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旅路



 ここはどこだろう————。


『いやだ! 死にたくない! 助けてくれ!!』

『待ってろ! 絶対に助けてみせる!』


 死にたくない、と連呼する男とそれを助けようとする英雄のような風貌の男。俺は何故か宙に浮いて、その光景を見ていた。

 この英雄男は何か大きな魔物に対峙している。でも、俺には見えない。

 黒くてぼんやりとした黒い(もや)のようなものがゆらゆらと揺らめいているようにしか認識できないのだ。


『アガッ、死に、だぐ……な、い……』


 靄は捕らえていた男を串刺しにした。その瞬間に男は口から赤黒い塊を零し、白目を剥いて絶命する。

 

『————!! クソッ、よくも——を! 絶対に許さない!』


 英雄のような装備を身につけた男の知り合いだったらしい。英雄は激昂し、怒声を上げながら靄に飛びかかった。

 男が名前を叫んでいるはずなのになぜか俺の耳には届かない。どうしてだろう? そこだけが雑音に包まれている……。

 

 そう言えば、何で俺はこんな場面を見て正常でいられるのだろう? 人の“死”の現場を見ているというのに、何も湧かない。

 吐き気や嫌悪感、その他の負の感情が出てきてもおかしくはないのに……。どうしてだろう。


 俺はおかしいのか? いや、元からおかしいのだろうか? 拷問で? いや、車に跳ねられたとき?

 それとも、生まれたときから俺はおかしかったのか? 今の俺は誰だ? 本当にお前は服部八雲なのか?


 歯車が外れたような気がする。何か重要なピースが欠けている気がする。俺はどこか欠損しているのか?

 おかしい。人の痛みをどうとも思わないのか俺は?


「————!」


 何かが聞こえる。この声は俺でもなければ英雄風の男のものでもない。


「————さん!!」 


 女性の声だ。この場に女性はいないのだが————。

 その声をはっきりと認識した瞬間、眼前の風景は時間を止めた。英雄風の男が泣きながら黒い靄を両断したちょうどその瞬間だった。


 男の周りには何もなかった。誰も、いなかった。

 耳に届く声が次第に大きくなるにつれて、視界がぼやけていく————。 


 

    ♢   ♦   ♢   ♦




「————八雲さん!!」

「——アリス、か?」

「……よかった。やっと目を覚ましてくれましたね」


 どうやら俺は眠っていたらしい。上半身を起こすと、アリスの心配そうな表情が目に入った。

 

「……何かあったのか?」

「いえ。ただ、八雲さんがうなされていたので。悪い夢でも見たんじゃないですか?」


 どうやら俺は知らぬ間に寝てしまっていたらしい。

 悪い夢……か。何やらそんな感じの夢を見たような気もするし、違うような気もする。


「そうか……。ありがとな」

「どういたしまして! あ、今はまだ夜ですから寝てていいんですよ?」

「……じゃあ、そうする」

「はい。おやすみなさい、今度こそいい夢を見れるといいですね!」


 そう言ってアリスは御者台の方へ向かった。


 

 俺の頭の中の霧はまだ晴れない。いや、もしかしたらずっと晴れないかもしれない。

 一冊の本について考える。『なにもない男』、この本が指し示すところに俺が求めている解があるのだろうか。

 何度考えても、あの本屋の詳細は蘇ってこない。それどころか、俺の侵入を拒絶するかのように頭痛がするようになった。


 ——アクアは本当に覚えていなかったのだろうか? 


