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トリムルティ  作者: 姫野博志
第三章  楽天知命《らくてんちめい》
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告白

「……サティ、知ってるかい……」


 ずっと無言のまま……天空の子月(テミス)を眺めていたガナが、どこか重い、憂鬱そうな口調で話しかけてきた。


親月(ムゥナ)はね、大昔に――一万年も前の話なんだけど――このアロォーンの大地の地下深くに埋もれていた巨大な月輝石(ムゥナストン)の塊だったんだって……」


 唐突に話題を変えたガナの真意を測りかね、返す言葉に困るサティ。

 ガナは頓着せずに親月(ムゥナ)を見上げたまま話を続ける。


「善き神……と禍つ神婆素鶏(ヴァースキー)の戦いの余波で、天空に彷徨い出た親月(ムゥナ)はどんどんと遠くに離れていき、大地の中核を失ったアロォンは大災害に見舞われ崩壊の危機に直面した。

 善き神の使徒達は、これ以上親月(ムゥナ)が離れないように、天空に浮かぶ神の居城子月(テミス)の魔力を使って現在の位置に繋ぎ留めた。

 そしてアロォーンの崩壊を食い止めるために、月輝石(ムゥナストン)の力を借りて、この地を魔力で覆い尽くしたんだって……」


「……初めて聞きました、そんな話…………

 考えてみたら……太陽と月に関する知識って、子供の頃に聞いた御伽噺以外ほとんど無いんですよね」


 巷ですれば、与太話と一笑に付されそうなガナの話を、ただただ感心して聴くサティ。

 ついでながら云うと、魔術研究の進歩に比べて占星学――特に天文に関する研究――は、どの国においても、特定の研究機関以外ではではほとんど行われておらず、一般人の知識も伝説や御伽噺程度のものでしかない。

 ほぼすべての国民が天動説を当たり前のものと認識しているほどである。

 大きな気候の変動がなく、緩やかな四季のもと、年間を通して豊作に恵まれた特異な自然環境が天体観測に対する意欲を殺いでいるのだろう。


「争いが終わって、神々が現世(うつしよ)から去った後――使徒達は高度な知識を元に、無人だったアロォーンの地に新しい世界を創造し、子月(テミス)から民を率いて移り住んできた……そうなんだ」


 一瞬言葉を切るガナ。物憂げな表情のまま、少し躊躇して決定的な言葉を放つ。


「……使徒達は人の世の営みには原則的に関知せず、自らを≪機関≫と名乗り、善き神の再降臨を図る研究を続けてきた。

 しかし政治・経済等すべての分野において、各王国に対する影響力は計り知れないほど強く、実質的に影から世界を支配していると言っても過言じゃない」


「……………………」


 ガナの投げかけた言葉の爆弾を処理しきれずに、思考停止するサティ。

 そこまでは教える気がなかったのか……?

 それとも彼も知らないのか……

 いずれにせよガリウスは、娘に≪機関≫の正体までは打ち明けていなかったようだ。

 ――再生術に関する知識などから判断すると、ガリウスは≪機関≫のかなり深い部分にまで関与していたはずだ。

 なぜ今まで見逃されてきたのだろうか……

 本当に繋がりを絶っていたのか……?

 疑い出したらきりがなくなる――

 しかし、例えどんな形であろうとも、今回の事件と根っこのところで繋がっていることは間違いないようだ。


「≪機関≫って……父が昔いた所ですよね……。

 神々の再降臨……?

 世界を支配……?」


 次から次へと暴露される衝撃の事実。

 サティはガナの真意が那辺にあるのかをまったく把握できずに、右手で頭を掻きながら半ば譫言(うわごと)のように呟く。

 何をどう考えて、何と言ったらいいのか全く分からない――根も葉もない無意味な話を、この頃合(タイミング)で彼女がするはずもないだろうが……

 ガナは横目でちらりとサティの方を見ると、意図的に口調を変えて問いかけた。


「……サティさ……ボクらのことを遠くからでも一目で見分けてるね……判るのかい?」


 サティは眼をぱちくりさせながら、呆けるような表情でガナを見た。

 三度(みたび)変わった話題に、すっかり戸惑ってしまう―

 だがこれまでとは違い、解り易い話題だったし……なにより、少し頭を冷やしたくもあったので、すっぱり気持ちを切り替えて答えることにした。


「……あのね、二人の周りに見えるの。

 透き通ったような淡い光が……

 シュリーさんは紅みがかっているけど、サラさんは少し蒼みがかっているわ」


 ガナはふむふむと頷きながら、まじまじとサティを見つめる。

 もしかしたらとは思っていたが、やはりサティには霊気(アウラー)が見えているようだ。

 サティは、これまでの重苦しい空気を振り払うかのように、わざと茶目っ気たっぷりに付け加える。


「それからぁ、実際に接してみるとはっきり判りますけど……

 ガナさんは少年ぽくって(ボーイッシュで)、サラさんはお嬢様(タイプ)……性格の違いが表情やちょっとした物腰にも現れています。

 それに話し方だけじゃなくて、声の調子(アクセント)も微妙に違うわ。

 ――あと…………過激で大食いなのは……まあどっちも一緒ですけど……w」

 

