●09●適材適所、自信喪失、脱出願望。そしてトキカケっ!
●09●適材適所、自信喪失、脱出願望。そしてトキカケっ!
「そ、そんな……そんな……」
マコは打ちひしがれた。
マコの心を真っ黒に陰らせたのは、あの三人の幽霊たちに、体良く騙されて、死の密室に放り込まれてしまったのではないか、という不信感だ。
あたし、すっかり安心しきっていたけれど、それは自分が間抜けだっただけ??
でも、そんなはずがない……と、打ち消す思いも湧き上がる。
「だって、アケボノさんとか、ミスズさんやユキエさん、あたしが何も知らないアルバイトだからって、命の危険がある職場に追いやるほど腹黒い人たちには見えなかったし……あ、そうだ、そもそも幽霊さんなんだから、悪い魂じゃないはず、あのひとたちが悪い幽霊さんだったら、とっくの昔に悪霊になって、魔界落ちしているはずだもの」
グリモンもうなずく。
「ま、そらそうや。あの三人、いや幽霊だから三柱か……、みんな悪気はなかったはずやね。本気でマコを悪意でハメるつもりやったら……」テーブルの上に腰を下ろして、猫足で胡坐をかき、猫の手を腕組みして、神妙にマコに相対したグリモンは、しんみりと述べた。「マコは最初の最初から、三柱の幽霊が魂の奥底に隠していた悪意を鋭く感じ取って、ビビリまくって、ものすごく警戒していたはずや。魔書室のバイトを辞退して、そもそもここにいなかったやろな」
マコはきょとんとした。
「それ、どういうこと?」
グリモンは、マコが感じたよりもずっと熱心に、マコを観察していたようだ。
ふむ……と、モフモフの本がマコを見つめるかのように前傾する。
「マコ、おまはんの魔法的性格の特徴は、人一倍の怖がりでビビリで臆病者っちゅうこっちゃ。な、小さいころ、夜中には一人でオシッコ行けなかったやろ? 寝床で我慢し続けてとうとうオネショしてたんとちゃうか」
「……」
マコは唇を一文字に結んで沈黙した。齢十八の乙女に投げかけるべき質問ではない。けれど悔しさと羞恥が顔に出ているので、答えたのと同じだったが。
「まあ怒らんときや」とグリモンは妙に優しい猫撫で声で続ける。「マコをいぢめるっちゅうつもりはあらへん、ま、ちっとくらいはあるかもしれんけど、それは横へ置いといて、拙書が言いたいのは、マコのビビリで臆病な性格こそ、この魔書室の仕事にぴったりということにゃ」
「どこがいいんですか、ビビリと臆病のどこが?」
それこそ、あたしの青春を暗黒化する諸悪の根源なのだけど……
「だから、ぴったりやねん」とグリモンは請け合う。「これまで説明したとおり、ここは危険に満ちた耐爆チャンバー、死の密室やがな。せやけど、たまたま凶悪な魔書に当たって魔法災害を引き起こす確率はごくごく小さいのや。マコがこの先、交通事故で死ぬ確率よりもずっと少ない。飛行機に乗って墜ちて死ぬ確率よりもずっと小さい。けれど、全くないとは言い切れない。そんなとき、ビビリと臆病の真逆、日頃から勇敢で自信満々な奴ほど、危険を予期できずに魔法災害に立ち向かおうとして、結局巻き込まれてしまう」
「だから、あたしがここのバイトに採用されたってことなの?」
「そや! 察しがいいやんか。人一倍ビビリで臆病いうことは、自分の身に降りかかる危険を他者よりも先に察知して避難行動をとれるっちゅうこっちゃ。マコ、おまはんは極めて優秀な危険探知能力を持っているんやで! それも魔法能力のひとつや。せやから、あの三柱の幽霊女史は、あんたを見込んで、魔書室の担当に選んだんや、つまり理想的な適材適所っちゅうこと!」
褒められている。そうマコは感じた。
けれど、ちっともうれしくない。
だって、これからもずっと、ビビリと臆病をウリにして生きるなんて……やっぱり、嫌!
