ちを抑えながらアリスの横顔を覗く。
彼女はこちらを見ることなく、瞳を潤ませながらゆっくりと頷いた。
それから俺たちは、ずっとその幻想を見ていた。永遠にも感じられる時間の中に、俺たちは存在していた。
本当に小さなものだけど、いつまで続くかはわからないけれど、それは確かに一つの幸せだった。
俺たちは今、ここにいる。
そう思うだけで、涙が出そうになる。
今ここに立てているのはアリスやアクア、竜王やイーナのお蔭だ。
アクアと出会い、アリスに助けられ、イーナに慰めてもらった。竜王は俺という一人の存在を認めてくれた。
この世界では、彼女たちが俺にとっての居場所であり、俺の“家族”だ。そう思ったって、誰も咎めはしないだろう。
「家族……か」
アリスには届かないような小さな声でポツリとつぶやく。顔を伏せて、俺は思いを巡らせた。
その言葉は暖かく、そして冷たい。“今”の家族を想えば胸はぽかぽかと暖かみを増す。しかし、一度“本当”の家族を想えば、胸は寂しさに冷たくなる。
“家族”という言葉にはどれほどの意味が詰まっているのだろう。どれだけの想いが詰まっているのだろう。
人によっては宝物だと言うだろうし、もしかしたら消えて欲しい存在と言うかもしれない。
なら、俺にとっての“家族”とは?
————それはきっと、“守るべき存在”だ。
果たして俺は、“家族”を守ることができるだろうか。俺の前に道は、未来はあるのだろうか。
一抹の不安を抱いて見上げると、やはりそこには変わらない輝きがあった。