4月6日/木曜日(前)ー決断ー
どうも、りゅうらんぜっかです。
初めての方は初めまして
前回の続きで読んで下さっている方は、ありがとうございます。
というわけで前編です。
美少女攻略ゲームでメインヒロインの人気が出にくい理由の一つに、ルート上ヒロインの醜い部分が現れやすいから、あまり深く掘り下げられないサブヒロインに比べて人気が出ないと言われますが、黒羽は正にこれに当てはまるのではないでしょうか?
…いや、それ以前の問題ですね。ヒロインを可愛く描けない自分の力量不足ですね。
戯れ言はこの辺に、それでは本編をどうぞ!
体が酷くだるい。
昨日は疲れと苦悩の二重苦がある出来事を味わい、その受けたダメージを睡眠では解消されなかったようだ。
しかし、俺はあくまでその事象の目撃者であって当事者ではない。そんな人間ですらこの疲労を感じているのだというのだから、当事者はその何倍上に行くのだろうかと目算するだけでも恐ろしい。
靄が漂う頭から真っ先に、その張本人である黒羽の顔が浮かび上がる。
その顔は容姿端麗、それ相応の美しく流れるようなストレートの黒髪と美人であるが、そんな彼女の目は光りを拒絶しその未来さえも閉ざしかねないどす黒い魔眼に近いものを携えてしまっている。
元々そんな瞳ではなく、本来の彼女の瞳は深紅の宝石のような目を持っていた。
諸悪の根源は中原とその取り巻き2人で構成された三位一体の化け物だ。
やはり黒羽は奴等にいじめられていた。それも現在進行形で。
長い間こいつらの虐めを受け続けて、心も体も既にボロボロのはずな彼女だったが、今まで屈せず持ちこたえていたと思う。
だがそれは過去形であり、昨日の様子は今までと一変していた。それこそ彼女達に屈してしまったと思わせるような。
今日もちゃんと学校に来てくれればいいのだが、下手したら希望的観測と表現されてしまう位のものになってしまう可能性は否めない。
それくらい昨日の黒羽は人が変わったかのような変容だった。
…そもそも俺は加害も被害もあったこともしたこともないから双方の気持ちは憶測することはできても理解することはできない。
それでも。
それでも一つだけわかることがある。
それは間違いなく黒羽は『被害者』だと言うことだ。
確かに黒羽側にもなにかしら原因があるかもしれない。
お互いのすれ違いからいじめに発展するというのはよく聞く話だ。
が、今までの彼女らの発言を聞く限りその原因は見えてこない。
むしろ一方的に彼女を嫌い、支離滅裂な暴言や理不尽な暴力を繰り返す彼女らが理由はどうであれ圧倒的に悪い。
彼女らの目に入ってしまい、自分達の欲望を解消するためだけに被害に遭う不幸な人間…それが今の彼女なのだろう。
それはあまりに酷だ。
続かせない。
―…精々独り善がりにならないよう、最善の注意を払いながらやっていこう。
そう決意し、鉛を抱えたように重い体に鞭を入れ、ベットから起きあがる。
「う…」
思わずうめき声を上げてしまう。
特記することなかったので、そのまま学校へ着き、教室に到着した俺だがこの光景は事細かに綴らなければいけない使命感のようなものを感じた。
今日も一番ですか…お早いですね、栗崎さんよ。
「スー」
昨日同様、俺の後ろの席に位置する栗崎は達也発狂ものの無防備で僅かに寝息を立てながら机に突っ伏して寝ている。
熟睡している辺り、俺が来る相当前に来たという予想がつく。
彼女の真ん前にある我が机に座る。
…栗崎の朝が云々言っているのは、栗崎ルートの名残であるという事はみんなに秘密だ。
適当にメタ発言してお茶を濁した俺は栗崎の快眠を妨害しない程度の音を立てて今日の授業の準備をする。
と言っても教科書を机に詰め込むだけの簡単なお仕事であり、20秒もしない内に俺は『暇』状態にシフトする。
目の保養になる栗崎の方へ首を向けると彼女は子供のように大胆に寝て髪が放り投げ出されている姿をしていた。
栗崎らしいといえば栗崎らしい。
昨日みたく栗崎を無理矢理起こして話し相手にするのは自己中心的過ぎだと学習済みなので今日はできるだけ彼女に心地よい眠りを提供したい。
彼女に微笑むと再び正面を向き、黒板の上についているアナログ時計は長針が12と1の狭間で、短針は7をきっぱり指していることを確認する。
それは授業開始まで1時間近くあることを意味し、同時に1時間近くやることがない事を意味する。
以前記したようにテストなんて存在しないので端から勉強する気もないし、達也もいないのでひたすらにやることがない。
軽いため息をつき、机に顔をふせる。
やることがないなら寝るしかない。
・・・
・・
・
伏せてどれくらいの時間が過ぎただろうか。
「…くn…」
闇が完全に視界を支配した世界の遠くから、一筋の光りとも呼べる何か聞こえる。
「…つ…らく…」
それは段々近づき…
「辻村君!!」
!?
