ガリウスの決断
中央広場においては、苦戦が続いていた。
――ごく短時間で広場の一角に追い詰められるような一方的戦闘状態をそう呼んでもいいのであればだが――
ガリウスを先頭に、獣人兵を押し止めるべく総力を挙げて戦いを挑む村人達だったが、
――剣が効かないのである。
獣人兵はその凄まじい膂力に比べると比較的動きが鈍く、よく鍛えられた自衛団の男達が組織だって対抗すれば、本来苦戦するような相手ではない。
獣人兵の振り回す得物を掻い潜って、村人達の剣はその身体を的確に捉えていた――
が、その悉くが鈍い音とともに跳ね返され、へし折られた剣先が宙を舞うのであった。
「避難状況は――っ!?」
≪馬≫男を剣で突き倒しながら、ガリウスが背後に向かって声を張り上げる――
唯一彼の剛剣のみが、頑強な獣人兵にかろうじて損傷を与えることができていた。
「避難は――完了……しています」
≪熊≫男の猛攻を、数人がかりで押しとどめていた部下の一人が応える。
「――ただ……副長からの連絡が……途絶えています。抜け道の…確保は……確認できませんっ!」
倒れこんだ≪馬≫男には目もくれず、ガリウスは≪熊≫男の背後に回りこむ。
ぐわっ――っっ!!
部下達の抵抗に気を取られていた≪熊≫男は、ガリウスの剛剣をまともに肩口に受けた。
怯んだ[熊]男は、大きく跳び退ると、≪馬≫男をかかえて一目散に仲間たちの元に逃げていく。
一旦体勢を立て直そうと考えたのか――
獣人兵たちは距離を空けてこちらの様子を伺い、遠巻きに包囲の陣形を取り始めた。
一息ついたガリウスは、部下の報告を基に今後の方針について思いを巡らせる。
「――サティ!」
どこからか調達してきた弓矢を使って味方を援護していた娘に視線を向けると、ガリウスは一瞬の逡巡も見せずに厳しい声で命令を下す。
「副長の下に合流の後、抜け道を使って脱出――
副長と合流できぬときには、自力で脱出して援軍を手配せよ」
「そっ――!?」
反射的に異議を唱えかけたサティ。
けれど、出掛かった言葉をぐっと飲み込んで、父の指示を最後まで確認しようとした。
満足げに頷いたガリウスは、神託を下すかのように厳かな口調で下命する。
「イルミナの王国軍駐屯地まで行け。
セロンの正統なる血筋に連なる者として、ノスタルギアル駐留軍に盟約に従った援軍の出撃を要請してくるのだ――」
……ガリウスは、この聡くて勇敢な娘を、わが娘ながら非常に高く評価していた。
しかし、サティがこのままここにとどまっていても、たいした戦力にはなり得ない。
それよりはその俊敏さを生かして脱出を図り、特使として盟約による援軍要請を行うことこそが一族にとっての利となる――そう判断を下したのだ。
が――、
「でも……私みたいな小娘が押しかけたところで、門前払いされるのが関の山じゃ……」
不安そうに目を伏せ、反駁の言葉を返しかけたサティは、
「――あっ……!」
不意に懐の短剣に手をやると、弾かれたように顔を上げ、ガリウスを見つめる。
ガリウスは、娘の瞳に浮かぶ理解の色を視てとると、
「その短剣を持つ者には、セロンの命運が託される―軽い気持ちで渡したなどと思ってもらっては困るぞ」
苦笑いを浮かべながら軽く睨んだ。
ガリウスが投げて寄越した短剣は、ノスタルギアル王家より下賜された業物である。
宗主国ノスタルギアル存亡の危機に、命をかけて都を護り抜いた一族の始祖セロンの功績を称えて、領地とともに授けられたものだ。
王家の紋章が刻印された刀身には魔力が宿り、邪を退ける力があると言われている。
本来一族を束ねる族長が所持するものであるが、老齢の当代に代わり実質的に村を率いている若長ガリウスが、現在は引き継いでいた。
しかし、獣人たちとの戦いの中で万一自分に何かあった場合を考え、娘に託すことにしたのであろう。
そんな父の信頼に応えるべく、ガリウスの濃紺色の瞳を真っ直ぐ見つめ返したサティは、
「了解いたしました。私……サティは、若長の命に従い、特使としてイルミナの街に出立いたします」
