第20話 仙人VS仙人
次の瞬間。
朧仙の魔力が、濃く、鋭く膨れ上がる。
そして姿を消した。
――速い。
思考が追いつくよりも先に、距離が消えた。
踏み込みも、予備動作もない。
ただそこにいた朧仙が、次の瞬間には俺の懐にいる。
反射的に身を引く。
だが、遅い。
拳――いや、掌か。
判断する前に、肩口をかすめた。
衝撃が、遅れて爆ぜる。
「……っ!」
空気が破裂したような音と共に、身体が後方へ弾かれた。
着地。
同時に、地面を蹴る。
――いない。
視界に、朧仙の姿がない。
次の瞬間、背後。
咄嗟に身体を捻る。
だが、その動きすら読まれていた。
蹴り。
受け止めきれない。
腕で逸らすが、
そのまま地面を抉るように吹き飛ばされた。
校庭に、深い亀裂が走る。
――重い。
黒瀬の重力とも違う。
夜継の速さとも、比べものにならない。
単純な身体能力。
いや、それ以上に――
洗練されすぎている。
技じゃない。
型でもない。
ただ、無駄がない。
「どうしたさ〜?」
声が、近い。
気配を感じた瞬間には、
もうそこにいる。
「反応は悪くない。でも、追いついてないさ」
余裕。
完全な余裕だ。
次の瞬間、連続した打撃が襲う。
一撃一撃が、校舎を揺らすほどの威力。
――速すぎる。
目では追えない。
思考も追えない。
それでも。
身体だけが、なんとか反応している。
「来る」
そう分かるから、ギリギリで避けられる。
だが――
避けるだけだ。
攻撃が、届かない。
「ははっ」
朧仙の笑い声。
「いいねぇ。少しずつ反応が上がってきてるさ」
次の瞬間。
踏み込み。
視界が白く弾ける。
腹部に、鈍い衝撃。
息が詰まる。
後退しながら体勢を立て直すが、もう朧仙は次の動きに入っている。
止まらない。
間断がない。
まるで俺が反応できる限界を正確に把握しているかのようだ。
――格が違う。
それを、否応なく理解させられる。
それでも。
俺は、攻撃しない。
力で打ち消そうともしない。
ただ、その動きを見る。
魔力の運び。
踏み込みの拍。
呼吸の間。
整えられすぎた流れ。
一本の、淀みのない線。
――そこだ。
確信に近い直感が走る。
次の瞬間、朧仙が再び距離を詰めてくる。
速い。
だが、今度は違う。
俺は拳を振るわない。
ただその流れに触れた。
「……っ」
空気が、わずかに軋む。
朧仙の踏み込みが、ほんの一拍だけ――遅れた。
致命的ではない。
だが、確実なズレ。
朧仙が初めて目を細めた。
「……やっぱり」
踏み込みが止まった。
いや、意図的に止めたのだ。
俺が止めたのは動きじゃない。
力の流れそのものだ。
朧仙の体から、ふっと魔力が抜け落ちる。
まるで深く息を吐いた直後のように。
「……おっと」
一歩、よろめき。
次の瞬間、彼女はその場に膝をついた。
地面に手をつき、肩で息をする。
だが――
笑っていた。
愉しそうに。
心の底から面白がるように。
「はは……参ったねぇ」
ゆっくりと顔を上げ、こちらを見る。
その瞳に、恐怖も焦りもない。
あるのは、純粋な納得と歓喜だけだった。
そして、愉しそうに口角を上げた。
「ボクの仙道龍波を消した時から、思ってたけどさ〜」
枝を咥え直し、こちらを見る。
「君、仙道力を乱すのが――異常に上手い」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で確信が形になる。
――やはり、俺の力は通じている。
仙道力。
仙人が使う魔力のようなもの。
それは、特別な力ではない。
本質は――魔力と、何も変わらない。
違いがあるとすれば、扱う側が仙人かどうか。
仙人は、修行によって魔力の流れを極限まで整える。
