激闘は憎しみ深く
「……………………」
悲嘆に暮れる三人の傍らに、いつしか佇むガナ――
剣を鞘に戻し、胸に手を当て老戦士に黙祷を捧げつつも、今際に老族長が残した言葉が気に懸かる……
建物から出てきた村人達もみな、五人を遠巻きに取り囲むように並び、老族長の死を悼んた。
――その時、解析端末が鋭い警告音を発した。
しかしその寸前――――
全身が総毛立つほどの凄まじい殺気を察知したガナは、ベルナとサティを左脇に抱え、ガリウスを蹴っ飛ばしてその場から跳び退く。
――もちろん悪意を持ってではない――
行き掛けの駄賃とばかりに、右手だけで器用に剣を引き抜き、集会所の屋根を踏み台にして飛び掛ってきた黒い影に、一太刀くれていったのだが…………
「――剣が――効かないっ 」
ガナは思わず眼を疑った。
巨大で鋭い爪に、月輝石剣があっさりと跳ね返されたのだ。
鋳造剣くらいなら、薄紙のように寸断するガナの剣を弾き返したのは――
「ホ~~ホッホッホッホッ…………!!!」
言わずと知れた狂魔道科学者――
心胆を寒からしめる耳障りな笑い声は、厳粛な空気を台無しにする。
「―――っ!? お、お前……マー……ラ?」
戸惑ったように呟くガナに代わって、ガリウスが意外なほど冷静な声で話しかける。
「マーラか…… やはり、見物に来ていたか―――」
「フッ、久しぶりだねぇ………ガリウス――いつまで経っても、優柔不断で甘ちゃんな男だね。
余興でつくったポンコツ促成改造人間を倒すのにいつまで掛かってんだい」
艶然とした微笑を浮かべて、剣歯虎の上から見下すように妖女が声をかけてきた。
多分集会所裏の絶壁の頂上あたりから、高みの見物と洒落こんでいたのだろう。
一部始終を見届けていたようだ。
「――十三年ぶりかい……思っていたよりも老けこんだねぇ……
|《機関》《アムリタ》を裏切ったりするから、とらなくても済んだ歳を食う羽目になるんだよ」
「お前は……変わらんな、マーラ……」
苦々しく吐き捨てるガリウス――
変わらんって……いや、性格悪いのは相変わらずだが、三年前に見たときは、ああじゃなかったぞ――と内心で突っ込むガナ。
「マーラ……? アーシュラじゃ……ないの……?」
ガナに抱えられた際の、急激な加速の変化に眼を回したベルナを気遣いながら、サティが誰にともなく問いかける。
「……それに、アレって……くっついてるの?」
跳びかかる際に捲れたのだろう。
裾の長い腰巻が風に棚引き、本来マーラの下半身があるべき位置に何も存在せず、そのまま剣歯虎の胴体と繋がっているのが見て取れた。
サティの視線に気付いたマーラは、わざとらしく外套着を翻し腰巻の位置を調整する。
驕慢な視線をガナに向けると、毒舌と冷笑を浴びせかけた。
「……ふん、相変わらず反射神経だけはたいしたもんだね。PÅ………M1――
それでお頭の方も人並みだったら、わざわざ貴重なPÅ―F1まで一緒に合成しなくても済んだかもしれないんだけどねぇ……」
主人の言葉に迎合するかのように、低い唸り声をあげる剣歯虎。
絶壁を一気に駆け降り、集会所の屋根を足場に角度を変えて、そのまま襲い掛かってきた運動能力は驚異的だ。
解析端末を近接探査形式にしたままだったため気付くのに遅れたが、魔道値は壱万を超えている。
そのうえ、無駄に振り撒いている殺気値(、、、)に至っては、拾万を超えているだろう。
――もっともそんなものまで計測できるとすればだが――
魔道感知能力に乏しいガナではあるが、これで接近に気付かないほど鈍くはない。
「あんたは相変わらず悪趣味だな~。
何を血迷って、そんなでっけぇ虎柄パンツ(、、、、、)なんぞ穿いてんだよ……
それでも女の端くれだっつう自覚があるんなら、たまには流行冊子にくらい、目を通したらどうなんだい」
