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第四章 しつこい男は嫌われるゾ

 ひやりと冷たい石の玄関で、そこにあるはずのなかった靴は彼らの目にだけ映し出される。

 ――思いこみの産物。

 "そこにあるはず"だ。いや、"なくてはならない"という半ば無意識の確信。根拠のない思いこみであっても、精神体である彼女の世界は、彼女のなかの"常識"に左右されている。

 靴を脱いで部屋に上がっていた少女は、靴を履いて外に出た。

 長い睫に縁取られた黒い瞳が、面白そうに眇められる。

 短い茶髪の少女と、栗色の長い髪を二つに結わえた少女とが並ぶと、ふたりの身長がほぼ同じだとわかる。彼女らの頭のてっぺんは丁度、誠也の横隔膜がある辺りだ。

「お兄さん、さっきの鳥さんはどこに行ったの?」

 美蕾が何の憂いもない表情で無邪気に問うた。

「あんたね、少しは自分の頭を使って考えなさいよ」

 突き放すように芹華が言った。

 事情を話してくれていたときも思ったが、この姉妹。あまり仲が良くないらしい。

 ――否。

 芹華が一方的に疎んじているように見えた。

「めんどくさいー」

 すげなく扱われるのは慣れているのか、妹は飄々と右から左に受け流した。

 のれんに腕押し、糠に釘。或いは馬の耳に念仏。

 ぐ、と。

 あまり変わらぬ表情の下で、握りしめられるこぶしを視界におさめた誠也は、ふたりに気取られぬよう複雑な表情を浮かべて、消した。

 とにかく美蕾が堪えないので、芹華の苛立ちが増しているようだ。

「……あちらの目的が依頼人への復讐のようだから、そっちの様子を見に行かせているんだ」

「あ、そっかー。犯人は現場に戻るっていうしね!」

 美蕾は推理小説の読み過ぎだった。

「妹の戯言はさておき、敵が実体を持っているとなると食料などが必要になってくると思われます」

 とげとげしい事務的な口調は慇懃で、かえって無礼――のような気がした。

 追究は先送りにして青年が頷くと、薄い色の唇から滑らかに言葉が溢れて来る。

「報道では遺留品から身元が判明したとありました。……美蕾、あんたお金はいつもどこに入れている?」

「カバンの中だよ。それはいつも自転車の籠の中に入れるの。ねぇ、お姉さん、身元の証明になったのって何だろう?」

「だ・か・らっ! 名前が書いてあるものが財布の中にはいっぱいあるでしょう。たとえば、会員証とか」

「なるほど!」

 相手をするのが嫌になったのか、芹華は高い位置にある誠也の顔を見上げる。

「空腹を抱えているのなら敵は自分の家など、お金や食料があるところに向かい、腹ごしらえをしてから目的を果たす――というのが妥当でしょう」

「そうだね……だから?」

 彼は試すように、意地悪く訊いてみた。

「しかし、目標の所へ行ったとしても敵に具体的に何が出来るでしょうか? いいえ、コレの鈍くさい身体を抱えて出来ることはほとんどありません。つまりコレが逆に足枷となっているのです」

「お姉さん、ひどい……」

「それに顔は知られていないとはいえ、行方不明者については話題になっています。犯人に人並みの知恵があれば、迂闊に出歩けない……よって、犯人はどこか食料などが手に入る場所で身を潜めているのではないでしょうか?」