睡眠世界に向かって歩いていたら、後ろから現実世界に何者かの手によってひっぱりだされる。
それは嫌われ役を自ら買って出た無機質な目覚ましではなく、活発明快な声色で、どう聞いても女の子のものだ。
俺は腕を括って作り出した暗闇の池から教室本来の明るさがある地表に少しずつ顔を出す。
少し感じる眩しさと謎の人物からの睡眠妨害による不快感を覚えつつ、俺は呼ばれる方向へ顔を向ける。
どうせ達也だろ。
その目に達也のどや顔が映った時にはどんな命乞いを俺に唱えてきても容赦なくアッパーをぶちかまして…
「やっと起きたーっ。もーっ,何回呼んだと思ってるのっ?」
そこには俺が想定していた人物とはそもそも性別から違い、両手を腰に当てて不満げに唇を尖らせるこれまた美少女が立っていた。
「く…栗崎?」
肉まんだと思って食べた奴があんまんで、それは決して不味くないのに酷く不味いと感じてしまうアレのような意外さを突発的に感じる。
脳をたたき起こし、状況を把握する。ん?なんで栗崎が俺を起こしたんだ…?
「ちょっとっ!」
「のわっ!!?」
机の下から上にヌッと俺の目の前に栗崎の顔が出現するもんだから驚きで脳内に津波が発生し船長が舵をひっくり返し、俺は何かに押されたように顔を引っ込める。
「よかったぁ~,死んだかと思ったよ~」
字面だけ見れば心配しているそれだが、実際目の前にいる彼女は悪戯を大成功させて満足する小悪魔のようなしてやったり顔だ。
「びっくりさせるなよ」
「てへっ、昨日のお返し…かな?」
殺意ではなく好意を持ってしまう舌を出して片目ウインク、それに手を頭の後ろに回すという伝説の『てへぺろ☆』コンボが炸裂してしまったもんだからもはや言葉も出ない。
あざとい、実にあざとい。
パッと彼女の後方にちらりとある時計を見ると、せいぜい10分経った位だろうか。
そんなことより何で彼女が俺を起こしたのだろうという疑問を解決するため、早速回答者に催促する。
「なんで栗崎が俺を起こす必要があるんだ?どうかしたのか?」
「んー?」
表情を変えず徐に栗崎がピッと腕をのばして、何かを指す。
言葉による答えを得られないので、俺は行動により示された答えである栗崎の腕を目で追う。
彼女の手の先にあったのは…
「…黒羽?」
今朝もはやいんd…!
