表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

●05●薄給と退屈の殿堂、まどろみの魔手、そして謎の危険生物?

●05●薄給と退屈の殿堂、まどろみの魔手、そして謎の危険生物?



       *


 それから二か月が過ぎた。

 毎週土曜日だけの出勤で七回目ともなると、マコは言いようのないマンネリ感に包まれて、心が堂々巡りしていた。退屈なのだ。

 ときに西暦2029年五月十九日、仏滅、昼休み。

 ミニチュアのリアル人体内臓模型としか見えないママンの力作デスキャラ弁当に悲鳴を上げ、途方に暮れるマコが、そこにあった。

 これを食うべきか、食わざるべきか、それが問題だわ。

 休憩時間はあと三十分ある、十五分間考えて、どうするか決断しよう。

 途方に暮れて見回す。マホガニーの重厚な作業机、その正面と左右には高さ六メートルの書棚が並んでいる。

 見上げるばかりの棚にずらりと詰まっているのは、恐ろしく年季の入った、埃っぽい古書ばかり。

 すべて、魔書マギブックである。

 本の厚みはそれぞれだが、子牛や羊などの皮革を用いたと思われる(まさか人間の皮は使ってないよね、とおびえるマコだったが)、アンティークな皮の背表紙の内側には“背バンド”という補強材が仕込まれていて、肋骨のように横に数本の盛り上がりを作っている。

 “骨と皮”の状態に干からびたミイラが並ぶカタコンベみたい、とマコは思った。

 とにかく本の数が半端ではない。目に入るだけで数千冊。それらを収めた書架が前方と左右の後方へずらりと、いつでも倒せるドミノみたいに整列しているのだ。

 書棚に縦に並べてある本は半数くらいで、あとは数冊ずつの横積みだ。本そのものが貴重だった中世の時代には、本の歪みや痛みを防ぐために“横置き”するのが原則だったからだ。

 おそらく数百年もの間、ページを開かれたことが無さそうな魔書マギブックばかりだ。この魔書室グリモルームに保管されているのは、そんないにしえの時代に渡来してきた洋書が多い。そしてごく一部に、文明開化以降に国内外で出版された比較的新しい書籍が含まれているという。


 では、文明開化期以前の古い国産の魔書マギブックはどうなっているかというと……

 和紙で製本されたものはもちろん、古くは紀元前に竹簡ちくかんに記されて窓のブラインドみたく綴じて巻物にしたものもあるが、それらの魔書マギブックを安全に取り扱うには、陰陽司書おんみょうししょの国家資格を持つ魔法使まほうしの能力が不可欠とされる。

 素人が不用意に読むと、知らぬうちに呪詛を掛けられて、書物の魔力にたたられてしまう。タイトルは“源氏物語”でも、中身は“幻死物語”かもしれない。そういった危険な問題書も潜んでいる。この国は呪詛の国なのだ。

 飛鳥時代以降に書かれた魔書マギブックは、魔力が宿る特殊な“式紙しきがみ”に“呪墨じゅぼく”で念書ねんしょされたものが多く、陰陽呪術おんみょうじゅじゅつに通じた特殊技能を持たなければページごとの“解呪かいじゅ”はおろか文字の解読も困難なのだという。

 そこで古い国産魔書は、古都、京土市に設置された国立黒界図書館・関西館に保管されて、陰陽師プロジェクトチームの手によって調査研究が進められている。


 そのような事情で、この魔書室グリモルームでマコが“虫干し”にかける古い魔書は、もっぱら洋書となる。

 セーラー服の上に漆黒のエプロンを羽織り、渡されたリストに従って、書架から一冊ずつ横文字らしき解読困難なタイトルが刻まれた魔書を取り出し、マホガニーの大きな作業机に運んでくる。

 どれも埃だらけで、劣化した表紙やページはカビに彩られ、紙を食べる小さな害虫に蝕まれ、害虫のフンや死骸がはらはらと舞い落ちる始末だ。書籍本来の体積の一割ほどの埃とカビを吸い込んでいた魔書もある。


