4月24日/月曜日ー私欲ー
どうも、りゅうらんぜっかです。
初めての方は初めまして
前回の続きを読んで下さっている方は、ありがとうございます。
無事人形は完成させることができるのでしょうか?
それでは、どうぞ!
「ちょ,ちょっと!辻村君っ!!」
教室に入るなり慌てふためいていた栗崎が猪の如く突進してきた。
「ど、どうしたんだ栗崎」
目の前までダッシュしてきた栗崎は躊躇いなく俺の腕を掴む。
「ばんそーこーだらけじゃんっ!休んでいる間なにがあったの!?」
「何があったって…」
あぁそうか。
木、金曜日は放心状態で学校に行っていなかった。
その心配と手の絆創膏が合わさってこうも慌てているわけか。
指に貼られた絆創膏の下は小さい穴だらけで、昨日の夜は半ば自虐じゃないかと思うくらい自分に針を刺してしまった。
だが納得できる縫い方を出来なかったため、手を付ける前の状態から何一つ進歩していない。
「あぁ俺休んでいたんだっけ」
「休んでいたんだっけ…じゃないよっ! 心配したんだからっ!」
「お、おお、心配掛かけて悪かったな」
「何があったのかちゃんと説明してよねっ!」
絆創膏まみれになっている左手を俺の目の前に向けてくる。
「わ、わかった。話そう」
「ええっーーーーー!!?」
黒羽が事故に遭い、記憶喪失まで話したところでついに自重できなかった叫びが決壊し、口をあんぐり開けながら驚きを露わにしている。
「そんなに大きい声をださないでくれ」
「これで驚かないって言える方がすごいよっ!!」
出目金に対抗できるほど目を見開かせて、形容し難い形相で俺の鼻の先に顔を近づけてくる。
「黒羽ちゃんがきおフガッ!?」
近すぎる口を絆創膏がへばりついている左手で押さえる。
「しーっ!!静かにしてくれ…」
「ふが,ふが…ぷはぁ…はぁ…ふぅ…!」
頷いて手から離れ、酸素を欲しがる肺に肩で息をして供給している。
「く、黒羽ちゃんが記憶喪失だなんて信じられないよっ…」
「俺だって信じたくないさ。でも嘘でもない、現実だ」
「なんとかして記憶を戻す方法はないのっ!?」
「その答えを,この手が示している」
「え?絆創膏いっぱいの手に答えがあるの?」
成績上位の栗崎だが、流石にこれだけで答えを導くことは出来ないだろう。
「こいつだ」
答えを栗崎に示す。
「これは…?」
薄汚くなりボロボロの人形を真剣に見つめている。
栗崎の頭上の電球が点灯し、すぐにそれがなにかを察する。
「黒羽ちゃんがいつも傍に置いてあった熊の人形…だよね?」
「そうだ。今は壊れているがちゃんと補修して黒羽に見せれば…」
「あー!思い出深いからなにか思い出すかもしれないねっ!」
「その通り。流石だな栗崎」
「じゃあその絆創膏は、針を刺して怪我をしちゃった後ってこと?」
指差す先に指があるが、その指は彼女の指とは全然違う。
「恥ずかしながらそうだ…」
「じゃああたしにそれを貸してよっ。あたしそこそこ裁縫できるから直してきてくるよっ」
300円で夏休みの残りの宿題してあげる的な気軽な提案をしてくる。
それが宿題なら俺も喜んで任せる。
「悪い俺にやらせてくれ」
だが、栗崎の善意を踏みにじるのは胸が痛いが、それでもこれは譲れない。
これだけはこれだけは俺がしなくてはいけない。
俺の手でこれを直して黒羽を助ける。
それが以前固めた決意、けじめ。
「ごめん、栗崎」
頭を下げる。
「…そこまで辻村君が言うんだからなにか特別な理由があるんだよねっ」
こんな発言をするのは栗崎には事故で黒羽は記憶喪失したという、それ以上もそれ以下もない断片的な情報しか教えなかったからだ。
「あぁ任してくれ。その代わりと言ったらなんだが…」