作法に則り胸に片手を当てた姿勢で一礼し、恭しく下命を受諾した。
「……うむ――」
サティの覚悟を厳粛な目で見定めたガリウスは―ほんの一瞬躊躇したが………
さらに冷徹とも取れる口調で付け加えた。
「そして……もし、王国軍の協力を得られぬ時は………………諦めろ――」
「……えっ……?」
「王国軍を信用しすぎてはならん。不用意に気を許したりせず、常に用心して接するのだ――
そして身の危険を感じたら、すぐに脱出しろ。
…………脱出後は市井に紛れ名を変え、町娘として生きよ――
セロンに戻ることは堅く禁ずる」
厳しい視線に宿る堅固な意思の光――
彼がくだした命令の真の目的は、むしろこちらにあったのかもしれない。
予想だにしなかった父の言葉に呆然と聞き入っていたサティは、次第に顔色をなくし、心の奥から湧いてくる絶望の思いに侵食されていった。
「…………それは……やっぱり…………私が――――」
胸の内に昏い疑心が沸き起こる。
家族の心遣いのおかげで、普段あまり意識しないで済んでいるのだが――
心の奥に刺さった鋭い棘のように、何かの拍子に時折頭を擡げてサティを苦しめる。
――なぜ……最後まで一緒に戦えと言ってはくれないのか…………
物事の先の先まで読みとれてしまう聡過ぎるサティは、父の言葉の裏まで忖度し、そのことで却って自分を傷つけてしまう…………
自らの感情を持て余して押し潰されてしまいそうになるサティ――
その表情から、その心情を正確に汲み取ったガリウスは、
「それは違う……違うぞ、サティ――」
両手を伸ばしてサティの肩をしっかりと掴み、その瞳を真正面から覗き込んで言った。
「これまで俺は、本来伝えるべきではないかも知れぬ知識も、お前にだけは教えてきた。
……その中には、今の世界の常識において、理解の枠を大きく踏み超えている情報も数多く含まれていたはずだ」
伏目がちになっていたサティも、ガリウスの話に秘められた重要性を感じ取り、頭をあげてしっかりとその視線を受け止めた。
「俺の勘だが……今回の襲撃の背景には、そんな胡散臭いものが見え隠れしているような気がする――」
単なる勘などではなく、すでに確信に近いものを感じているガリウスであったが……その場合、否が応でもサティを深く巻き込んでしまうことになる。そうなる前にできるだけサティを遠ざけたかった……その残酷な運命の命題から――
サティの肩に置いたガリウスの手に、より一層の力がこもる。、
「……この世には、決して人知の及ばぬ事態がある――
雷を避けられぬように、山崩れを防げぬように、人の力ではどうにも出来ないこともあるのだ…………
だから……万一の場合は、せめて一族の血を絶やさぬよう、お前には泥を啜ってでも生き延びてもらわねばならない――」
「……………………」
自分ひとりが生き延びたところで、血を繋ぐことは叶わない。
……そんな思いが強く心に懸かって、どうしても返事の出来ないサティ―
ガリウスは厳しい視線をふと緩め、諭すような口調で付け加えた。
「何……万一の場合だ。必ずしもそのような事態になるとは限らない。
ただ、もしもそうなった場合の、お前の行動指針に対する忠告に過ぎん。
臨機応変に、何があっても生き延びろ――いいな……」
「………………はい……」
必死に返事を搾り出したサティ。
納得はしていない……とりわけ心が…………
そんなサティの心情などお見通しなのだろう。愛おしげに頷いたガリウスは、サティの頭に手をやって、母親譲りの赤みがかったくせっ毛を少し乱暴にかき回す。
――回り始めた運命の輪は、もう止められないのかもしれない。
だが……叶うならばお前にだけは、無慈悲な神の気まぐれの手から逃れて欲しい――
そう願いつつ……サティの頭に置いた手を、少し名残惜しそうに離したガリウスは――こちらの様子を窺いながら、じわじわと包囲網を狭める獣人兵に険しい視線を送る。
そして大剣を構えなおすと、
「ウオオオォォォォ―ッ!!!」
獣のような咆哮を上げながら、敵の目を引き付けるべく駆け出した。