4月5日/水曜日(後)ー対峙ー
どうも、りゅうらんぜっかです。
初めての方は初めまして
前回の続きで読んで下さっている方は、ありがとうございます。
というわけで後編です。
かなり不快に思える文章が含まれていますので、観覧の際は十分に気をつけて下さい。
辻村が向かった先とは…?
それではどうぞ!
前回までのあらすじ…神納寺の力のおかげで黒羽達の居場所がわかった辻村は急いでその場所へ向かった!
これでは前回ではなく直前のあらすじではないかという無粋なツッコミはこの際無視することにする。
神納寺の力もあり、俺はこうしてここまで来ている。具体的に場所を記すならそう、体育館裏だ。
学校に隣接する体育館は10年程前に作られたばかりの比較的新しいものであり、その大きさはなかなかのものである。
縦は概ね50Mあるくらいで横は30M程。高さはお隣の学校の3階相当だ。
普段は放課後にもなるとバレーボール部とバスケットボール部とバトミントン部が熾烈な場所の奪い合いをしているわけだが、昼休みとなれば話は別だ。
体育の時間と放課後以外はほぼ出番のない体育館は、葉っぱの擦れ合う音が聞こえるくらい静まりかえっており、絶好のいじめスポットとなっている。
その体育館の裏とでもなれば尚更で、様々な意味でやりたい放題になるわけだ。
余談だが、昔は昼休みもココは使えていた。しかしある日誰かがボールでガラスを割り、その犯人が出てこなかった為に使用禁止にされたという、学校でありがちな『連帯責任』を食らったのである。
そんな近づく意味すら問う場所に俺は昼食を捨ててでも赴いている。
あとはこの角を曲がれば所謂『体育館裏』に到着だ。
太陽の昇りの関係で日陰になってしまっている事により、裏は陰鬱具合がより立体的になっている。
もう一度神納寺が描き出した地図を確認する。
何度見てもココで間違いないし、その確証に更に肉付けしてくれる出来事は既に始まっていた。
「それじゃあ黒羽ちゃん?お仕置き始めよっかぁ?」
中原のわざとらしい声が聞こえたと同時に戦慄を覚える。
風によって運ばれてきたのは木々のざわめきなどという優しいものでは断じて無く、万人を不快にさせる下卑た笑いだった。
少しだけ顔を出して向こうの様子を確認すると、圧迫面接でもこんな陣形は取らないという構図が出来上がっていた。
完全に座り込んだ黒羽を中心に3人が囲むようにして立ち、黒羽を見下す形を取っている。
「おい、なんか言えよ?お礼くらい言えよ?」
中原が無防備に蹲る黒羽に遠慮のない蹴りを入れながら意味不明な事をぬかす。
「あたし達がわざわざお昼休みを使ってまで相手をしてあげているんだからさぁ?ねぇ?」
とても女とは思えない、もはや鬼の形相で黒羽に蹴りを入れ続ける中原。
「…」
八つ当たりにしか見えない蹴りに対し彼女は一言も発せず、身も心も完全に中原のサンドバックと化している。
というのは俺から見聞きしての話であって、彼女はもしかしたらお礼を言っているのかもしれないが、それは蚊の鳴く声と大差はないだろう。
惨い。酷すぎる。
…だが、俺はほぼ間に合ったようだ。まだ始まって寸刻しか経っていないと見える。
今だからこそこの程度で済んでいるが、今後これ以上の惨事が起こらない保証は何一つ無く、寧ろ起こらない方が不自然という不自然が発生する。
そんな角の先で行われている拷問に近い残虐は禍々しい雰囲気を帯びており、近づくことすら躊躇ってしまうオーラがあった。
これ以上先に行ってはいけない、そんな覇気が。
「キモっ。ガタガタ震えてんじゃねぇよ」
そんなバナナにかければ一瞬で釘が打てるほどに凍てついてしまう、絶対零度を持った言葉を中原はなんの躊躇もモラルもなく吐き捨てる。
「…」
黒羽は完全に下を向き、ひたすらにその拷問に耐えている様子だ。
…これ以上これを放っておくわけには行けない。早く助けに行かなくては。
しかし、形が具現化しかねない恒河沙な狂気が、一歩踏みだそうとする俺の勇気を喰い殺して地に足を固める。
……いや、違う。
そんなアトモスフィアなものじゃない、俺の主観が作為的に勝手にそう解釈しているだけであって、実際はそんなもの存在しない。
