3 隣
ありえないと思っていたことが、本当に起こってしまった。
それは、誰しも経験したことがあると思う。
”ありえない”と思っていたことが、起こってしまったのだから
やっぱり、その時は誰もが驚くんじゃないんだろうか。
そして、僕はいまそれを経験している。
顔を真っ赤にしながら、それを経験している。
彼女は本を読んでいるので、顔を伏せている。
なので、僕の存在には気付いていない。
このまま、一生気がつかなければいいのだが――。
僕が他の机に向かおうかどうか迷っていると
彼女は、突然顔を上げた。
その瞬間、僕の鼓動は今まで以上に早くなった。
もう、死んでしまうかもしれない。
そんなことを思うくらい、ドキドキしていた。
彼女と目が合う。緊張とドキドキはピークに達した。
僕と目が合うと、彼女は優しく微笑んだ。
僕もつられて、笑い返す。
すると彼女は、誰も座っていなかった隣のイスの
クッションを叩いた。
ここに来いということだろうか。
僕は緊張しながらも、彼女に近づいた。
「小池賢君・・・だよね・・・?」
僕は驚き、目を丸くした。
彼女が、僕の名前を覚えていてくれた。
僕の顔が、再度赤くなるのが分かった。
「座って」
彼女は隣のイスを後ろに引いて、僕が座れるようにしてくれた。
「あ・・・ありがとう」
僕は緊張しながらも、彼女の隣に座った。
こんなことが、あっていいのだろうか。
憧れの人が。好きな人が。自分の隣に座っている。
それは夢のようであり、幸せの一時だった。
「学校では話さないけど、私の名前、覚えてくれてる?」
勿論だ。それどころか、同級生の男子で
彼女の名前を知らない者は、いないだろう。
「えっと・・・白井実那さん・・・でしょ?」
声が上ずった。思わず、口を押さえる。
すると彼女は、クスッと優しく笑った。
「よかった。覚えていてくれて」
笑った顔を見たいのだが、どうにも隣にいると
恥ずかしくて、顔がそっち向かない。
「私のことは、ミナって呼んでくれていいからね」
彼女の優しげな声が、すぐ横から聞こえる。
鼓動は早まりっ放しだ。
「えっと・・・じゃあ・・・ミナさん・・・」
言った後に恥ずかしくなる。
こんな僕が、こんな素敵な彼女の名前を
呼んでもいいのだろうか。
「さんはつけなくていいのに」
彼女が笑ったのが分かった。
「じゃあ、私は賢君って呼ぶね」
「えっ!?」
思わず驚き、顔を上げ彼女の方を向く。
彼女は、ずっとこちらを向いていたらしく
僕が彼女の方を見ると、彼女の顔がすぐ近くにあった。
もう少し近づけば、それこそ唇だって重なるだろう。
それくらい、僕と彼女の距離は近かった。
「え?名前で呼んだら嫌?」
彼女は、少し驚きつつ僕を見る。
目が合う。というよりも、さっきからずっと合っている。
僕が驚きすぎて、視線を外せないだけだった。
そこでやっと我に返り、恥ずかしくなり俯く。
「そ、そんなことないけど・・・」
「よかった。じゃあ、賢君って呼ばせてもらうね」
彼女がふっと微笑んだ。
もう、そこから先は曖昧な記憶となっていた。
彼女と色々な話をしたことは、覚えている。
でも、話の内容までは覚えていなかった。
緊張しすぎて、恥ずかしすぎて。
彼女があんなに近くにいる。僕の横にいる。
そう考えるだけで、心臓は壊れそうだった。
気付けば彼女は「もう時間がないからいくね」と言い
僕は放心状態で、彼女に手を振っていた。
それが最後で、僕はいつの間にか家に帰っていた。
隣に好きな人がいると、あんな風におかしくなるのか。
それは、僕だけかも知れないけど
少なくとも、好きな人が隣にいる場合は
誰しもが、嬉しく戸惑うだろう。
思い出すと、また顔が赤くなった。
僕は、誰かが見ているわけでもないのに
両手で顔を覆った。
頭の中では、彼女の声が響き渡っていた。