第11話 これにて全て、精算だ
黒瀬。
彼は穂高が直面した中で、間違いなく最強の相手だった。
今回はたまたま京介の乱入があったからスムーズに勝てたものの、一人ではどうなっていたか。
しかし現役の冒険者がこんなにも強いとは。
五十年瞑想しただけでは、やはり敵わないな。
俺にはまだまだ足りないものがある。
特に身体能力と戦闘経験。
ここが圧倒的に不足している。
鍛えるものが多いのは楽しいものだな、師匠。
俺は倒れた黒瀬の背中を見ながら、そう心の中で呟いた。
「ほ、穂高、さん……」
京介。
同じ冒険者学校の生徒。
そして獅ノ目組のボス、獅ノ宮獅童の義息。
彼はゆっくりと俺に歩み寄ってくる。
だがその表情、声色、魔力の質からは、一切敵意を感じない。
「お、おいっ!」
そんな時、
ダンジョン全体に怒号が響き渡った。
そしてそこに立つのは、白スーツを身に纏う老人。
獅ノ目組のボス、獅ノ宮獅童だ。
周りを取り囲む黒服たちは、行きしなには持っていなかった大きな袋を担いでいた。
どうやらダンジョン探索を終えた後らしい。
「なぜ……なぜ、黒瀬がそこで倒れてるんだッ!」
傍にいる黒服たちも一斉に息を呑む。
黒瀬――この組の最強が、この場に伏せている緊急事態に、誰もが信じられないという顔をしている。
「黒瀬ッ! お前、何をしている! さっさと起き上がらんか!」
黒瀬が倒れた現実を受け止め切れないのか、獅童の声が微かに震えている。
「あの黒瀬さんが……」
「もしかして、あの二人が……?」
「そんなバカな。あの方は元B級の冒険者だぞ」
黒服たちの動揺も隠しきれないでいる。
「――まだだ!!」
ボスの怒声で、空気が震えた。
「黒瀬一人が倒れたくらいで動揺するなッ!! まだ十数人いるんだぞ、こっちは!」
黒服たちが我に返り、一斉に俺を睨みつける。
「人数で押せば、あんなガキひとり、潰せるだろうがッ!!」
「「は、はい!!」」
その声には焦りと恐怖が滲んでいた。
黒瀬がやられたという事実は、それほど衝撃的なのだろう。
そんな中、獅堂は京介へ視線を向けた。
「京介……お前もまだ、戦えるよな?」
京介は俯き、震えた拳を握ったまま動かない。
俺を殺そうと戦っていた時よりも、黒瀬に首を掴まれた時よりも――今の京介がいちばん苦しそうだった。
「京介! 黒瀬の仇を討て」
返事はない。
「……聞こえなかったのか?」
声が一段低くなった。
「お前は俺が拾ってやったんだぞ。恩を返すと言っていたな? なら戦え!」
京介の肩が微かに揺れた。
だが一歩も動かない。
獅堂の表情が怒りで歪む。
その瞬間、京介が小さく息を吸った。
俯いたまま、だが確かに声を震わせて言った。
「…………今まで……ありがとうございました」
獅堂の動きが止まる。
洞窟全体が一瞬で静まり返った。
だが京介は、ゆっくりと言葉を重ねていった。
「ボスに拾われて……俺、嬉しかったんです。あのとき……名前を呼んでもらえたの、初めてで……」
拳を握る京介の背中がわずかに震えている。
「だから……だから俺……ずっと信じてたんです。叱られても、殴られても……いつか役に立てるって……」
声が擦れた。
「でも……今日わかりました。俺は駒だったんだって。生きてても……死んでも……どうでもいい存在だったんだって……」
獅堂のこめかみに青筋が浮かぶ。
「京介……貴様――」
「だから……」
京介は初めて顔を上げた。涙をこらえた目で。
「だから……俺は、俺の人生を……自分の意思で選びます」
京介は深く頭を下げた。
黒服たちがざわつく。
「裏切りだ……!」
「京介、お前!」
獅堂の顔は怒りで歪み、その末に耐えきれず――
「フハハハハッ!!!!」
大声で笑い声を上げた。
そして、
「はぁぁあ……いつかオレの身代わりとして死んでもらう予定だったが、仕方ねぇ。京介、お前は今殺して臓器として売ってやる」
情のかけらもない声。