認めたくない事実だが、人は俺のこの現象を言葉にするならこういうしかない。
ビビッている、と。
俺は奴等の閃光弾並の威光に屈し、好意的にそう解義しているだけで、本当はただ行きたくないだけだ。
こんな目の前まで来て臆病になっている俺の肝の小ささに、心の底から失望――
唐突に、学校の敷地を保全する柵が、強烈な物理衝撃によって鉄と鉄がこすれ合う音が不快音となって響いた。
慌てて確認すると、青筋が浮かび上がった中原が柵を蹴り飛ばしており、こんな罵声を黒羽に浴びせた。
「あのなぁ?その子犬みてーな態度が気にくわねぇっていってんだよ!!」
「…」
「あぁあああ!死ね!!」
今度は鉄ではなく、身体に向かって蹴りをかます。
力なく倒れ込む黒羽。
「あっはははははは!」
他の二人はそんな卑劣な行為に対し、嘲笑ているだけ。
黒羽の目からは止めどなく涙が溢れており、何もしていない俺の心を深く抉る。
「ほらぁ!さっさとお礼を言えよ!!言えってよ!」
「…」
「言え!!」
「…」
「聞こえねぇよ!」
「…さ…」
「あ!?」
駄目だ…こ、これ以上は。
これ以上傷ついていく彼女を、こんな地獄絵図を俺はずっと見ていられるほど強い精神力は持ち合わせていない。
行け!紅…!
…行くしかない。こんなの人間同士がすることじゃない。
弱気の虫を踏みつぶし、チキンハートを焼いて勇気を奮い立たせる。
虐殺行為を行っている化け物共に、強制終了の合図を告げる。
「やめろ!!」
もう、後戻りはできない。
俺は殺意を纏った角を振り払い、中原達に姿を晒す。
「は?」
その突然の乱入に、流石の中原達も目を丸くして俺の登場に驚駭する。
「…」
黒羽の痛みと苦痛から無抵抗に流れ出る涙で濡れた顔が、一瞬だけ素面に戻ったような気がした。
その反応を視認することができて初めて俺がこの場に参上することの意味を見いだすことができ、この行為が無駄でないことに少しだけ安堵する。
出てきたことにより発生した役割を、俺は全うすることにする。
「何やってんだお前ら!今すぐやめろ!」
こんな言葉でやめるはずもないと分かっており、威嚇射撃の意味を込めて打ち放ったのだが、それを安易にかわした中原は初めから当てるつもりの弾丸を速射した。
「あ?誰だてめぇ」
心の底からの嫌悪の目つきでこちらを睨み付けてくる。
それは並大抵の回数じゃ到達できない実に良く訓練された殺傷力のある鋭刃な睨視であり、こんなものを向けられたら恐怖で顔が引きつってしまうのも無理はない。
だが俺にはそれは許可されていない。奴の視線で虚勢を切り裂かれ、内に秘めた畏怖を垣間見せてしまったら彼女の手駒と成り下がる。
それは黒羽の二の舞を意味し、この戦いの完全敗北の烙印を押してしまうことになる。それだけは、してはいけない。
なんとかその斬撃を紙一重で回避した俺は再び言葉を紡ぐ。
「黒羽から、離れろ」
少しずつ足を踏み出しながら彼女達に警告する。
距離的に言えば、10Mあるかないか。
「は?うちらは黒羽と遊んでただけなんだけど」
「いつから友達を蹴る行為が『遊び』という言葉で括られるようになったんだ?」
チッと、1ミリも隠す気のない舌打ちをかますと、それまで俺にぶっ刺す気満々の視線が徐に黒羽に向けられ
「てめぇのせいでバレちまっただろうが!!」
とばっちりという言葉では収めきれない理不尽な蹴りを黒羽に入れる。
「キャッ…!」
「おい!」
「あんたがトロトロしてるらこんなやつに目を付けられたのよ!」
「馬鹿!クズ!死ね!!」
オマケの2人も調子に乗って黒羽を蹴り始める。
「やめろってんだろ!?自分たちが何をやっているのかわかってんのか!?」
その言葉に中原は酷く濁った瞳を開眼させこう怒号を発した。
「うぜぇ!!!さっさと失せろ!」
さっきの鋭さでは満足できず、砥石で更に丹念に研いだような邪視が俺の今すぐにでも砕け散ってしまいそうな武勇心に襲いかかる。
「なら黒羽から離れろ!」
燃料切れが心配される闘志の石炭を取りあえず後先考えずに燃やし、反撃を試みる。
「んだよ!?てめぇはこいつの彼氏か?…彼氏?