俺はここ最近疑いっぱなしの目をまたまた疑う。
そこだけ時が止まったように、背景の一部にとけ込んでいると見間違えるほど動かない黒羽。
黒羽自身もそうだが、見ている人間をも鬱にする背中とむせかえるほどのどす黒い負の雲が黒羽の頭上を彷徨いている。
学校に来てくれたところには素直に喜べるが、そんな姿では素直に喜ぶことはとてもじゃないができない。
「…彼女になにか用があるのか?」
光と闇という表現がこれまでしっくり来ることのない非対称的な2人の女の子を交互に見ながら『光』を担っている栗崎に静かにそう言う。
「これなんだけどっ」
突如戦えるモンスターがいなくて人の目の前で逃避という名の目の前が真っ暗になる現象に近いものが起きる。
慌てて顔をのけぞらせると、正方形の紙が俺の眼球にくっきり写る。
「これは…?」
見出しの部分を見て全体像の輪郭を確認する。
「……陸上部?」
昨日からなにやらコソコソやっていたあの紙らしく、どうやら完成したらしい。
「ちょっと見てみてっ」
栗崎から正規に紙を受け取り、見出しだけでなく全体にしっかり目を通す。
「ふむ…」
…内容をたった一言のシンプルな言葉で言えば『勧誘紙』だ。
宇宙人や未来人を勧誘しているのではなく陸上部員を勧誘しているもので、丁寧に仕上がっているため見ていて気持ちが良い。
「なかなかいいじゃないか。これを一人で作っちゃうなんてな」
率直な感想を述べると栗崎は可愛さを一段上乗せした笑顔でこういった。
「エヘヘッ、辻村君はほめてくれると思ったよっ」
「こいつをどうして黒羽に?」
3年生なって部活に入る奴だなんて異例の部類に入るだろうし、なにより勧誘して黒羽が陸上してくれるだなんて長靴で鯛が釣れるくらいの期待度だ。
これまた何気なく聞いてみると栗崎は『何訳の分からないことを言っているんだ』と言いたげな無表情に近い微妙な顔つきになる。
「だって今、あたしと辻村君と黒羽ちゃんしかいないじゃない?」
教室はしーんと聞こえそうな位閑散とし誰がどう見ても三人しかいないこの状況に対して『確かに』としか言いようのないありのままの正論を言ってきた。
「いや、確かにそうだが…、だから、なぜ俺を起こす必要があって、その紙を黒羽に見せる必要があるんだ?」
この妙に会話が繋がらないところが3次元の女の子と話しているんだと実感する。…そう思う俺はもう駄目かもしれない。
「え?そりゃあ黒羽ちゃんと辻村君をくっつけるためーっ」
正論を正論で返すとニカッといつも通りの元気果汁100%の特製笑顔を浮かべてようやく話が見えない流れに解答を得ることができた。
成る程、栗崎のこの紙を会話ツールにして、俺と黒羽に話す機会を与えようと言う魂胆な訳だ。
その言葉にどこまで本気が含まれているのか分からないが、この状況下ではそれは間違いなく黒羽の耳に不本意でも入り込み、変な誤解を生み出すだろう。
「な,何いってるんだよ!それより黒羽ともっと仲良くなる良い機会じゃないか」
うまいこと軌道修正できたと思う…が、そもそも俺達の会話など黒羽にとってゴミ以下としか感じていなく、聞いていない可能性が極めて高い。
だからこそ俺はこう言った。
栗崎の体中から溢れる元気を黒羽に与えたらあの黒雲をはらしてくれるかもしれないと期待したから。
当の本人は全然okな様子なので背中を押す台詞を加える。
「な?行ってこいよ」
「まぁそれもそうだねっ。うん!行ってくるよ!」
そう言って置き土産ならぬ置き笑顔を残した栗崎は自作した勧誘紙を持って黒羽の元へ足を運ぶ。
今から告白でもするかのような、緊張をにじませた顔で黒羽のもとへ近づき、そして立ち止まる。
「これを受け取って下さいっ!」
腰を45度折り、正しい謝り方と同じ角度で栗崎が両手で紙を差し出す。
もしこの場面に遭遇した人がいたら十中八九黒羽に告白しただと思うだろう。百合好きが歓喜の瞬間である。
だが、次の展開はそう明るいものではなかった。