 この可能性は否定しきれない。だが、どこまでも疑問のままだ。

 だからといって何度考えても、現状では俺の求める解は出てこないだろう。圧倒的に情報が足りなすぎる。


「……馬鹿か俺は。今はもう忘れろ。考えるのは情報がもっと集まってからでも遅くない」


 俺は次に起きたらいつも通りの俺でいなくてはならない。アリスたちにこれ以上迷惑を掛けたくはない。今でさえも、俺を気遣ってくれているのだ。


 竜王は確かに「面白そうだから」と言った。

 でも、本当にそれだけならば、今も御者台に座って寝る間を惜しんでまで進もうとはしないだろう。

 他にも、アリスはその親切心で、アクアは俺を慕ってついて来てくれている。

 

 彼らに心配を掛けてばかりじゃ、大事なときに俺は頼ってもらえなくなりそうだ。

 そんなのはごめんだ。俺だってあいつらの力になってやりたい。支えてあげられる存在になりたい。

 だから俺は、いつも通りにならないと。


 そしていつか——。


 俺はそこまで考えてから、睡魔に身を(ゆだ)ねた。


 


    ♢   ♦   ♢   ♦


 

 朝日が目に染みる。朝になったようだ。

 俺たちは全員、魔獣車の中で寝泊まりをしている。俺以外はまだみんな寝ているようだ。

 俺はみんなを起こさないようにそーっと魔獣車を出る。その瞬間、寝ぼけたアリスの声が聞こえた。


「なにしているんでしゅか八雲さん! しょれは私のガルガルくんでしゅよ!!」

 

 まだ根に持ってたんだ……。結構食い意地張ってるなあ初代勇者さんは。


「ごめんな。これで許してくれ」


 俺は昨日買った髪飾りをアリスに着けた。ピンクの花をあしらった可愛らしいものだ。これを選んだ理由は単純に似合うと思ったからだ。


 べ、別にふわふわぽわぽわした色がアホには似合うとかじゃないぞ……?

 まあ、理由なんてのはどうでもいい。ただ、感謝の気持ちだけ伝わってくれたらそれでいい。

 アリスの金髪にピンクの髪飾りは色的にはあまり合ってはいなかったが、俺はこれでいいと思った。でも——


 「よだれ垂らすのはどうかと思うぜ……?」

 

 アリスのよだれを拭ってやる。勿論、アリスの袖で。俺のは新品だから! 無理!


 その後、俺は昨日買ったプレゼントをそれぞれのところに置いた。 

 アクアには穢れのない純白の髪飾り、イーナには深紅の髪に対照的な藍色の髪飾り、そして竜王には白い杖だ。

 アクアの傍に髪飾りを置き、イーナにはそっとつけておいた。竜王の傍に杖を置いてから魔獣車を出て、振り返る。


「いつもありがとう。お前らのおかげで俺はここまで来れたよ」


 もしこれで皆起きていたら俺の顔は本当に火を噴いていただろうな……。今でさえ顔が熱を帯びているんだから。

 魔獣車から離れ、森の中へと入る。


「ムラサメ、悪いが修行に付き合ってくれ」

『わかってるよ主人。強くなりたいんでしょ?』

「……すごいな。なんでわかるんだ?」

『……主人のことはなんでもわかってるから。ふふふふ』


 背筋が凍った。


 でも、言ってることは合ってる。俺はまだ弱い。ステータス云々よりも、経験が足りてない。

 ムラサメの扱いもまだきちんとこなせていない。今の俺を例えるなら、ライオンの牙をつけた猫だ。わかりづらい例えなのだが、俺としては的を射ていると思う。俺の実力にはムラサメの強さが見合っていない。宝の持ち腐れなのだ。


 強い刀を乱暴に振り回して勝てる相手だっているだろう。だが、それ以上の相手には勝てない。今のままでは五回に一回、いや、十回に一回アリスに勝てるか勝てないかが関の山だ。

 とにかく、修行は必須だ。アリスとの実戦訓練はしたが、基礎をマスターしたわけではない。

 まずは刀の振る時の動作。ここで無駄な動きがあるのはいけない。

 

