蝕
十日夜を迎えた夕暮れ時、東の空では小月がまもなく蝕の刻を迎えようとしている。
街道沿いの古木に寄りかかって、サティは茜色の残滓を帯びた夜空を憂鬱な気持ちで見上げていた。
今にも蝕われようとしている小月って、己の運命をどんな気持ちで受け止めているのだろう…などと考えていたりする。
一方…不安と焦燥に駆られた乙女の悩みなどどこ吹く風のガナは、夕餉の支度に余念がない。
運悪く通りがかった野良豚|(猪ではない)を苦もなくとっ捕まえると、あっという間に夜営の準備を終え、豚の丸焼きの製作作業に取り掛かった。
結局ほとんど一人で完食してしまうんだろうな……とぼんやり考えながら、とりあえず今後の方針について――まともな返事は全く期待ぜずに――訪ねてみた。
すると意外なことに――
「……そうだなあ、奴らが動くとしたらまず間違いなく五日後の十五夜の日だろう。
だから、ボクたちは前日の夜までには村に辿り着くようにして、避難所の村人達と合流しなくちゃな」
豚を焼く火加減に気を配りながら、サティの質問に真面目に答えるガナ。
「そこでどれだけ戦力を揃えられるか次第ではあるけど、基本的には不意打ち―生贄を引き取りにきた連中に向けて、ドカンと一発カマせれば理想的だな……」
そこまで言ったガナは……目を丸くしてまじまじと自分を見つめるサティの表情にようやく気付いて、怪訝そうな声を発した。
「――って、なんだよ?」
「……い、いえ、あの……」
予想外の戦術的な思考に仰天したサティは、ガナさんにそんな頭があるなんて思いもしませんでした…とも言えずに、
「……なぜ、生贄の日が五日後だと断言できるんですか?」
咄嗟に思い浮かんだ疑問を口にした。
そんなサティの内心の葛藤に気付く由もないガナは……太陽とアロォーン・親月・小月の位置関係を、炎と豚と手に持った二つの棒とに準えて説明を始めた。
「つまりさ…最初にセロンが襲われた日の翌日が、親月・子月ともに月蝕で隠れる日だ」
ガナはそう言うと、二本の棒をそれぞれ豚の上に持っていき炎から遠ざけた。
「光は遮られ、闇の力が最も活発になり、黒魔術系の影響力も甚大になる―まあ幸いなことに親月は部分月食だったけどさ…………」
――もし…部分月食ではなく、皆既月食だったら………
何十年、何百年に一度の出来事だけど、そのときは闇の力が最大となり、最悪の事態が引き起こされることに……いや、・・が引き起こすことになるだろうね――
そう声には出さずに呟いて、話を続けるガナ。
「だからこそ奴らは、前日に実験体を確保して二重蝕の日に備えたんだよ」
ガナは、サティの目を見て理解の色が浮かんでいるのを確認すると、太い方の棒を炎と豚の間に、細い棒を豚の上に持っていった。
「そして今から五日後――今度は親月の新月と子月の月蝕が重なる日だ……
前回よりさらに強大な闇の力の活性化が起きる――しかも、より長時間に渡ってね」
ガナは二本の棒を円軌道に沿って動かしながら、サティに真剣な眼差しを向ける。
「奴らがこの絶好の機会を見逃す筈はない―」
断定的な口調で結んだガナは、一旦視線を豚に戻す。焦げ目が付かないようにひっくり返しつつ、横目でチラッとサティの様子を窺った。
天文学の知識などほとんど縁がない大半の民間人にとっては、ガナの話など胡散臭いペテン師のよもやま話にしか聴こえないだろう。
しかし、父ガリウスから天体の運行に関する知識も学んでいたサティには、ガナの話を一応理解することができた――が、
「新月の前日に行動するっていう論拠が、今ひとつ解らないんですけど……」
ガナの説明を頭の中で反芻し検証していたサティは、気になる点を端的に指摘した。
サティの当を得た反論に感心の表情を浮かべたガナは、よっこらしょと、豚を火から下ろしながら質問に答える。
「実験にあたっては、被験体をなるべく良好な状態に保ったまま開始したいはずだ」
何日も前から拘束していては、監視や食事を与える手間が無駄にかかる……」
そして、下ろした豚を、並べておいた大きな葉の上に横たえると、
「実験準備さえ整えておけば、被験体に施す事前処理なんか数時間もあれば済むからね。
……効率を考えれば、獲物は当日の朝に捕獲してくるのが一番なのさ」
肩をすくめながら、理路整然と話を結んだ。
……確かに、言われてみればそのとおりなのだが―
朝の一番採りが新鮮だよ……
と、なにやら人間を食べ物扱いしている様な気がして、どこか釈然としないサティ。
しかもガナが……
「だからこそボクらは、時間調整をしながらきちんと体調を整えて、慎重に村へ辿り着かなければならないんだよ」
などと付け加え――完成した豚の丸焼きを鼻唄交じりに切り分けながら、
「そのためにも、まずは腹ごしらえ、腹ごしらえ 」
……と嘯いているものだから、ますます感情が納得してくれない。
せめてもの抵抗のつもりで、冷ややかな視線と皮肉を送った。
「……あえて言いましょう。いい加減にしないと、共食い(ブタ)になりますよ――と」