間髪入れず痛恨の一撃が黒羽の腹にめり込む。
「があ゛はぁ!!?」
ここ一番の大打撃にそれまで声上げることなく暴力に対処していた黒羽も呻きをあげずにはいられなかった。
「黒羽ぁ!!てめぇなに男つくってんだよ!」
全く持って意味不明な言い掛かりに、徐々に俺も怒りが湧いてくる。
「やめろ!俺は黒羽の彼氏でもなんでもない!ただのクラスメイトだよ!」
「クラスメイト…?」
眉間に寄せたしわを解くことないが、どこか思量を浮かべた中原は何かに納得する。
「…あぁ、あんたは確か辻村っていったか」
「あぁ」
その言葉には先程の怒りなどなかったかのような冷静なコメントで、俺はつい普通に返答してしまった。
水は沸騰させると冷ますのに時間がかかるが、こいつの怒りの水はやけに熱しやすく冷めやすい性のようだ。
見下したような目を変えることなく、腕を組み直した中原はどこかシニカルな笑みを浮かべてこう言った。
「こいつの彼氏でもないやつが、こうしてあたし達の前に出てきて、口出ししているっていうのか?」
「…あぁ」
「ハッ」
嘲笑った。
「とんだ物好きもいたものだなぁ…でもよぉ」
黒羽が嗚咽を漏らしながら必死に立ち上がろうとする傍らで中原はあくまで余裕を持って、蔑みを保ちつつ言葉を続ける。
「どうしてココが分かって止めに来た?」
この質問の真意が分からない。
ただ単に興味があって聞いてきたのか、はたまた別の意味があって聞いてきたのか。
じっくり考を労して言葉を選びたいところだが、生憎ギャルゲーではないので相手は待ってくれないため、早急に答えを用意しなければならない。
俺にはこう返事する以外の方法は思いつかなかった。
「答える必要なんてないだろ。目の前に虐められている人間がいて、どうして止めないんだ」
もしかしたらこの答えは間違いだったのかもしれない。
「くっ…ハハハハッハハ!!」
笑った。
3人が一斉に笑い出すもんだから、非常に腹が立つ。
「おいおいマジかよ!今時そんな良い子ちゃんがいるだなんてなぁ!」
「ぶっちゃけ有り得ない」
「っくっっハハハッハハっ」
好き勝手言い散らかして一通り笑った後、中原がなんとか膝立ちすることができた黒羽に顔を向ける。
「良かったなぁ!お前にもこんな風に助けて貰える奴がいてなぁ!!」
「はっ!?」
俺は素でそんな声を上げてしまった。
次の瞬間には黒羽の背中は地面に叩きつけられているのだから。
何が起こったのか一瞬判断が歪んでしまうほど、その行為は俺の価値観の中には存在しなかった。
中原が、はい上がる黒羽を地面に蹴り落とした。
「てめぇには誰も助ける人間なんて必要ねぇんだよ!とっとと死ね!」
「…ひっ…ぐっ…」
悲痛な声と共に黒羽は為す術もなく涙を流す。
「おぃ!誰が泣いて良いっていったよおい!!」
黒羽の横腹に向かって再び蹴りがねじ込まれる。
―…!!!
