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日本から召喚しました

いいえ、聖女は召喚されたあなただけです

 エリーゼは読み書きが得意ではない。言葉もおぼつかないことがある。

 孤児院で教えてもらっても、異国語のように身に馴染まない。

 対人スキルもない。

 愛想もない。

 髪の色は黒で珍しくもないが、目は灰色で、すこし離れた物は、ぼんやりとしか見えなかった。

 喋ることは苦手なのに、意味不明な独り言を言うので気味悪がられた。


 エリーゼは、もの心がついたときから孤児院にいた。その経緯を聞かされたことはないが、おそらく生まれて間もない頃からいるのだろう。シスターがおしめを替えた話をしていたから。

 その孤児院は王都にあり、王妃が時々視察にくる。貴族からの寄付も多く、孤児院とはいえ比較的恵まれた生活を送ることができた。シスターたちも大らかで、孤児たちは読み書きも習えたし、畑などで働く時間と同じくらい、遊ぶ時間もあった。

 それでも、孤児たちは10歳になると、孤児院以外で少しずつ仕事を教わるようになり、15歳で住み込みの仕事などで孤児院から独立していった。


 エリーゼは人と口を利かなくてすむ仕事がいいだろうということで、仕立て屋のもとでお針子の仕事を教わることになった。エリーゼの動作は遅いが、お針子の仕事は丁寧だったので、仕立て屋のおかみさんはエリーゼを気に入ってくれた。15歳までは孤児院から通いで働くのだが、15になったら、うちにおいでと、早い段階で言ってくれた。

 10歳になったばかりの頃は、ひたすら真っ直ぐ縫うところだけ任されていた。次第ににカーブを縫ったり、レースを縫い付けたり袖をつけたりと、順を追って技術を身につけていった。

 周りのお針子とはほとんど会話をしなかったが、意地悪をされたりすることもなかった。ただ、時々口にする独り言に、プッと笑われるくらいだった。そんな時もエリーゼは、どこを見ているのか分からない顔で、首をかしげるだけだった。



 エリーゼには、会話をする友達もいないので、誰にも言ったことがなかったが、前世の記憶らしきものが、ごく薄っすらあった。

 あまりに薄っすらすぎて、ただの自分の空想だと思うこともある。それにしては現実味があるのと同時に、現実とは思えないほど便利過ぎる世界でもあった。


 井戸から汲まなくても管から水が出る、お湯も出る。ボタンを押すと台所のかまどに火が着く。その火も赤く揺らめいたりしないで、きちんと丸く整列している青い炎だ。炎が青いなんて、絶対におかしい。

 階段を登らなくても、階段が動く。そんな楽なことがあればいいな、と思う。もっとずっと高いところに行くには、四角い箱に入ると、ぐんぐん持ち上がって建物の上階に行く。楽過ぎて怖い。


 着ている物もおかしい。はしたないほど足や腕をむき出しにして、少女が平気でいるのが信じられない。色や柄の種類も目にチカチカするほどある。走り回る足元は、すごく歩きやすそうな靴だ。


 こんな世界に自分が生きていたとは信じられない。だけど、これはなんだろう。エリーゼは、見慣れぬ世界に親しみを持てなかったが、ときどき頭に浮かぶ可愛い動物たちは、悪くなかった。エリーゼの頭が想像したものなら、自分は可愛いものを考え出す才能があるのかもしれないと思った。


 13歳になると、仕立て屋で刺繍を学んだ。この仕立て屋は、一通りの仕事をやらせてみて、適性のありそうな職種に就けるようにしていた。ここでエリーゼは刺繍の腕を認められた。

 基礎的な刺繍を教わると、自由作品を作ってみるよう言われ、エリーゼは空想の世界で出会った可愛い動物たちをモチーフに、刺繍を刺した。

 パンダ、コアラ、はちわれ猫、ペンギン、などなど。エリーゼが名前も知らない動物たちだ。そのままの姿を刺繍したり、ころころ転がった愛嬌のあるポーズや、少しデフォルメした姿でも刺した。