「…」
「…?」
黒羽は栗崎の行動にうんともすんとも言わないどころか、栗崎の行為などなかったかのように、先程となにも変わらない態度でいる。
それを『無視』と表現するのは間違いであり、『感知できていない』という方が正しいと個人的見解を言わせてもらったが、現にその通りだと思う。
あれは完全に自分の世界に入り込んでいる。
「ね?黒羽ちゃん?これを受け取って欲しいな?」
「…」
栗崎が人形に語りかけている変わった子と間違われても仕方のない光景が繰り広げられる。
魂が抜けた人の形をした屍と存外が殆ど無い黒羽に、栗崎は健気に諦めずに話しかける。
「あ、あれー?あたしのこと忘れちゃったかな?ならもう一度じ、自己紹介しておくねっ。あたし栗崎あずきっていうの、よろしくっ!」
ふっかつのじゅもん が違うのか、入力すら受け付けないのかは定かではないが、無反応だというのは共通解だ。
栗崎の全くもって空回りな自己紹介が静かな教室を揺らし、昇華する。
「…」
「…」
「How about you ?」
「…」
「…は、はは…」
「…っ…ごめんっ!」
一礼した後、やや回転気味に黒羽の後ろを向いた栗崎は、全力疾走で俺のところまで戻ってくる。
「…だめだった…なにかあたし嫌われるようなことしたのかな…?」
肩を落とし、渋い顔をうかがわせる。
「ど…どんまい…」
周りを明るい元気いっぱいの青空へと変える栗崎でさえも黒羽によってその青空は灰色に塗りたくられてしまっているこの状況。
これは…悪化というレベルではない。末期だ。
変わりすぎだろ。昨日はあんなに栗崎と楽しそうに会話していたのに。
一体全体どうして、ここまで変わり果ててしまったのか。
やや荒っぽく椅子がひかれる。
というのはオレが立ち上がったからであり、黒羽の所へ行くためだ。
「え?辻村君がいってくれるの?」
そのやや驚きを見せる顔の裏に『大丈夫?』という心配が見て取れただけでも十分だ。
「…あぁ、その紙を貸してくれ」
栗崎が、その描写こそ少なかったものの、頑張ってかいていた努力の結晶を受け取る。
「…頑張って」
黒羽にも丸聞こえな声でそう激励を受けた俺は、ゆっくりと彼女の元へ。
「…黒羽」
十歩も歩かないうちにある黒羽の席へ。
「昨日のこと,まだ引きずっているのか?」
「…」
いきなりそんな核心に迫る質問はいささかまずかったかなと思ったが、これくらいパンチの効いた質問じゃないと動かないと判断する。
梵鐘を手で叩いても音は響かない。
「…」
その鈍い輝きすら放たない黒紅な瞳がうつす先は、俺ではなくいつになく綺麗な机だった。
具体的に言えば教科書類がない、という意味だ。それにしても机がやけに汚いのは仕様ではない。
…!?
…机はいつからノートになったのだろうか。
栗崎の髪の色をしているはずの茶色い机は、7色を超える色で埋め尽くされていた。
内容は書き連なる悪態や下種な言葉のオンパレードであり、『落書き』なんて言葉じゃ収まるレベルじゃない、これは幼稚園生レベルの『塗り絵』だ。
だが人の人権、人格を全否定している暴言のみで構成されているところが、幼稚園生の塗り絵とは決定的に違う。
「こ、これはいったい…!」
今まで教科書やノートで隠されていた机の荒れ果て、見放されて風化した都市のような素顔。
これが意味することは…ただ一つ。
―…屈した。
いじめにあっている事を隠す。
それは理性を保った人間がする行為であり、大抵の人間はそれに準じていることだと思う。
しかしそのいじめをなんとも思わなくなり晒しても構わないと思ってしまったそのとき、それは奴らに完全に敗北したことを意味する。
簡単に言えば調教されたのだ。
彼女らの道具として。
「…」
「と,とにかく消さないと」
とにかく俺はぞうきんを求めて廊下に駆け出そうと黒羽に背を向けた。
…が、彼女はそれを取らせに行かせてくれなかった。
「……や……め……て…」
!