無駄を削ぎ、澱みを消し、呼吸のように循環させる。
結果として――
同じ器でも扱える魔力量が、桁違いになる。
それが仙道力と呼ばれるものだ。
だが。
整いすぎているが故に、弱点もはっきりしている。
流れが均一で拍が揃っているからこそ、僅かなズレが致命になる。
力で打ち消す必要はない。
ぶつけ合う必要もない。
ただ、その呼吸に指をかける。
流れをほんの一瞬狂わせる。
それだけでいい。
さっき紗和と京介を襲った龍も同じだ。
朧仙が生み出したあの高密度のエネルギー体。
あれは極限まで整えられた仙道力の集合体だった。
だからこそ、中核の流れを乱した瞬間維持できなくなり霧散した。
破壊したわけじゃない。
打ち消したわけでもない。
成立しなくした。
それだけだ。
仙人同士の戦いは、
力比べじゃない。
どれだけ強い魔力を持っていようと、どれだけ速く、重く、鋭くても――
相手の仙道力を見抜かれ、呼吸を掴まれた時点で勝負は決まる。
朧仙は、それを誰よりも理解している。
だから動きを止められても焦らない。
悔しがらない。
ただ、楽しそうに笑う。
「いやぁ……」
肩をすくめ、心底満足そうに言った。
「さすが澄明。ほんと、参ったさ〜」
視線が俺の足元から顔へと上がる。
「このまま続けても、キリがないね」
魔力の圧が、ゆっくりと緩む。
枝を噛み直し、宙を一歩、後退する。
「どうせ、まだ仙人の人数も足りない。万界静止大結界も、今すぐ完成させられないしねぇ」
軽い口調。
「また会うさ、澄明」
にやり、と笑う。
「次は、もう少し準備を整えてからね」
その姿が霧のように薄れていく。
最後に残されたのは、
その言葉だけだった。
――静寂。
張り詰めていた空気が一気に緩む。
俺は、ようやく息を吐いた。
「……大丈夫か?」
背後を振り返る。
紗和はまだ、結界を維持したままこちらを見ていた。
顔色は悪いが、立っている。
「う、うん……」
京介も、少し呆然としながら頷く。
「なんとか……生きてます」
「無理させたな」
そう言うと、二人は同時に首を振った。
「穂高、来てくれて……ありがとう」
「正直、もうダメかと思いました」
その言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ軽くなる。
と、その時。
「いやぁ〜」
間の抜けた声が上から降ってきた。
「すごい戦いだったね」
校舎から出てきた二人の影。
白凪夜継と風祭美鈴だった。
「僕が請け負った分身の彼、今は大人しく寝てもらってるよ。それよりも――」
楽しそうに目を細め、俺を見る。
「今の戦い、何? 完全に人間のする動きじゃなかったけど」
「……話すと長くなる」
としか返しようがなかった。
とはいえここまで全員を巻き込んでおいて、何も話さないわけにもいかないよな。
「だろうね」
夜継は肩をすくめる。
「でも……折を見て、話してくれるんでしょ?」
視線が一気に俺へ集まる。
「あぁ。後日、説明させてくれ」
「いいよ。君から話してくれるのを、楽しみにしてるよ」
「俺もまた聞かせてください、穂高さん!」
「私も……聞きたい。穂高が抱えているもの。だから、また覚悟ができたら聞かせて?」
「あの、私も聞いていいなら、ぜひ……」
全員の視線を受けながら、俺は夜空を見上げた。
朧仙は去った。
だが、全てが終わったわけじゃない。
世界を止める結界。
転生した仙人たち。
そして彼らと対峙するには、俺自身もっと強くならないといけない。
そのために俺は明日も冒険者学校の生徒として、鍛錬を続けていく。
九十九穂高として。
止まらない世界で、一歩ずつ。




