勇者サイド 『裏切り』
ザイクたちが洞窟の奥へと進み始めて約二時間ほどが経った。その間、魔物は一体もいなかったので、全員どこか不思議に思っている。
「団長。もしかすると、この洞窟は大型の魔物の住処なのでは?」
「……ああ。俺もそう考えていたところだ」
「警戒を強めましょう。いきなり襲われたりしたら拙いでしょうし」
ザイクは麗華の提案に頷き、歩くスピードを落とした。周囲にもっと注意するためだ。
二人の雰囲気が変わったことで、他の四人もそれを察したのか口数が減った。
「……え? ……うん。ありがとう」
「愛華ちゃん? どうしたの?」
「この先に水があるって精霊さんが教えてくれたの!」
「水っすか! 補給しといた方がいいっすね!」
「そうだな。そこで一旦休憩しようか」
「よっしゃぁ! 俺もう歩くの疲れてたんだよな!」
「あともう少しだ。頑張れ」
ニカッと白い歯を見せて笑う拓哉にザイクは苦笑した。みんな疲れていることを敢えて口に出さないようにしていたのに、拓哉はそれを平然と言ったからだ。
そのまま歩き続けていくと、湖のある広い場所に着いた。湖の真上の天井には大きな穴が空いていて、そこからは眩しいほどの光が射しこんでいる。さらに湖に反射した光が幻想的な光景を作り出していて、愛華たちはしばし見惚れていた。
奥の通路から吹く風が水面を揺らし、小さな波ができている。しかし、その波はだんだんと大きくなり始めた。上から強い風が吹いて来ている。
「オイオイ、嘘だろ……?」
「そのまさか……みたいっすね。みなさん、来るっすよ!」
クルトの叫びとともに天井の大穴からゆっくりと飛竜が降下してきた。竜の身体は緑色でその翼が創りだす風は強く、大人を容易に吹き飛ばすほどのものだ。その強風にザイクたちは倒れないよう踏ん張って、なんとか持ちこたえた。
竜の名は緑嵐竜ウィンブラスト。竜種の中でも上位に位置する竜だ。しかしその性格は温厚で非生産的な戦闘はあまりせず、狩りのとき以外は巣でおとなしくしているという珍しい竜だ。
今ザイクたちの目の前にいるウィンブラストも狩りを終えた後のようで、その鋭く獰猛な牙は大猪ルボアレグの硬質化した皮膚を貫いている。
「な、何なんですかこの竜は!?」
「こいつは一体……」
蘭が叫び、拓哉は呟く。二人の額には汗が滲んでいた。
二人が驚くのも無理はない。ウィンブラストは彼らが狩ったことのある竜とは別格の強さを持つため、その威圧感も今までの魔物とは比べ物にならないからだ。
「落ち着け。今の俺たちじゃ敵わない相手だ。刺激するんじゃないぞ……。ゆっくり下がるんだ……」
「は、はい……きゃっ!」
ウィンブラストの双眸が転んだ愛華を射抜いた。愛華は怯えきって一種の恐慌状態に陥ってしまっている。しかし、ウィンブラストは数秒愛華を見つめると、ザイクたちの前を横切って奥の方へと歩き出した。
ザイクは安堵の溜息をもらし、ウィンブラストの進む方向へと視線を向ける。ウィンブラストが向かった方には、親を呼んで鳴く竜の雛がいた。心なしか雛を見つめるウィンブラストの瞳には慈愛の色が見える。
「大丈夫愛華!? 怪我はない?」
「う、うん。大丈夫……でも、腰が抜けちゃって……」
「もう……心配したんだから」
「ありがとう麗華ちゃん。それより、あの竜は?」
「……わからない。が、この島では王者に君臨するほどかもしれんな」
ザイクは内心焦っていた。そして、竜は自分たちを脅威とも認識せずに放置したことに驚愕した。
「とりあえず、先を急ごう。敵と認識されたら俺らはすぐにあの世行きだ」
全員が頷く。麗華と蘭は愛華に肩を貸し、ゆっくりと歩き出す。やはりウィンブラストにとってはザイクたちなど路傍の石にしかすぎないようで、一瞥もしない。
「待って。あの雛、怪我してる」
雛の小さな翼には裂けている箇所があった。流血はしていないが、安定して飛べなくなってしまいそうだ。
「ごめんなさい、少しだけ魔法をかけさせて? 絶対に治すから」
愛華がウィンブラストに頭を下げた。ウィンブラストは逡巡したのち、雛を守るようにしていた翼をどかして鼻をならした。
許可が出たことで、愛華は嬉しそうに顔を緩ませた。
「じゃあ、いくよ。“精霊の恵み”」
初級の治癒魔法だが、それでも治癒士である愛華が使えばその効果は中級クラスにも匹敵する。
愛華がかざした両手から優しげな光が溢れ、雛の片翼を包み込んだ。光は裂傷をだんだんと塞いでいき、最終的には傷は見えなくなった。
「これで大丈夫!」
「全く、愛華ったら……お人好しね」
「本当だね! まさか竜の赤ちゃんを治すなんて!」
「あはは……ありがとう麗華ちゃん、蘭ちゃん」
(でも、あのときの竜も……ううん、今は考えてるときじゃない!)