 作業机には図書館の営繕部が誇る書籍介護器械ブックケアリングマシンの一種である、“自動除虫器オートインセクトスイーパー:AIS”が十三台、設置されている。

 それは九十九センチ四方の書見台から上下左右に十本の細いマニピュレータが生えているといった、見た目は松葉ガニをひっくり返した印象の器械だ。

 その書見台に書籍をセットすると、絡繰からくり魔法マジックを仕込んだマニピュレータが慎重にページを繰り、紙面を傷めない特殊な波長の抹殺灯キラーランプを照射して、本の大敵……カビと害虫を駆除してくれる。

 同時に、f分の一の揺らぎに吸引力を調整したクリーナーがページの上をゆるやかに旋回し、カビや虫の残骸と、細かな埃の粒子を優しく吸い取ってゆく。


 なるほど、これが、古い魔書マギブックの“虫干し”作業というわけだ。


 かくして静謐な魔書室グリモルームには、ペラリ、ビビビ、ウィーン……ペラリ、ビビビ、ウィーン……と、かすかな作動音だけが奏でられ、ほぼ自動で虫干し作業が進んでいく。


 ほぼ自動、というのは、まれに器械では処理に迷うトラブルが発生するからだ。

 自動除虫器がピーチブピーチブとヒバリの声でさえずるか、緊急の場合はポンポコポンポコとタヌキな太鼓連打音バウケンシュラークで知らせてくれる。

 一例としては、ページの汚れがこびりついて、めくれなくなっている……といった場合だ。しかしマコが魔書マギブックのボロボロになったページに直接触ることはできないし(触ったらペリッと破れてしまい、事態を悪化させるだけだ)、触る必要もない。

 本そのものに問題がある場合は、内線電話で本の修復司書を呼ぶ。

 それよりも、器械のマニピュレータが互いにからまったり、書見台に埃がたまるなどして、動作不良の恐れを感知した……といったケースがむしろ多いのだが、このときはマコの出番だ。

 目視で埃のたまった箇所を見つけると、マコが勝手に“モフモフモップ”と名付けている、綿菓子みたいなマイクロファイバーの刷毛はけで清掃する。

 あるいは、孔雀くじゃくの尾羽に似た“軟風扇なんぷうせん”を広げ、手作業で風を送って埃を吹き飛ばす。これはしなやかなポリカーボネートのテープでつくられた扇子の一種だが、一本に束ねると部屋の隅に並んだ安楽椅子のクッションから埃を叩き出す“ペンペンハタキ”(マコの命名)としても有効だ。

 そのときはもうもうとダストが舞い上がるので、天井の空調だけでなく、床置きの空気清浄機も十台ほど稼働している。

 それらのフィルター交換もマコの仕事だ。

 また、文化財の保管にベストな温度は摂氏22度、湿度は50〜60%であり、魔書室グリモルームも同様に保たれている。一年中、秋冬の制服でよく、夏服だと風邪をひく環境だ。エプロンの上から紺色のカーディガンを羽織って、ちょうどいいヌクヌク気分で働くマコであるる

 随時、温度と湿度、そして気圧、空気中のほこりなど微粒子の濃度、そういった環境要素に異常がないか、計器とパソコンのモニターの両方を監視するのもマコの仕事となる。


 じつは、室内の温度と湿度を乱す最大の悪しき要因は、体温36度Cで熱気を発散し、湿気にまみれた息を吐く彼女自身なのだが、自分こそ、本からみれば巨大な害虫に等しい存在であることに全然気付いていないマコであった。

 ともかく、毎回アケボノ女史から渡されたメモに従って、黙々と作業にいそしむ。


 この部屋に人員はマコ一人だ。

 昼休みは一人で弁当を食べることになる。

 職員専用のカフェテリアが建物のどこかにあるのだが、職員同士の会話には機密事項が含まれるのでバイトさんの出入りは禁止されていて、すみませんが職場でお弁当を……ということになっていた。

 作業机の一隅にある自分の指定席は透明アクリルの衝立ついたてで囲まれているので、飲食はその中で、と決められている。

 九年前、全国に感染症が蔓延した時期は学校の教室も飲食店も衝立だらけになったので、慣れている。いわゆる、ぼっちめしも苦にはならない。


 自分の座席の背後は大きなアーチ状の窓が並んでいる。これは嬉しかった。

 ここは地下四階だが、自然の採光を取り入れて、開放感に恵まれているのだ。

 温度湿度を維持するために窓は密閉されているが、その外はお城の空堀のような吹き抜けになっている。数メートル先の壁面はつたで覆われ、鮮やかな緑のカーテンだ。

 高さ三十メートルにもなる吹き抜けの天井は分厚いアクリルガラスであり、それを川底として、地上の長川ながかわ浄水場から水が流されていた。各家庭の水道に流す上水を作る施設なので、綺麗な透明の水。