 考えながらしばらく歩くと、川が見えた。ここなら大丈夫だろう。森の中で木を切り倒して行ったら煩くなるからな。

 ムラサメを鞘から抜き、構える。黒の刀身に光が反射して、ムラサメは妖艶な紫色に煌めく。


「ムラサメ、俺はお前の力を最大限引き出したい。俺に、お前の扱い方を教えてくれ」

『……わかったよ。でも、私を扱うのは大変だよ?』

「承知の上だ。それでも、強くならないといけない気がするんだ」

『ふふ、やっぱり主人と私の相性は抜群だね……』


 ……それは違うと思う。でも、俺にとってムラサメは最高の刀だ。それは間違いない。

 俺は深呼吸し、重心を低くしてムラサメを構えた。


 俺は絶対に、強くなってみせる。


 ムラサメとの訓練が始まった。




 

「……いかんのう。この歳にもなると涙腺が弱まるわい」


 

 

    ♢   ♦   ♢   ♦



 二時間ほどの訓練を終えたあと、俺は倒れていた。

 ただ刀を振るう。たったこれだけのことがここまで大変だとは思っていなかった。予想以上の集中力を要するその一振りは、途轍もなく重い。


 川に向けて放つ全力の斬撃は川の底までもを大きく(えぐ)った。威力は申し分ない。

 しかし、これではダメなのだ。目標だけを斬ることができなければ強さとは言えない気がする。

 もし、仲間が人質に取られたとする。その時、俺は刀を振れるだろうか? ……答えはノーだ。今のままでは振れない。仲間ごと斬ることになってしまうからだ。


 アリスの剣は速く、精確だった。しかも、それは話をしている状態でのことだ。彼女が本気で集中したらどれほどの速さになるのだろう……。

 俺は先ほど十回に一回と思っていたが、それは間違いだな。正直、勝てない。確かにステータスの高さは俺の方が上だ。


 だが、所詮はステータス。斬られれば死ぬ。能力の最大値などを示すからといってそれが強さに直結するわけではない。

 ステータスを過信するものはすぐに死ぬ。それがこの世界だ。


 『強さ』とは何か。

 精神的なものだ、と言う人もいるだろうし、肉体的なものだ、と言う人もいるだろう。


 ここで俺が思うのは、両者だ。精神的な強さがあっても、死ねば意味を成さない。逆に、肉体的な強さがあっても精神的な強さがなければ、心が折れる。

 結局、両者は紙一重の違いしかないのだ。どちらかの不足は破滅を導く。この二つが揃ったときが本当に強くなれる瞬間だろう。


『主人、もう戻ろうよ。そろそろみんな起きてるはずだよ』


 ムラサメ、お前……鬼畜……?

 俺の体に対して随分とムチを打つねキミ……。これでもすごく疲れてるんだよ?

 だが、確かにそろそろ戻らないとな。これで誰かに知られたりしたら嫌だし。


『早く戻ろうよ~。私の手入れもしてよ~』

「はいはい、今戻るよ。手入れもちゃんとしてやるからさ」


 立ち上がろうとしたところ、俺の足の筋肉は軽い痙攣をおこした。

 え、足ガクガクなんだけど……。馬? 産まれたばかりの馬か俺は?

 ちょ、マジできつい。瓢箪持ってくればよかったわ。疲れが取れるかは知らんけど。


 俺は必死に歩いた。ムラサメを杖代わりに使ってやったよ。でもさ、なんか怖いんだよね……。


『私、主人のためなら何でもできるよ……主人に尽くすの……』

「あ、ありがとう……」


 怖いよね? これ怖いよね? 尽くす、って何? 下手したら命も差し出すとか言いそうだよこの子……。

 ムラサメの怖さと疲れで今にもその動きを止めそうな足に俺は鞭を打って帰った……。本当につらい。

 



    ♢   ♦   ♢   ♦


 

 俺は静かに魔獣車へ戻った。静かに、ばれないように、それとなく、そろりと戻った。はずなんだが……。


「……お兄ちゃん。これ、ありがとう」

「ごしゅじん! あくあかわいい~?」

「二人とも羨ましいです! 私にはないんですか!?」

 

 どうしてこうなった? なんでばれてるの? いや、ばれるのは当然なんだけどさ……。起きるの早くない?