俺の頭の中にある『なにか』がはじけ飛んだような擬音が聞こえたような気がした。
今までオーバーヒートしてしまうほど我慢を続けていた理性のリミッターがついに破綻しショートを起こす。
もうどうにでもなれ。
『中原を殴る』という命令だけが、『中原をぶん殴る』という破壊衝動だけが俺の体を瞬時に乗っ取る。
「ふざけんじゃねぇぞ!!」
轟駆けの如く中原に向けて驀進する。
今の俺には校則だとか女の子を殴ることの倫理観など紙クズ以下の価値しか持たない。
「なかはらぁぁぁあああ!!!」
「くっ…!」
拳を固めて中原の右頬に狙いを定め、怒りが支配する右腕が伸びる。
耳で分からないなら身体でわからせて――
「やめで下ざい!!!」
!!?
それは俺の中に未だ潜在していた道徳心からの声でも、殴られたくないが故に発した中原からの声でも、取り巻きからの声でもなかった。
は?
その一声で、俺の理性が一気に引き戻される。
勢いある拳が突如電池切れを起こしたかのようにぴったりと止まり、目と鼻の先には中原の頬が無傷であるだけだ。
俺でも中原でも他二人でもない人物からの肉声…
「やめてくだざい!」
己が言ったのだともう一度教えてくれるかのように再び涙声のその理解不可能な言葉が空を裂く。
やめて…ください…?
ヤメテ…クダサイ…?
この場面であまりに不適切なその解読不能な言葉に何度も他意を確認するが、そんなものは存在せず、戸惑いしかでてこない。
紛れもなく、この言葉は、黒羽。
どうして被害者が加害者を守るのだろうか、いや守らない。
「な…なぜだ黒羽!!」
横倒れた無惨な姿を晒す黒羽に困惑の視線を落とし、その疑問を霧散する答えを要求する。
彼女の顔は、必死だった。
「すべて…全て私が悪いんです!!」
顔を涙でグシャグシャにしながら。
「中原ざんに不快なおぼいをさぜた私が悪いんです!!」
振り絞るようにして主張を続ける黒羽。
どうしてそんな大声を出して、よりによって中原達を擁護するときに聞かせてくれない大声を聞かせてくれるんだ。
「だから…だがら…!!」
涙で隠れている紅玉の瞳に、意志が宿る。
「もう…私のことで争うのはやめでぐださい!!」
被害者からそんな事を言われたらそれは絶対服従の力を持ち、他人に過ぎない俺は振りかざした剣を鞘に収めなければならない。
「く…黒羽…?」
代わりにこんな言葉が漏れてしまった。
訳が分からない…
この矛盾しきった関係に、疑問符を何個打てばそれを表現することができるだろうか。
訪れる沈黙。
だが、その均衡をあっさり破ったのはやはりこいつだった。
「フッ」
嘲笑った。
中原は今にも笑い出しそうな歪の口と、皮肉をがたっぷり塗った侮りの目を黒羽に突きつけて、やがて口が開く。
「私のことで争うのはやめでぐださい?…ハッ…馬鹿じゃないの?」
クックックと肩を僅かに揺らしながら嘲弄したかと思った刹那その顔は冷徹なものに豹変し、足が飛ぶ。
「良い子ぶってんじゃねぇよ偽善者が!!」
聞くだけで痛々しい重撃が静かな昼下がりの体育館裏に響く。
「あぁっ!」
「この…!!」
再び暴力衝動が全身を駆けめぐるが
やめてください!
その超絶な精神安定剤が俺を眠くしてしまうほど落ち着かせる。
振り上げ強固になっている拳は開かれ、代わりに中原の肩を押す。
予想外のプッシュだったのか、簡単に彼女を押しのける事に成功する。
「さわんじゃねぇ!」
台詞だけ聞けばそれは俺の行為に対しての発言に思えるが、少なくとも俺の目には黒羽に向けて言っている。
そこまでして脅威を演出させたいのだろうか?