 “天井川”のせせらぎが太陽光をゆらゆらと透過させて、木漏れ日の列柱を降り下ろしてくる。

 光の精が空中を舞うかのように幻想的で、マコはとても気に入っている。


 このように淡々として、そしてのろのろと時間がすぎてゆく。

 あたしって、本は運ぶだけ。あとは離れて見ているだけ。

 仕事といえば、ほとんど器械と部屋のお掃除。

 なるほど、退屈。

 でも、神社かお寺の境内に佇んで、まったりと過ごしているような静謐感せいひつかんは、好き、言うことなしの天国だわ……。


 そんなことを考えながら、ぼんやりと、デスキャラ弁当を食べるべきか、空腹を我慢して喫食を拒否すべきか、思えばつまらないことに悩んでるなァと自分自身にぼやくマコであった。


 そこで、ふと思う。


 あたしって、何のために、このお部屋にいるのかしら?


 なぜならば、のどかな時間が、ある種の苦痛をはらみ続けていたからだ。


 ねむ……。


 どうしようもない眠気である。


 陽だまりの縁側で、ゴロニャンと丸まってしまいそうな気分だにゃん……


 いつのまにかもやーっと、そんなことを思っている自分を自覚する。

 この仕事、お昼寝の最適環境であることに、バイト初日の午後に気が付いた。

 自分の椅子に腰かけて、働いている自動除虫器オートインセクトスイーパーを眺めていれば、いつしかフッと意識が遠のき、ハッと気が付けば、一時間近く時計の針が進んでいる。


 まるで毎回、未来への一方通行でタイムリープしてるみたい……

 あたしって、トキカケガール!?

 時計を見て、真っ青になって慌ててももう遅い。


 魔書室グリモルームは、実は“寝落ち地獄”でもあったのだ。


「寝てはダメ、しっかりするのよマコ! あと〇〇分過ぎれば休憩時間、それまで我慢よガマン! 人生はサドンデスのサバイバルなのよ! 寝るな寝るな、死ぬ気でふんばれ、ここで寝て死んでも、未来はがむしゃらにやってくるんだから!」


 半ば意味不明な寝言をモヤモヤとつぶやいて、只今冬山登山で吹雪に巻かれて行き倒れて意識朦朧いしきもうろうとなった絶体絶命の遭難者を、はからずも自作自演してしまうマコ。

 その努力も信念も虚しく……


 机に向かったまま、かくんと首が前後どちらかに振れて、ふわーっと異次元のタイムリープ感覚に落ち込んでしまう。

 これぞ人生最高のまどろみ、神様が人類に与えたもうた至福の極楽。


 しかしやっぱり、未来はがむしゃらにやってくるのであった。


「ふぇぇぇぇぇぇん、二度としません、今度は心を入れ替えます、絶対に居眠りしません、ごめんなさい、本当にごめんなさい!!」

 と、退勤時にペコペコと頭を下げて、アケボノ女史に本日の業務報告と土下座的お詫びを繰り返すこと、毎回。

 これまで六回の出勤全てで、マコは各回二時間程度の居眠りを欠かすことができなかったのだ。


 しかしアケボノ女史は怒りも叱責も一切表に出さず、寛大そのものの神対応を見せてくれた。

「いいんですよ、魔書室グリモルームではだいたい眠くなるものと決まっています。睡眠を欲するのは自分が生きている証拠ですから。生きてるっていいですね、若いっていいですね」と、幽霊ならではのメリットを皮肉満々で自慢する、没後139年のアケボノ女史。幽霊は眠らなくていいのだ。「ですから、寝た子を起こしに行くことはしません。眠気と戦いながら無理をすると、よからぬミスを誘発します。愚かな失態を防ぐには、よく寝てオツムをスッキリさせることですね」

