第五章:静寂のキャンバス
朝陽が差し込むリビングで、彰人と紬の奇妙で穏やかな共同生活が始まった。
部屋の中には、彰人がマウスをクリックする音と、紬が鉛筆を走らせる音だけが響く。
かつては孤独を象徴していたはずの仕事部屋が、今は温かな熱を帯びている。
「……羽鳥さん、朝食は食べられそうかな」
彰人が車椅子を回してリビングへ向かうと、紬はスケッチブックを隠すように閉じた。
「はい。……あまりお上手ではないかもしれませんが、私が作りましょうか」
彼女は少しだけ照れたように笑い、キッチンのエプロンを手に取った。
トーストの焼ける香ばしい匂いと、卵を焼くパチパチという音。
彰人はその日常的な響きに、胸の奥が締め付けられるような愛おしさを覚える。
「……瀬戸さん。私、あの夜に見たあなたの横顔を忘れません」
紬は出来上がった皿をテーブルに並べ、彰人の向かいに座った。
「私のために怒ってくれた時……私、一人じゃないんだって、初めて思えたんです」
彰人はコーヒーを一口飲み、立ち上る湯気の向こうにいる彼女を見つめた。
「俺の方こそ、君に救われたんだ。……君が俺の車輪を誇ってくれたから」
二人の視線が重なり、言葉以上の想いが静かに交換される。
朝食を終えると、彰人は再びデスクへ戻り、締め切り間近のデザインと格闘した。
クライアントの要望を反映しつつ、自らの「影の哲学」をどう表現するか。
何度も試行錯誤を繰り返す彼を、紬はリビングの片隅からそっと見守っていた。
「瀬戸さん。……集中している時のあなたの背中、とても綺麗です」
不意にかけられた言葉に、彰人は少しだけ肩の力を抜いて振り返った。
「綺麗……なんて言われたのは初めてだな。……必死なだけだよ」
「いいえ。……世界をより良くしようとする人の背中は、誰よりも輝いています」
紬はそう言うと、再び自分のスケッチブックに向き合い、熱心に筆を動かし始めた。
彼女もまた、戦っているのだ。
父親という巨大な存在に立ち向かうため、自らの物語を完成させようとしている。
窓の外では、冬の太陽がゆっくりと空を横切っていく。
外の世界では厳しい現実が彼らを追っているはずだが、この部屋の中だけは、
時間が止まったかのような、純粋な創作の時間が流れていた。
コンペ前夜、彰人はデスクの上で頭を抱えていた。
デザインの骨組みは完成しているが、何かが決定的に足りない。
人々の心を震わせ、正蔵のような冷徹な人間をも沈黙させる「一撃」が。
「……あと一歩なんだ。あと一歩で、何かが繋がるはずなのに」
彰人の呟きは、深夜の静寂に吸い込まれていった。
画面の光を浴びすぎて、視界がかすかに霞んでいる。
その時、背後でソファが小さく軋む音がした。
眠っていたはずの紬が、いつの間にか彰人の椅子のすぐ後ろに立っていた。
「瀬戸さん。……これ、今のあなたに見てほしいんです」
紬は、一冊のスケッチブックを彰人のデスクの上に、そっと置いた。
彼女がこの数日間、片時も離さずに描き続けていたものだ。
彰人は躊躇いながら、その最新のページを開いた。
そこに描かれていたのは、これまでのような騎士の冒険譚ではなかった。
銀色の車輪が、暗闇の中に鮮やかな「虹」を轍として刻んでいる絵。
車椅子が通った後にだけ、色彩が生まれ、花が咲き、世界が息を吹き返す。
「……轍に、色がついてるのか」
彰人は、その絵から目を離すことができなかった。
「はい。不自由な場所を歩むからこそ、見える景色があると教えてくれたのは、あなたです」
「瀬戸さんが通った道は、誰かの希望になる。……私は、そう信じています」
紬の言葉が、彰人の心の中でバラバラになっていたピースを瞬時に繋ぎ合わせた。
「……そうか。影を消すんじゃない。影があるからこそ、歩んだ道が輝くんだ」
彰人は急いでマウスを握り、色の層を重ね始めた。
モノクロームの背景の中、車輪が描く軌跡にだけ、微かな、けれど力強い虹色を。
それは、傷ついた魂だけが持つことができる、最も高潔な色彩だった。
「羽鳥さん、ありがとう。……これで、戦える」
彰人は振り返り、彼女の小さな手を、感謝を込めて強く握りしめた。
「瀬戸さんの勝利を、私は誰よりも信じています。……私の、唯一の騎士様」
窓の外では、運命の金曜日を告げる東の空が、白み始めていた。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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