マコはむすっとして、問い直した。
「ここに座ってボーッとして、そして昼寝ばっかりしてたのに?」
「そや、それがええんや!」グリモンは、我が意を得たりとばかりに力を込めて説得にかかった。「マコが気持ちよーなってコックリするほど穏やかな雰囲気に包まれてるいうことは、凶悪な魔書が目覚めようとする気配のケも無いっちゅうこと! だから三人の幽霊女史も、安心してここをマコに任せていられるっちゅうことやがな」
そういうことなのね、とマコはようやく納得した。魔法的な危険をいち早く察知して、誰よりも早く非常ベルを鳴らすのが、あたしの本当の使命だったんだ。
これだけビビリで臆病のあたしだもの、普通に優秀な魔女さんよりも、たぶん、数秒早く、非常警報ボタンを押せる。
その数秒が大切なのだ。国立黒界図書館が、間に合ううちに全館非常体制をとるために。
「ありがとう、モフモフのグリモンさん」マコは冷ややかにお礼を述べた。いちおう励ましてくれるグリモンに感謝してあげたい、けれど、なぜか気持ちは悲しくなる一方だったから。「あたしのバイト、そのお仕事の意味とあたしの役割、よくわかりました。ありがとう……でも、どうしてそのことを、あたしにわざわざ伝えようとしてくださったの? 知らん顔して、放置しておいてもよかったのに」
「そこは、拙書の持ち前の親切心が刺激されてな。ここ数年、書架の奥でゴロゴロとまどろんでおったのだが、この四月から毎週土曜の午後になると、グースカピーのンゴゴゴゴと、盛大ないびきが響いてくるではないか、こちとらの安眠を中断する無粋者はどんなおっさんやねんと覗いてみたら、なんとセーラー服の姉ちゃんやないか。これがもう安心しきってグースカピーのンゴゴゴゴや。これはひとつ、裏に隠れた事情の一切をご説明申し上げて、それを納得のうえで寝てもらった方がよかろうと思ってな……」
「グースカピーのンゴゴゴゴ」と、マコはグリモンの言葉を遮った。頬がぴくりと激怒に震える。
「そや、グースカピーのンゴゴゴゴ!」と、他者の感情の機微に鈍いグリモンは、マコの表情に不気味さを感じたものの、明るく繰り返した。
「ぶつよ」とつぶやいたマコの殺気にゾッとして毛を逆立てたグリモンをにらみつけ、途端にその目にあふれてきた涙をどうしようもなく、マコは机にうつ伏した。
両手に顔をうずめて、ぐすん、ぐすんと嗚咽を漏らしながら、苦渋の声を振り絞る。
「それじゃ、あたしは実験用モルモットで、眠っているうちは安全で……てか、ええと、思い出した、“炭鉱のカナリア”ってことじゃないですか! トンネルの中に毒ガスなんかが出たら……真っ先に死んで皆様のお役に立つんでしょ。聞こえてくる寝息が突然に止まったら、それが魔法災害発生の合図なのね! それがあたしの使命なのよ。だったら、そんなこと……全然知らない方がよかった!」
もう我慢できなかった、わっと泣き伏す。
「……あたし、何をやってもビビリと臆病なだけよ。死ぬまでそうなのよ、きっと」
グリモンにいくら褒められたって、これじゃ永遠にお先真っ暗で悲しくなるだけじゃない!
そんなマコの心境を察してか、グリモンはマコににじり寄り、前足の肉球でマコの頭をつんつんとノックしながら、詫びた。
「すまん、すまんかった……かんにんしてや、マコやん。おまはんを泣かせるつもりはなかったんや。なあ、気ィ取り直してくれへんか、この偉大な魔時年鑑様が、なんでも言うこと聞いてやるさかい」
おろおろと慰めの言葉を繰り返すモフモフの魔書に、マコはうつむいたまま結論を返した。
「あたし、このバイト、やめます……来週から来ません」
「そ、そないなこと言うたかて……」とグリモンはうろたえる。「せっかくこの仕事、要領が分かってきたとこやないか、な、今日の気分だけで投げ出してしもうたら、何やっても長続きせえへん。もちーっと我慢して、今月だけでも続けてみたらどうやねん……」
「やめます、もう、どうなってもいいんです。どーせあたしは実験モルモットの炭鉱カナリアなんです。それしか取り柄が無いんです」そして必死で嗚咽を呑み込むと、自分の思いを吐き出した。「このまま、どこか遠くへ行ってしまいたい! あたしのことを知ってる人がいない世界に行って、人生やり直したい!」
「と、突然、突拍子もないことを言いだすなァ」とうろたえながらもグリモンは、マコをなだめる方法を考えついたようだ。訊ねる。
「そんなに自分が嫌いか?」
「嫌いです、ビビリも臆病も嫌いです、大っ嫌い! このままは、嫌。強くなりたい! 誰だってそうでしょ、本当は、強い方がいい!」
「そうか、そうか……そやったら……」
グリモンは両腕の肉球でふわりとマコの両頬を挟んで持ち上げると、長い溜息をついて、思案しつつ、しみじみと語った。
「これも定めなんやろな。あの三人の幽霊女史、じつは運命を司るモイラ三姉妹……クロトー、ラケシス、アトロポスなんか。それともノルン三姉妹のウルズ、ヴェルザンディ、スクルドの化身なんやろか、いずれも予言のなせる業か、拙書にそうしろということやな」そして一息置くと、決意を表明した。
「一緒に行こう、飛び切りの魔法、使っちゃる! 時空を貫いて跳ぼう。苦難を超えて星のもとへ……ペル・アスペラ・アド・アストラや!」