……おまけに、悪口雑言を黙って言わせておくほど人が好い訳でもない。
受けた理不尽は、十倍返しが信条だ。
「お黙り―っ!!」
実に簡単に挑発に乗り、激昂したマーラが血相を変えて睨みつける。
「誰のおかげで、こんな中途半端で不自由な格好をしていると思ってるんだい!!」
怒りに我を忘れ、睨み殺さんばかりの血走った眼で我鳴りたてるマーラ。
「――あの時……実験は大成功に終わったわ。
お前は麗しい肉体と素晴しい能力を手にして、人々の賞賛の的となり、この世の栄華を今まさにその手に掴もうとしていたわ…………
なのに何をとち狂ったのか……突然大暴走したあげく、美と叡智を結集した私の研究室をぶっ壊して……
さらに許しがたいことに、月輝石のように滑らかで美しい、あたくしの両脚を奪ってしまった――
もっとも、この美しい野生美………… さらに、卓越した運動能………… そのうえ魔道伝導性を飛躍的に……………………………………………………………………………」
滔々と合成生物の美について説いていたマーラは、周囲の唖然とした視線に気付きもせず、いつのまにか遠い遠い彼方に旅立って逝かれてしまった。
そのまま数分が経ち、さすがに息が切れたのか……
速射弓のごとく繰り出していた言葉を止めて、呼吸を整える。
ふと、視線を巡らすと――
延々と続く年寄りの繰言にうんざりして、そっぽを向いて欠伸をしているガナ。
手持ち無沙汰に、折れた剣の切っ先を砥いでいるガリウス。
長話を完全に無視して、母の介抱を村人達に委ねているサティ。
こめかみに青筋を浮かべたマーラが、呪文を唱えながらゆっくりと指を上げる。
「炎熱神呪!!!」
三人をめがけて放たれた灼熱の火の玉は――
ガナの振るった剣にあっさり跳ね飛ばされ、空の彼方に消えていった。
「お前たち…………人が折角為になる話をしているのに、なんだいその態度は 」
「あのなぁ……何が悲しくて、そんな長いだけが自慢の便秘話を聞いてにゃならんのさ」
大剣を肩に担ぎ、うんざりした表情を浮かべたガナは、くだらない駄洒落を飛ばして妖女を挑発する。。
「お黙りっ!! この恩知らず~~~~~~~~~~」
ギリギリと、聞いているだけでおぞ気が走るような歯軋りを立てて、憎悪の眼差しを向ける妖女――
「大恩ある|《機関》《アムリタ》から、ただ逃げ出しただけでは飽き足らずに、あちこちの支部や研究所を幾つも幾つも叩き潰しやがって…………」
煮え滾る怒りに震える声で、糾弾の言葉を投げかける。
「しかも――よりにもよって、《アーシュラ=アムリタ見参》なんていう、ふざけた貼紙を破壊現場に毎度毎度残していって――」
「「!!?」」
あまりにも意外なマーラの言葉に、その場に居た全員の視線が、ガナに集中する。
「…………え…っと……まさか…ガナさんが……?……アーシュラ=アムリタ……なの……!?」
呆然と目を見開いて問うサティ。
驚愕の事実を暴露された――はずの――ガナは、
「……いやぁ、どの支部に行っても、居るのは小物ばかりで話になりゃしなくてねぇ。
せめて幹部級を誘きだせたらと思って、アーシュラ=アムリタって名乗ったんだけど……
《機関》がやってる悪行っていうか、あのオバンの変態行為と混同されちゃってさぁ、なんか無茶苦茶な噂になっちまったんだ…………」
ボリボリと頭を掻きながら、あっけらかんと補足説明までしてのけた。
「~~誰が、変態だ―っ!!」
周囲の呆れた視線をものともせず、緊張感の欠片もなくへらへら笑うガナを、鬼のような形相で睨め付ける妖女――どうやら自覚はないらしい……
「……そのせいで、お前達の合成担当官だった私に、処分責任者のお鉢が回ってきたんだよ――っ!!