 傷ついたような呟きは黙殺され、芹華は推論を発表し終えた。

 青年は顎を指でさすりながら考える姿勢を見せる。

 その意識の傍らで、式神が送ってくる映像を検分していた。決め手に欠ける彼女の推論を鵜呑みには出来ない。

 依頼人――麻井真紀の下宿するアパートの周囲に、妖しげな気配も由比妹と同じ顔の人間もいない。

 玄関の扉に背を預けて沈黙している誠也に、思いついたように美蕾がぽんと手を打った。

「ねぇお兄さん。身体って、自由に離れられるものかな……? お兄さんの目をかすめた犯人さんが、もういいやーと適当なところで離れるってこと、ない?」

「そうだなぁ……いくら自分の身体ではないといっても、普通はどうやって幽体離脱するかなんてわからないだろう。君が幽体離脱したのだって事故みたいなものだ」

「ん、それじゃあ平気だね。……それで依頼人さんの方はどうだった?」

 水を向けられた青年は素直に受ける。

「異常なし。さて……では大学に行くとしますか」

「……自宅ではないのですか?」

 僅かに気色ばんだ芹華に青年は落ち着くようにと、ぽんぽんと頭に手のひらを載せた。

 当然ながら彼女は子供扱いされてムッとなった。そういうところが子供である。

 成長途上の様子が頬笑ましくて、自然と誠也の頬が緩んだ。たった二歳差なのに精神が老成している誠也だった。

「実はね、ことはもっと単純で簡単なのさ。……妹さんの魂の緒を辿ればいいだけだからね」

 あっさり回答を与えた一拍後。

「「なに――ッ!?」」

 姉妹が声をそろえて叫んだのには、誠也は堪えきれず吹き出してしまった。

「おっ、お兄さんのがもっとひどい~!」

「失礼な人ですねッ! 人の推測を聞いて嗤ってたんですか!?」

 非難囂々。集中砲火。

 笑顔で非難を受け止めていた誠也だが、芹華の言にはさっと表情を変えた。

「まさか! 止めなかったのは、思考することは無駄ではないからだ。それに、とても参考になった」

 真顔で力説されてしまい、ふたりは納得せざるを得なくなる。

 この青年もなかなか食えない部分を持ち合わせていた。

「魂の緒ね……そんなもの見えないですけど」

「うん、見えないー」

「…………そんなはずはないんだけどね。普通は」

 脱力した青年はあらぬ方向に視線を飛ばしながらぼそりと呟いてしまった。

 どこまでも常識やら普通の定義やらを覆してくれる幽霊に、いっそ清々しささえ感じてしまう誠也だった。




 魂の緒は微弱な光を放ちながら、細い紐のように伸びて、ひらひらと漂っていた。

 精神は身体から栄養源――つまりエネルギーを得ている。彼女には恨み辛みなどというような囚われてしまいそうな特別に強い思いもなく――いやあえて言えば"自分"という存在を強く求めるがゆえに、普通の幽霊よりもしっかりとした自我を保っているのだろう。

 だけどこんな、存在までしっかりしなくても良かったのでは――と、誠也はこっそり思った。

 魂の緒は別に道に落ちているわけではない。それは全ての物体を擦り抜けて、最短距離で繋がっている。

 現実には建物が障害物となって追うのはなかなか面倒だが、そこはそれ。この地域の開発を遅らせていると一部から非難されつつも、自然が多いこの大学のお陰で障害が少ないので容易い。

 敵(いつの間にやら敵になってしまった)がこの大学を選んで逃げ込んでくれたのは、幸いであったと言えよう。加えて休日なので人通りが少ない。多少誠也の挙動が不審でも平気……かも知れない。

「どうやら……君の推論は当たりだ」

 に、と不敵に笑んだ青年は、後ろのふたりにだけ聞こえるような音量で呟いた。

 老朽化しつつある法学部の棟が目の前にあった。美蕾たちはこっそりと自分の学校よりぼろいなーと思っていた。

 鉄筋コンクリートの建物は、雨の日は雨漏りしそうで、冬の日は寒そうであった。

 大学というものは、研究の場でもあるので休日こそが教授たちの本命だろう。学部棟は研究室や演習室がメインで、それらは上の階に集中している。

 三人が足を踏み入れると、棟全体が沈黙に包まれていた。騒がしいのを嫌う教授が多いからだろう。当然、人の気配は希薄である。

 ここは敵がよく知っている場所、なじみ深いところなのだろう。

 依頼人の言うとおり、由比美蕾の身体を乗っ取ったのは、大津謙司でほぼ間違いない。

 確信を深めた誠也は、針を落としただけで響きそうな静寂の中で、足音を潜ませる。

 幽霊でも出そうな雰囲気に――いや、幽霊らしいがその自覚のない美蕾は気圧されてびくびくしながら芹華の服の裾を掴み、鬱陶しげに振り払われていた。

 呆れに笑顔をひきつらせた誠也が、中庭のあたりで、緒を辿って二階を見て――

 ――目が、あってしまった。

 不自然に立ち止まった青年に、姉妹が彼の視線を追う。上の階、丁度女子トイレから出てきて、パーカーのポケットからハンカチを取り出した体勢で固まっているのは。一階にいるはずの人間だった。