 誠におっしゃる通りで、マコも大納得だった。

 魔書室グリモルームの書架は高さ六メートルもある。そこから決められた手順に沿って、虫干しする魔書マギブック棚出し(ピッキング)する。低い棚からは直接自分の手で取りだすが、高い棚の場合は、魔法の念動力を使う。

 マコも実技が不得手とはいえ、頭上六メートルの高さから一冊の本を引き出して、ゆっくりと手元へ降ろす程度のことはできる。わりと初歩的な魔法技能であり、不安はない。

 マコ自身も魔法使まほうしのはしくれとしてのプライドがあるので、金属製の巨大書架に付随しているレールを使って上下左右に動く、カーゴリフトのゴンドラに乗るのは遠慮しているのだ。

 ゴンドラの操作が面倒で、目当ての本に行きつくまで時間がかかるし、そもそもゴンドラに頼るようでは普通人ふつうじんと同じだ。魔法使まほうしとしてバイトに応募した意味がないではないか。

 しかしこのとき、ふらっと激しい眠気に襲われて集中力を失ってしまったら……

 大切な魔書マギブックは空中六メートルの高さから転落し、おそらく、ばらばらに四散してしまうだろう。

 それが所謂いわゆるニセモノの魔書マギブックならば、“本が壊れた”現象だけで済むが、もしも万が一でもホンモノの魔書マギブックだったら、書物の中に圧縮されていた魔法物理力パワーフォースが落下の衝撃で解放され、ドカンと大爆発……かもしれないのだ。


 今のところ大過なく、作業を無事に行ってきた。

 しかし居眠りを我慢していたら、いつかどこかで、本を落っことしてしまう。

 そうならないために居眠りが必要なら、覚悟して入眠した方がよろしいですよ。いちいち起こしたりしませんし……というのが、アケボノ女史の方針だ。

 マコも、それは正しいと思う。本を一冊でも致命的に破損してしまったら、図書館バイト失格どころか、深刻な損害賠償ものだし、本物の魔書を爆発させてしまったら、マジで死ぬかもしれない。

 そうは言ってもアケボノ女史は、居眠りも労働の一部です! ……と、お気楽に認めてくれるほどユルくはない。

「マコさんが、い……いえ、寝息を立てておられる時間は、身も心も職務を逸脱している状態と客観的に認められますので、その時間のぶん、お給金は差し上げられないことになります。申し訳ないけど、これは理解してくださいね。叱っているのではありませんよ、単純に、お仕事上のルールということで」

 あ、今、「い」と言いかけて訂正された! それってきっと、スヤスヤの寝息じゃなくて、グースカピーの“いびき”か、悪くするとフガゴガグルルルルル……な、鼻炎に悩む花粉症の怪獣さんみたいな“高いびき”じゃないかしら、きっとそうよ!

 と思い至って、全身真っ赤っかで冷や汗の泉と化してゆくマコであった。

 恥ずい、それも、超はずい! 恥ずい恥ずい恥ずい!!

 しかもすべて自業自得、身から出た錆である。


 そのようなわけで、もともと法律上の最低賃金に設定してあった時給の手取りは三割ほど減ってしまう。しかも昨年の法改正で、十八歳以上はバイトといえども厚生年金の加入が義務付けられて、年金保険料が天引きされる。

 このアルバイトの求人票に、“薄給にして退屈”と添え書きされていた本当の意味を、しみじみと噛み締める快眠少女だった。

 悲しいかな、薄給を招いたのは自分自身なので「時給が少ないので辞めます」といった我儘は通らないし、仕事が退屈といっても、それは主観の違いでしかない。

 退屈なのをいいことに、まったり気分でコックリしたのも自分である。

 “グウの音も出ない”とはこのことであった。


       *


 でも、今は昼休憩、あと三十分なら寝てもオッケー!

 そう考えたマコが油断丸出しで、もぞっと机にうつ伏して、幸せなまどろみの極楽を短時間満喫しようとしたとき……


 不意に、背中になにか重いものが乗っかった気がした。

 同時に、左右の首筋に、ぴとっ、と冷たくて柔らかい生物の感触が生まれ、その肌に、小さな爪がくいっと立てられていた。

 どことなく、爬虫類か両生類みたい……と思う間もなく、マコは自分流のリアクションを起こしていた。

 言わずと知れた悲鳴である。


「非ェェェェェェェーーーーッ!!」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