 

 エリーゼの刺繍は、子ども服で人気となり、大人向けのハンカチやバッグなどにも使われた。

 同僚にも教えを請われ、たどたどしい口ぶりで説明をした。



 こうしてエリーゼは、相変わらずここが自分の居場所だとは実感できないものの、孤児院から独立して暮らしていけそうな目途が立ってほっとしていた。



  ◇     ◇     ◇     ◇


 

 そんなエリーゼの日々に、とてつもない衝撃が襲った。

 仕立て屋に住み込みで働き始めて、間もない頃だった。


 きっかけは、お針子仲間たちの会話だった。


「大教会で、聖女様が召喚されたって、聞いた?」

「聞いたよー、治癒と浄化の聖女様だって? 本当なのかな」

「さっそく教皇様の胸の病を治したらしいよ」

「最近、教皇様、寝込んでいらしたんだってね」

「じゃあ、本物なんだ」


「ねえ、ねえ、その聖女様のお披露目のドレスって、どこが仕立てるのかな」

「うちじゃあ無理ね。貴族様御用達のところよ」

「そりゃあ、そうよねー」

 そう言ってお針子たちは笑ったが、おかみさんが、

「ふだんの聖女様は、教会でお祈りや治癒の仕事をなさるから、日常着は平民レベルの質素なものらしいよ。教会は清貧を旨としているもの」

と言うと、お針子たちは期待に目を輝かせた。


「じゃあ、あたしたちが作ったシスターの服みたいのも、着たりすることあるのかな」

「まさかあ」

「それが、あるんだよ。いろんな仕立て屋に公平に作らせてくれるんだって。なにしろ元の国では、服飾が発達していて、毎日違う服を着ていたんだってさ。ほかのことは贅沢を望まないけど、着る物だけはシンプルで質も最高級でなくていいから、いくつもほしいんだってさ。御馳走も宝石も要らないっていうんだから、かわいい贅沢じゃないか。おかげでうちも何枚か納めることになったよ」

 ワッと、皆が盛り上がった。

「形はシスターの着ているものから大きく外れてはいけないけれど、色づかいや刺繍や切り替え模様なんかは、かなり自由にしていいっていうから腕が鳴るね」


「その聖女様、いったいどこの世界からきたんだろうね」

 ひとりのお針子がなにげなく言った。

 おかみさんは、うーん、と唸ってから思い出した。

「そうそう、太陽がのぼる国、っていう意味で、たしかニホンっていう国」

「ニホン!」

 突然、エリーゼが立ち上がって叫んだので、皆驚いた。中には初めてエリーゼの声を聞いた者もいた。


「どうしたんだい、エリーゼ」

 おかみさんが心配そうに声をかけた。


 エリーゼは、はっとして周りを見回したが、言葉を続けることもなく、椅子に座りなおして刺繍の続きを始めた。


「ニホンって言葉が珍しかったのかな」

「でも、今までどんな話をしていても、反応しなかったのに、どうしちゃったんだろう」


 その後、聖女様の話は色々伝わってきた。お針子たちが、家や友達から話を仕入れてくるのだ。


「聖女様のいた国って、信じられないくらい便利だったって」

「聞いた。井戸じゃなくて、家の中にある管から水がいつでも出るんだって」

「お湯も出るから、簡単に体を洗えるってすごいね」

「台所では、簡単にお湯も沸かせるし、指一本でかまどに火が着くんだって」

「馬じゃないすっごい速い乗り物があるなんて信じられる?」

「小さな板みたいなもので、遠くの人と話ができるんだって、本当かな。魔法?」

 うわさ話は尽きなかった。


 