「…………」

 石化。

 美蕾は首をひねり、茫然とした芹華が呟く。

「……ドッベルゲンガー?」

「だったら死んでるよん♪」

 うわずった声に、すかさず歌うような楽しげなツッコミ。

 この姉妹、意外と息が合っている。

 やっていられなくなった誠也は駆け足となる。

「そっか~、どっかで見たことあるなーと思ったら。あれ、ボクかー」

 のんびりほえほえ。とぼけた科白に。

「「自分の顔くらい覚えとけッ!!」」

 前と隣からツッコミが飛んできた。誠也も律儀なことである。

 その時には石化から解放された敵がくるりと背を向け、走り出していた。

「あっ、待て! 持ち逃げ犯っ!!」

「その呼び方はやめろ、力が抜けるっ!」

 美蕾に、異口同音に非難が集中した。

 妹を置いていく形で芹華も走り出していた。

 誠也に置いて行かれたら迷子になってしまう。

「うわあっ、ふたりとも待って~」

 幽霊になっても足の遅い妹が何か言ったが連れふたりはさっぱりと無視して二階に駆け上がると、分館への渡り廊下を走り抜ける。

 光る緒が延びている方向を見て、誠也は馴染みない建物の構造を思い浮かべた。実のところ法学部所属とはいえまだ一年生の誠也は、法学部の棟を訪れたことがほとんどなかった。

「由比家姉! この先の階段を行って最上階で右に曲がれ!」

「了解!」

 四角く単純な構造で助かった。敵は逃げ場の少ない上に向かっているので、そこで挟撃すべく指示を出したが――。

 ここでひとつ、忘れていることがあった。

 美蕾曰く、持ち逃げ犯は――要するに美蕾の身体を使用しているので全力で逃げたとしても……鈍足だった。

 ふたりが挟み撃ちをする前に、三階に到達したところで誠也が追いついた。彼は走りながらカバンから縄を出し、その先に重りをつけると足を狙って投げつけた。

しゅっ!

 重りがついた縄はぐるぐると蛇のようにからみつき、美蕾の身体は足を捕られて転倒した。

 二手に分かれる前に捕まえてしまったので、芹華は小走りに近づき、往生際悪くも、ずりずりと手だけで這い進もうとしていた大津謙司(推測)を見下ろした。

 前方に影が出来ておそるおそる顔を上げた美蕾の実体は、ようやく観念して首を垂れた。

 しばらくして、ふたりから大幅に遅れて、へろへろになった美蕾が姿を現した。その途端――

「なんだこの身体はッ! 異様に重いから捕まってしまったじゃないかッ!!」

 それまで大人しかった持ち逃げ犯が、投げ遣りになって大声で美蕾を詰りはじめた。

 誠也はここが分館の三階で良かったと思った。この辺は講義室しかないから苦情が来ない。

 姉はわめき散らす持ち逃げ犯に、頭上から同情と憐れみの眼差しを注いだ。

「こいつなんかに取り憑いたのが運の尽き」

「お姉さん……いやボクもあえて否定はしないけれどね……」

 むしろ出来ない、運動音痴の美蕾さんは肩で息をしながら喘いだ。

「何いッ!? どういうことだ……!? おまえは幽霊なのか!?」

 何故か驚く大津謙司(くどいようだが推測)に、姉妹が顔を見合わせた。

「……。何だと思っていたの?」

「双子」

「こんなのは一人で充分です」

 心の奥底からキッパリと断言されてしまい、流石の美蕾もがっくりと項垂れた。

「こんな存在感ばりばりの幽霊、オレは知らん! 幽霊の常識、覆してんじゃねえっ!」

 当の幽霊が怒っても、哀しいかな。どのみち美蕾の顔なので迫力がなかった。

「わーい、特技とくちょ~v」

 何故か喜ぶ美蕾に、高校入試の願書の特技特徴欄を目の前にうんうん唸っていた妹を知っていた姉は、こっそりと溜息をついて。

 ……妹よ。頼むからいくらなんでもそんなことを願書に書いて提出してくれるなよ……!

