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トリムルティ  作者: 姫野博志
第三章  楽天知命《らくてんちめい》
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素敵な……あたしのご主人様です――

「――酷い…………」


 想像を絶する残酷な境遇に身震いするサティ。

両膝を抱きしめるように抱え、嗚咽まじりに呟いた。


「……どうして、そんな…酷いことができるの…………」


 膝に顔を埋めるようにして俯くサティを、静かな目で見詰めながら、ガナは自問する。

 なぜ自分はサティにこんな話を始めたのだろう。

 いくら賢いとはいえ自分よりずっと年下の女の子なのに…………


 あれから3年――色々なことがあった…………


 あまりにも醜悪な己の存在に自失し――

 次に気づいた時は、見も知らぬ人たちに保護されていた。

 大陸果ての小さな入り江に、人間の姿で(、、、、、)浮かんでいたところを、

 通りがかりの隊商(キャラバン)に拾われたのだった。

 研究所がどうなったのか、数千(キラ)(メルトレ)の距離をどのようにして移動したのか……

 ――全く覚えてはいなかった。


 社会的常識など皆無の危険極まりない小娘に、

 暖かく手を差し伸べてくれたお人好し揃いの隊商(キャラバン)

 彼らに付いて色々な場所に行き、色々な人達に会い、色々な想いを感じて…

 数ヶ月を過ごした――

 そんな日々の中、ごく普通に暮らすたくさんの人々の心に触れ、初めて知った……


 ――愛――という感情………………


 過酷な境遇に置かれ、凍てつき猶予(たゆた)うことを拒んでいた二人の心は……

 その優しさ、暖かさに徐々に融かされていく。


 そして心の最奥の氷室で、二人の覚醒を待ってくれていた彼女(オリジナル)=ラクシュミー。

 人の心に目覚めることによって、

 サラ・ガナ・ラクシュミーの三人は、初めて意思疎通(コンタクト)が可能な状態となった。


 互いの心の一部を共有し三位一体(トリムルティ)となった彼女達は……

 その身に潜んだ強大な邪神の力を、自在に使いこなすことすらやってのけた。


 ――しかし、それ故招いた最悪の悲劇…………


 そして……悲しい別離……………………


 呪縛を解くための旅が始まった――


 その胸に魔を抱き、ほとんどの(とき)を邪神とともに眠って過ごすラクシュミー。

 探索の旅は、専らガナとサラに委ねられた。


 その後も繰り返される出会い、別れ、そして望みもしない邂逅―

 ゆえに二人は、ある時を境に、必要以上他者と接触することを避けるようになった。


 交流を深め……友情や愛情すら覚えるようになった人々から、

 冷たい視線を向けられるのは辛かったから―

 遠巻きに後ろ指をさされ、石を投げられるのはもう嫌だったから―


 そして何より……

 そういった人々を巻き込んで不幸に陥れることには、もう耐えられなかったから―


 心の中で流れ続ける血の涙が止まらない……

 ……己が手に掛けてきた無数の同胞達の怨嗟の声が止まない。


 ……だがしかし、そんな気持ちを誰かに告白したかったのかもしれない。

 泣き叫びたい心情を吐露し、懺悔を受け入れてくれる友が欲しかったのかもしれない。


 …………そしてその相手に、この幼い……けれど聡明な少女を選び、

 その優しい心根につけ込んで、重荷を背負わそうとしているのか……


 なんて身勝手で、あさましい自分……………………


 ガナは暗鬱に落ち込む一方の思考を打ち切り、そっと立ち上がると、身震いを続けるサティに半外套(デミパルドゥシュ)を掛けた。