黒羽の言葉が石化の呪文で、それを受けたかのようにピタリと足が硬直し、止まる。
その意志は絶対的な説得力を持ち、抗うこと、意見することの隙穴は何処にも開いていない。
…どうして…
全く理解できない。
振り返って彼女の顔を確認すれば眼中に俺の姿はなく、ただただ俯いて中原達の芸術に浸っていた。
―思えばこのとき、無理矢理にでも拭いて、彼女の意志をねじ曲げておくべきだった。
ガラッ
「はぁい!じゅぎょうをはじめますよー!」
もういっそのこと小学校に転勤しろよと言いたくなるほど、まかり先生は元気よく登場する。
いや、その元気さが先生の売りであり、あざとさであるから俺はいっこうに構わないわけだが。
この時間は国語の授業であり、4時間目の授業であるが、俺にとってそんなことはどうでもいい。
ここまで本当に淡々と、俺の中の時間軸では進んできた。
時折黒羽を見てその様子を確認するが、いつ見ても彼女は身動き一つ取らない。
俺は上の空で授業中先生の声は完全にBGMと化しており、そうなってしまうほど一体何を考えていたのかとは、もはや語る必要はない。
「グオーッ」
そう、こいつのいびきも聞こえない程。
…俺の思想に大量の水をさすこの男も、ある意味不動で席に着いている。というか、立ってすらない。
一体何時間寝ているんだこいつは。
それとほぼ同じような態度を取っているk…
!?
忽然、という2文字が即座に頭の中で構築され、それを行動で示してくれた人物が1人いた。
いるはずの黒羽の姿が、ない。
俺の席の北北西にこじんまりと座っているはずの彼女が既にもぬけの殻と化していた。
普段だったら誰であろうとそこまで気に止めることはないだろう。
だが、今回ばかりはその思考は許されない。
その開いた席を見た刹那俺に電流というか、悪寒に近いものが音速で駆けめぐる。
…まさか…
…いや、先走り過ぎた考えかもしれない、でも、最悪の事態を防ぐためだったら多少過保護な心意気を持っていても悪くはないだろう。
彼女はここまでびっくりするくらいテンプレートに物事を進めてきたんだ、今更奇をてらうことは有り得ないと考えて良い。
そんな筋書き通りに彼女が物語を演じているというならば、この次のステージは…
そしてそこで行われる演技は…
…
授業中何度も何度も彼女の台本を読み直し、続きの執筆を待っていた俺だが、今回ばかりは俺が筆を執って白紙の脚本に物語を綴らないといけないようだ。
その台本が破れ、永久に続きが書かれなくなる前に。
「あれ?あれれ?」
そんな事を思っているとあざとい声が聞こえてきた。
「あれれー?黒羽さんはどこに行ったんですかー?」
教壇に立って席図表を見ながらまかり先生はその表情通りの、困ったような声を上げる。
いいタイミングだ。
ガラッ
「ほえっ?」
「俺、探してきます!」
素っ頓狂な実にあざと可愛い先生の声を聞けただけで大満足な俺は立ち上がり、彼女の返事が来る前に教室の後ろの方の扉へダッシュする。
「あぁ!ちょちょちょっとっ!辻村君!?」
「行ってきます!」
ざわめく教室を背に、俺は生徒皆教室に収納されたが為にすかすかになっている廊下のど真ん中を全力で走り抜ける。
後ろからなにか言っているような気がしたが、そんなことを気にしている場合じゃない。
とにかくあの場所へ急いだ。
このとき初めて、俺の教室が4階で良かったと実感する事になる。
ガラガラ!