 切に願った。

「では、じゃれあいはこれまでにして場所を移そう」

 心の中で第三者を装っていた誠也は、美蕾の実体を後ろ手で拘束し、足の縄を外すと手短な講義室に連行した。

「……それって注連縄……」

「あいにくと、手頃なのがこれしかなくてね」

 青年は、これが端から見たら怪しい光景であることを自覚していたので、内側から施錠した。




 電気をつけるわけにもいかず、薄暗いままの講義室には高校に比べれば大きいものの、勉強するには手狭な机が並んでいた。このスペースでどうやって辞書やら資料やらを広げればいいのだろう。椅子も木製で座り心地は悪そうである。芹華はこの大学の経営者は学生に勉強させる気がないと見た。

「では、お名前からどうぞ」

 かくして、表情は違えど同じ顔が向き合うという奇妙な尋問が始まった。

 わざとらしく声色を作った少女は雰囲気を出す小道具(ランプとかスチール製の机とか)がないことを悔やんだ。

 椅子にぐるぐる縛られた美蕾の実体に、幽体の美蕾はずいと顔を近付けた。

 ふいと横を向いて反抗的な態度を示す容疑者に、美蕾が怪しい含み笑いをする。

「ふふふ……ネタはあがっているんですよ、大津謙司さん」

 彼女はシチュエーションに酔っていた。刑事ドラマの見すぎである。

 しかしまんまとはまって驚きを表してしまった大津謙司。ハッと顔を背けたが遅かった。

「ではでは大津謙司さん、第一の質問です。ボクの抜け殻はどこに落ちていましたか?」

 被疑者は黙秘権を執行した。

 これは手強い。それが嬉しくてにんまり笑った少女は真顔を作る。

「質問を変えましょう。川に落ちましたか?」

「……少しな。歩いているうちに乾く程度だ」

 何を心配しているのかを勝手に察した大津謙司は作戦を変えた。目の前の美蕾を上から下まで嫌みったらしくじっくりと眺めやる。

「――ふん。最近のガキは発育が良いと聞いたのに、ぜんっぜん真っ平らだったな」

 乗っ取り犯は相手を怒らせようと性的嫌がらせに出た! しかし相手はぬらりひょんの美蕾だった!

「これに発情するのはペドフィリアじゃないと無理だよ~。幼児体型で胸当てすらまだだもん」

 開けっぴろげな笑顔と色気のない単語で受け流され、大津謙司は項垂れた!

 美蕾選手、勝利!