おかげで再生治療は中断を余儀なくされて、こんな中途半端な格好のままド田舎まで出張って来る羽目になって……………………」
つい先刻まで、剣歯虎との合成における見事な形態美とその実用性について…延々と長広舌を振るっていたくせに……と半眼を向けるガナ。
マーラの長広舌を遮るように皮肉げな毒を吐いた。
「それで今度は意趣返しのつもりで、あんたがアーシュラ=アムリタを騙っていたのかい。
芸がないねぇ……ばればれだぜ」
会心の策……と思っていたものを腐されて、棘だらけの視線をガナに浴びせる妖女。
「………じゃ、じゃあ、加虐と被虐と猟奇と大食の性向があって、大量殺人行為と大規模破壊行為が趣味のド変態自己陶酔主義者って、ガナさんのことじゃないんですね?」
……妙に思いつめた目で問い詰めるサティ。
やはり気にはしていたらしい……
「もちろん―っ! 当然だろ。
それはみんなみ~んな、あのオバさんのことさ………顔見りゃぁ一目瞭然で分かるだろ」
どさくさにまぎれて、すべてマーラに押し付けるガナ。
何やら思い当たる節があるはずなのだが……
「お黙り――っっ!!」
柳眉を逆立てて一喝する妖女。
「ぐだぐだと余計な事を喋るんじゃないよ」
それはあんたのことだろっ!!
――その場の全員の思いが一致した――
言外に滲む一同の厳しいつっこみを敏感に感じ取ったのか、妖女は明確な殺意を込めた目で一同を見やる。
「~~あ、あんまり調子に乗るんじゃないよ――小便くさい小娘が……」
「いやぁ、品性まで無くしちまった大年増に言われたくはないねぇ……」
ああ言えばこう言い、こう言えばああ言う――
のらりくらりと掴み所のないガナに業を煮やした妖女は、戦闘体制に入りつつ最後通牒を突きつける。
「……フン、くだらない与太話に付き合うのもここまでだよ。
PA―F1の魔力を使えるようになるまでの時間稼ぎのつもりだろうが、そうはいくもんかい。
それに――アレの力は全く使いこなせていないようだね……
隠しているつもりだろうが、さっきからちゃんと見ていたんだよ」
とんでもなく的から外れた推論を、自慢げに捲くし立てる妖女。
ガナはやれやれとわざとらしく首を振って見せた。
刹那――――
黒光りする凶暴な爪が、眼にもとまらぬ速さでガナの目前に迫る。
爆発的な瞬発力を発揮した剣歯虎が、一瞬で間合いを詰めて飛び掛ってきたのだ。
人間の身体など、まるで紙切れでも斬り裂くように寸断する一撃を、まともに受けるような愚行をガナは犯さなかった。
軽くステップを踏みながら、右に左に上体を揺らし、雷光のごとき攻撃のことごとくを紙一重で交わしていく。
傍らで見ているサティ達には、ガナがばらばらに切り裂かれているかのように見えた。
が――そのいずれもが残像に過ぎず、かすり傷ひとつ負ってはいない。
けれど、風圧のみで地面に刻まれる深い爪跡が、その攻撃の凄まじさを物語っていた。
「……相変わらず……反射神経だけは…いい…ようだね――」
肩で息をしながら、妖女が吼える。
剣歯虎の上でふんぞり返っているだけなのに、何であんなに疲れているんだろう……などと思いつつガナが応えた。
「その台詞は先刻も聞いたって――マーラさぁ……同じ台詞ばっか繰り返してるけど、少しボケが入ってきてんじゃないの」
やっぱり歳なんだねぇ…とぼやきながら、肩をすくめるガナ。
「………とりあえず動けなくしてから、調整槽に叩き込んでやるつもりで手加減していたけれど…………まず先に、そのうっとおしい口を引き裂いてあげるわ――」
妖女の加虐的な宣告と同時に、ガナの顔面目掛け、その巨大な爪を振るう剣歯虎。
微動だにせず迎え撃つガナ――手元が霞み、視認不可能な速度で疾った月輝石剣が、目前に迫る黒爪を鮮やかに断ち切る。
「――オ、月忌石の爪が……!?」
