第四章:モノクロームの挑戦(三)
正蔵の車のテールランプが闇に溶けても、彰人の心臓は激しく鐘を打っていた。
静寂が戻った路上で、紬は糸の切れた人形のように、その場に座り込んでいる。
彼女の指先は、今も彰人の服の裾を、離してなるものかと強く掴んだままだ。
「……もう大丈夫だ。羽鳥さん、立って。風が冷たい」
彰人の呼びかけに、彼女はゆっくりと顔を上げ、涙の跡を街灯の下で光らせた。
「瀬戸さん……本当に、あんな約束をしてしまって、良かったんですか?」
「ああ。……逃げ回るよりも、あの人を認めさせる道を選んだ。それだけだ」
彰人は車椅子を反転させ、玄関のスロープを指差した。
「今夜は、俺の家にいればいい。……仕事部屋のソファで良ければ、貸せるから」
紬は戸惑いながらも、彰人の背中に導かれるようにして家の中へと足を踏み入れた。
室内に入ると、部屋の中にはまだコーヒーの香りと、制作途中のインクの匂いが漂っていた。
彰人はキッチンへ向かい、震える手でガスコンロに火を点ける。
「……瀬戸さんの手、震えています。あんなに、怖かったのに」
紬は彰人の背後から、彼の大きな掌を両手で包み込むようにして握った。
「怖いさ。……でも、君を連れ去られることの方が、何倍も恐ろしかった」
彰人は、自らの手の震えが彼女の温もりで収まっていくのを感じていた。
二人の影が、狭いキッチンの壁に重なり、一つの長い影となって伸びている。
「瀬戸さんは、どうしてそんなに強くいられるんですか」
「強くなんかない。……ただ、君の絵が、俺を騎士にしてしまったんだ」
彰人は、鍋の中の湯が沸騰するのを見つめながら、静かに、けれど熱く語った。
「不自由なこの足も、銀色の車輪も、君の描く世界では誇り高い武器になる」
「それを守り抜くためなら、俺はどんな賭けにだって勝ってみせる」
紬は彰人の背中に額を預け、しばらくの間、言葉にならない声を殺して泣いた。
それは恐怖からではなく、初めて自分を信じてくれた人への、魂の叫びだった。
長い夜がようやく終わりを告げようとしている。
窓の外の空が、深い藍色から薄紫へと、ゆっくりと色彩を変え始めていた。
夜の帳が静かに捲れ、部屋の隅々に青白い朝の光が染み込んでいく。
ガスコンロの小さな炎が消され、室内の静寂はより深いものへと変わった。
彰人は、自らの背中に預けられた紬の重みを、この上なく尊いものに感じていた。
「……羽鳥さん、少しだけ、眠ったほうがいい」
彰人が優しく促すと、彼女は名残惜しそうにその身体を離した。
「……はい。瀬戸さんも、少しはお休みになってください」
紬の声にはまだ微かな震えが残っていたが、その瞳には柔らかな光が灯っている。
彰人は、リビングのソファに新しいシーツを敷き、彼女のために場所を整えた。
「ここで、俺が仕事をしている間、ゆっくり休んでいればいい」
「……ありがとうございます。瀬戸さんの、描く音が聞こえる場所がいいです」
紬はソファに身を沈め、彰人が仕事部屋へと戻る姿をじっと見つめていた。
彰人はデスクの前に戻り、再び液晶画面に向き直る。
背後から聞こえる彼女の穏やかな寝息が、彼にとって最高のカンバスとなった。
「……絶対に、勝ってみせる」
彰人は自分に言い聞かせ、色のパレットを大胆に操作し始めた。
それは、今までの彼には描けなかった、体温を持つモノクローム。
闇があるからこそ、その中心にある光が、誰かの心にまで届く。
窓の外では、朝陽が露に濡れた街路樹を宝石のように輝かせ始めていた。
二人の運命は一つの部屋の中で静かに、けれど熱く加速していく。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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