 エリーゼは、あの時、ニホンという言葉を聞いてから、急に視界が開けた。音もクリアに聞こえる。周りの人の話している内容の意味が分かる。そして、聞けば聞くほど、エリーゼの薄っすらした記憶と重なった。

 エリーゼは、『あたしは、前世でニホンという国に生きていたんだ』と、確信した。



 そうこうしているうちに、エリーゼのいる仕立て屋でも、聖女様用の服が3枚完成した。3枚ともに、エリーゼの刺繍が控えめに入っている。エリーゼは、この服を届けに行って聖女様に会いたいと思ったが、とても言い出せなかった。

 おかみさんと、デザインを主に考えたアンナさんの二人が、服を届けに行った。


「聖女様、見えた?」

「どうだった、どうだった。今日はどんな服着てた?」

「落ち着きなって。仕立て屋もたくさんいたから、遠くからしか見えなかったよ」

「でも、きれいな人だったね。服もかわいらしい色で似合っていたよ」



 それからしばらくして、エリーゼのいる仕立て屋に、教会から使いが来た。

「聖女様の服に刺繍をした者に会いたい」

「何か不都合がありましたか」

「聖女様が会いたいと言っておられる」

「あの子は言葉がうまく喋れないんだ。あたしがついていっていいなら呼んでくるよ」

「そういうことなら、かまわぬ。一緒に参れ」


 そうしてエリーゼは、おかみさんと一緒に、生まれて初めて馬車に乗って大教会に向かった。


 大教会というだけあって、エリーゼたちが普段通っている教会とはまるで違った。とにかく何もかもが大きい。その中を、連れられるままにどんどん奥まで進み、中庭に面した明るい部屋に案内された。


 部屋の真ん中にあるソファに、栗色の髪に黒い瞳の少女が座っていた。

 エリーゼは、おかみさんと並んで聖女様の向かいに座った。


「初めまして、ルイーズといいます。素敵な服をありがとう。この刺繍をしてくれたのは、あなたね」

 おかみさんは、エリーゼを肘でつついて返事を促した。

「はい。あたしは、エリーゼといいます」


「この動物、パンダでしょう?」

「パンダ?」

「違うの?」

「私の頭の中に浮かんだ動物なので、名前は分かりません。本当にいるのかも知りません」

 横で聞いていた仕立て屋のおかみさんは、エリーゼがここまできちんと人と会話をしているのをはじめて聞いた。

「ほかにも、コアラでしょう、それから両手をあげて威嚇しているレッサーパンダ、可愛くて大好きだわ」

「そうですか、ありがとうございます」


 エリーゼは戸惑っていた。会いたいと思っていた聖女様に会えているのに、何かもどかしい。ニホンという言葉を聞いて体が震えたのに、その理由が分からない。


「エリーゼさんは、日本という国を知っている?」

「日本!」


 今度こそ、エリーゼを覆っていたすべての幕が取り払われたかのように、膨大な記憶があふれ出た。

 日本で生きてきた子ども時代、学生時代、四季それぞれのイベント、遊び、流行、ファッション、歌、SNS、映画、何もかもがごちゃ混ぜに入り乱れ、やがて静かに落ち着いた。

 エリーゼは、硬直したまま動けなかった。


「どう?」

 聖女ルイーズが心配そうに聞いた。


「思い出しました。私は日本に住んでいました。いつのことか分かりませんけれど、確かに高校生までの記憶があります。職場の人が言った『ニホン』という言葉は、外国人のような発音だったので、中途半端に記憶が浮かんだだけでした。でも、いま聖女様が『日本』と言ったので、今度こそ、すべて思い出しました」


「エリーゼ、あんた、どうしたんだい? そんなに流暢にしゃべったことなかったじゃないか」

 おかみさんは困惑しきりだ。エリーゼの顔をしげしげと覗き込んだ。

「あれ、あんたの目、前は灰色だっただろ。いつの間に黒くなったんだい」

 エリーゼは少し考えてから、

「前におかみさんが、聖女様はニホンから来た、と言ったのを聞いた時から、周りの景色が見えるようになったんです。だから、その時からかもしれません。今、聖女様が『日本』と、正しく言うのを聞いて、さらに視界がはっきりしてきました。」