一つ、考えがあった。
「黒羽のところへ見舞いに行かないか?」
記憶の端っこという人を捕まえるなら、数が多い方が良い。
10人より100人で捜索した方が早く見つかる。
つまり黒羽が覚えていそうな人達とお見舞いに行くのだ。達也、中原達を誘ってその上でこの人形を見せる。
そっちの方が単体で見せるより,効果が期待できる。
そういう目論見からだった。
「勿論いくよっ。でも、いつ見舞いに行くの?」
「土曜日に見舞いにいくんだが駄目か?」
「ううん!絶対行くよっ! あたしは黒羽ちゃんの友達だもんねっ!」
暖かさすら感じてしまう栗崎の笑顔は俺の気持ちを穏やかにしてくれる。
「栗崎…」
「早く熊さんを直さないとねっ! あ、アドバイスくらいはさせてよっ」
「ありがとう…栗崎…」
「記憶…喪失!?」
「嘘…!?」
一同が場の雰囲気にそぐわない声を絞り出している。一応言うが今は授業中ではなく放課後。
今週まで三者面談が続くため授業は4限で終了している。
俺と栗崎は朝が早いから教室で話すことが出来たが、流石にクラスメイトがうろつき始める時間にこの話は出来ない。
朝のホームルームが始まる10分前に来た中原たちに話をすることができず、この時間になってしまった。
「そん…な…」
ちなみに中原達はもう授業中抜け出すことはなく真面目に授業を受けている。
銀堂もそのうち学校に復帰するそうだ。
「そんな…一体なにがあったの!?」
「今から話すことをよく聞いてくれ…」
雲が空を覆い、快晴とは呼べない曇り空の下、まばらに聞こえる生徒たちの雑談を断つような緊張感ある雰囲気で始終を話した。
俺が話している間腕を組み、やや怪訝な顔で俺の話を聞き終えた中原が口を開く。
「そうか…黒羽が辻村を庇って代わりに事故に遭い…記憶が吹き飛んだって事か」
「…そうだ」
俺は頷き、人形に日向ぼっこさせるように手のひら乗せて取り出す。
「俺はこいつなら記憶を取り戻そうと思っている」
加害者に被害者を見せる。
「それは…」
「うちらが壊した人形…」
「これを元に戻してから黒羽に見せればなにかしら反応があると思う。壊れたままでは駄目だ」
痛々しい人形を見た3人の顔に影が落ち、声量が落ちて反省の言葉を述べる。
「…こんなところまで迷惑をかけているんだな…ごめん」
「ごめんなさい」
「謝らないでくれよ。俺がしっかりしていれば、こんな事にならなかったんだから」
「いや、責任を取らせてくれ」
顔を上げて真面目な顔つきで言う。
心地よい風が中原の髪を揺らしている。
「うちらがこの人形を直すよ」
「うちらが壊したものだから、当然だね」
元いじめっ子の手が伸びる先は人形。
俺は今にもその人形を受け取ろうとする手から逃げる。
「え?」
当然目の前の餌を突然取り上げられて拍子抜けする犬の様な顔をする。
「それは…俺にやらせてくれないか」
「どうして?」
「けじめ,だよ」
「…フッ」
その言葉に何かを悟った様な笑いを鼻から漏らして口元が綻ぶ。
「…任せた。うちらは干渉しない」
その言葉は以前の様な嘘ではないはずだ。
「いいのか?」
「本人がそういうんだ、辻村の好きなようにさせるんだ」
「ん、そうだね。がんばってね」
3人も快く承諾してくれた。
「ああ…と、その代わりと言ったらなんだが」
「なんだ?」
「土曜日黒羽の見舞いに行かないか」
「勿論,行かせてもらおう」
間髪入れずにまるで最初から分かっていたかのように即答する。
二人も続く。
「だね。まだちゃんと黒羽さんに謝っていないし」
「銀堂様にも,声を掛けてみないと」
「…ありがとう」
