プロローグ
序盤は本当にテンプレです。
どんよりとした雲が空を覆い、今にも雨を降らせそうな雰囲気を醸し出している。
廊下の空気はいつもより冷たく感じるような気もした。しかしそんなこと、今の俺には関係ない。
だって今日は金曜日。ああ、なんて素晴らしき日だ! なんといっても明日からは休日。自宅でゴロゴロしながら猫と戯れ、昼寝ができる。さらに日曜の朝はアニメが見られる。何を見ているのかは察してくれ。
休日の素晴らしさについて考えながら教室のドアを開けて中へ入ると、全員が俺を見てきた。
もしかして俺って人気者? アイドルになっちゃう? そんなわけないですよね……。わかってましたよ、うん。だって睨まれてるもん。
女子はひそひそと話し始め、男子はチラチラとこちらを見る。
ハッハッハッ。みんなそんなに見つめるなよ。照れちゃうでしょ!! ……俺、気持ち悪っ!
時折自虐ネタを加えながら教室内を闊歩する。なんかこの表現って偉そうだな。
俺の席は一番後ろの窓側――――つまり隅っこだ。俺の存在もクラスメイトの中では隅っこだろうけど。
マイ席に座り、俺は日課の読書を始めた。ラノベって夢があっていいなあ。
でも、難聴系主人公は許せない。あいつらモテてる上に強かったりするんだぜ? なにそれずるい。
「おい服部。お前またラノベなんて読んでるのかよ。さすがキモオタだな~」
「どうせまた妄想ばっかりしてるんだろ~」
教室全体が嘲笑と侮蔑に包まれる。ああ、面倒だ。
ニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべて話しかけてきたのは同じクラスの中田仁と相馬武。
こいつらは素行不良、学業不振、性格最悪の奴らだ。毎朝馬鹿みたいに俺に絡んでくる。
まあ、暴力を振るわれないからまだいいのだが。中田は俺を貶めて自分の力が強いと周囲に誇示したいようだ。
多くの女子や男子も同様らしい。中には無言無表情を貫く奴もいるのだが、それはそれで怖い。
「ラノベでも読書に変わりはないだろ? 今読書中だから邪魔しないでもらえるかな」
「なんだと!? キモオタの分際で逆らうんじゃねえ!」
「そうだぞクソメガネ! 西條さんたちに話しかけられるからって調子のんなよ!」
俺は確かにオタクではあるが、容姿が極端に悪いわけではないし、コミュ障でもない。ただ何事にも消極的で、やる気がないだけだ。
一部を除いた他人の前では基本猫被ってるけど。いつもの口調で話すとあいつらすげえ怒るから。
と、軽く心の中で自己紹介を済ませたところで教室のドアが開き、爽やかボイスが聞こえた。
「おはようみんな。今日も一日頑張ろう!」
みなさんご覧ください! 光り輝くイケメンスマイルに女子生徒の大半はノックアウトです。
さらに、男子は嫉妬の目線ではなく、尊敬の眼差しで彼を見ています!
俺とは真逆の対応をするクラスメイトに理不尽さを感じながら、俺は広げたラノベのページをめくった。
イケメンとともに、教室に入ってきたのは美少女二人と男子一人。
一番最初に入ってきたイケメンが東條聖也。美少女コンビは西條愛華と南條麗華。あと一人の男子は北條拓哉だ。
俺主観での彼らのプロフィールを考えてみた。
東條聖也
クラスのリーダー的存在であり、学業優秀、スポーツ万能のイケメンだ。
周囲に気を配ることができて、困っている人を助ける存在。
さらに、こいつはイジメというものの存在を信じていない。というより信じたくないのかもしれない。
人はみんな優しいものだと信じているようだ。お前は孟子か!
俺は性悪説を推しているから、性格もなにもかもが対極だ。あと、俺を敵対視している。
西條愛華
学内でも三本の指に入る美少女。(俺調べ)
おっとりとした性格で、所謂癒し系。頑張ればゆるキャラになれるかも。
天使と呼ばれるほどの可愛さと愛嬌で男を無自覚で落とす逸材。
告白は全て断り続けている模様。何故かは知らん。
南條麗華
これまた三本の指に入る美少女。あと一本は保健の先生。この三人が学内美少女ランキングトップ3である。
西條を「可愛い」代表とするなら南條は「美しい」代表だろうな。
麗華、という名前のとおりの容姿である。腰ほどまで伸びた黒髪が艶やかなのが特徴。
彼女の家は武家だったらしく、槍術を習得している。かなり危険。
あと、彼女は東條と西條を宥める役目だ。かわいそうに。
北條拓哉
筋肉。以上!