そこは今は置いておいて、この状況を打破する為の行動に出させてもらう。
俺は蹲る黒羽の前に立ち、低く、重い声で彼女達にこう警告した。
「やめろ。これ以上やるというのなら俺が引き受ける」
俺の言葉に対して彼女達は何も言わず、代わりに木々のせせらぎが答えてくれた。
そんな空白があった後、やっと間が埋まったかと思ったらそれは舌打ちだった。
「チッ…」
うんざり顔で大袈裟な溜息と肩をすくめていやみったらしく独裁者は吐き捨てるようにこう言う。
「運が良かったなぁ、黒羽…。邪魔者が入ったことだし、今日はこの辺にしておいてやるよ」
意外に潔く3人は俺達から背を向き、歩き始める。
「大丈夫か?」
と俺が黒羽の無事を確認するため、視線を黒羽に切り替えたときだった。
「…だが」
風に乗ってそんな逆説が飛んできて、何かと思って顔を上げればそこには体を捻って尖鋭な眼差しをひけらかした中原だった。
「今度はこういくと思うなよ…?」
捨てセリフらしい捨て台詞を残して彼女達は去っていった。
完全に奴等が消え失せるのを確認したら、そこはいつもの昼休みの体育館裏だった。
「…ふぅ…」
今まで張りに張った緊張の糸が一気にほつれたため、仰向けに寝転がりたい欲が湧いてきたが今は黒羽の安泰の方が先決だ。
「黒羽」
もう一度彼女を見て、その惨状を確認する。
ものの見事に表へ出るところには手は加えられておらず、洋服で傷を隠せるところだけに奴等の蹴りは集中していた。
随分手慣れしたいじめに、ただならぬ恐怖感を覚える。
足跡がふんだんに散りばめられている制服姿の彼女を見て、なぜが俺は違和感を感じた。
それは普段あるはずのない跡が付いているのと言うのもあるが、それ以上に引っかかるものを感じた。
「大丈夫か?」
何度でも言うが、今は彼女の安否を確かめることが最優先事項だ。
俺はよろよろと立ち上がる彼女に手を差しのばす。
その手に手が繋がれることはなく、生まれたての子鹿のように黒羽は震えながらゆっくりと立ち上がる。
「黒羽…」
彼女は能面のような顔を浮かべながら黙って服に付いたデコレージョンを剥がしていく。
たまに小声で嗚咽を漏らすが、それは無理矢理押し殺しているようにしか聞こえない。
だがこれ以上のアクションを起こせなくて、俺はコントローラーを放り投げられて何もできない主人公のように棒立ちする。
その汚れを目立たない程度に払い落とすその様もまた手慣れた手つきであり、この一連の行為が長引いていることを裏付けていた。
嫌な沈黙の空気が流れる…というのは俺の主観だけなのかもしれない。
軽くはたかれる音がするだけでこの空間は完成しており、もはやそこに手を入れること自体が禁忌のように思えてしまう。
山ほど聞きたいことはあるし、彼女にも赤裸々に話してもらいたいのだが、俺はその言葉を変換して声に出すことができなくなっていた。
そして俺が声に出せない間中原達に付着された数多の足跡を大体消した彼女は、歩き出していた。
当然のように俺の横を通り過ぎようとしている。
何か声を
「黒…」
言葉を続けようとしたところに不可視の力が丸々続きを略奪したのかと錯覚するくらいの途切れ方をしてしまう。その位、絶句してしまった。
目が、おかしい。
目が虚ろだなんて表現はそれを表すにはあまりに安すぎる。
また俺の目はおかしくなってしまったのかと現実逃避をしてしまうほど、それは受け入れがたい事実だった。
彼女の瞳は完全に死んでいた。
目が見えないとかそんな現象的な意味でなく、物質的に死んでいる。
眼睛のハイライトが死に絶え紅色はどす黒く鈍いものとなってしまっているそれはヤンデレ目よりタチが数倍悪い。
俺が壮絶な驚愕により口が聞かなくなっている間にも彼女は黙々と足を進める。
まるで初めから俺の存在など無かったかのように。