「なぁに、罪滅ぼしといったら聞こえが悪いがそれもあるし黒羽の彼氏さんをちゃんと引き立てないといけないしね」
にやりと、小悪魔らしい不敵な笑みを堂々とこぼす。
「…だから違うって」
「ハハ…ハハハお前はほんっと分かりやすい奴だな」
にやにやしながら俺の顔を指さす。どうして指さされたかもうわかる。
「黒羽さんの記憶が戻ったらうちらがレッスンしてあげるよ」
「みっちりしごいてあげるんだから」
「…お願いするよ」
雑談もそこそこに、彼女たちと別れて教室へ戻る。
しなくてもいいんだが、一応、一応報告しておかなくてはいけない人間が残っている。
「な、なんだってーー!?」
驚愕する達也の背景には電流が流れている。
勿論こんな顔をしているのは、黒羽の件を話したからである。
「く、く、雪見ちゃんが妊し…ひぎぃぃい!!」
妊娠の『に』の字も話してないのに、このエロゲ脳は話を飛躍してとんでもなく誤った解釈を披露する。
そんな脳内お花畑を踏み躙るが如く久し振りに顎から達也を蹴り上げる。
「ん゛ぎもぢい゛ぃいいいいぃい!」
既に目覚めている達也に蹴りなど快楽材料の一つに過ぎず、マゾの化身にはもはや拷問すら生ぬるい。
こういう馬鹿なやり取りはすべてが終わってからにしたい。
「男のイキ声はAVでもいらないんだよなあ」
「いや、だって、ねぇ。まぁそれは分かるが」
ごきごきと首の位置を調整しながら再び俺の少し前に立つ。
「雪見ちゃんが記憶喪失だなんて信じられないよ」
「でもそうだから仕方ない」
話した内容は栗崎と同じレベルだ。
それを聞いた達也は下卑た笑顔を浮かべ、この後コイツがなにを言いだすのか7割がた想像がつく。
「クク…チャンスだな」
ゴキィ…と、ようやく顎と首が一直線上になる。
「ここで俺が雪見ちゃんに付きっきりで看病すれば『達也君優しいぃ…。好きになっちゃった…』ってなるわけだ」
「――…まあ、あり得なくはない話だな」
「そぉと分かれば退学届けだっ!」
右手を突き上げて高らかに宣言する。俺はそれを歓迎しないわけにはいかず、しっかりと頷いて
「それがいい」
「う…突っ込めよ…。だったら停学届けくらいにしておくか」
「そういう問題でもないだろ…。とりあえず土曜日まで待ってくれないか」
「んん?どうしてだ?」
「みんなでお見舞いに行くからさ」
お見舞いという言葉に目敏く反応する脳内ピンク色のお花畑な達也は凌辱もの同人ゲー主人公ばりの汚顔になる。
「そうだな…雪見ちゃんをみんなで慰めてやらないとな」
「そうだな」
「そうと分かれば特訓だ!帰ろうぜ!」
親指をグッと立てられる。
「…ああ!」
なぜか熱血もののエンディングになっている気がするが、俺を励まそうとしてくれていることは分かる。
そんな達也の気遣いに俺は敢えて何も言わず、一緒に学校を出たのであった。
達也と駅前で別れた後、少し買い物をした俺は隣町へ向かう切符を買っていた。
午前中で授業が終わる三者面談という期間限定で、俺は彼女たちの見舞いに行くことができる。
俺は今日も黒羽の様子を見に行く。勿論明日香の見舞いも忘れない。
『それは…できるだけ傍にいてあげることよ。そしていっぱい話ししてあげて』
看護師のお姉さんが言ってくれたことを胸に深く刻み、それを完遂する。
電車に揺られた後一度歩みだした足は止まることなく、気付いたら黒羽の病室の前まで来ていた。
病院は特に変わったこともなく、いつも通りの昼下がりを迎えていた。
今日こそ彼女の記憶が戻っていればいいのだが。いや、戻っているはずだ。
扉を叩き、返答を待つ。
「はあい」
「入るぞ」
スライドして開けたドアの先にいるのは、窓越しから吹く穏やかな春風に美しい黒髪を靡かせる少女の姿。