 ……女神二人が可愛いから別にいいかな! 可愛いは正義!


 あとそこのアホ。鏡見とけ鏡。頭にお花咲いてるぞ? でも頭の中にはお花畑も広がってるかもしれないな!


「不思議そうな顔をしておるのう八雲」

「……竜王か? これをばらしたのは」

「そうじゃよ? ……いつもありがと——」

「やめて! それ以上言わないで!!」


 こ、こいつ……起きてやがったのか……。恥ずか死ぬからやめてくれ。

 何で俺がプレゼントを置いたときに起きないんだよ。性格悪いよ……。


「八雲さん! 私のプレゼントはどこですか!」

 

 頬ふくらませんな。お前はリスか? それともフグか? 

 というか鏡見ろよ……。あ、鏡ってないのか。

 

「ちょっと聖剣の刀身で自分の頭見てみろ。お花が咲いてるぞ?」

「……どういう意味ですか……?」

「そのまんまの意味だよ。深く考えすぎだ。俺はそんなにひどくないぞ?」

「……かなりひどいと思うんですけど」

 

 心外だなあ! ただ脳内お花畑とかアホの子と言っているだけじゃないかあ!

 ……だいぶひどいな俺。


「……それはともかく、一回見てみろ」

「ありすってびじんさんだね~」

「……アリスお姉ちゃん、綺麗」

「みんな嘘ついてるんでしょ……あれ? あれれ?」


 やっと気づいたのか……。アクアとイーナも言ってあげればいいのに。


「八雲さん! 私感動です! 初プレゼントですね……」

「お、おう。それはよかったな……」


 そんなに上目遣いするな! 頬染めんな! 勘違いしたらどうしてくれるんだ!

 金髪青目の美人が頬染めて上目遣いだぞ? 想像してみろ。……破壊力高いだろ?


「あ、竜王。杖の使い心地はどうだ?」

「うむ。なかなかじゃな。感謝しとるぞ八雲」


 よかった。正直、今の俺にとって竜王はおじいちゃんみたいな存在だからな。

 じいちゃんを大事に思う孫の優しさってやつだ。これで少しでも竜王の負担が軽減されることを祈る。

 微笑んでいると、足にフレアが飛びついてきた。可愛いやつめ。


「ごめんな。フレアにも今度なにか買ってあげるからな。許してくれ」


 屈んでフレアを抱き上げた途端に、フレアは顔に飛んできた。そのまま顔をペロペロと舐められる。なんだか犬っぽいな。


「ふふ、くすぐったいぞ。どうした? 遊びたいのか?」

 