扉は全開まで開かれ、同時に生暖かい空気がドッと流れ込んでくる。
!!!
「…」
そこには、春風に黒髪をなびかせる少女の姿がある。
その姿は男の感情を燻る魅惑の姿であり、こんな特殊な場面じゃなかったら俺は今頃妄言を垂れ流していただろう。
特殊と言わざるを得ない、日常ではない非日常がそこにはある。
確かに彼女は生き物のようにその綺麗な流線を動かす黒髪を持って立っている。
だが身は安全柵を越え、一歩踏み出す先に『地』はない…いや、正確には彼女の足が動いたそのとき、身はずっと下にある『地』に転落する。
俺が今どこにいてどういう状況なのかは火を見るより明らかだ。
そう、俺と黒羽は屋上にいて、飛び降り自殺の一歩手前に携わっている状況。
か細い叩けば崩れてしまいそうな儚い右手が柵を掴み、彼女の最期の最後の命綱になっている。
…ここまで冷静に解説してきたが、内心心臓バクバクで、正直何をしていいかわかない。
教室を出る前はこの姿を想定していたのに、現にこの場面に出くわしたらこのザマだ。
パニックというのはこういう時のために使われる言葉なんだと思考を持って教えてくれる。
じめっぽい、不快指数が鰻登りするまとわりつくような脂汗が、不可抗力でいたるところで湧き上がる。
それと反比例するように口の中はパッサパサなものをつっこまれたように水分が抜け落ちる。
と、とにかく、と止めるしかないだろ。
死ぬことに興味を持っている彼女に、こちらへ興味を移行してもらうためとにかく言葉を放つ。
「黒羽!!」
その名を叫ぶ。
…
ゆっくりと。
ゆっくりと彼女が振り向き、俺と視線を交わす。
その顔を見て、俺は人違いしていないと再確認をすると同時にこの絶望的な状況も再確認する。
「…」
先程となんら変わりない光の宿っていない死に絶えた目に、焦りがありありと見て取れる俺が写る。
もう一度呼びかける。
「くろは!」
自殺に走ってしまうほど情緒不安定な彼女を下手に刺激してはいけない…!あくまで慎重に動向を見守らねば。
「……ら…」
口パクをしている辺り何か喋っているのだろうが、彼女の声量ではこの春風を到底突き破ることはできない。
俺はなんとかその声を耳に入れようと彼女の元へ歩み寄る。
射程距離に入った俺に、顔を横殴りする強風にもろともしない黒羽の口がほんの少し開いてこう告げた。
「…どうして…ここがわかったの…」
感情が抜け落ちたある意味真っ白な声をあえて換言するならば、ただの棒読みであり、そもそも俺に言っているのかすら分からない。
そんな彼女に俺はなんて返答すれば良いのだろうか。
声もそうだが、表情からもなにも読み取れない彼女に俺はありのままの真実をぶつけてみる。
「…なんとなく、だ。黒羽がここにいるような気がして」
その曖昧と言うよりもはやストーカーしていたことを隠蔽するための言い訳に近いその答えに、彼女にはどう解釈されたのか。
俺の台詞の前後で顔に特に変化はなく、常に変わっているのは風に揺られる髪の毛位か。
俺達の下では何ら変わりない日常が平坦に進んでいるというのにここでは金網の先に女の子が立って死のうとしているという、とんでもない緊張感に包まれている。
この緊張の均衡を打ち破る一言は、やはり彼女が先だった。
「……もう…」
俺は片時も目を離さず彼女の行動を監視する。絶対に死なせないために。
「…もう…いいんです…私に関わらないで」
ボソリと呟く。
「私は…もう…疲れました……なにも…なにも考えずに…生きていくほうが…ずっとらくです…」
…本気だ…!