「……泣いて……いるのかい?」


 潤んだ眼を隠すように首を振る少女。

 俯いたまま、鼻声で問いかける。


「……それから…ずっと二人で……?」


「基本的にはね――」


 暗くなった思考を振り切るかのように、さばさばとした表情で答えるガナ。


「でも、いろんな…… そう…たくさんの人に助けられて、ここまで生きてきたよ」


 遥か遠い道程を追想しているかのようなその瞳に嘘はなかった。

 サティは少し顔を上げると、


「良かった……」


 そう言って、柔らかく微笑んだ。


 何に対して『良かった』と言ったのか――よく解らなかったけれど…………

 ガナはなんとなく……なぜだかどきっと心が躍る自分を意識して、戸惑っていたー―

 そんなガナの複雑な心境など思いも寄らぬサティは、ふと思いついた疑問を口にする。


「そういえば、いつも眠るたびに交代していますけど………二人同時には出られないものなんですか?」


 サティの何気ない質問で、唐突に現実へ引き戻されたガナは、


「……………残念だけど、それはできないんだ」


 ほんのつかの間ではあったが――和んだ顔と心を引き締めて、言葉を選ぶように説明を試みる。


「ボク達が使っているこの身体は、この世界では基本的にラクシュミー(オリジナル)のものなんだ。

 サラとボクの肉体は、『亜次元』という薄皮一枚にも満たないほど微妙にずれた、別の相空間に保存されている……んだけども……

 ほぼ同時にこの相空間にも重なるようにして存在している…そうなんだ」


「………………………」


 曖昧な笑みを浮かべたまま固まるサティ。


「要するに、相空間の物質的連続性の中に無理矢理割り込むような形でサラとボクを挿入して、ラクシュミーという一個体を融合形成している……ってことなんだって。

 だけど普遍的な連続性を維持する精神の中に、別の自我を維持したまま割り込む方法は、未だに見つかっていない……。

 つまり一人の人間の中で、全く同時に二人の精神が顕現して、その状態を長時間維持することは不可能なんだそうだ」


 ――もっとも、一つだけ……方法があるんだけどね…………


 そう内心で付け加えたガナは、疑問符だらけで顔中一杯になっているサティに気付き、苦笑を浮かべながら補足する。


「動画という技術が|《機関》《アムリタ》には残っているんだけど……その原理を知っていれば、もう少し説明しやすいのになぁ……

 まあ……興味があるなら、今度サラに詳しく解説させるよ」


 固まった笑みを浮かべたまま首を振るサティ。

 サラのいつ果てるとも知れぬ魔道解説に付き合わされるのは、さすがにこりごりだった。


「……もう少し解りやすい部分だけ説明するとさ――」


 実はガナ本人もあまりよくわかってない理屈なので、うまく解説できるはずもなかったのだが……

 このままではあんまりだとでも思ったのか、頭を掻きながら付け加える。


「ラクシュミーはね……自らの精神を凍結状態にすることで、自分と一体化した邪神(アイツ)の暴走を押さえて、亜次元空間に封じ込めているんだ。

 ボク達が交代(チェンジ)しているように見えるのはね……亜次元空間にいる彼女(ラクシュミー)が力尽きて、邪神(アイツ)が目覚めたりしないように交互にで手助け(サポート)しているからなんだよ」


 不徳要領な顔付きのサティに苦笑し、ガナはさらに補足する。


「要するにだ、こっち(、、、)に出ている人格(ほう)が眠ってようが起きてようが全く関係なく……内空間(あっち)では必ず二人の内どちらかが|起きて(、、、)いて、彼女(ラクシュミー)(エナジー)を分け与え続けているのさ。