 うん! と言わんばかりにフレアは顔を舐める。アクアとはまた違った元気の良さだ。

 健康第一、滋養強壮! なんかキャラメルっぽいな。久しぶりに食べたい……。

 いつか作ってやろう。確か砂糖を煮詰めるだけだ。あれ? これはカラメル? もうわかんねえよ……。


「……フレア、遊ぼうか……」

「いきなりテンションが下がったのう……」

「ふっ、夢ってのは遠くにあるから夢なんだぜ……」

「どうしたんじゃおぬし……」


 そ、夢は遠いから叶える価値があるってもんだ。

 人類は月が遠くにあったからこそ、宇宙を目指したんだよ。たぶんな。

 そういえば、不思議な点があるな……。


「竜王。なんで海を渡らないんだ? 海を渡っちまえばすぐに着くんじゃないのか?」

「一理ある。しかし、それは無理なんじゃ」

「どうしてだ?」

「海を渡ろうとすると、途中で霧が濃くなる海域がある。そこに入ったら、いくら真っ直ぐ進もうともいつの間にか戻ってしまうんじゃ」

「……そいつはまた不思議な現象だな。でも、なんでだ? 魔物はそこからも出てくるんだろう?」


 魔物や魚が出てこないはずがない。この世界にも回遊魚はいるだろう。

 もしかして、魔物の生まれる場所になっているのか? 魔素濃度が強すぎるから視認できる霧状になっているのかもしれない。


「答えは……わからん。ダンジョンを隠しているとも言われておるし、何かの呪いとも言われておる」

「……そうか。でも、何かはあるだろうな。魔物が出てくるんだから」

「そうじゃの。まあ今は気にすることではあるまい」

「ああ。そうだな……」

「よし、出発じゃ!」




 魔獣車に揺られること数十分。アクアとイーナは再び寄り添って寝ていた。寝る子は育つ!

 彼女たちの愛らしい寝顔を堪能してから、目を閉じて目的地について考える。

 

 俺たちの向かっている先は魔王城だ。

 魔王城に行き、アルス王国へと潜入することを伝えなければならない。

 それと、アリスの親友である魔王にも会ってみたい。まあ、アリスが会いたいと言っていたのが主な理由だが。


 だが、問題があった。俺たちが今いる場所は最西端とも言える辺境の地だ。そのため、最速のルートは大陸を突っ切ることなのだが……。

 途中にある火山——マグヌス活火山が噴火活動を始めてしまったらしい。だから、迂回路として北ルートか南ルートを通らねばならないのだ。


 総距離で言えば、北ルートが近い。だが北の大地は寒冷で、レフリ山脈と呼ばれる山もある。旅はかなり大変だろう。

 逆に、南ルートは遠い。さらに、南の大地は砂漠化が進んでいる。そのため、速度は遅くなる。こちらはこちらで大変だ。


 まあ、結果を言うと選んだのは北ルートだ。俺は安全第一に南ルートの方がいいと言ったんだが、みんなが反対した。


 竜王曰く、『ほ、ほらあれじゃ。南より北の方がいいじゃろ? つまりはそういうことじゃな!』

 つまり、どういうことだ? と、全く話の筋が見えなかった。アリスもイーナにも聞いたのだが、返答は竜王とほぼ同じだった。

 こいつら絶対何か隠してる、と思った俺はアクアに聞いた。すると、予想外の理由が返ってきた。

 

『あのね、みんなあついのやなんだって!』


 それならば普通に言ってくれればよかったのに……と思ったのだが、彼らは恥ずかしかったらしい。

 何が恥ずかしいのか全くわからないが、確かに暑さよりは寒さの方が対策は取りやすい。ただ、南ルートだったらちょっといいことあっただろうな……。

 若干の悔いを残しつつ、俺たちは北へと向かう。目指すは獣人の村――『高山の村リオルド』。


 何だかワクワクするね! 獣人だぜ獣人! 獣耳だぜ? こいつは興奮するしかないだろうよ!! ヒャッハーー!

 と心の中で世紀末風に叫んでいると、魔獣車が止まった。

 

「八雲、魔物じゃ」

「えっ。……強いの?」

「大丈夫じゃよ。大猪ルボアレグじゃ」


 なんか強そうじゃないその名前……? 

 でも、俺はもっと経験を積む必要があるからな。魔獣車から飛び出した俺が見たのは猪というより装甲車だった……。


「オイ竜王。あいつすげえ硬そうなんだけど」

「……ぐっどらっくじゃ八雲」

「……無駄にいい笑顔ありがとう」


 白髪で皺くちゃなおじいさんが長い白鬚(しろひげ)をたくわえて親指を立てるその姿は、どこかのプレゼント配りを生業(なりわい)としたあの人に似ていた。

 本物は見たことないけどな。なんとなくのイメージだ。雪山に行ったら赤い服買ってあげよう。還暦の意味も込めて。還暦の十倍以上生きてると思うけどな。


「お前……本当に猪なの!? なんか鋼鉄っぽいのが体についてるよキミ!」

「ブルルルル……」


 返事が来るはずないよな。でも、本当に装甲車っぽい……。

 なんで牙の他に一本の角みたいなのついてるわけ? トリケラトプスか貴様。


「どうやって斬ればいいんだろう……。ムラサメ、斬れるか?」 

『主人の魔力を食べればもっと切れ味が増すよ』

「……わかった」

『あ、魔属性ね! 美味しいから!』

「……はいはい」

 

 魔力にも味ってあるんだなあ……。どんな味なんだろうか? 魔属性とかゲテモノの感じするんだが。

 というか、ムラサメってどんどん口調が変わってるよな? もしかして俺が原因?