「ところで昨夜はどこで過ごされましたか」

「寮の空き部屋だ。もっと遠くまで行きたかったが、捜索の手が伸びていたんでね。迂闊に動けなかった」

 改めて神妙な声を作る美蕾に、気勢を削がれた謙司は、今度は素直に答えを返す。彼は何気につきあいが良かった。……単にノリについていけず疲れただけかも知れないが。

「ということは……お食事をされてない? それはそれは、大変だったでしょう。ボクの口から言うのもなんですが、この身体は、空腹になるとすぐに動けなくなりますからね」

「…………ホントにな」

 吐き捨てるように謙司は呟いた。その段階になって彼は、同じ顔をつきあわせていたふたりから極力顔を背けようとしている誠也と芹華を見つけた。

「……」

 再びこっくりこっくり納得している美蕾に目を向けた謙司は、なんとなく事情を察した。

「じゃあお兄さん、バトンタッチしよう!」

 聞きたいことはこれだけだったらしい。

 勝手に選手交代をさせられた誠也は、思わず机に手をついて、盛大な溜息を吐き出してしまった。

「あなたはどうして、麻井真紀さんの部屋で暴れたんですか……っと言いたいところですが、別に依頼人のプライベートまで暴く必要はないんですよね」

 誠也としては振られた逆恨みとの事で納得していた。

 待ちに待った質問に、恨み言を並べ立てようとしていた謙司が鼻白む。

「でも生き霊ですからね……悪意は置いていってほしいんです。――二度と彼女に危害を及ぼそうなんて思えないように」

 ぼやいた誠也に、謙司――が乗っ取った美蕾の顔が驚愕を浮かべた。

「なにっ!? 生き霊ってそれは――本当なのか!?」

「……気づいてなかったんですか。しっかり生きてます」

 自分が死んだと思いこんでしまっている幽霊は珍しくない。

 誠也はあっさり肯定した。

「おっしゃあ! 次こそあの女のとり澄ました顔を恐怖に歪ましたる――!!」

 手前勝手な決意に、突如、沈黙が降りた。

 空気が白い。

「な、なんだ、どうした!?」

 奇妙な沈黙と、冷ややかな三対の眼差しを向けられて、美蕾の中の幽霊が怯んだ。

「ボク……」

 静寂を破った美蕾が虚ろな瞳を遠くに向けた。

「自分の口からあんな間抜けが科白が出るの……耐えられないかも……」

「し、失敬だな、おまえはッ!」

 ぷんすか怒っているものはさておき。芹華は何か言いたげに妹の顔を見た。

「……」

「違うよ」

「なにあんた、あたしの考え読んだの?」

「んなことできないし、できなくてもわかる。……いま、間抜けなこと言っているのはいつものことじゃん、とか思ったっしょ……」

「あんたにしては鋭いね」

 芹華は軽く肩を竦めた。即座に事実と認められて、美蕾は灰色の壁にひっついた。

「……そんなに嫌なら根性で追い出せば?」

 柄にもなく落ち込んでいる妹に姉は適当なことを言った。

「試しに訊くけど、それはどんな根性?」

「あたしが知るか」

 姉がすげなく切り捨てた。

 姉妹が仲良く(?)問答していると、

「ううう……こんな変なやつらと一緒にいたくない」

 大津謙司が持ち逃げ犯の分際で失礼なことを呻いた。

「大丈夫! 変が多いと変であることが当たり前になって、それが普通になるんだよ!」

 美蕾の思わぬ反撃に、謙司は顔をひきつらせた。

「いやだそんなのッ! オレはまっとうに暮らすんだッ」

「逆恨みで化けて出たヤツに"まっとうに暮らす"とか言われたくない」

 ほぼ同じことを三人三様に言い放った。

「大体、そんな情熱があるのならもっと有意義に活用したらどうですかッ!」

「学力と頭の良さは比例していないようなので無理なのでは?」

 説得しようとした誠也のまっとうな科白に、芹華がさらっとひどいことを述べた。

 束の間、教室内が沈黙に包まれる。

「…………仕事にならないから少し黙っているように」

 納得してしまった青年はそれだけを口にした。

「おまえは否定しろよっ!」

 拘束されている持ち逃げ犯がじたばた騒いだが、その声は無視された。

「――いつまでも振られたことにこだわっていないで、新しい出会いを見つけるなり、自分を磨くなりしたらどうです」

 立派な正論である。しかしそれが通用するようならそもそも化けて出てくるような後ろ向きな姿勢はとらなかっただろう。

