驚天動地
「……サティ……ボクから…離れるん…だ…………」
摩覇化螺から攻撃を受けた瞬間に組み付いて、あれを開放する――
ガナに残された選択肢はそれしかなかった。
――しかし、もしも自分が命を落としてしまったら……
あれが一体どうなるのか―――
この世に一体何事が起きるのか―――
ガナには予測することすら不可能であった。
「……早く……父上の所へ……できるだけ……遠くへ…………」
「……………………」
サティは地に刺さったままの月輝石剣を黙って引き抜き、妖女に向けて構えた。
「フンッ……小娘が何のつもりだい?」
鎌首を擡げて狙いをすます摩覇化螺=妖女。
小馬鹿にした口調で嘲笑う。
「そんなガリガリの痩せっぽちじゃあ、腹の足しにもなりゃしないだろうけど……おやつ代わりに喰らってやろうか――」
ぬらぬらと赤黒く光る摩覇化螺の牙から、涎のような液体が滴り落ちる。
ぞっとするような光景にも、一歩も引くことなく、屹度妖女を見据えるサティ。
「ほんの少しでもいい。ガナさんを……皆を守る力を貸して――」
自己満足と言われようと、意地だけの無謀な行為と嘲弄されようと……
最後の最後、死の帳が下りこの身を包み込むその瞬間まで、決して諦めるものか――
固い決意に支えられたサティの純粋な想い――
聞き届けた存在が、神か…はたまた悪魔なのかは判らないが――
それは確かに奇跡の萌芽をもたらした…………
「~~~~~~~っ 」
無我夢中で柄を握りしめ、懸命に念を込めるサティ。
その時――月輝石剣の核となる刀身が虹色の光を発し、点滅を始めた。
手にした剣から不思議な力が注ぎ込まれ、サティの身体の最深奥に、途轍もなく熱い塊が生まれ出る。
「――えっ?」
月輝石剣を介して、大気に満ちる真言がサティに無限に注がれていく…………
「――えぇっ?」
サティの全身に拡がった熱い塊――大な魔力は――
「えええぇぇ~~~~っっ 」
臨界点を超え、サティに触れていたガナへと一気に流れ込んだ。
「――――――っ!!!」
暫時呆然と見入っていた妖女が、摩覇化螺の鋏牙で二人を咬み捕えようと急迫する。
瞬息――
サティを小脇に抱えたガナは、すんでの所で鋏牙を躱し、妖女の顔面を(わざわざ)踏みつけて、黒光りのする胴節を疾風迅雷駆け登る。
身体の上の不埒ものを成敗しようと、曳航肢の先の爪が、急降下して二人を襲った。
毒液でぬらぬらと黒光りする爪が掠りでもしたら、命取りになるだろう。
ガナは爪の軌道を冷静に見切ると、慣性の法則を完璧に無視して、瞬時にその場に停止する。
眼前すれすれを通過した爪が、自らの体節に突き当たって勢いを殺した瞬間――
二本の曳航肢の隙間を飛翔するかの勢いで跳び抜けたガナは、空中で身体を捻ると摩覇化螺に正対する形で地面に降り立った。
「――ガナさん!!」
破顔一笑、はじけるような笑顔でガナを見上げるサティ。
常のごとく悪戯小僧のような不敵な笑みを返したガナは、横様に担いでいたサティを優しく地面に降ろした。
「何か知らんけど――助かったよ、サティ」
「……あ、あたしにも何がなんだか……」
足元を多少ふらつかせて、当惑気味に答えるサティ。
油断なく屹然と剣を構えるガナを、改めてしげしげと眺める――
ほとんど死に体だったガナが、まるで嘘のように回復していた。
「……とうとう……目覚めてしまったのか――」
諦念の呟きを漏らして二人を見守るガリウス――
彼は妖女の異様な変容を目にするや否や、集会所の村民へ避難を指示していた。
しかし、娘の身に起きた異変に心当たりがあるのか……
そしてその結果が何を齎したのかまで、ある程度推測がついているのか――門の前に佇み事の成り行きを見守っている。
「……ま、まさか……その小娘――あの時、研究所とともに失われたはずの………」
目を瞠りサティを凝視する妖女―常日頃の驕慢な態度はすっかり影を潜めている。
予想外の出来事によほど動揺しているのだろう。
「……PSB―S1。どさくさに紛れて持ち出していたんだね……お前は――」
