第8話 初めてのダンジョン
車が砂利を巻き上げて止まった。
「着いたぞ。降りろ、九十九」
隣の青年に言われるがまま、俺は車から外へ出る。
ここは山のふもとにある、拓けた空き地のような場所だった。
冷たい風が肌を撫で、目の前に揺らぐ青光の渦が現れる。
――ダンジョンゲート。
「……これが実物か」
初めて見る現代のダンジョンは、山奥の自然とはまるで違う。
空間が裂け、奥は霞のように揺れている。
黒服たちが車から降りてくる。
家の前にいた数よりも明らかに多い。
そしてその中でひとり、他とは明らかに空気が違う男がいた。
他の黒服がざわつき、周りをキョロキョロしている中――
そいつだけは、まるで呼吸すら必要ないほど静かな佇まい。
一歩も動かないのに圧がある。
魔力量も並外れている。
無言。
無動。
表情も読めないのに、背筋に圧だけを突き刺してくる。
明らかに場の最強はあいつだ。
おそらく現役冒険者の中でも、それなりに上位に位置するだろう。
「今回のダンジョンはE級。攻略自体は大したことねぇ。昨日も言ったが、狙いは最奥で採れる『紫鉱石』だ。さっさと採って帰るぞ」
「「「はい!」」」
ボスの前に整列する者と車の周りで佇む者で分かれている。
「黒瀬、もちろんお前はダンジョンへ来てもらうぞ」
「……承知しました」
この場最強と思われる男――黒瀬というらしい。
アイツはやっぱりダンジョンに来るのか。
「それと京介、お前もついてこい。経験だ」
「は、はい!!」
無垢に喜ぶ笑み。
乗車中、俺の隣にいた青年が攻略メンバーの横列に並ぶ。
黒服たちの中で、攻略メンバーが決まったようだ。
「九十九、ビビってねぇでさっさと行けよ」
攻略側の黒服が冷たく言い放ってくる。
「九十九、モンスター討伐はお前の役目なんだ。先頭、頼むぜ」
ボスはニタリと満面に笑む。
「分かっている」
俺は軽く息を整え、ゲートへ向き直った。
「ガキがどこまでもつか、実物だな」
「モンスターに出会った瞬間、泣き喚くんじゃねーか?」
「ははは、途中で食い殺されなきゃいいけど」
黒服たちから嘲笑が聞こえる。
まぁ好きなだけ言ってろ。
俺にとって、お前たちの声など興味も関心もない。
それよりも今は初めてのダンジョンという経験を、胸に刻みつけたいんだ。
澄明の頃は、本当に修行しかしてこなかったからな。
昔の俺は冒険者としての資格もなかったし、師匠にも実力が足りないと止められていた。
だからこれは――穂高にとっても、澄明にとっても、初めての経験。
「いくか」
俺は一切の迷いなく、空間に足を踏み入れていった。
――空間が裏返るような感覚が体にまとわりつく。
* * *
視界は洞窟へと切り替わった。
湿った岩肌、ひんやりした空気。青い光苔が道を照らす。
「これがダンジョン内部か……」
魔素が濃く、空気が重い。
だが俺にとっては心地いいくらいだ。
後ろから黒服たちが入り込んでくる。
黒服たちは武器すら抜かず、ただ俺の後ろを談笑しながら歩くだけ。
しかしその中で黒瀬だけは、黒服の中でも一番後方に位置し、静かに俺を見据えている。
まるで俺の実力を観察しているかのように。
その不気味さの中、通路の奥から気配が走る。
「来る――」
タッタッタッタと、地を蹴る音と共に、二体のスモールウルフが現れた。
サイズは中型犬程度。
ブラウンの毛並みを靡かせながら、俺たちとの距離を縮ませてくる。
「き、きたぞ……っ!」
黒服の焦燥した声。
だが俺はゆっくり呼吸しながら手全体に魔力を集めた。
――カッ。
一体目の首に触れるだけの掌打。
それだけで、魔力が刃となって喉を裂く。
ブシュッと血を噴き出し、すぐさま地に伏せた。
「な、なんだ今の……!」
「いや、スモールウルフなんてザコ、新人の冒険者でも余裕だろ。あのくらい一撃で……いや、さすがにあぁはいかない……か」
ざわめきが広がる。
二体目が左右に揺れながら飛び込んできたが――
(見える)
跳躍前の肩の沈み、脚の伸び。すべてがスローモーションだ。
「せいっ」
額へ膝を叩き込み、壁へ吹き飛ばす。
黒服たちは呆然と、ただ見ていただけだった。
「アイツ……ただの学生じゃないだろ」
「バカいうな。たまたまだって」
よし、手応えは十分だ。
動きも大して速くない。
このレベルなら、魔力コントロールだけで上手くいなしていけそうだな。
それから俺たちはさらに奥へ進む。
モンスターも似たようなレベルのものばかり。
動きもそれほどだし、魔力の流れも単一。
俺はほとんどのモンスターを一撃で屠っていった。
そしてかなり奥まできたと思う。
進むにつれ、妙な静けさが広がった。
モンスターの気配もしばらく感じていない。
ゴールに近づいているということか?