彼女の言葉の重みは偽物でも冗談でもない、本物だ。
ここに来て雀の涙ほどではあるが感情を乗せた言葉はつまり、本心以外の何者でもなく、説得するため骨を折らなければならない本数を増やさなければならないことを意味する。
本当に、この調子でいけば五分もかからないうちに彼女の血の海が1階で出来上がる羽目になる。
「…落ち着け黒羽、なにも死ぬことはない。…第一死んだ方がつらい未来がまっているかもしれない」
俺はとにかく落ち着いた声で彼女を諭す。
しかし根拠のない、どこか空回りしている俺の言葉が彼女の琴線にかすれるどころか明後日の方向へ向かっている。
「…生きているほうが…つらい…です…今の…状況がかわるなら…わたしは…これ以上つらくても…いい…」
彼女でしか感じることができないその心境を頭ごなしに否定してもそれこそお門違いもいいところだ。だからこそ俺は言葉に詰まっている。
彼女が死へ向かうワンサイドゲームを達成しようとしており、更にラストスパートをかける。
「中原…さんが…いない…世界なら…わたしはどこに…いっても…いい…だから…」
無を押し通してきた顔に、あまりに哀しい綻びを垣間見せ
「…つじむら…くん…」
顔を背ける
「く…」
「がんばって…ね…」
半歩踏み出す。
踏み出した先に足場なんてない。
「やめろ!!!」
反射的に叫喚したそれはもはや本能に近い叫び。
死んで欲しくない一点張りの。
流石にその大声に踏み出すことのできない足がびくつき、もう一度俺の方へ顔を向けてくれた。
能面の奥の奥には不満が漏れているのかもしれない。
「…」
…俺の心臓は全力疾走したため酸素に飢えて、それを欲するかの如く、通常時の5倍はあろうスピードでビートを刻む。
これは、ゲームだ。
俺の言葉次第で黒羽は生か死の二択、どちらにも転がり込むことができる…というのは自惚れじゃない、俺の言葉ですら揺れ動いてしまうほどの精神状態って事だ。
一人の命を握っている状況だと思うだけで冷や汗が首筋をつたう。
だが生死の天秤は圧倒的に『死』に傾いており、この調子ならフラグ通りデットエンドで終幕を飾ってしまう。
乾ききった唇を濡らし、第一歩を踏み出す。
「黒羽…違う、そんなんじゃない……命はそんなに軽いものじゃない……」
その言葉は幸か不幸か、黒羽のスイッチを切り替えてしまったようだ。
「…じゃあ…」
「…?」
「…命を軽く…思っている人が…多い世の中でどう生きていくんですか…」
黒羽の口から、怨念のような、妬ましさが練り込まれた言葉が精製される。
金網の悲鳴が聞こえたのは、それから間もなくであり、すぐにそれは彼女の右手に力が込められたことによる立証だと認識する。
「中原さんや,あの二人はどう…なっているのですか?私を玩具のように…もてあそんで…」
俺に一度も見せたことのない喜怒哀楽の内の『怒』が、様々な形で表れ始め、意気消沈が意気衝天に変化する光景を目の当たりにする。
「私…嫌…なの…に…」
黒羽の瞳から涙がたまり始める。
そして
「私…嫌なのに!」
ついに長い長い感情の導火線が心臓部まで到達し、大爆発する。
「うっ…うっ…」
ポタ…ポタ…
どんな時でもどこか感情の牙を隠していた黒羽だが、その面影は消滅しそれがハッキリ見えるほど剥き出している。
大粒の涙が風に乗せられ美しい光りを放ちながら落ちていく。
まるでそれは彼女の淑やかさが抜け落ち、全貌が丸見えの怒りだけが残る様を具現化したかのように。
「もう嫌なの!生ぎているのが!生きているのがづらいの、苦じいの、耐えられないの!あなたはなにも…わがっでいない!わたしが…今日までどれだけがまんじできたか!!したぐないことをざせられ、されたぐないことをざれる私は…もうごれ以上いぎる意味がないの!生ぎていたって楽しくない、嬉しくない!!苦痛じかない日々になんの意味があるの!?そんな日々を過ごずより死んだ方がいいの!ぞうぎめだの!だから…もうかがわらないで!!」
