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トリムルティ  作者: 姫野博志
第四章  鷹視狼歩《ようしろうほ》
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驚天動地

「……サティ……ボクから…離れるん…だ…………」


 摩覇化螺(マハカラ)から攻撃を受けた瞬間に組み付いて、あれ(、、)を開放する――

 ガナに残された選択肢はそれしかなかった。


 ――しかし、もしも自分が命を落としてしまったら……

 あれ(、、)が一体どうなるのか―――

 この世に一体何事が起きるのか―――

 ガナには予測することすら不可能であった。


「……早く……父上(ガリウス)の所へ……できるだけ……遠くへ…………」


「……………………」


 サティは地に刺さったままの月輝石剣(ムゥナストンブレード)を黙って引き抜き、妖女(マーラ)に向けて構えた。


「フンッ……小娘が何のつもりだい?」


 鎌首を擡げて狙いをすます摩覇化螺(マハカラ)妖女(マーラ)

 小馬鹿にした口調で嘲笑う。


「そんなガリガリの痩せっぽちじゃあ、腹の足しにもなりゃしないだろうけど……おやつ代わりに喰らってやろうか――」

 ぬらぬらと赤黒く光る摩覇化螺(マハカラ)の牙から、涎のような液体が滴り落ちる。

 ぞっとするような光景にも、一歩も引くことなく、屹度妖女(マーラ)を見据えるサティ。


「ほんの少しでもいい。ガナさんを……皆を守る力を貸して――」


 自己満足と言われようと、意地だけの無謀な行為と嘲弄されようと……

 最後の最後、死の帳が()りこの身を包み込むその瞬間まで、決して諦めるものか――

 固い決意に支えられたサティの純粋な想い――

 聞き届けた存在(もの)が、神か…はたまた悪魔なのかは判らないが――

 それは確かに奇跡の萌芽をもたらした…………


「~~~~~~~っ 」


 無我夢中で柄を握りしめ、懸命に念を込めるサティ。

 その時――月輝石剣(ムゥナストンブレード)の核となる刀身が虹色の光を発し、点滅を始めた。

 手にした剣から不思議な力が注ぎ込まれ、サティの身体の最深奥に、途轍もなく熱い塊が生まれ出る。


「――えっ?」


 月輝石剣(ムゥナストンブレード)を介して、大気に満ちる真言(マナ)がサティに無限に注がれていく…………


「――えぇっ?」


 サティの全身に拡がった熱い塊――大な魔力は――


「えええぇぇ~~~~っっ 」

 

臨界点を超え、サティに触れていたガナへと一気に流れ込んだ。


「――――――っ!!!」


 暫時呆然と見入っていた妖女(マーラ)が、摩覇化螺(マハカラ)の鋏牙で二人を咬み捕えようと急迫する。


 瞬息――

 サティを小脇に抱えたガナは、すんでの所で鋏牙(きょうが)を躱し、妖女(マーラ)の顔面を(わざわざ)踏みつけて、黒光りのする胴節を疾風迅雷駆け登る。

 身体の上の不埒ものを成敗しようと、曳航肢の先の爪が、急降下して二人を襲った。

 毒液でぬらぬらと黒光りする爪が掠りでもしたら、命取りになるだろう。

 ガナは爪の軌道を冷静に見切ると、慣性の法則を完璧に無視して、瞬時にその場に停止する。

 眼前すれすれを通過した爪が、自らの体節に突き当たって勢いを殺した瞬間――

 二本の曳航肢の隙間を飛翔するかの勢いで跳び抜けたガナは、空中で身体を捻ると摩覇化螺(マハカラ)に正対する形で地面に降り立った。


「――ガナさん!!」


 破顔一笑、はじけるような笑顔でガナを見上げるサティ。

 常のごとく悪戯小僧のような不敵な笑みを返したガナは、横様に担いでいたサティを優しく地面に降ろした。


「何か知らんけど――助かったよ、サティ」


「……あ、あたしにも何がなんだか……」


 足元を多少ふらつかせて、当惑気味に答えるサティ。

 油断なく屹然と剣を構えるガナを、改めてしげしげと眺める――

 ほとんど死に体だったガナが、まるで嘘のように回復していた。


「……とうとう……目覚めてしまったのか――」


 諦念の呟きを漏らして二人を見守るガリウス――

 彼は妖女(マーラ)の異様な変容(メタモルフォーゼ)を目にするや否や、集会所の村民へ避難を指示していた。

 しかし、(サティ)の身に起きた異変に心当たりがあるのか……

 そしてその結果が何を(もたら)したのかまで、ある程度推測がついているのか――門の前に佇み事の成り行きを見守っている。


「……ま、まさか……その小娘――あの時、研究所とともに失われたはずの………」


 目を(みは)りサティを凝視する妖女(マーラ)―常日頃の驕慢な態度はすっかり影を潜めている。

 予想外の出来事によほど動揺しているのだろう。


「……PSB―S1。どさくさに紛れて持ち出していたんだね……お前は――」


 摩覇化螺(マハカラ)(こうべ)を巡らせて、ガリウスと視線を交わす妖女(マーラ)


