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第二章:レジ越しの境界線


 雨上がりのアスファルトは、街灯を反射して鈍い銀色に光っていた。

 彰人は、濡れた路面にタイヤの跡を刻みながら、いつもの坂道を上っていく。

 一週間が経ち、深夜のコンビニへ足を運ぶことは、もはや生活の一部となっていた。

 仕事の疲れも、車椅子バスケの練習後の痛みも、あの場所へ向かう理由に変わる。


「……今日は、何を話せばいいのか」


 独り言の内容が、自分自身を責めるものから、他者を意識するものへと変わりつつある。

 自動ドアが開き、涼やかな電子音が彰人を迎え入れた。

 レジに立つ彼女の姿を確認するだけで、胸の奥の澱みがわずかに薄くなるのを感じる。

 紬は、棚の整理をしながら、彰人の入店を音で察したように顔を上げた。


「いらっしゃいませ。……今日は、少し早いですね」


 時計の針は、まだ十一時を回ったばかりだ。

 彼女が自分の来店時間を把握しているという事実に、彰人は不意を突かれた。


「……ああ。仕事が、珍しく早く片付いたから」


 彰人は、無意識に背筋を伸ばし、車椅子をレジへと進めた。

 今夜は弁当ではなく、温かい缶コーヒーを一つ選んだ。

 スチール缶の熱が、冷え切った指先からじわりと全身へ伝わっていく。


「お疲れ様です。……毎日遅くまで、大変ですね」


 紬が商品を手に取り、バーコードをなぞる。

 彼女の視線はやはり低いが、今日はどこか、彰人の存在を正面から受け止めていた。


「……デザインの仕事を。美大を出て、そのまま今の会社に入ったんだ」


 自分から素性を明かしたのは、彼女が先日「大学の課題」と口にしたからだ。

 紬の手が、レジ袋の中でわずかに止まる。

 彼女の瞳に、小さな光の粒が宿ったように見えた。


「美大。……グラフィックデザイン、ですか」


「……そう。君は、どんなことを学んでいるんだ?」


 彰人が問い返すと、紬は少しだけ困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。

 それは、店員としての仮面が、初めてわずかに剥がれ落ちた瞬間だった。


「私は、絵本を描いています。……でも、まだ自分の形が見えなくて」


 絵本。その言葉は、彰人の心に思いがけない色彩を落とした。

 かつて自分がキャンバスに向かっていた頃の、あの純粋で、残酷な情熱の記憶。


「……絵本か。一番、難しいジャンルだと思う」


「はい。光を描けば影が消え、影を強くすれば光が死んでしまう。いつも迷っています」


 彼女の言葉は、まるで彰人の人生そのものを言い当てているようだった。

 車椅子の高さから世界を見るようになってから、彼は影の中に逃げ込んでばかりいた。


「……影を描くことを、怖がらなくていいんじゃないかな」


 自分でも驚くほど、静かな声が出ていた。


「影があるから、光が形を持つ。……俺は、そう教わった」


 紬は、目を見開いて彰人を見つめた。

 その瞳の中には、驚きと、それ以上の深い共鳴が渦巻いている。


「……影があるから、光が。……ありがとうございます。瀬戸、さん」


 名札を見て、彼女が初めて自分の名を呼んだ。

 彰人は、その響きのあまりの優しさに、返すべき言葉を見失ってしまう。


「……また、明日」


 それだけを告げて、彰人は店を後にした。

 背中で聞こえる「ありがとうございました」の声が、今夜はいつまでも耳に残っていた。



 マンションの自室に戻っても、耳の奥には「瀬戸さん」という彼女の声が残っていた。

 自分の名前が、あんなにも静かで心地よい響きを持っていたことを初めて知った。

 彰人は、暗い部屋の真ん中で車椅子を止め、自分の掌を見つめる。

 缶コーヒーの温もりが消えかけた指先に、微かな痺れが残っていた。


「……絵本、か」


 独り言が、冷たい空気の中に溶け込んでいく。

 机の上には、制作途中のクライアントワークが並んだモニターが眠っている。

 彼はスリープを解除し、光を放ち始めた画面に向き合った。

 企業のロゴデザイン。清潔感があり、非の打ち所がない、けれど「影」のない形。


 これまでは、それが正しいデザインだと思っていた。

 誰の目にも等しく明るく、不安を抱かせない、無機質な美しさ。

 だが、紬が言った「光を描けば影が消える」という言葉が、胸に刺さって離れない。

 彰人は、ソフトのペンツールを動かし、画面上の白い空間に黒い線を引いた。


 車椅子生活になってから、彼は自分の「影」を隠すことばかりを考えてきた。

 不自由な足、周囲の同情、そして将来への漠然とした諦め。

 それらをグラフィックの技術で塗り潰し、健常な人々と変わらない仕事を装う。

 だが、今夜出会った彼女は、その影の正体を真っ直ぐに見つめようとしていた。