摩覇化螺の頭を巡らせて、ガリウスと視線を交わす妖女。
「違う……っ!! サティは、俺とベルナの娘だ――それ以外の何者でもない……」
ほんの束の間、苦しげな表情を浮かべたガリウスは、決然とした表情で言い切った。
――耳には、サーラの悲痛な叫びが今でも残っている…………
――逃げて、ガリウス、貴方達だけでも……その子を……サティを護って――
サーラへの想いを、捨て去ったわけではない。
けれど想い出に囚われて、歩みを停めてしまったわけでもなかった。
サティを護る――亡き女性との聖なる誓いは――今やベルナとの誓いでもあるのだから……
「父様…………」
万感込めた彼の叫びに目を潤ますサティ。
……そんな二人に、妖女は刺すような視線を放ち、憎憎しげな口調で怒声を浴びせた。
「見え透いた嘘をお吐き――っ!! 」
そして舌なめずりせんばかりの嗜虐の表情を浮かべると、
「遺伝子操作により、肉体強化された改造人間ガリウス。
そして私の愚かな半身……治療能力保持者サーラ。
二人の生殖細胞から形成された受精卵を調整し、促進成長させた試験管受精児……
PSB―S1……女神専属人間補給基地計画――実験体第1号――
そこの小娘――それがお前だよ」
舌鋒鋭く断罪し、殊更ゆっくりといたぶる様に二人を見下ろす妖女。
サティは呆然と立ち尽くし―
ガリウスは臍を噛む思いで、複雑な眼差しを娘に向ける。
妖女はしてやったりという表情で、口も裂けんばかりににんまりと満足の笑みをこぼす。
そして、さらに受容れ難い事実を口にした。
「つまり……遺伝子上とはいえ、そこの小娘はあたくしの姪になるわけだね。
しかも……ダナオス坊やの孫なら、あたくしはお前の大伯母に当たるんだよ」
次から次へと襲い来る驚天動地の事実に、頭の中が真っ白に染まるサティ。
老族長の今際の言葉をはっきりと聞き取れていたガナには、ある程度の予想はついていた。
けれど……それでも何と声を掛けていいのか見当もつかない。
だがしかしこれで一つ、謎が解けたような気がする……
サーラがガリウスの脱出先として……そしてマーラが研究拠点として……ここを選んだのは、生まれ故郷で土地勘があったからなのだろう。
「最初からそうと判っていれば、もっと熱烈歓迎してあげたんだけどねぇ…………
でも……、まだまだ遅くはない……。
親愛の情をこめて、心ゆくまで弄んで徹底的に再改造してあげるわ……
フッ……フッフッフッフッフフッフッフ……………………」
不気味な含み笑いを続ける、身も心も怪物の大伯母――
そうか……だからこそ、父は自分を逃がそうとしていたのか……血族の保存のため――
おそらく生母からこの村の出自であることを聞いていたのだろう。
脳天を直撃されたような衝撃から立ち直り、ようやく思考が働いてきたサティ。
一族とは無縁であると信じていた自分に、時折一抹の寂しさを覚えていたのだが……思いもよらぬ形で発覚した血の繋がりが、今は厭わしくすらあった。
「………………」
独り懊悩するサティの姿に、何を感じたのか…………
黙ったまま、サティの頭にぽんと手を乗せたガナは――
感情を殺した冷たい眼を妖女に向け、淡々と言葉を紡ぎだす。
「マーラ……お前、弟の元に妹の良人が身を寄せていることを知っていたんだな?」
「……………………」
ガナの問いに、妖女は何も答えようとはしない。
残酷な笑みをただ深めるだけである。けれどその無言の答えこそが、何よりの肯定の証であった。
ガナはなお問い詰める――
「何故だっ!? 知っていて何故こんな無慈悲な真似ができた――
二人に対する嫉妬をまだ引きずっているのか?
それとも独りきりが寂しくて、構ってでも欲しかったのか?」
「……ば――っ!? 」
果たして図星だったのか、ガナの糾弾に逆上し、血相を変えて絶句する妖女。
陸揚げされた魚のごとく虚しく口を開閉させていたが……
無言のまま摩覇化螺の顎肢を拡げると――
凄まじい勢いで毒液を浴びせかけてきた。