愛華は思考を振り払い、乾いた笑みを浮かべた。
「グルゥ……」
「なんだ!?」
拓哉が警戒して戦闘態勢に入るが、ウィンブラストはその巨躯をかがめただけだった。
ウィンブラストは愛華を見て、首をちょいちょいと動かした。
「もしかして……乗せてくれるの?」
ウィンブラストは静かに頷く。借りは作りたくないのだろう、「早く背中に乗れ」と言わんばかりに首を動かして愛華たちを促す。
「ザイクさん、乗せてもらいましょう!」
「し、しかし……」
「いいじゃないっすか! 善意は貰っとかないと!」
「善意ではないと思いますが……」
「細かいことはいいんすよ! ほら、乗せてもらいましょう!」
「あ、ああ。わかったから、押すなクルト!」
クルトに押されるがままにウィンブラストへ近寄ると、ウィンブラストはその大きな口でザイクをつまみ、背中へと乗せた。
終始慌てていたザイクを見て全員声を上げて笑う。さきほどまでの警戒もどこかへ行ってしまったようだ。
全員を乗せ終わると、ウィンブラストはゆっくりと翼をはためかせて上昇を始めた。本来ならばもっとスピードを上げることもできるのだが、ザイクたちに配慮しているらしい。そのまま大穴を抜け、真っ青な空を駆けあがる。
「おお! すっげえな! 俺たち空飛んでるぜ!」
「まあ、飛んでいるのは私たちではなくこの竜なのだけれどね」
「それでもすごいよ! ね、愛華ちゃん?」
「う、うん……。すごいね……」
彼女は高所恐怖症らしい。蘭に同意する彼女の顔は引きつり、青ざめていた。
そんなことはウィンブラストに関係ない。お礼にと景色を見せるために大きく旋回を始めたのだが、愛華からすればジェットコースターよりも怖いわけで、彼女はもはや失神寸前だ。
「愛華!? あ、そういえば高所恐怖症の絶叫マシン嫌いだったわね……」
「ああ……小学校の時遊園地で無理して乗った後はトイレに駆け込んでたな……」
「なんかよくわかんないっすけど。災難っすね愛華さん……」
「うぅ、も、もうだめ……」
「愛華、愛華! 頑張って! 竜さん、下ろしてください!」
治癒魔法というのは基本的に自分には掛けることができない。あくまでも自分の魔力を相手に流し込んで傷を癒したり、相手の回復力を高める魔法なのだ。
ウィンブラストも愛華の容態を察したのか、急降下を始めた。しかし、逆効果である。ジェットコースター並の速度でフリーフォールなど、高所恐怖症にはあまりにも酷だ。
「うっ、ち、治癒魔法を……」
「お客様の中に治癒魔法を使える方はいらっしゃいませんか!?」
「麗華ちゃん……コントにしか見えないよ……」
蘭の指摘も彼女の耳には届かない。麗華はこれで一応パニック状態なのだ。
そこで、拓哉は苦笑いしつつ説明をする。
「麗華は混乱するとこうなるんだ。まあ、そのうち戻るだろ」
「なんか……意外だね」
「俺は小学校のころから見てきてるからな。慣れたもんだ……」
どこか達観したような目で拓哉は言った。
一方で、ザイクは子供のようにはしゃいで「ヒャッホー! 俺は空を飛んでいるぞぉぉおー!」とか叫んでいたのは敢えて触れないでおこう。
♢ ♦ ♢ ♦
密林エリアに下ろされた後、愛華は麗華や蘭の励ましもあって、なんとか胃から込みあがってくるものを抑えた。
それを見ていたクルトは安堵したが、拓哉の表情はまるで子供を見守る父親のようだった。ザイクは目に見えて落ち込んでいた。
