プロローグ
あの日から、
眠るのが怖くなった。
あの日から、
鏡を見ることが出来なくなった。
あの日から、
自分自身が嫌いになった。
そして、
あの日から…………
この世界のすべてを――――
ピトン…………
ピトン…………
射干玉の闇に刻まれる耳障りな響き。
ピトン…………
ピトン…………
闇を貫き天空に聳立つ蒼白く透明な柱―
巨大な月輝石が放つ淡い燐光は、
奈落の罪人に慈悲を齎すべく、
天空より垂らされた一筋の救いの糸のようにも見えた。
ピトン…………
ピトン…………
蒼白い燐光の中に、ほのかに浮かび上がる人影―ひとつ、ふたつ、みっつ………?
糸の導きによって、奈落の底から救い出されているかのように、宙空に静止している。
ピトン………
ピトン……
淡い光に包まれた裸身は、まだ若い女性達のようだ。
ひときわ高く浮かぶ娘は、巨大な月輝石の中に……
残るふたりは、等身大の月輝石に閉じ込められ正三角に相対している。
ピトン…
……ツーン…… ピ
カツーン……
カツーン……
永劫に続くかと思われた単調な調べを乱したのは、軽く硬い靴音……
蒼い光に照らされて、暗闇の中に新たな人影が浮かびあがる。
カツーン……
カツーン……
カツーン……
手近な等身大の月輝石に近づいた人影は、滑らかなその表面を片手で軽く触れながら、閉じ込められた人影を値踏みするように仰ぎ見た。
白く滑らかな肌に腰まで届く黒髪を纏った娘が、驚いたような瞳でもう一方の等身大月輝石を凝視している。美しく整った顔立ちに均整のとれた姿態は、名だたる芸術家の創造した女神像をも色褪せたものにするだろう。
カツーン……
カツーン……
よどみなく続く足音………
ふたつめの等身大月輝石には、まるで鏡に映したかのように同じ容貌をした人影がーー二人の間にはひとつだけ決定的な違いが存在してはいるがーー全く同じ表情を浮かべて、刻の流れから置き去りにされていた。
「フッフッフッフッフッ……ついに来たわ、この時が―」
自己陶酔に浸る耳障りな女の声が闇に谺する。
カツーン
カッーー
巨大な月輝石の柱に封印された人影に舐るような視線を向け、
「すべての準備は整ったわ……」
優しく手を添えると愛おしそうに頬ずりをする。
「今こそ……、今こそ、目覚めるのよ!
アーシュラァァァァーーー
オーホッホッホッホッホッホッホ…………………………」
冷たい月輝石の表面にぴたりと身体を押し付け、よがるように身悶えしながら狂笑を続ける女。
射干玉の闇にわだかまる単調な刻が,今動き出した…………