ああ、一応言っておこう。イケメンだ。
俺はこの四人を合わせて東西南北カルテットと呼んでいる。
ちなみにあいつら全員俺と同じ小学校。羨ましかろう? 俺は嬉しくないけどね……。だって俺が絡まれるのはほとんどあいつらのせいだし。
理由としては俺があいつらと親しげに見えるかららしい。どんだけ嫉妬深いんだよ、と心中で溜息を吐く。
「おはよう八雲くん! 元気ないけど何かあったの?」
鈴の鳴るような声が俺に向けられた。美少女コンビのうちの一人、西條愛華である。かなり空気読めないと思う。それにしても、笑顔が眩しすぎて幸福になるどころか浄化されそう。……俺は悪霊なのかよ。少し涙が出そうだよ俺。
声を掛けられたからには返事をしないといけない。ラノベから目を離して、机のわきに立っている女子へと目を向けた。
「おはよう西條、元気がないのはいつものことだ。俺の唯一の個性といっても過言ではない」
「ふふ、八雲くんは面白いね。一緒に話してるといつも楽しいよ」
俺は結構そっけなく言ったつもりなんだが、彼女にとっては面白かったらしい。感性が掴めないぜ……。
というか、なぜ頬を染めるのだろう。周りからの殺気がヤバいからやめてほしい。これ以上はまずいから! 死んじゃう! プレッシャーによる重圧で死ぬ!
「こら愛華、服部くんが困ってるじゃない。席に行くわよ」
助かった。西條を宥めてくれたのは南條麗華だ。西條愛華が天使ならば、彼女は女神だろう。
というか、そう呼ばれているらしいし。さしずめ美の女神といったところだな。
「腰ほどまで伸びた黒髪が艶やかで綺麗だし。女神様、助けていただきありがとうございます……」
「――――な、にゃにを言っているのかしら!」
なぜ殺気が増した!? 南條は舌を噛んだのが痛かったのか顔が赤くなって怒っている。
なんか頭から湯気でそうだな。瞬間湯沸かし器と名付けよう。
「八雲くん、大胆だね!」
「服部、お前小学校の時に麗華にあんなことをしたくせに……」
やっと俺の偉大さに気付いたのか東西コンビよ! あれ? 大胆ってなに? あと東條、お前のそれ勘違いだから。
東條聖也が俺を敵対視している理由。それは俺の鼻より高く、俺の顔の彫りよりも深い……。しょぼそうだなオイ。
まぁいいや。その時のことを思い出してみよう。
小学五年生のときに西條は夏休みの宿題だった南條の粘土細工を落としてしまった。後ろのロッカー的なやつの上にあった埴輪は落ちて歪んだ……! そこはさほど気にしなくていいのだが。
偶然、その光景を見てしまった俺はとりあえず言ってあげたのだ。
『なあ、それは地震で落ちて壊れたんだよな?』
『ええ!? 違うよ! ていうか今地震あったの!?』
『ええー……』
俺の屑発言の意図を察することが出来なかったらしく、西條は泣きそうな顔から一転、驚愕の表情を見せた。
いや、地震あったかどうかくらいわかるだろ……。わからないほどの地震だったらそれ落ちないし……。
そんなことを思ったのだが、西條は全く気づかなかったらしい。そこへ、廊下を駆ける足音が聞こえた。
『愛華、どうしたの? それに服部くんも』
『なにかあったのかい?』
西條の声が聞こえたのであろう、南條と東條が走ってきた。じょう、じょうって面倒だな……。もう條をなくしてくれよ。おっと、話が逸れた。
東南コンビは状況を掴めなかったらしい。顔が笑うように歪んだ埴輪を見て唖然としていた。
もうね、なんか気まずかった……。でも、西條が泣きそうだったから、俺はある作戦を決行した。
『おお、よくやったな西條。命令通り壊せたじゃねえか。これで秘密は言わないでおいてやるよ。じゃあな』
『え? 八雲くん!?』
俺は走った。というより、脱兎のごとく逃げた。あの時の俺はボルトより速かったかもしれない。
翌日、東條に追い掛け回されているところを南條が止めてくれた。西條は二人に説明したが、東條は聞く耳を持たなかったらしい。彼はそれが今でも許せないようだ。全く、はた迷惑な話である。
というか、何で俺はあの時あんなことを言ったんだろうか……。言わなければよかったのに。
こんなところだな。俺の勝手にサポートミスって勝手に自爆した件については。
閉じていた目を開けると、西條の不思議そうな顔が視界に映る。
それを見て、会話の途中だったことを思い出した俺は、さきほどの疑問をぶつけた。
「大胆ってどういうことだ? ていうか俺何も言ってないぞ?」
「麗華ちゃんのことを女神って言ってたよ?」
ゑ? 俺が思ってたことが途中から口に出てたってこと? ……最悪だあああああああ! 何してんの俺!? 馬鹿なの? 馬鹿じゃねえよ! いや、馬鹿だな……。
混乱しておかしくなっている思考を抑え込み、頭を下げる。もちろん直角だ。
「ご、ごめんなさい!」