「違う……っ!! サティは、俺とベルナの娘だ――それ以外の何者でもない……」


 ほんの束の間、苦しげな表情を浮かべたガリウスは、決然とした表情で言い切った。


 ――耳には、サーラの悲痛な叫びが今でも残っている…………


 ――逃げて、ガリウス、貴方達だけでも……その子を……サティを護って――


 サーラへの想いを、捨て去ったわけではない。

 けれど想い出に囚われて、歩みを停めてしまったわけでもなかった。

 サティを護る――亡き女性ひととの聖なる誓いは――今やベルナとの誓いでもあるのだから……


「父様…………」


 万感込めた彼の叫びに目を潤ますサティ。

 ……そんな二人に、妖女(マーラ)は刺すような視線を放ち、憎憎しげな口調で怒声を浴びせた。


「見え透いた嘘をお()き――っ!! 」


 そして舌なめずりせんばかりの嗜虐の表情を浮かべると、


「遺伝子操作により、肉体強化された改造人間ガリウス。

 そして(あたくし)の愚かな半身……治療能力保持者(ヒーラー)サーラ。

 二人の生殖細胞から形成された受精卵を調整し、促進成長させた試験管受精児(ホムンクルス)……

 PSB―S1……女神専属人間補給基地ヒューマンサプライベースフォアゴッデス計画――実験体第1号――

 そこの小娘――それがお前だよ」


 舌鋒鋭く断罪し、殊更ゆっくりといたぶる様に二人を見下ろす妖女(マーラ)

 サティは呆然と立ち尽くし―

 ガリウスは臍を噛む思いで、複雑な眼差しを娘に向ける。

 妖女(マーラ)はしてやったりという表情で、口も裂けんばかりににんまりと満足の笑みをこぼす。

 そして、さらに受容れ難い事実を口にした。


「つまり……遺伝子上とはいえ、そこの小娘はあたくしの姪になるわけだね。

 しかも……ダナオス坊やの孫なら、あたくしはお前の大伯母に当たるんだよ」

 

 次から次へと襲い来る驚天動地の事実に、頭の中が真っ白に染まるサティ。

 老族長(ダナオス)今際(いまわのきわ)の言葉をはっきりと(、、、、)聞き取れていたガナには、ある程度の予想はついていた。

 けれど……それでも何と声を掛けていいのか見当もつかない。

 だがしかしこれで一つ、謎が解けたような気がする……

 サーラがガリウスの脱出先として……そしてマーラが研究拠点として……ここ(、、)を選んだのは、生まれ故郷で土地勘があったからなのだろう。


「最初からそうと判っていれば、もっと熱烈歓迎してあげたんだけどねぇ…………

 でも……、まだまだ遅くはない……。

 親愛の情をこめて、心ゆくまで弄んで徹底的に再改造してあげるわ……

 フッ……フッフッフッフッフフッフッフ……………………」


 不気味な含み笑いを続ける、身も心も怪物の大伯母――

 そうか……だからこそ、父は自分を逃がそうとしていたのか……血族の保存のため――

 おそらく生母(サーラ)からこの村の出自であることを聞いていたのだろう。

 脳天を直撃されたような衝撃(ショック)から立ち直り、ようやく思考が働いてきたサティ。

 一族とは無縁であると信じていた自分に、時折一抹の寂しさを覚えていたのだが……思いもよらぬ形で発覚した血の繋がりが、今は厭わしくすらあった。


「………………」


 独り懊悩するサティの姿に、何を感じたのか…………

 黙ったまま、サティの頭にぽんと手を乗せたガナは――

 感情を殺した冷たい眼を妖女(マーラ)に向け、淡々と言葉を紡ぎだす。


「マーラ……お前、(ダナオス)の元に(サーラ)良人(おっと)が身を寄せていることを知っていたんだな?」


「……………………」


 ガナの問いに、妖女(マーラ)は何も答えようとはしない。

 残酷な笑みをただ深めるだけである。けれどその無言の答えこそが、何よりの肯定の証であった。

 ガナはなお問い詰める――


「何故だっ!?  知っていて何故こんな無慈悲な真似ができた――

 二人に対する嫉妬をまだ引きずっているのか?

 それとも独りきりが寂しくて、構ってでも欲しかったのか?」


「……ば――っ!? 」


 果たして図星だったのか、ガナの糾弾に逆上し、血相を変えて絶句する妖女(マーラ)

 陸揚げされた魚のごとく虚しく口を開閉させていたが……

 無言のまま摩覇化螺(マハカラ)の顎肢を拡げると――

 凄まじい勢いで毒液を浴びせかけてきた。

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