背もたれになるくらい上げられたベットに半身を預けて窓を眺める彼女は儚く、そして美しく、そんな姿に心の躍動を抑えられなくなる。
俺は彼女のことが好きなんだと再認識させられる。
そんな黒羽は部屋に入った俺を見るや優しく微笑んでくれた。
まだ安静を強いられ、部屋から一歩も出ることなく一日を過ごす彼女にとって、誰かの訪問という状況の変化はうれしいものなのかもしれない。
「こんにちは、今日も来てくれたんですね」
「よう、来たよ」
右手に下げられた袋の中には先程の買い物で買っておいた林檎が入っており、軽く上げて定位置の椅子に座る。
「どうだ様子は」
「はい、体調は全然問題ないですし、痛いところもありません」
「それはよかった。林檎食べるか?」
「すみません、頂きます」
ベットの横にある小さな棚から取り出された備品の果物ナイフを受け取った俺はあまりやったこともない林檎の皮むきを始める。
林檎だけを見るつもりでも、それを持つ手を見ないわけにもいかず、彼女はすぐに俺の指に幾多も見られる絆創膏だらけの手に気が付いた。
「つ、辻村君その手はどうしたんですか? 怪我でもしましたか?」
「あ、ああ、いや、これはちょっと転んで擦りむいちゃってな」
あまりにベタで雑な返しだが、彼女はそうなんですか、大事がなくてよかったですと、追及することはなかった。
慣れない手つきで途切れ途切れで落ちていく皮に己の技術を嘆息しながら、だがすぐに思考は切り替わる。
「…それで黒羽……どうだ?」
体や体調に異常がないことは喜ばしいことであるが、今の彼女に限ってはそれより大事なことがある。
一瞥ではあるが、目力が入りすぎて威圧気味になってしまった俺の視線を察した彼女は、少し間をあけて切り出す。
「……すみません、なにも思い出していないです」
「…そうか」
俺は正直急いている。
事故があってからもう一週間が経とうとしている。
お姉さんにああいわれているが、このまま俺のせいで彼女の記憶が永遠に戻らないのではないかと恐怖に駆られてしまっている。
はやく、彼女に、思い出してもらわないと、いけない。
さっきより皮が途切れる間隔が短くなる。
「いえ、辻村君が気にしなくても大丈夫ですよ」
「そういうわけには…いかないだろ」
愛想笑いを浮かべて首を振る彼女の行為は、俺の傷に塩を塗り込むことにしかならなかった。
彼女の言葉の刃はなお俺に刃向う。
「そんなことないですよ。前も言いましたよね? 事故で記憶をなくしてしまったことは不幸ですが、その時の私があなたを助けたかったはずですし、私のしたことで記憶がなくなったのですからそれは自己責任です」
分かっている。分かってる。
「勿論早く思い出したいとも思っていますが、あの日から思い出そうとしても頭の中は真っ白で、なにも思い浮かばないんです。だから…」
次の言葉だけは、彼女から聞きたくなかった。
「最悪私は思い出さなくてもいいかなと思っているんです。現実を受け止めて、今から出発していこうかなと」
最早皮を剥いているというより削っているという表現の方が正しくなっているその手も止まってしまう。
黒羽が言うことは何も間違ったことではない。
記憶喪失をし、それを思い出そうにも思い出せないのだから新しく人生を踏み出す。
以前の彼女からなら絶対に出てくることがなかったであろう前向きな言葉。
だがその前向きは、なによりおばあさんとの繋がりから決別するようにしか解釈できないのだ。
黒羽を救い出し共に歩んできたおばあさんとの記憶を、俺の彼女から聞いた断片的な話だけで補完するのはあまりに力不足で、到底補うことはできない。