 ……まあいい。ムラサメを使っての魔物との初戦闘だ。全力で斬ってやる。


「ムラサメ。俺は絶対にお前を使いこなしてみせる。だから、よろしくな」

『……私が主人の傍を離れるわけないでしょ』

「なんか頼もしいな」


 ムラサメの言葉は重いけれど、信頼できる。ヤンデレだからこそなのか? だからといってヤンデレを好きになったりはしないが。

 重心を低くして、猪の突撃に備える。


 「いくぞ、ムラサメ」





    ♢   ♦   ♢   ♦

 




 大猪ルボアレグを斬ったあと、俺は魔獣車の中で目を閉じていた。


 俺は今日、『いつも通り』をできていただろうか。『いつも通り』でいないと俺は壊れてしまう。

 やはり俺はどこかのネジが外れてしまっている。今まではアリスたちがいるから抑えられていた。でも、彼女たちがいなかったらどうなってしまうのだろう。

 頭の中の恐怖がどうしても拭いきれない。あのときの恐怖を受け入れることができていない。それどころか、ずっと一人でいたら狂ってしまいそうだ。殺意に乗っ取られてしまいそうになる。


 俺はこれからも『いつも通り』を続けられるだろうか……。

 アリスやアクアたちを傷つけるような奴が出てきたら、俺はそいつらを躊躇せずに殺してしまう気がする。

 そう考えるだけで、どす黒い感情が胸の奥で渦を巻き始めた。


 恐怖と殺意はいつも俺が一人(・・)の時間にやってくる。まるで俺が独り(・・)になる瞬間を狙っているかのようだ。

 いつまで俺は頭の中に巣食う化け物を飼い慣らせていられるのだろうか……。俺は彼女たちと一緒にいていいのだろうか……。


 いや、こんなことを考えていたらダメだ。その弱さに奴らは入り込んでくる。

 外の空気を吸おう。このまま中で考えていてもおかしくなりそうだ。 


「八雲さん? どこ行くんです?」

「御者台にな。ちょっと外の空気を吸いたいんだよ」

「さては、……酔いましたね?」

「……まあ、そんなところだ」


 本当に、酔っているだけならよかったのに。


 ご愁傷様です、と笑うアリスに軽く手を振ってから御者台へ移る。

 そこには、静かに手綱を持つ竜王がいた。俺はその横に座り、深く息を吸い込んだ。


「……あまり無理するでないぞ」

「……なんのことだ?」

「アリスたちはおぬしから離れたりはせんよ。もちろん、儂もじゃ」

「……そうかよ」

 

 竜王は微笑みを浮かべていた。俺はその顔を見て、突然泣きそうになってしまった。

 俺は安堵したのだ。そのことばを聞いて、心の底から安心できたのだ。


「……儂らはおぬしからは離れてやらんぞ?」

 

 幼子を諭すような口調で繰り返されるその言葉に、俺はなにも言えなかった。気を抜けば嗚咽が漏れてしまいそうだった。

 彼の言葉を聞くだけで、俺の目頭は熱くなってくる。


 そんな言いかた、ずるいだろう。……本当に、ずるい。

 俺はそっぽを向いて、ありがとう、とつぶやいた。もちろん竜王に聞こえないように。

 そこから俺たちは言葉を交わさなかった。外の空気は冷たいのに、なぜか御者台という空間だけは今もぽかぽかと暖かく感じられていた。



次からは勇者サイドに行こうと思います。

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