「それで、どう? 何か思い出した?」

 聖女ルイーズが、ソファから乗り出すようにしてエリーゼに顔を寄せてきた。期待に満ち満ちた顔だ。

「何か、とは」

 エリーゼは首をかしげた。

「前の世界での約束よ、絵里」

「絵里、そうでした、私の名前は絵里で、聖女様の名前は瑠衣るいでしたね」

「なによ、覚えているんじゃない。よかったあ。じゃあ、これからもヨロシクね、絵里」

「衣類への刺繍なら、いくらでも注文を受けますよ、聖女様」

「もう、何言ってるのよ、絵里。これからは、そんな刺繍なんてしなくていいんだって。一緒に教会に住もうよ。絵里が一緒にいてくれたら、私、なんだってできる気がするの」

 聖女ルイーズは、断られることなど、まるで想定していないようだった。


「あの、聖女様、ご友人といえど、勝手に教会に招くわけにはいきません。理由と許可が必要です」

 エリーゼたちをここまで連れてきた男が、ルイーズをたしなめた。

「どうしてよ、前世からの友だちなのよ、それに私の力は、彼女がいることで増幅されるの。今よりもっとたくさんの治癒ができるようになるのよ。教会だって、それは歓迎すべきことじゃない?」

「しかし、召喚された聖女は、ルイーズ様おひとり。エリーゼさんに、そうした力があると、どうして分かるのですか」

「女神さまを交えての約束だもの」



  ◇    ◇    ◇    ◇



 絵里が小学校2年生の時、隣の家に瑠衣の一家が引っ越してきた。

 早生まれで何かと要領の悪い瑠衣の世話を、いつも絵里が焼いていた。それが、中学になり、高校になっても、瑠衣は絵里を頼り、甘えた。

 そのしがらみから抜け出せないまま、最後は旅行先でふざけて足をすべらせた瑠衣が、とっさに絵里の腕をつかみ、ふたりして滝つぼに落ちて帰らぬ人となった。


 その時、何かに救い上げられて、気付いたら、絵里と瑠衣は雲の上で座り込んでいた。

 絵里は、立ち上がってみた。ふわふわの雲が足の裏にやさしい。

 真っ白い、くるぶしまでのワンピース。軽やかで着心地がいい。


「困ったわね」

 頭上で声がした。優しく、しかし、逆らえない声音。

「ひとりで良かったのだけど」


「何がですか?」

 自分の利にはさとい瑠衣が、すかさず声に反応した。


「ある世界で聖女を必要としているの。私の管轄している国から、ひとり寄越してほしいと乞われた時に、ちょうどあなた方が、不慮の出来事で命を失った。もう一度人生を送らせてあげるから、15歳になったら、召喚に応えて聖女になってくれないかしら。象徴的な意味合いの聖女だから、危険な地域に赴くこともないはずよ。少しの治癒と、少しの浄化ができれば、人々に尊敬されて、大切にされる。どう? 悪い話ではないと思うわ」


「私がなります。絵里も付き合ってくれる? ひとりじゃ心細いもの。ちょっとだけ手助けしてくれたら、私、頑張れるから」

「そうね。確かに、その体に治癒と浄化の力を入れたら、それを働かせる聖力まで込めるのは、体に負担がかかり過ぎるかもしれないわね」

「ね、だから、二人一緒に生まれ育って、15歳で召喚されればいいのね。私が治癒と浄化の聖女として人々を癒すから、絵里は私に聖力を授ける聖女として、ふたりで頑張りましょうよ」