「いけ、お前たち!!」
「「「は、はい!!!!」」」
黒服たちが一斉に叫び、襲いかかってきた。
京介に向かう者、俺に向かう者。
殺気が一斉に満ちたその瞬間。
俺は京介を庇うように前へ出た。
「京介」
「……っ、穂高さん……?」
「後ろにいろ。ここから先は――俺がやる」
黒服たちの殺意が迫る。
この数を正面から受け止めるのも、まぁ悪くない経験だ。
俺は軽く拳を握り、足を一歩進めた。
黒服たちの靴音が一斉に鳴り響く。
怒号、殺気、焦燥――混じり合った気配が洞窟の空気を震わせた。
俺は息をひとつ吸い込み、拳を軽く握った。
さて……試してみるか。
対複数戦における、魔法の発動を。
仙人として修行していた時、その合間に師匠から魔法の知識のみを叩き込まれた。
発動させるのはまだ早いと止められていたため、実際に使うのは初めてだが、
成功する自信は十分にある。
なぜなら、発動した魔法の成功率は――
「京介もろとも殺してしまえッ!!」
黒服たちが俺と京介を包囲しようとした時、彼らの視線が一斉に誰もいない方向へ向いた。
「そっちだ!! ガキが右へ走った!!」
「いや奥の通路だ!! 気配がそっちに――!」
「後ろ!? なんで背後にもいるんだよ!?」
洞窟が大混乱に包まれた。
京介が驚いて呟く。
「ほ、穂高さん……これ……?」
「魔法発動の成功率は、イメージ力に依存する……」
俺は足元へゆっくり魔力を流す。
魔法による幻覚の一種、魔力残響
気配、足音、体温……それらを複数の方向に散らすだけの魔法だ。
どうやら一般的に知られた魔法ではないらしいが、特段難しいものではない。
この程度の敵なら、効果的面だな。
もちろん黒瀬レベルには一切効果がなかっただろう。
「奥だ! 奥に行った!」
「よし、全員で畳み掛けるぞ!」
確信を持った表情で、黒服たちは一斉にダンジョン奥へ駆けていった。
やがて、洞窟に静寂が訪れる。
彼らは少なくとも数時間、名もなき気配を追い続けることだろう。
「お、お前たち!!!! どこへ行くんだぁ!!!!」
立っているのは、俺と京介。
そして焦る獅堂だけ。
「後はお前だけだな、獅童」
「ま……まて……待て……」
獅堂の声が震える。
「そんな、バカな……」
俺は静かに歩み寄る。
獅堂は腰を抜かし、尻もちをついた。
「来るな……! 来るなァ!!」
コイツだけは逃すわけにいかない。
まだ俺たち九十九家との精算が終わってないからだ。
「獅ノ宮獅童、お前は俺の妹を売ると言ったな。臓器だの、娼婦だの……ずいぶんな口を利いてくれたじゃないか」
獅堂の顔色が蒼白に変わる。
「や、やめろ……! 借金はもういい!! 利子も全部チャラだ!! だから――」
「金の話はもういい」
俺は右手を上げた。
その途端、獅堂の顔に死の恐怖が浮かぶ。
「京介!!!! オレを助けろ!!!!」
その瞳は義息へと向く。
「オ、オレはお前にとって唯一の家族だ。ここまで立派に育てたのもオレ。京介、お前はそんなオレを見殺しにするのか?」
死を肌で感じた獅童が最期に頼ったのは、自らの手で切り捨てた義子だった。
果たして当人がどんな選択をするのか。
「お、俺は……」
京介が戸惑いがちに目を逸らし、口を閉ざす。
「……っ!? 京介、貴様……っ!!」
それを否定と取った獅童は、表に怒りを剥き出した。
そして勢いのまま、内ポケットからナイフを抜く。
明らかな殺意を持って立ち上がる。
こんなチンケなもので俺たちを殺せるとは思えない。
獅童本人から大した魔力は感じられないからな。
だが、向けられた戦意は戦意で返すと決めている。
「覚悟はあるんだな」
俺が力いっぱい拳を握ると、
「ひぃ……っ!」
一瞬で獅童は我に返る。
足を止め、後ずさるがもう遅い。
「これにて全て、精算だ――」
「うわぁぁぁぁあ!!!!」
俺は拳を振り抜き、獅童をぶっ飛ばしたのだった。