いつものように虐められて、いつものように事後を過ごしているかのように。
そう結論をフライングゲットしてしまったら、見事にそれは偽物だった。
「…わたしに…」
呆然とする俺に黒羽は我の存在を今思い出したのか、独り言のようで独り言じゃない、だけどこの静けさだからこそ聞くことができるこんな言葉を言い放ったのだ。
「私にかかわるといいことなんてない…もうやめたほうがいい…」
その悟りは決して虐められている少女から出てはいけない、確固不抜してはいけない哀しい一言。
募る思いを俺はこの形で集約させ、一気に吐き出す。
「おせっかい…だったかもしれない。だけどこれだけは分かって欲しい。俺は今の行動に後悔はしていないし黒羽と関わって嫌だとは思ってない」
聞こえたのかすらわからないが、とにかく胸に納めていた気持ちを彼女にぶつける。
黒羽はこちらを振り返ることも、立ち止まることも、返事をすることもなくただ哀しい背中を見せながら表の世界に帰って行った。
彼女を引き留めて話を聞く術を俺は持ち合わせてないし、今聞いたところで彼女がまともに答えてくれるはずがない。
今はそっとしておいて、落ち着いて話せるときが来るまで待つのが最善だろう。
そう結論づけて俺は今一度今の出来事を整理する。
…悪夢のような一時だった。
頭の中の円卓会議で開口一番に出てきたのは誰一人違うことを言わず、まるで示し合わせていたかのような満場一致でのこの言葉だった。
そんなアメリカンチックな感想がでてしまう位俺は心内では錯乱しているのかもしれない。
しかし『生』の現場をまざまざと見せつけられてこの態度でいられるのは初見者としては上出来ではなかろうか。
よく人の死体を見たら吐き気を催す人間だっている中、それに限りなく近い…いや下手したらそれ以上のものを見てこのレベルなのだから。
だがそんな残忍な行為を殆ど毎日のように繰り返されている黒羽の気持ちに立ったとき、俺はまともな精神を保っていられる自信は正直ない。
『やめで下ざい!!!』
脳に焼き付けられたあの台詞の残響がまだ脳内で谺している。
俺が中原に正当防衛を加えようとしたところを、正当防衛の恩師を受ける側の人間がそれを拒絶して止めて来るだなんて全く前代未聞の話である。
そこの不可解さがどうしても気になる。まるで彼女達のいじめを受け入れ、庇ったような節さえある。
達也を遙かに凌駕するマゾヒストじゃあるまいし、何よりあの涙は嬉しくて流したものではないくらい俺でも分かる。
哀痛と痛痒と激痛が折り重なって生成された屈辱の落涙であり、決して望まれて生み出したものではないと。
ではなぜ彼女は庇った、止めた。
また中原にいじめられる恐怖感からなのか、俺の想像の領域に存在しないまた別の何かがあるだろうか。
どんなに遠回りしても、曲解しても結局はこの疑問で打ち止めになる
この謎の鍵を握るのは黒羽ただ一人であり、解錠者に開けてもらわない限り俺は無意味な揣摩憶測を永遠と繰り返すことしかできない。
とにかく、今は待つしかないみたいだ。
そう考えを打ち止めした俺は教室に戻ることにした。
春風の心地よさが、今は途轍もなくわざとらしくて不快でしかなかった。
別にトレーニングしているわけでもないのに足に鉛が付いているような感覚がつきまとい、足取りが重くなって自分の家が果てしなく遠く感じてしまう。
俺が教室から戻ってからというものの、そこは恐ろしいほどにいつもの日常だった。
いつものようにウザ絡みしてくる達也、なにかを必死になって作っている栗崎、何事もなく日常を過ごすクラスメイト。
中原達も昼休みのことなど初めから無かったかのような態度で過ごしていた。
それは当たり前の光景のはずなのに、アンダーグラウンドの片鱗を見てしまった俺にとってこの光景すら作り物のように思えてしまう。
