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トリムルティ  作者: 姫野博志
第四章  鷹視狼歩《ようしろうほ》
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猛撃!ダナオス――小さな防衛線

 突然――、

 後方から沸いて起こった苦鳴の響きに、振り返るサティ。

 視線の先には、簀巻き状態から解き放つべく老族長(ダナオス)を囲む村人達――

 と、いきなり豆が弾けるように村人達が飛び退る。


 グゥゥオォォゥゥl


 野獣の雄叫びとともに、はじけた人溜まりの中から飛び出してきた姿は「お爺様――っ!?」

 哀れ合成獣(キメラ)と化した老族長(ダナオス)だった。

 首から下の胴体部分は、燻し銀の光沢(エナメル)素材で覆われていた。

 前腕と下腿部分は、まるで防具を装着しているかのように黒光りする岩で保護されている。

 頑丈そうな胸部保護板がたくましい大胸筋のように盛り上がり、×の字型の腹部保護板とともに真赤に輝いていた。

 前方では、射線から外れて生き延びた複数の合成獣(キメラ)を相手に、ガリウスが孤軍奮闘している。

 背後の異常に気付いてはいるようだが、手一杯で動きが取れない。

 老族長(ダナオス)が――否、老族長(ダナオス)であったものが視線をこちらに向ける。

 赤く濁ったその眼には理性の欠片も残ってはいない…………


 次の瞬間――老族長(ダナオス)は、もの凄い勢いで駆け出した。

 首筋に残った黒い衣服の切れ端が風にはためく。

 その猛進の標的はサラ。

 変性意識(トランス)状態で無防備に座り込んでいる彼女との間に妨げるものは全く存在しない。


 否――


 一片の迷いもなく飛び出してきた小さな姿。

 破邪の短剣を片手に構えたサティは、身を挺して老族長(ダナオス)の前に立ち塞がった。


 ――もちろん無謀だと判ってはいる。しかし、一秒でも多く時を稼ぐことはできれば――


「止めてぇっ!! お爺様―っ!!」


 サティの声は届かない――

 大きく振りかぶった老族長(ダナオス)の鉤爪が、サティの頭めがけて振り下ろされる。

 

 グシャッ――――!!!


 最後の最後まで眼をそむけることなく、サティが直視していた老族長(ダナオス)の鉤爪は―――


 頭上直前で、肩越しに突き出された大剣によって押し止められていた。


「くぅぅ~~」


 思わず息が洩れるサティ。


「大丈夫かい?サティ」


 緊張感の欠片もない落ち着いた声―――


「ガナさん……」


「頑張ったね……助かったよ―」


 口の端をあげて、悪戯小僧のような笑みを浮かべるガナ――

 老族長(ダナオス)を突き放した反動を利用して、サティを抱き寄せる。


「ガナさん……  お爺様……お爺様が――」


「……ああ……、遅かったようだ…………」

 

 苦々しげに視線を転じ、変わり果てた姿の老族長(ダナオス)に眼をやる。

 体勢を立て直した老族長(ダナオス)は、腰帯革(ベルト)の丸く大きな留め金具(バックル)の側面から飛び出す取っ(グリップ)に手をかけた。

 引き抜く動作に合わせるように、中央に意匠された羽根車が唸りをあげて回転する。

 留め金具(バックル)は大気に含まれる真言(マナ)を吸収・変換し、見る見るうちに長大な闇の刃を生成していった。


「あれは…………」


「ボクの剣と……基本原理は同じようだね」


 ガナの剣は、大気に満ちる真言(マナ)から相転移形成した月輝石(ムゥナストン)の剣である。

 魔力の伝導性が極めて高く、ガナはその性質を利用して、質量をほぼゼロに改変し、暫鉄の切れ味を付与している。


 一方、老族長(ダナオス)の右手に握られた幅広の剣(グラディウスソード)は、黒い虹のような光沢の変化(グラデーション)を放ち、採り込んだ真言(マナ)を瘴気に変質させ、その刀身に宿しているようだ。

 あの剣で掠り傷でも負えば、全身を瘴気で侵され、ただ立っていることでさえ困難になるだろう。

 ガナは老族長(ダナオス)の状態をつぶさに観察する。

 頭部を除いたほぼ全身が、月輝石によく似た物質でで覆われている。

 おそらくは月輝石を(ベース)に、瘴気に馴染むように性質を改変された流動性固化物質(ゲル)のようなものと思われる――

 これまでのような有機体との合成ではなく、無機物との融合へと路線を転換したのだろうか……

 そしてそのために、月輝石の産地であるこの谷を選んだのであろうか?