月輝石を基本に改造を重ね、硬度も邪力変換率も飛躍的に向上した月忌石の爪を、旧式の月輝石剣で切断された――
ありえない事実に、驚愕のあまり瞬時硬直する妖女。
寸毫の隙を見逃さず、大きく踏み込んだガナは、返す刀で剣歯虎の首を一刀のもとに斬り飛ばした。
「ぅぎゃっ!!」
もんどりうって倒れこむ剣歯虎の胴体―一蓮托生の妖女も激しい衝撃を受けて、ひきつれた叫びを上げる。
断末魔の痙攣を続ける剣歯虎の背で、恐慌状態に陥る妖女。
「月忌石か――開発途上の噂は聞いていたけど……完成していたんだね」
閑話休題といった感じの気軽な声が聞こえ、妖女の喉元に剣が突きつけられる。
切っ先から辿るようにして見上げると、その先には、不敵な笑みを浮かべるガナの姿――ただし、眼は一向に笑っていない。
「月輝石を改変し、真言を取り込み瘴気に転換する性質を付与しているのか――
だから、高純度月輝石の産地であるここを狙ったんだな……」
そう言いながら月輝石剣にちらっと視線を向けたガナは、
「……一瞬ならともかく、長時間纏わり付かせているとヤバイな……」
剣歯虎を切った際に触れた部分が、黒く変色しているのを確認して眉を顰めた。
「怨念で魔力を操る……か――相も変わらず邪道だね、全然懲りてないようだ……
全くお前さんらしい悪趣味な研究だよ……確か“邪力”とか呼んでるようだね?
…………まあ、その変のことも含めて――お前さんには聞きたいことが山程あるんだ。
だからそろそろ、降参してもらえるかな?」
切っ先でつんつんと妖女の首筋を軽く突きながら、ガナは冗談でも言うような軽い口調で問いかける。
「…………フッ――――」
ただ呆然と、ガナを見上げていた妖女の表情が、不適な笑みに変化し、
「フッフッフッフッフッフッフッフッフッフッフッフッ………………………………」
困惑する周囲の様子など意に介することなく、延々と含み笑いを続けた。
…………かと思えば、
「ホ~~ホッホッホッホッ!!」
怪鳥のごとき笑い声を、いきなり広場に谺させた。
「……気でも狂ったか……?
……いや、狂ってるのが狂ったんなら、まともになったって言うべきなのか…な?」
さすがに引き気味に首を捻るガナ。
そんな彼女を睨みつけて、妖女は高らかに言い放つ。
「この程度のことで勝ち誇っているお前の増冗漫な態度が、ちゃんちゃら可笑しいのさ。
……あたくしは、まだまだ終わらんよ――」
冷たく嗤った妖女は、圧縮変換言語で未知の呪文を唱える。
「ヴォドゥン・メートル・シミティエ・ブンバ・オウンガン・マルーン……」
異様な邪気の高まりを感じ、反射的に下顎を跳ね飛ばそうとしたガナ。
だが――情報を訊き出すのが厄介になる――
ほんの一瞬…脳裏を掠めた躊躇が、剣閃を鈍らせた。
顎を跳ね飛ばすまでの万分の一刹那の損失が呪文の完成を許して、焦眉の急を告げる最悪の事態を招く。
妖女を中心にどす黒い雷光の奔流が、爆発的な勢いで拡散した。
夥しい瘴気を纏った雷光は這うように地面を進み、合成獣達の屍骸へと伸びていく。
「――うわ……っ!! 」
まるで触手のように蠢きながら屍骸を掴み、妖女の元に運び寄せる雷光。
生理的嫌悪感から思わず後ずさる人々の中……ガナは思いっきり踏み込んで、妖女―だったものに再度剣を打ち込む。
しかし、弾力に富んだ粘着質の物体に埋まりこんだかのような、ねちゃっとした感触を感じた瞬間―― 剣勢が停められた。
邪力障壁とでも呼ぶべきか――邪悪な想念をねっとりとした冥い瘴気が包み込み、妖女を取り囲んで防壁となっている。
「――っ!?」
次から次へと沸き蠢く冥き触手に纏わり付かれた月輝石剣は、たちどころにその輝きを失い、瘴気に蝕まれていく。
咄嗟に刀身を消して、その場から跳び退くガナ――
が、自身も深刻な被害を免れることは出来なかった。




