[はやボク] 1-16.消えなていくて安心した記憶
空港のロビーには、ピアノの演奏なんて一音もなかった。あたりまえだけど――改めて、それを実感する。行き交う人々の足音、アナウンス、キャリーケースのタイヤの音。つまらない音ばかりが耳に残る。
季節は梅雨を通り越して初夏に差し掛かっていた。春先の気温とは違いずいぶんと暖かくなったけど、 空港のロビーのエアコンは肌寒さすら感じる。
窓の外には、これからソラが乗るウィーン行きの飛行機が見えた。
「ねぇねぇ、キミさぁ。こういうとき、泣かないの?」
ソラはいつもと変わらずふざけた口調でボクを煽ってくる。
「泣いてほしいの?」
「ふふ、キミのそういうとこ、ほんとズルいよね」
そう言って握りこぶしでボクの肩を軽く叩いた。旅の装いに身を包んだソラは、以前と変わらず無邪気に見えた。
――いや、きっと、前より、ずっとしっかりした顔になっていた。
「私さ、ずっとピアノに本気で打ち込みたいと思ってたのに、打ち込むことが怖かったんだよね。また発作が起きて途中で止まっちゃうかもしれないって思うと、始めるのが怖くてさ」
俯きながら告白するようにそう言ったソラは、顔を上げてこちらを見つめてこう続けた。
「でも……キミと出会って、私、逃げずに向き合ってみようって」
「うん」
それが、今のボクに言える精一杯の言葉だった。
でも、不思議と悔しくはなかった。これが、ボクなりの誠実さだと思えたから。
「ありがとね。ほんとに」
ソラの声はいつもと同じ明るさだった。でも、伏し目がちなその顔には、はっきりと感情の温度が宿っていた。
《ありがと》――
昔はとても嫌いだったはずの言葉が、今はこんなにも心地いい。
「私がいなくなっても友達作るんだぞ!」
「……それはソラもでしょ(笑)」
「うん。私、頑張るよ。ウィーンでも、絶対」
そう言って、ソラは自分のかぶってる赤いキャスケットにそっと触れた。そして、ボクのグレーのキャスケットを指先で優しくなでた。
そして――少し照れくさそうに、最後にこう言った。
「私もキミのこと、大好きだったよ。今までも、これからも」
ソラはゲートの向こうに歩き出した。こちらを振り返ることはなかったけど、たぶんあのキャスケットの下で泣いてたと思う。
ソラの姿が見えなくなった後、今までずっと沈黙していたステアがまたも自律的に声を発した。
「大丈夫です。私はいつも、あなたのそばにいます! だから、寂しくなんてありません」
その瞬間、ボクの中でプツンと何かが切れる音がした。
「寂しくないわけ、ないだろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
その声に驚いたのか、ステアはふわりと浮かび、まるで本物の人間のように、そっと近づいてきた。小さな手で、ボクの腕をギュッと掴んだ。
心を持たないただのAIのはずなのに、不思議とその手はあたたかく感じた。
そしてボクの頭には、今もソラとおそろいのネコミミのキャスケットが乗っている。
それは、二人だけのささやかな《記憶》だった。
(早く卒業して学園からオサラバしたいので
不登校だったボクが再登校を決意する 1 終)
[はやボク]
『早く卒業して学園からオサラバしたいので不登校だったボクが再登校を決意する』を最後までお読みくださってありがとうございました。
この物語はフィクションとして描いたものですが、僕の生活や心境を文字として綴ったもので、まったくのフィクションというわけでもありません。
AIとのかみ合わない会話、仲良くしてくれている人への信頼と疑念、何かをしなければいけないのに何もできない苛立ち……
そんなものを形にしてみようと思い筆を取りました。
読んでくださった方がどんな感想を持ってくれるか、僕からは意図を持たずにただ思ったことを書いたので、正解はありません。
どうか、読んでくださった方それぞれに答えを見つけてください。
文末に「早く卒業して~1 終」と書きましたが、この物語には続きがあります。
第二部は来週末からスタートを予定しています。
活動報告やTwitterでも第二部の予告的なものをお見せしていこうと思っていますので、ぜひブックマークの方よろしくお願いします。
改めて、最後まで読んでくださってありがとうございました。
樹 修次