それは果たして良いのだろうか。
良いはずがない。
それに……
「待ってくれ」
だから、こんな言葉が出る。
「俺が、必ず思い出させる。頼む…」
俺は俺が望んでいた彼女のその姿勢を否定する。
「まだ諦めないで、思い出し続けてくれ」
人は走り続けた足を止めると再び走るのに以前より多くの意思が必要になる。
黒羽が一度思い出すことを諦めたら、もう思い出すことはできなくなってもおかしくない。
俺の人形が完成するまで、彼女には走り続けてもらわなくてはいけない。
「わかってますよ、また思い出してみますから」
俺の真剣さは彼女には届いていないようで、軽く流すような調子で答えられる。
それを看過できるほど、俺の心に余裕はなかった。
「俺は本気なんだ、黒羽。思い出してくれ、絶対に」
「分かっていますってば。頑張ってみます」
「ああ、頼んだぞ」
身の部分が剥き出しになった林檎に指の力が入り、滲む果汁が傷口に染みる。
前のめりになりながら彼女に俺の意思を伝える。
しかし、それは誰も望まない展開への糸口になる。
「…辻村君は、そんなに前の私がいいのですか」
「…え?」
血が一瞬で引いていくのを感じた。
彼女の声に陰りが見え、その表情に俺は動揺する。
初めて見る、不機嫌という感情。
喜びか無感情か悲しみかの、殆ど1か0かマイナスかしか見せることがなかった黒羽から垣間見る苛立ち。
「会うたび会うたび思い出してくれって…。その気持ちは分かりますが、今の私のことはどうでもいいのですか」
「いや、そんなことはない。いきなり何を言い出す。黒羽は黒羽だ、それは関係ない」
「でしたらどうして今の私の考えを認めてくれないのですか?」
「いや…それは……」
前向きに生きていこうと決意した出鼻を挫かれたのだから彼女の憤りも最もである。
だけど俺はこれだけは伝えたかった。
「…それは、黒羽とおばあさんとの記憶を忘れてほしくないからだ」
「おばあさんの話なら、辻村君から聞いたじゃないですか」
「そうじゃない黒羽。俺が話したのは記憶があった黒羽から断片的に聞いただけなんだ。もっと黒羽とおばあさんは深い想い出や愛情があったはずだ。それを思い出してほしいんだ」
「…そう言われましても…」
ここでやめておけばよかったものの、愚行にも深追いしてしまう。
「俺はちょっとしか2人の話を聞いていないが、黒羽の命の恩人であることには間違いない。思い出さなくちゃいけないんだ。それだけじゃない、黒羽にはもっと友達が―…」
「…やめてください…!」
息が止まる。
「やめてくださいよ…! そんな…そんなこと言われても思い出せないからしょうがないじゃないですか!」
感情の昂りが怒りのラインを突破し、いつもあんなに穏やかな彼女がついに声を荒げた。
焦ったばっかりに、急かしてはいけない、混乱させてはいけないとお姉さんから言われたことをまるで守れていない。
「だから、俺が思い出させ―…」
「一体どうやってですか!? あなたがいくら話をしても思い出せないのに?」
ここであると簡単にいったところで、証拠も根拠もない以上彼女にそれはその場を取り繕う嘘にしか思わないだろう。
だからといってないといってしまっては最悪だ。
この先は完全に、彼女に『信用』してもらうか否かで変わる。
ナイフに反射する自分の顔は、途轍もなくみっともなかった。
「…方法はある。だが今は言えない」
逃げ道を作るような発言に黒羽の顔は歪む。
「どうしてですか? 早く思い出せる方法があるなら教えてくださいよ!」
「それは近いうちに必ず教える。だから今は、俺を信じて思い出し続けてくれないか」
「なんですかそれ!? 意味が分かりませんよ!」