ただその平時に一つだけ穴があったとしたら、それは黒羽が存在していなかったことか。
俺が教室に戻ったときには既に彼女の姿はなく、机には雑然と教科書が散りばめられているだけだった。
彼女のその行動にも、俺は2等身キャラで構成された漫画に6頭身キャラがいるような違和感を覚える。
あの手練れたいじめと後処理から見て、彼女達の関係は一朝一夕で出来上がったものだとは考えにくい。
春休みからああなっていたとはどんなに曲折的に考えても有り得ない。なら必然的に2年から始まっていたことは明白だ。
だが俺は彼女が休みがちだったという噂は聞いたことはない。噂が立たないほどの存在だったなら話は別であるが。
とにかく、彼女の早退は異常だ。
それはつまり異常をきたしてしまうほどのなにかがあったのだ。しかし俺の存在が原因の根幹だとは思えない。そう思うのはあまりに楽観しすぎか。
…ご託はともかく、彼女達のいじめを見てしまって介入してしまった以上、俺にこの件は無関係だとは言えない。
―ぶち壊してやる。
彼女が拒否しない限り。
そう意を決したときには、俺は自宅まで帰還していた。
シャワーを浴び、全身から湯気が吹き出る。
俺一人には広すぎる居間を頑張って圧迫するソファーに体を預け、言葉通りリラックスする。
精神的にも肉体的にも疲労を感じた俺にとってソファーは極上の安らぎを与えてくれ、目を閉じれば数分もしないうちに寝息をたててしまうことだろう。
そうしたい気持ちは山々だが、俺はそれを一時保存して長方形のガラステーブルに放り投げ込まれているリモコンを拾い上げ、TVをつける。
習慣化した生活の一部であり、父親と話せない面会が出来る唯一の手段だ。
『銀堂ハーウスー!』
TVがはじめに映したのは、よく見かける銀堂ハウスのCMだった。
かなり有力なスポンサーであるらしく、この時間帯はやたらこのコマーシャルが流れる。
おかげでCM中の歌詞を覚えてしまう程だ。
そんな事を思っているとお目当ての番組が再開される。
『―お送りしています、では、辻村さんこの場合どのような刑法が適用されるのでしょうか?』
20代後半の女性キャスターが、俺がよく知っている人物に向かって質問をぶつける。
質問されたダークスーツを身につけ、厳格な雰囲気を惜しむことなく纏わせる中年男…辻村煉が重低を効かせながらこう答えた。
『非常に悪質な手段で犯罪を繰り返したこのケースは―…』
家族を捨て、こうして仕事に明け暮れる父はある意味サラリーマンの鏡なのかもしれない。
だがそれは過去の父としてあるべき姿ではない。もっと、もっと俺達につくしてくれた。
こんな画面越しに誰に言っているのか分からない言葉なんかじゃなく、暖かくて、俺達をたのしませてくれる言葉をかけてくれたはずだ。
『以上のことを踏まえて…―』
ギロリと、別に俺を見ているわけでもないのにカメラ目線になると、思わず顔を背けてしまう。
…それでも俺はこの番組を見続けている。もう5年にはなるだろうか。
父は毎日この時間帯に流れる番組のレギュラーであり、主役だ。
内容はやはり法律に関すること。番組に寄せられる視聴者からの相談をズバズバとそれは冷静に一刀両断するものだから、未だに人気の熱は冷めることはない。
そんな番組を半ば惰性で見ている部分は否定しないが、会う方法がこれくらいしかないのだから仕方がない。
一体いつになったらまともに対面することができるのだろうか。
完全に暗記しているであろう刑法を一言一句間違わずに説明している父を見ながら、だらだらと夜を過ごしたのだった。
という訳で後半終了です。
地の文がしつこく感じた方がいましたら、この場を借りてお詫びします。
さて、次回は更に酷い方向に物語が展開します。
辻村が感じた違和感の正体は…それは次回!
それでは最後まで読んで下さり、ありがとうございました。