顔に熱が集まる。俺の謝罪の言葉は震えていて、それがより一層羞恥心を増長させた。そこで、俺はこの場から離れることを決意した。
「一時間目までには戻ってくるから! ごめん、あとよろしく!」
嫉妬やら怒りやら様々な感情の籠った視線を浴びながら教室を出ようとしたのだが、
——————開かない。何度ドアを引いても開かない。
ドアが外れているのか? まったく誰だよドア外した奴……。
そう思って軽くドアを叩いても、びくともしない。誰かが抑えているのかと思って周りを見るが誰もそんなことをしていない。
ドアを殴ったり蹴ったりしてみるが、ドアは動かない。教室内の奴らは「何やってるんだこいつ?」といった不審の目で見てくる。
「誰か手伝ってくれ。ドアが開かない」
「はは、何言ってるんだ服部。そんなはずないだろう」
教室に笑い声が響く。顔を真っ赤にして何かを呟いている南條以外は俺を見て笑っている。
こいつらはわかっていないから笑えるんだ。このドアは明らかに異常だ。先ほどまで煩かった廊下から物音がしないうえに、ドアを外すこともできないのだから。
それをうまく言葉にできないもどかしさに苛立ちが募り、自然と俺の語調が強くなってしまう。
「そう言うなら手伝ってくれ東條! 何をしても開かないんだよ!」
俺の必死の形相を見て、クラスの一部から笑いが消えて驚いている。当たり前だ。いつも丁寧に話していた俺が、ドアが開かないだけで怒鳴り散らしているのだから。
「服部、本気で言っているのか?」
「疑うのならこっちに来て手を貸せ!」
疑いを払拭できないのか、東條は怪訝な顔をしながらもドアに手をかける。
やはり開かない。東條が力を込めて開けようとするが、開かない。東條の顔に焦りの色が見え始めた。
「拓哉、後ろのドアを開けてくれ! 服部、一緒にこのドアを開けるぞ!」
「聖也! こっちも開かない!」
そのとき、教室の床全体に青白い魔法陣のようなものが浮かび上がってきた。まるでラノベやアニメみたいだ。普段なら興奮していただろうが、今は状況が状況のため、そんな余裕がない。
教室内に恐怖と混乱の声が木霊する。男子も女子も、軽いパニック状態になっているようだ。
「なんだよこれ!」
「どうなっているの!」
「早くドアを開けろ!」
「先生助けて!!」
男子生徒も女子生徒も騒ぎ立てているのだが、先生が来ることもなければドアも開かない。俺は必死に思考を巡らせて、教室からの脱出方法を模索する。そこで、俺の脳はある一点に気がついた。
——————待て。ベランダに出ることはできるんじゃないのか?
そのことを伝えるために、俺は声を張り上げて窓際の生徒たちへと叫んだ。
「窓だ! 窓を開けてベランダに出るんだ!」
俺の言葉を聞いた男子生徒数名が窓に手を掛けた。鍵は開いているらしい。しかし、その窓が開けられることはなかった。
男子生徒の焦りと困惑の混じった声が響く。
「開かねえよ! くそっ」
「椅子で壊せ!」
誰かが言ったその案を実行しようとしても、窓を割ることはできなかった。俺も思い切りドアを殴りつけたりしてみるものの、ドアはびくともしない。
「ダメだ! 割ることもできねえ! どうなってるんだよ!」
窓も開かないどころか割ることもできないなんて異常どころじゃない!
何が起こっているのか全く分からない。恐怖でおかしくなりそうな思考を抑え付けていると、男子生徒が断末魔のような叫びを上げた。
「うわああああ————————」
「お、おい! たすけてくれ!」
魔方陣のようなものが青白い輝きを増し、その瞬間助けを呼んでいた中田仁が光の粒子となり、消失した。
人が消えるなんてあり得ない。夢を見ているのではないかと考え、自分の頬を殴ってみるが痛覚はある。
やはり、現実だ。今目の前で起こっていることは紛れもない事実だ。
そして、教室内は絶望に包まれた。友達が消えていき、自分も消える恐怖におびえた生徒たちはとうとう声を出すこともできなくなったらしく、教室に静寂が訪れた。
「——————!」
「——————————!」
西條と南條がこちらを見て何かを叫んでいる。しかし、聞こえない。下を見ると、足先が消え始めていた。音が聞こえないことを不思議に思い、自身の耳に触れる。ない。耳がない。両手を見ると、その指すらも消えかかっていた。脳から脊髄、脊髄からつま先までを戦慄が駆ける。
感じたこともない恐怖に身を震わせる。見ると、叫んでいた二人も消えていつの間にか教室は俺以外誰もいなかった。
生徒たちは全員一瞬で消えたはずだ。それなのに、俺は少しずつ消えていく。まるで俺にだけ恐怖を与え続けるためのようだ。ゆっくりと全身の感覚が消失し、俺にあるのは恐怖という感情のみとなった。
意識が遠のきはじめ、視界が歪む。
最後に見えたのは、青白かった魔法陣が赤黒く染まったところだけだった。
その日、俺たちは世界から消失した。