 冗談でしょう。滝つぼに落ちて死ぬところまで付き合わされて、これ以上、都合よく使われるのはごめんだ。絵里は、そっと後ずさった。自分の足元の雲が、すこし緩んで下に抜けそうになっている。


「じゃあ、それぞれの力を授けるわね。15歳になる少し前から自然と使えるようになるはずだから」

「私、双子がいいな。いつも一緒にいられるでしょう」


 どこまでも勝手なことを言う。来世で聖女と言ったって、賞賛されるのは治癒と浄化を行う瑠衣だ。聖力を瑠衣に提供したところで、それが聖女だとは誰も言わないだろう。

 ふたり一緒というのなら、片方が治癒の聖女で、もう片方が浄化の聖女なら公平なのに。


「さあ、ふたりの魂に、それぞれの力が芽吹く種を植え付けたわ。ゆっくり成長しなさい。懐かしい日本で、もう一度生きなさい」


 その見えない人の声が、近づいてきた。絵里は足でさぐっていた雲の穴に、覚悟をもって飛び込んだ。


「そんな、待って、そちらに落ちたら・・・」



   ◇    ◇    ◇    ◇




 あれが女神の約束なのか。絵里は承諾した覚えはない。


「私、召喚されてすぐに、教皇様の胸の病を治したのよ。少しは自分の中にも聖力があったから。でも、また自分の中に満たされるまで、ずいぶんかかるの。使っていればだんだん容量が増えるって言われたけど、そんなことをしなくても、絵里がいるじゃない。ね? エリーゼも今日から聖女と認めてもらいましょう?」


「無理です、聖女様。我が国に聖女が生まれることはありません。必ず召喚で現れるのです。聖女を詐称すれば、罰せられます」

「ええっ? そうなの? でも、聖力を私に補充することができるなら、聖女の名前がなくても、私の補助はできるでしょう?」


「ルイーズ様、何を言っているのか分かりません。私は、前世であなたと知り合いでしたが、今はとても聖女様のお手伝いができるような力はありません。わざわざ招いて刺繍を褒めてくださって、ありがとうございます。どうぞ、皆さまのために、力を使ってください」


「ちょっと待って、困るわよ。私ひとりの聖力じゃあ、ぜんぜん足りないもの。女神様との約束を忘れたの?」


「私は約束なんてしなかった。する暇もなかった。女神さまは、『懐かしい日本で、もう一度生きなさい』って言ってたよね。私は、日本に生れ落ちなかったから、女神様の言葉は叶えられていない。当然、そんな約束、反故ほごでしょう?」

「絵里が、勝手に雲から落ちたんじゃない」

「逃げるしかなかったもの。瑠衣からも、女神様に押し付けられそうな役割からも」


「私は、ずっと楽しみにしていたのよ。また絵里と会えるのを、15年もずっと待ってた」

「そっか、私だけが、記憶を封じられていたんだね。孤児院で15年暮らして、ようやく自活の目途がついたところなの。私の15年を無駄にしないで」


「だって、それは 絵里が勝手に落ちたせいで、女神さまだってとっさに記憶をシールドにくるんで、予定外に下りてしまったこの国で生きてもらうしかなかったって・・・」

「わざわざ記憶を閉じ込めたのはなぜ? 不完全だからときどき浮かんできたよ。日本語も無意識に口にしていたみたい。そして15歳で絵里に再会して、『日本』という単語がトリガーとなって、記憶を取り戻した。今さら過ぎるよ」


「だって、日本じゃない世界で、日本の記憶があったら混乱するでしょう?」

「日本の記憶よりむしろ、覆っていたシールドのせいで、ずいぶん生きづらかったよ。言葉も不自由で、耳も聞こえづらく、視力も手近なものしか見えないほど。これ全部、女神様のせいなら、恨みしかないから。そもそも、最初に、聖女はひとりでよかったのにって、女神様は言ったし、私がなりますって言ったのは瑠衣。発言に責任もってね」