「あ、ありがとう……うぷっ、ございました……」
「ほら愛華、大丈夫? もう、だから酔い止めは事前に飲んでおくようにって言ったのよ」
「麗華ちゃんそれわざとだよね? もうそれわざとだよね!?」
いつもはボケの立場である蘭がツッコむ。麗華はわざとらしく演技してから小さく笑った。
それを見せられているウィンブラストは困惑気味だ。それどころか、申し訳ない気分になっているらしい。もっとも、何も悪くはないのだが。
「ありがとうございましたっす! 俺たちもそろそろ戻らないとダメっすよ。暗くなったら大変っすから」
「そうだな。すげえ楽しかったぜ、竜さん?」
「なんでそこで疑問形になるのよ……普通に言えばいいでしょうに」
「いやぁ、竜さんって恥ずかしくね? なんかおかしい感じするしさ」
拓哉が頬をポリポリと掻く。そんなとき、蘭がつぶやいた。
「別にいいと思うけどなー」
「確かに! おかしくはないよな! むしろ推奨するぜ!」
「手のひらを反すのが早いわね……。とにかく、私たちはもう戻ります。竜さん、本当にありがとうございました」
拓哉の態度にあきれつつも、麗華は軽く頭を下げた。ウィンブラストはそれを見て頷いた後、洞窟へと飛び立っていった。
「すごい貴重な体験をした気がするね……」
「う、うん……」
「団長、いつまで落ち込んでるっすか? そろそろ行くっすよ?」
「……ああ。そういえば、ここはどこだ?」
「「「「「……あ」」」」」
あろうことか、現在地がどの辺りなのかわかっていなかった。飛んでいる最中はそれぞれ、景色を楽しんだり、無邪気にはしゃいだり、酔ってダウンしたり、爽快感を味わっていたりしたからだ。
「……とりあえず歩くっすよ」
全員が頷く。こうして六人は再び歩き出した。
それから数時間は経っただろうか。陽は落ちる気配を未だ見せないが、どこまで歩いても拠点が見つからない。
吐き気が治まった愛華も、今度は疲労で辛いようだ。女子三人には数時間の徒歩移動はなかなか厳しいらしい。
ザイクたちが進もうとする方向ではいつもガサガサという音がしている。魔物との無駄な戦闘を控えるためにもザイクたちは何度も迂回してきている。
「あっ! あれ海じゃないの!?」
素っ頓狂な声を上げたのは蘭だ。彼女の指さす方向には確かに青色の海が見える。
それを見た全員が顔を綻ばせ、走り出した。
「キタ————! これで帰れる——!」
「海岸線を歩くんだね! ……歩きたくないなぁ」
ぼやく愛華だったが、一応ほっとしているようだ。
視界を狭めさせていた木々の間を抜け、海に辿り着いた——のだが、そこは断崖絶壁。砂浜はどこにもなく、ただ波が穏やかに立っているだけだった。
「オイ、嘘だろ……」
「嘘のわけじゃないですか。わざわざここまで誘導するのは大変でしたよ? まさか竜に乗るとは思いませんでしたしね」
どこからともなく気だるそうな男の声が聞こえた。ザイクたちは慌てて周囲を見回すが、誰も見当たらない。
「ここですよ。よいしょっと」
男が木の上から飛び降りてきた。ザイクにとってはもっとも信頼のおける者。クルトにとっては理想の先輩。愛華たちにとっては優しく、厳しい兄のような存在。
その男はザイクと同じ甲冑を身につけていた。
「な、お前……どうして……ここにいるんだ、セルグ……」
「なんでって……そりゃ、あなたたちを排除するためですよ?」
副団長のセルグが放った言葉は信じがたいものだった。