「やかましいッ、説教なんかすんじゃねぇっ! 何様のつもりだッ!」

 ……駄目だこりゃ。

 三人は絶望的に天を仰いだ。

 正しい意見は時に人を立腹させてしまうものである。大津謙司は美蕾の口を使って思いつく限りの罵詈雑言をまくしたてはじめた。

 誠也は耳に指をつっこんで聞く気がないことを態度で示す。

 一方で見物を余儀なくされていた姉妹は、「暇だな~」とか「お菓子とかお茶とかあればいいのにねー」とか見物を決め込んで和んでいた。

「つーかてめぇら、人の話はちゃんと聞け――ッ!!」

 人の意見に聞き耳を持たない人間にだけは言われたくなかった。自分は話を聞かないくせに、他人には話を聞いてほしいとは全く勝手なものである。

「聞く価値があれば聞いてるよ」

 美蕾がのんびりと火に油をそそいだ。

 謙司は立て板に水を流すように、息も吐かずに怒鳴り出す。

「あんたねぇ……」

 ますます五月蠅い。芹華が溜息を吐きながら妹を睨んだ。

「ごめん。でももうボクも限界……」

「限界?」

「これ以上ボクの口で愚かきわまりないコト言われたくない」

 だったら怒らせるな――と言おうとして。

 美蕾がスッと自分の身体に近づいた。

 見たこともない感情が欠落した表情と怒りの色を滲ませた瞳が、がなっていた謙司の口を噤ませた。

「な、なんだ……!?」

 気圧された彼は後ずさろうとして、足元のタイルを蹴るだけに終わる。

 空気が突き刺すような痛いものに変化する。

「ねぇ……お兄さん。ボクの身体に取り憑いているんだから、ボクの記憶が伝わるよねぇ……?」

 疑問の形を取っていたが、それは確信。

 そうであるはずだという――強い思いが、生き霊である彼女の"思いこみ"の力を発揮させる。

「思い出せるよね……そう、例えば……最近ボクが読んだ、ピンクい背表紙の本の中身とか」

 謙司が思い出すように眉を顰めた途端に――顔面蒼白になった。

 見張られた瞳が驚愕を浮かべて冷たい顔で見下ろす美蕾を捉えた。わななく唇が言葉を紡げずに開いては閉じる。

 こくり、と外野が喉を鳴らした。

 それを合図に、逃げ出す動作をした謙司が声にならない悲鳴を迸った。足掻いても逃れられない拘束から、謙司が逃げた。――霊体となって。

「わーい、分離したー♪」

 ずりずりと自分の抜け殻を回収する美蕾。何故か注連縄は謙司を拘束し、美蕾の実体は拘束から逃れていた。

 どうやらこれも美蕾の"思いこみ"の産物らしい。

 驚愕を通り越して恐怖すら覚えた誠也は噛みしめた奥歯から絞り出すように唸った。

「……冗談……ッ!」

 記憶の伝達、注連縄の件だけでも衝撃なのに、精神体が平然と自分の身体に同化することなく触れている。

 誠也は"常識"の二文字が恋しくなった。

「変な本読んでんじゃねーっ」

 幽霊が半泣きで嘆いていた。

「何おうっ、失礼な! そんなの偏見だぞ!!」

 どんな内容だったのだろうと外野ふたりが首を傾げていると、美蕾が力説した。

「男の人が男の人にそう言う目で見られるのが気持ち悪いように、女の人だって男の人にそう言う目で見られるのが気持ち悪いんだぞ!!」

 ふたりはなんとなく内容を察した。

 特に芹華は、読んだことはないけれどそれがどんなジャンルだったかを知っていたので、遠い目をして乾いた笑いをもらした。

「女は成長と共にそれが当たり前だと思える環境にあるからなんとか保っているんだろうけど……男って気楽なモンだよねー自分はそういう風に見られないって思いこんでいるから」

 ……なんか恨みでもあるのか、そのことに。

 おどろおどろしい気配を背負った美蕾の常ならぬ様子に三人は心の中で思った。

「ううう……人間不信になりそうだ……!」

 幽霊が幽霊のくせに滂沱の涙を流していた。

 結果として彼には良い薬になったのだろうか……?

 虚脱感に襲われた誠也はなんとなくこのはた迷惑な幽霊に同情してしまった。

「これに懲りたらもう化けて出るなよ~。自分を見つめ直してくれ……」

 祈るように青年が幽霊に巻き付いている注連縄を解くと、清めの塩を幽霊に振りかけた。

 痛みは――なかったようだ。

 毒気を抜かれ、悪意がなかったようだ。

 周囲の風景に溶けるように、幽霊は姿を消した。

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