恐怖、月忌獣―摩覇化螺
「ガナさん――っ!!」
二度三度と地面を転がり、倒れ伏すガナに、危険を顧みることなくサティが駆け寄った。
「……馬鹿……来るんじゃない……」
小剣に縮んだ月輝石剣を支えに膝をつき、ガナはなんとか立ち上がろうと試みる。
黒い触手――というよりはおそらく月忌石――との接触が原因だろう。
ほんの短時間の内に剣を媒介にして浸食してきた邪力が、封印された邪神の活性化を促した。
邪神の暴走を防止するために、魔力の大部分を一瞬のうちに消耗してしまうガナ。
安全機構が働き、意識が強制終了しそうになる。
「……く、くそぅ……ね、眠い…………」
気力だけで一旦は立ち上がったが――力尽きたように剣から手を離し、蹲ってしまう。
強制終了した場合は、こちらでガナの意識が途絶えたからといって、いつものようにサラの意識が交代して表面化する訳ではない。
魔力が一定水準まで自己回復しない限り、休眠状態からの復活はないのだ。
現在の局面においては致命的といってもいい事態である。
こうなると、内部の二人もガナの再起動に魔力を回す余力はない。
一か八か奥の手《、、、》を使ったところで、魔力不足による破綻が目に見えている。
「ガナさん! しっかり――ガナさん……っ!!」
寄り添うようにして身体を支えるサティ。
触れる身体から伝わる体温は恐ろしく低い。
顔面蒼白で、息も細く、このまま死出の旅路についても不思議ではない様相である。
混濁するガナの意識を繋ぎ止めるべく、声を掛け続けるサティ。
――が、異様な気配にふと視線を転じ、思わず息を飲む。
「――っ!?」
屍骸に限らず半生屍骸の合成獣をすら、片っ端から捕食する異形の物体――妖女を核に具現したそれ《、、》は、徐々にその姿を変貌させつつあった。
剣歯虎や合成獣達は、おそらく月忌石を核として、その力で稼動・操作されていたのだろう。
それ《、、》に吸収され、どろどろに溶けていく身体の中に多数の月忌石が見える。
まるで咀嚼でもしているかのように蠕動を繰り返し、その体積を増大させていったそれ《、、》は――比例するように凄まじい魔力をその内に凝縮していった。
「魔道値…弐萬……参…萬――」
解析端末の数値を翳む眼で辿々しく読み取るガナ。
見かねたサティが続きを読み上げる。
「――まだまだ増えてます。伍萬……七萬…………」
瞬く間に妖女を覆い尽くした冥き瘴気が、徐々に質感を帯びていき、黒光りする外骨格へと変質していく。
頭部には一対の長い触覚と鋏状の巨大な牙。
頭部に続く体節には歩肢がなく、顎の形をした顎肢から鋭い爪を生えてきた。
牙から滴り落ちる毒液が、地面を焦がして煙を上げる。
多数の胴節からなる胴部には、無数の肢が胴節ごとに一対ずつ生えてくる。
そして最後の節には、曳航肢と呼ばれる尻尾のような肢が生え、先端から棘状の爪を伸ばした。
衆人環視の中、ほんの数十秒もかからずに、妖女は巨大蜈蜙へと変貌を遂げた。
「月忌獣――摩覇化螺!!」
高らかに宣言する妖女――何の冗談なのか、触手の間から顔だけを生やしている。跳ね飛ばされた下顎もすでに再生していた。
「……魔道値拾万――!!? 」
絶望的な表情で、サティが読み上げる。
「この無敵にして優美の極致を極めた身体には、もうお前の剣や魔法は一切効かないよ」
勝ち誇ったように高慢な笑みを向ける妖女。
嗜虐の色に染まった眼を爛爛と光らせてにじり寄って来る。