そのとき。
「――この辺でいいだろう」
後ろから低い声が響いた。
振り返ると、黒服たちの背後から一歩前へ出た壮年の男――組のボスがいた。
その声に、空気が微かに揺れる。
洞窟を震わせるような重たい声に、黒服たちがビシッと背筋を伸ばす。
深い皺を刻んだ笑みは、どこか人間味があって――深い闇を宿しているようだった。
「九十九、よくここまで死なずにこれたな」
まるで散歩帰りの子どもでも褒めるような声でボスは言う。
だが次の瞬間、目が笑いを完全に失った。
「――残念ながら、その命もここまでだ」
周囲の黒服がククッと笑う。
「実はダンジョンの中ってのは外と違って無法地帯でなぁ。ここで誰が死のうと、日本の法は誰も裁けねぇんだよ」
「俺を殺して……どうするつもりだ」
この場で俺を殺す意志は汲み取れた。
だが、そんなことをするメリットが一切分からない。
生かして金を払わせた方が、組的には良いと思うんだが。
「臓器一つでも売れりゃ立派な金になるだろ? 利子だってある程度回収できる。で、残りはお前の妹、アイツだ。あれはまだケツの青いガキだが、数年後には良い女になる。しばらくは女として、体で稼がせてもらうさ」
笑い声が洞窟に反響する。
「さすがボス」
「やっぱり金だけじゃ満足出来ねぇよな」
「おもちゃが壊れるまで痛ぶるのが、俺たち獅ノ目組なんだよ!」
今の言葉で全て理解した。
コイツらは完全なる悪だ。
この男は、俺たちの全てを壊そうとしている。
そしてボスは指を鳴らし、
「黒瀬、お前はここに残って九十九の始末をしろ」
「……はい」
黒瀬はゆっくり首を縦に振った。
「よし。残りのメンバーでこの奥にいくぞ。紫鉱石の回収だ!」
「「「はい!」」」
「ボ、ボス!」
少年のような澄んだ声。
黒服の中で一番の若者。
あれは、俺の隣に座っていた青年。
「俺にやらせてください!」
はっきりとした声だった。
だが心の奥底にある魔力には、微細な震えがある。
何らかの迷いがある証拠だ。
ボスは口角を歪めた。
「……理由は?」
「ボスの……役に立ちたいんです!」
その声は愚かだが、真っ直ぐだった。
黒瀬が動かない中、ボスだけが楽しそうに笑う。
「いいだろう。やってみろ。黒瀬、お前は隣で見ててやれ」
そして京介の肩に手を置いた。
「自分で名乗り出た以上……失敗したら分かってるよな?」
囁く声は、氷のように冷たかった。
京介の喉が震える。
だが彼は――笑った。
「もちろんです、ボス」
京介は震えた拳を握りしめ、俺のほうへ向き直った。
黒瀬は無言のまま壁に寄りかかり、腕を組んで見物する体勢に入る。
そんな黒瀬に、ボスは最後に囁くように耳打ちをしたのち、黒服たちと奥へ向かっていった。
そしてこの場に残ったのは、俺、京介、黒瀬。
空気が変わる。
京介が拳を握って口を開く。
「お前には意味がわかんねぇだろ? 同じ冒険者学校の生徒がなんで、こんなことをしてるのか。自ら名乗り出てまで、殺しに加担するのか」
同じ……生徒?
歳が近いとは思っていたが、本当にそうだったのか。
「俺は……俺なりに正しいと思ってんだ! ボス、獅ノ宮獅童は俺を拾ってくれた命の恩人。いくら役立たずだと罵られようが、生きてる価値がねぇと殺されかけようが関係ない。俺にとっては親も同然の御方なんだから。だから俺の居場所は、これからもずっとこの獅ノ目組。今ここで、俺の価値を証明してやる!」
その瞳には曇りがない。
これが目の前の男――京介の正義であり、人生の全て。
彼なりの正解、生き様なんだ。
だが俺には俺で、生きる理由がある。
これはお互いの正しいがぶつかり合う『死合い』。
その覚悟を持って、俺は京介を向かい合い、拳に力を入れた。