黒羽はそっぽを向き、布団がぐしゃぐしゃになる程強く握られた両手は震えている。
横顔を見れば、目尻には涙が溜っており、そこでようやく理解する。
俺は彼女を責め、彼女を傷つけてしまったことを。
自己嫌悪で中途半端に剥かれた林檎をぐしゃぐしゃにしてしまいたい衝動に駆られるが、見舞いの品にそんなことをするのは本末転倒だ。
「ご、ごめん…でも、本当なんだ」
「もういいですよ! 今日は帰ってください!」
「聞いてくれ黒―…」
「もういいです!」
声に圧倒され、無造作にテーブル上にナイフと林檎を放り投げ、言われるがままに立ち上げる。
いきなり記憶喪失し、わけもわからず入院生活を強いられて精神状態が不安定な今の彼女の心に土足で踏み入れる行為がどれだけ愚行であるか、少し考えればわかるようなものを俺は、急いたばかりに踏み入れ、荒らしてしまった。
愚か、愚かすぎる。
「…すまない」
後ずさりするように彼女から離れると勢い余って簡易椅子を脹脛で押し倒し、けたましく密室に鳴り響く。
慌てて立て直し、逃げるように病室の入口へ向かう。
「…また来るよ、黒羽」
その言葉に、彼女が答えることはなかった。
扉を閉める間際に見た真っ白であるはずの部屋は、今にも雨でも降りだしそうな位の鉛色に見えた。
「馬鹿か、俺は」
締めた扉に寄りかかり、絞り出すような声で自分を譴責する。
ヒートアップした頭を両手で掻き毟りながら前屈する。
折角看護師のお姉さんにアドバイスを貰ったのに都合の良いところだけ取り入れて、しまいには彼女を苦しめてしまった。
こんなことをしておいても、彼女を助けるだなんて言うのだからお笑いである。
俺は、結局自分のエゴを彼女に押し付けるだけじゃないか。
なにが思い出してほしい、だ。
おばあさんとの思い出があるから、友達がいるから…、そんなものは建前でしかなく、本当は前の彼女でいてほしい欲望のみに染まった自分でも反吐が出る偽善な台詞だ。
彼女の記憶を奪ったのだから俺が取り戻さなければという大義名分で自分を騙し、あたかも彼女の為を思っているかのような行動をしてきた。
…最初から分かっていた。おばあさんとの思い出を隠れ蓑に俺の私利私欲…彼女に俺がしてきたこと、俺たちが過ごした時間のことを忘れてほしくないだけだったと。
その結果がなんだ。彼女の逆鱗に触れて、傷つけるだけの結果になってしまったではないか。
本当に彼女のことが好きならば、今の彼女を受け入れるべきではないのか。俺が望む、前を向いて生きる女の子になったというのに。
だが俺にはそんなこともせずに、ただただ己の利己を強要しているだけ。
人形を補修しているのだってそうだ。全ては自分のため…。
そう思うと今自分がやっていることがとんでもなく汚らしいものに思えてくる。
一体どうすればいいというのか。
もう彼女はこのまま放っておいていいのではないか。
もう彼女は新しい人生を生きていけばいいのではないか。
何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなる。
騙し絵の無限回廊のように、ぐるぐると終わりのない思考が巡る。
今日はこれ以上彼女と会話することは叶わないだろうし、なにより俺にその勇気はなかった。
明日香の見舞いにいくこともすっかり忘れ、体を引きずるようにして家に帰ったのだった。
勿論人形には、一切触れることはできなかった。
というわけで終了です。
黒羽の見舞いの件は原作にはありません。
自分を見失ってしまった辻村君は、果たしてどういった行動をするのか。
それでは最後まで読んでくださり、ありがとうございました。