 あまりにも的確なサティの分析に、苦笑いするしかないガナ。

 互いに顔を見合わせてしばし笑いあう。

 ふと真顔に戻ったガナが、少し躊躇(ためら)いながらポツリと漏らす。


「……気持ち悪くないのかい? ボクらみたいな…人間…のこと……」


 眼差しに宿る真剣な色――静かな決意を感じる。

 切り出し難そうに色々と話題を変えていたのは、どうやらこの後が本題だったからだろうか……


「どうして……? そんなこと考えたこともありません」


 サティはあえて明るい表情を選択して微笑んだ。

 ……二重人格について、知識としてしか知らない自分に、ガナやサラの抱える懊悩の深さを推し量ることなど到底出来ないだろう。

 知り合ってまだわずか一週間――

 互いの事を解り合うにはあまりにも短い時間だ。

 そして何よりも、自分ごときが軽々しく解ったふりをしていいような問題ではないとも思う。

 しかしサティは、己の中の確かな想い――

 二人に寄せる好意と信頼を、少しでも……ほんの少しだけでも伝えたかった。

 だからサティなりに……拙い言葉だけれど一所懸命考えて、口にしたのだ…………


「剣も魔法も自由自在に使いこなし、二人とも生き生きと、自分自身の足で大地を踏みしめて歩いていらっしゃる…………とっても魅力的に感じます。

 それに考えようによっては、人生を二倍に生きている訳じゃないですか………素敵なことだと――」


 が―――、


「違う――!!」

 そうじゃないっ!! 違うんだっ――違うんだよ…………」


 サティの言葉を遮るように吼えるガナ――(かぶり)を振りながら上げた声は、暗い夜空に吸い込まれ、消え入りそうに弱弱しくなっていく…… 


「……二分の一…………いや、それ以下さ……………………」

 

そして半ば吐き捨てるように呟くと、ガナはサティから目を逸らし、俯き加減に黙り込んでしまった。

 どんな時も余裕と自信に満ちていたガナ――

 ごくたまに、訳の解らないことで独り動転して奇怪(きっかい)な言動をとっていたりもしたけれど…感情の奔流に呑みこまれて、このように激しく懊悩を吐露してしまうなんて…………


「……………………………」


 舌足らずな言葉が引き起こした予想外の反応に、掛ける言葉を見つけられないサティ。

 どのような態度を選択するべきか……散々迷い、考えた挙句…………


 ――待つことを選んだ。


 ガナが自らの意思ですべてを語ろうとしない限り、訊いてはいけない事のような気がしたのだ。

 溢れ出してくる激情を必死に抑え、ガナはしばし瞑目して感情を整える。


 …………やがて……忌まわしき過去の罪状を懺悔する罪深き囚人ででもあるかのような重い口調で告白を始めた。


「ボク達はね…………一人の人間の脳内で人格が二つに分裂した、いわゆる二重人格なんかじゃないんだ――

 ……いや、それどころかまともな人間ですらない――

 【邪神】との融合に成功した唯一の個体(オリジナル)=ラクシュミーに、サラとボク――二人の別々の人間を、追加合成して造りだした【三位一体(トリムルティ)合成魔神(キメラ)】なのさ」


「………………………………………………………」


 ガナの黒瞳に宿る絶望の色――

 脱することの叶わぬ虚無の闇に、無理矢理引きずり込まれていくような感覚を覚え、言葉を失うサティ……………

 ガナはいったい何を言っているのだろう……三人の人間が……邪神と合成――?  

 ……彼女の告白を理性は拒もうとする。

 だが……絶望に染まる漆黒の瞳のその奥に、決して訪れることの無い救世の恩恵(めぐみ)を焦がれているかのような、(かそ)けき魂の光が確かに見えた。

 凛然と覚悟を決めたサティは、ガナの瞳を真っ直ぐに受け止めて、一言たりとも聞き逃さぬよう耳を傾けた。


「……ボク達は…唯一の個体(オリジナル)との合成だけを目的に、研究所の試験管の中で、たった一つの細胞から培養され生みだされた複製体(クローン)という人工生命体なんだ」


 最も重大な秘密の言葉(キーワード)を口にしたおかげか、多少なりとも落ち着きを取り戻したガナは、淡々と物語でも朗読するかのように話を続けた。


「………たぶん、アルフレム山脈だと思うんだけど――研究施設は、かなり高地の険しい渓谷地帯に隠されていた。

 そこで二十年近くも前から、何百人もの複製体(クローン)の子供達が年齢別・能力別に分けられ、過酷な訓練を強いられていた。

 その中に交じって――ボクは剣士として、サラは魔導士として、幼い頃から何の疑問も持たずに実戦訓練に明け暮れて………………生き延びるために、自分と全く同じ姿形をした人間と、何年も…何年もの間、ただひたすら殺し合いをして過ごした」


「―――っっ!?」


 あまりに凄絶な過去に、思わず息を飲むサティ。

 ガナは、心の奥に澱む苦い思い出の封印を解き放つかのように、言葉を紡ぎ続ける。


「最終的に……それぞれの分野で淘汰され生き延びた最強能力保持者として、ボクとサラとが選ばれたんだ。

 そして3年前…………お互いの存在を初めて知った運命のあの日――

 朝、ボク達が眼を覚ましたとき……二人とも不思議な液体に満たされた調整層に放り込まれていた…………」


 己が身を抱きすくめるかのように両腕をまわしたガナは、声に出さず呟く。


(驚いたよ、二人とも……。一つの細胞から培養された同じ複製体(クローン)のはずなのに、決定的に違っていたからね――二人の姿は……)


 表面上は淡々と話を続けるガナ。

 しかしその心の中は、次第にあの忌まわしき過去へと戻っていく。


「混乱するボク達に、冷たい硝子の向こう側で狂笑していた女が、冷徹な口調で宣告した。

 ――ありとあらゆる魔術を使いこなし、どれほど圧倒的な障壁をも打破できる強靭な肉体に生まれ変わるために、これからお前たちは邪神と一つになるのだと………………」


 ――そう……あのおぞましい姿になれと―――

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