大勢でたたみかけると言うより、突撃兵がそれこそマシンガンを振り回して突撃しているような怒涛の感情の殴り書き。
止むことをしらない涙は彼女の頬を何度も撫でて落ちていく。
今まで心の奥底に溜まっていた感情が一気にはき出されているのだろうか、昨日とは別人のようにマシンガントークを繰り広げる黒羽。
この決心が付くまで彼女は何度も何度も低回したのだろう。
だがそんな間違った決心を芯から折らなければ…
…彼女には『死』しか待ち受けない。
俺は錯乱に近い彼女を少し強引ではあるがきつめの言葉で束縛を試みる。
しかし、暴れ馬に当てずっぽうで縄を投げたところで掛かるわけもない。
「だからって死んだってなんの解決にもならないし、それはただの自己満足にしかならない!違うか!?」
「どうして!?どうじてまだ関わってぐるの!?」
そこんところはやけに冷静な彼女に、なかなか手痛い反撃を受ける。
「ただのクラスメイトなのに…他人に近いのに!!」
動揺した顔が、ビリビリと伝わる。
「私のことはもう放っでおいて!私がいなくなっでも…誰も悲しまない…むしろ望まれているのよ!そんな存在は…ぞんな存在は消えて無くなって!みんなのぎおくから消えてしまえばいいのよ!」
感情の波が満潮を迎えた黒羽は涙声を絞り出しながら自虐をひたすらに主張する。
…駄目だ。
これ以上口で言ったところで彼女の決心を決壊させることなんてド素人の俺ではできない。
…だったら…
発想を逆転させる。
「ハァ…ハァ…!」
金網が小刻みに震える黒羽の手に連動して、カサカサと揺れている。
…確かに今の俺に彼女を止める根拠なんて持ち合わせていない。フラットに近い、行き当たりばったりの全くの無対策で黒羽に望んでいる状態だ。
だからってこのまま放置しておけば彼女は自殺する。それはつまりどうしようもない、王手詰みを意味する。
こうなるのも無理はない。彼女の背後に隠れている、自殺しようと思う程の経緯を俺は断片的しか知らないのだから。
…だが、その結論に至る奴は凡人の発想。
どんなに状況に置いてきぼりを食らっている俺でも分かることが一つある。
『黒羽は死ぬ必要がない』
だったら死なせなければいい。
「違う!!!」
「!!」
饒舌に意見を一人歩きさせる自殺未遂者に叫声で驚愕させ、取りあえず時間稼ぎをする。
「誰もそんなことは思っていなし、望んでもいない!」
「あなだにわだじのなにがわがるっていうの!?」
その言葉は必殺技であり、俺のこれ以上の反論の余地を殺す。
だが俺はそこに反論はしない。
「ああ!わからないさ!知り合って間もない人間の気持ちなんてな!いじめも受けたことも、したことのない俺にはな!」
その頭にクエスチョンマークが浮かんだだけで、十分だ。
「だけどな!ただ一つ言えることがある!」
もう一度言おう、成功条件は『黒羽を死なせない』こと。
その結果さえあれば、過程など、どうでもいい。
精神的に彼女を止めることができないのなら、肉体的に止めてやればいい…ただそれだけだ。
俺は金でははかりきれない『命』をかけた賭にでる
それは気が荒い彼女に対しての挑戦を意味する。
近づき終わる前に手を離されてしまうことがあるかもしれない
一歩間違えれば彼女は死ぬ。
だが迷っている暇なんかない。
ハイリスクハイリターンの、生死を分ける賭に俺は打って出る。
という訳で前半終了です。
中々酷い展開ですが、彼女の運命は…?
辻村君は彼女を救うことはできるのか?この結末はまた次回で!
それでは最後まで読んで下さり、ありがとうございました。