「そんな・・・」


「あの、あなたは神官さまですか?」

 エリーゼは、ここまで案内してくれた男に話しかけた。

「いえ、なりは神官ですが、教会所属の護衛騎士です」

「この国の孤児院で育った私が、聖女と認められることは、ないのですよね」

「はい、教義にもはっきり書かれています。聖女は、召喚によって界を渡ることで聖女となる、と」

「でしたら私は、聖女ではないし、教会に拘束されて、意に反した労働を強いられることもありませんよね?」

「教会は、個人の職業を強制することはありません」

「それを聞いて、安心しました」


「では、聖女ルイーズ様、聖女として立派にお勤めになることを、王国民のひとりとして願っております」


 エリーゼと仕立て屋のおかみさんは、再び馬車に乗って仕立て屋に戻った。


 お針子仲間からは、根掘り葉掘り尋ねられたが、馬車の中でおかみさんと決めたように、聖女様と前世の知り合いであることは言わないことにした。急に流暢にしゃべりだしたのは、聖女召喚の余波がなんらかの影響を及ぼしたのではないか、ということにした。聖女様からは、エリーゼの刺繍がすごく気に入ってお褒めいただいた、ということだけ皆に説明した。



 それからもエリーゼは口数少なく、可愛らしい刺繍を得意として、ファンを増やしていった。ファンの間では、その刺繍の服を着た赤ん坊は機嫌がよく、その刺繍が入ったハンカチを持ってデートに出かけると上手くいく、というような都市伝説を生み出していった。

 それはエリーゼが、ほんの少しずつ、聖力をこめているからだが、目に見えるほどの効果があるわけではなかったので、ファンの心理でそう思いたいのだろう、ということになっている。



 一方で、聖女ルイーズが大々的に人々を癒して、賞賛されるようなことにはならなかった。

 聖女というものは、あくまでもその存在が人々の心の支えになるもので、決して実用的な何かを期待すべき対象ではないからだ。教皇様の病を治したのも、召喚直後のボーナスのようなもので、彼女が聖女であることを証明するためのものにすぎなかったと、教会が正式に発表した。


 

 というのも、何代か前の聖女が、力の限り人々を治癒してしまい、本人の持つ自然治癒能力をなくしてしまうということがあったからだ。その聖女も、力の使い過ぎで、召喚からわずか半年で命を落とした。

 次に召喚した聖女によって、そうした点が指摘された。教会も、この件をふまえ、過剰に聖女に期待するのは危険と判断した。



 かくして、聖女ルイーズは教会の奥まった日当たりのよい部屋で、

「まったく、なんでよ、退屈すぎて死にそうなんだけど!」

と、周りに当たり散らしていた。

 けれど、それ以上に悪態をつくわけでもなく、贅沢を要求するでもないので、周りからは癇癪を起した子ども扱いされていた。

「まあ、まあ、ルイーズ様、聖女様がお暇ということは、この世界が平和ということなのです。さあ、今日はどの服にしましょうか」

 駄々っ子の扱いに慣れたシスターが、上手に機嫌を取るので、ルイーズも、

「そうね、今日は、はちわれ猫の刺繍のワンピースにするわ。後ろ姿に小さなしっぽがついているのは悪くないでしょう?」

 シスターは、最初の印象と違って案外チョロいなと思いつつ、聖女ルイーズのお世話をするのだった。



お読みいただき、ありがとうございました。


3作目の短編です。書いてみて分かったのですが、私は召喚ものを書くのが好きみたいです。

というわけで、召喚シリーズでまとめることにしました。

よかったら、ほかの作品も読んでみてください。

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― 新着の感想 ―
ハンディキャップを持つエリーゼが前世の記憶と刺繍の才能で自立していく姿に心を奪われました。聖女ルイーズとの再会と過去の約束を反故だと言い切る潔さが印象的です。エリーゼが自身の聖力を人知れず日常の中で役…
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