 だからこっち(、、、)では、どちらが出ていても構わないんだよ。

 栄養補給と睡眠のために、基本的に一日ずつ交代しているだけなんだ」


 ガナのお腹の辺りに何となく視線を送りながら、あれほど食べても太らないのは体内に邪神を飼っているからなのか……などと考えるサティ。


「……邪神って…………いったい、何なんですか?」


「…………ボク達にも、よく解らないんだ…………


 彼女(ラクシュミー)と恒常的な意思の疎通が可能になれば、なんらかの情報が得られるんだろうけど……

 なんせほとんど眠ったままなんでね――」


 なんとも無念そうな口調で、肩を竦めるガナ。


「とにかく、ボク達人間の許容能力(キャパシティ)で理解できるような生易しい存在じゃない…ってことだけは確かさ」


 サティはかなり躊躇った(ためらった)が……意を決したように、それでも消え入りそうな声で尋ねた。


「…………元には……戻れないの?」


「その方法をずっと調べてきた…………けど、判ったことはごく限られている……」


 ガナは、暗い夜空に視線を戻して、どこか、疲れたような表情で言った。


「まず……通常の方法で合成された合成獣(キメラ)を元に戻すことは、ボクらの技術では不可能だということ」


 思わず息を飲むサティ。


「次に……ボクらは『複合次元融合』と言うかなり特殊な方法で造られていて、物質的に混ぜられている訳じゃない。

 だから……何とかする方法が、もしかするとあるのかもしれないってこと」


 ほっとしたような表情を浮かべるサティを見遣り、無表情のまま話を続けるガナ。


「それから……邪神をこの世に顕現させ、その圧倒的な恐怖によって、世界を陰からだけではなく表からも支配しようと―|《機関》《アムリタ》が企てていること。

 そしてそれを、|《アシュラ計画》《プロジェクトアシュラ》と呼んでいること」


「……|《アシュラ計画》《プロジェクトアシュラ》…………|《機関》《アムリタ》……………………」


 眉をひそめて一瞬考え込んたサティは、次の瞬間、驚愕に目を見開いた。


 ――アーシュラ・アムリタ――


「……じゃ、じゃあ……地獄の魔女(アーシュラ・アムリタ)って|《機関》《アムリタ》の関係者なの――?

 ――今回の事件は|《機関》《アムリタ》が………?

 ノスタルギルア王国軍が動かないのもその所為なんですか…… 」


 肯定も否定もせずに、静かな眼差しを送るガナ。

 その瞳を見てサティは、己の推量に確信を持った。


「……だから父さま、あんなことを…………」


 父は事件の裏を――この村が王国から見捨てられたことを、推測していたのだろう。

 うなだれたまま口の端を噛むサティ。

 ガナは見ぬふりをして、淡々と話を続ける。


「支配することが目的なのか。

 それとも支配した後に、さらに何かを企てているのか?

 そこまでは分からないけどね――」


 音も無く、しなやかに立ち上がるガナ。

 その横顔に、か細い星明りの逆光が蒼い陰影を冷たく刻む。


「……そして最後に――

 ボク達のこの姿は、すでに仮初めの幻でしかなく…

 自分達でも気付かないうちに…………

《邪神》をこの世に引き込んで、世界を破滅に導く醜い化け物に取って代わられているのかもしれないってこと――」


 サティは、ただただ絶句してガナの顔を見上げる――

 そのまま夜空に溶け込んで消えてしまいそうな、儚げで寂しそうな顔…………


「突然正気を失って、サティに…無辜の人々にいつ襲い掛かるともしれないんだ……」


「――そんなことありません!!」


 無我夢中で否定の言葉を口にするサティ。


「ガナさんも…サラさんも邪神なんかに負けるはずがありません――っ!!

 ……二人とも素敵な……あたしのご主人様です――」


 時間の長短や付き合いの濃淡など問題ではない――

 ほんのわずかの触れあいでも、魂に直接響く想いが確かにある。


 二人と出会ってからの情景が脳裏を過ぎる。

 驚き、呆れ、戸惑い、喜び…………さりげない気遣いが、不安に揺れる心と身体を鎮めてくれた……

 冥府の扉を開き、その奥深くまで踏み込んだ自分を呼び戻してくれた二人。

 癒しの力とともに伝わってきた強き想いを、しっかりとこの身体で受け止めた……

 命懸けで築きあげた信頼は、おいそれと揺らぎはしない―

 このとき、サティの胸の中には、矜持と呼ぶべき絶対の確信があった。

 今にも泣きだしそうな瞳で一所懸命訴えるサティ。

 根拠も何も無い――思い込みと願望に過ぎない筈のサティの言葉に……

 不思議なくらいの安堵感を覚えたガナは、切ない笑みを浮かべて手を差し出した。


「…………なら、早速ご主人様からの言いつけだ」


 夜空を背にして、伸ばした手を繋ぎ合わせる娘達―ほのかな光を浴びて浮かぶ二人の姿は、泡沫の夢のような光景であった。


「決戦に備えて、少しでも体力の回復に努めなきゃ……

 ――もう遅い…早く寝みな…………」


 そう言ってサティの赤みがかった栗毛をくしゃっと片手で掻きまわしたガナは、ほんの少しだけ幸せそうな笑みを浮かべていた。

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