「……ガナさん…………」


 縋るような目つきでサティが呼びかける。

 ……返事に窮するガナ。

 おそらくはサティも解っているに違いない。

 しかしそれでも……一縷の望みを込めて発せられたであろうその無音の願いに、悲しい答えを返すことが躊躇われた。

 二人のやり取りの間も、老族長(ダナオス)の濁った赤い眼は隙を窺ったまま小揺るぎもしない――

 自我すら上書き消去されてしまったのだろう。


「……ごめん、サティ……

 あそこまで徹底的に改造されてしまったら…………もう、元には戻せない―――」


「……そんな……」


「せめて、あの手を村人達の血で汚さないうちに……

 苦しまないように送ってやることしか……ボクには出来ない」


 大剣を握る手に力を込めて、ガナはゆっくりと全身に闘気を巡らせていく。

 それに呼応するかのように老族長(ダナオス)の纏う瘴気も濃密さをいや増していく。

 緊張感が極限まで高まり、皮膚を焦がすような凄まじい殺気が辺りを包む。

 両者とも……今まさに一歩を踏み出そうとした、その時だった―――


「待ってくれ―――」


 二人の背後から掛かった声は…………


「それは……俺の役目だ」


 割当て分の合成獣(キメラ)を片付けたガリウスが、大剣を構えてゆっくりと歩いてくる。

 極めて厳しい眼差しで、真っ直ぐに老族長(ダナオス)を見据えるガリウス――

 その瞳の奥底に交錯する複雑な感情。


「………………」


 視線は老族長(ダナオス)の方へ残し警戒を緩めることなく、ガナは無言で剣を引く。


養父(おやじ)には……言葉で言い尽くせないほどの恩がある……

 身も心も改造されて、戻すことも叶わず、村人や孫にまで仇為すというのであれば―――

 俺がこの手で、天地の理の中に戻してやらねばならない。

 それが俺にできる、せめてもの恩返しだ…………他人に委ねてしまっては、一生悔いが残る―――」


 ガナはちらりと横目でガリウスと視線を合わせた。

 その瞳に宿る強い光が、幾万言を費やすより雄弁に彼の決意の固さを語っていた。


「…………わかった……」


 ガナはサティの肩を抱き、数歩下がる。


「その剣なら――そして貴方ならば(、、、、、)、族長に引導を渡すことはできると思う」


「……やはり、気付いていたか……」


 ほんの少しだけ苦い表情を浮かべるガリウス。


「不思議な気配をしているなと感じてはいたけど……確信を持ったのは、傷の治療をしている時だよ」

 

まあ、確信したのはサラなんだけどね……と内心で付け加えながら、表情を引き締める。


「けど、あの妖剣とはなるべく打ち合うな。まともに十合も交わせば、へし折られるぞ」


 昨夜、合成獣(キメラ)対策に…と、村人達の剣すべてに、切れ味強化の魔法処置をサラが施した。

 その際ガリウスの大剣にだけは、魔法による一時的な強化処置ではなく、月輝石を利用した表面処理(コーティング)も施した。

 それにより彼の大剣は、ガナの持つ月輝石剣(ムゥナストンブレード)並みの強度と切れ味を持ち合わせるようになったのだ。

 ガナの助言に頷いたガリウスは、


「シュリー殿――どうしても……無理なのだな……?」


 背中を向けたまま、迷いを振り切るように念を押す。


「…………ごめん……」


 ガナは嘆息するように答え……なおも躊躇し、その場を動こうとしないサティの腕を取る。

 そして、潤んだ瞳を覗き込むと、黙って首を振った。


「……………………」


 無言で見つめあう二人。

 やがてサティの瞳の中に理解の色が――納得もしておらず、諦めきれてもいないけれど――浮かぶのを確認する。

 ガナはサティの頭にそっと手を置くと、次の瞬間には残存する合成獣(キメラ)兵の掃討のため駆け出した。

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