 翌朝、彰人はオフィスに向かう電車の中で、いつもより注意深く車窓を眺めた。

 高架下を流れる川の淀んだ色。ビルの隙間に溜まった、重たく湿った空気。

 これまでは「汚いもの」として排除していた風景が、今は愛おしく見える。

 そこには確かに、光の対極にある、世界の「厚み」が存在していた。


「瀬戸さん、昨日の修正、もう終わったんですか?」


 出社して早々、上司が机に歩み寄ってきた。

 彰人は車椅子をデスクの方へ向け、頷いた。


「……はい。ただ、少しだけ方向性を変えてみました」


 モニターを見せると、上司は一瞬、怪訝そうな顔をして画面に顔を近づけた。

 ロゴの背後に、微かに置かれたグラデーション。

 それは単なる装飾ではなく、形を際立たせるための、計算された「影」だった。


「……面白いね。前よりも、温かみがある気がする」


 その言葉を聞いた瞬間、彰人の心に小さな穴が開いたような気がした。

 自分の欠落を隠すのではなく、それを活かして何かを作ること。

 美大時代に夢見ていた、けれど事故ですべて捨てたつもりだった感覚。

 それが、コンビニのレジ越しの数分間で、息を吹き返し始めていた。


 その日の練習は、いつも以上に激しく身体を追い込んだ。

 競技用車椅子を操り、タイヤをきしませながら、彰人はコートを縦横無尽に駆ける。

 シュートを決めるたびに、心の中の霧が晴れていく。

 もっと強くなりたい。もっと、彼女の瞳に見合うような、確かな自分でありたい。


 練習後の帰り道。

 彰人の手は、自然と重いハンドリムを漕ぎ、あの場所へと向かっていた。

 汗の引いた身体に、夜風が心地よく吹き抜ける。

 遠くに見えるコンビニの光は、もはや救命艇ではなく、帰るべき港のようだった。



 自動ドアが滑らかに開き、いつもの電子音が鳴った。

 店内は深夜特有の、止まったような時間が流れている。

 彰人は車椅子をゆっくりと進め、レジの奥に立つ紬の姿を捉えた。

 彼女は、カウンターに置かれた小さなスケッチブックを、急いで隠すように閉じた。


「……いらっしゃいませ。お疲れ様です、瀬戸さん」


 紬の声には、以前のような硬さは消え、柔らかな響きが混じっていた。

 彰人は、彼女が何を隠したのか気になったが、それを問う勇気はまだない。

 代わりに、練習で使い古したテーピングの跡が残る掌を、カウンターに乗せた。


「……お疲れ様。今夜は、少し風が冷たいな」


「そうですね。……あ、温かい飲み物になさいますか?」


 彼女は機転を利かせ、彰人がレジに置く前の缶コーヒーを指差した。

 彰人は小さく頷き、彼女が商品をスキャンする手元をじっと見つめる。

 紬の細い指先には、微かに色鉛筆の粉が残っていた。

 彼女が夜の静寂の中で、どんな世界を紙の上に描いているのか、想像が膨らむ。


「……君の描いている絵本。いつか、完成したら見せてほしい」


 唐突な自分の言葉に、彰人は自分でも驚き、すぐに視線を逸らした。

 厚かましいお願いだったかもしれない。

 恋愛に興味などないと自分に言い聞かせ、線を引いてきたはずなのに。

 彼女の「影」に触れたいという渇望が、理性の境界線を越えていた。


「……私の絵を?」


 紬は目を丸くし、言葉を失ったように彰人を見つめた。

 沈黙がレジカウンターを包み込み、冷蔵庫の唸る音だけが耳につく。

 やはり、踏み込みすぎたか。

 彰人が車椅子を引こうとしたとき、紬が絞り出すような声で言った。


「……瀬戸さんにそう言っていただけると、なんだか、描けそうな気がします」


 彼女の頬が、コンビニの白い光の下で、わずかに赤らんだ。

 それは、夜の底に咲いた、一輪の花のような儚い色彩だった。

 

「……瀬戸さんは、どうして、車椅子バスケを始めたんですか?」


 不意に投げかけられた問い。

 事故のこと、失ったもののこと、これまでは誰にも語りたくなかった。

 けれど、彼女の澄んだ瞳を前にすると、偽りのない言葉を選びたくなった。


「……高校のとき、バスケをしていたんだ。事故に遭って、もう二度とコートには

戻れないと思っていた」


 彰人は、感覚のない自分の脚に一度目を落とし、それからまた彼女を見た。


「でも、あの銀色の椅子を見つけたとき、まだ終わっていないと思えたんだ。

影の中にいても、動き出すことはできる。……君が言ったことと同じだよ」


 紬は、息を止めるようにして彰人の話を聞いていた。

 彼女の瞳に、小さな涙の膜が張ったように見えたのは、光の悪戯だろうか。

 二人の間にあるレジカウンターという境界線が、今はひどく薄く感じられた。


この作品はAI40%、筆者60%で書きました。

原案100%筆者。

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