●04●魔書の本物と偽物。本物は爆発だ? では魔書室へようこそ。
●04●魔書の本物と偽物。本物は爆発だ? では魔書室へようこそ。
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京府野麻央子、通称マコがアルバイト勤務するのは、毎週土曜日の午前九時から午後四時となった。
「普段着はご遠慮なさってね」と、アケボノ女史は面接に来たマコのデニムジャケットとスラックスに流し目をやりながらアドバイスした。「そのままでは、私たちからみて、利用者の皆さんと見分けがつかないものですから。それに私たち内勤者は黒服と決まっているのですよ。できれば暗い色調のリクルートスーツか、学校の制服でお願いね」
マコは魔法司書女史たちのメイド服を着てみたかったのだが、「これは正規職員の制服ですから」と断られた。
ということで、次の土曜日には、黒セーラーに赤スカーフの多摩玉学園高校の制服姿で、黒界図書館の魔書室へ出勤するマコの姿があった。
自分だけ学校の制服で恥ずかしいという気持ちはなく、むしろちょっと誇らしかった。というのも、えへん! あたしは魔法司書女史様の見習いの見習いバイトに採用された証として、特別なブローチを授かっているのだ! ……というわけだ。
花をちりばめたラベンダーの小枝を象ったブローチをマコに渡すとき、アケボノ女史は珍しく優しいまなざしを向けてくれた。
「これは薫衣草、准司書女史の助手を示す身分証になるのよ。襟の裏側に付けておいて、スタッフゲートを通るときだけ、チラっとお見せして頂戴ね。花言葉は“期待”“沈黙”“清潔”、そして“あなたを待っています”。……この図書館には過去しかないけれど、いずれあなたが、未来の希望にあふれるあなたに出逢えるといいですね」
「は、はい、頑張ります!」
……と、マコは心から感激したのだ。たとえ超末席でも、国立黒界図書館の一員になれたという、その歓び。
とはいうものの……
地下四階のこの魔書室にマコを案内した時、アケボノ女史は仕事のガイダンスを始めるにあたり、訊ねたのだ。
「国立黒界図書館が収集し閲覧に供しているのは、魔書およびその関連書とか周辺書籍の類です。では、魔書とは何でしょうか?」
「え、え?」とマコは一瞬、とまどった。こういう基本のキな質問は予想できていなかった。こんなときはポケットのスマートフォンを出して検索して済ませるのだが、それをしたら叱られそうだ。
「ええっと、ま、魔法、に、直接、関係する書籍類の、ことです、ね、たぶん」
ぎこちなく答える。アケボノ女史に鼻先で笑われると思ったが、意外にも「はい、そうですね」とうなずいて一枚のメモを渡してくれた。マコをテストするつもりではなかったようだ。
メモにはこう書かれていた。
●魔書三種
①魔導書
:魔法の技術を指南する魔書。魔法奥義の皆伝書。錬金術の理論書なども含む。
②魔史書
:魔法の歴史を解説した魔書。魔法的な予言書及びその結果を記した年鑑等。
③魔禁書
:異端指定された発禁の魔書。読めば社会的迫害の対象にされる危険な書物文献。
「①の魔導書は、所謂魔書として最初にイメージされる種類ですね。魔法の使用法を解説するテキストブックで、キング・ソロモン系列の文献がおもな源流となります。錬金術は古代エジプトに発するヘルメス・トリスメギストス系が有名ですね。でも、意外と忘れがちなのは、②の魔史書と③の魔禁書です」
学校で教わったことの復習になるけれど、バイトといっても絶対に確認しておく必要がある知識だから……と、アケボノ女史は説明してくれた。
②の魔史書は、いわば魔法使いたちの世界史だ。そもそも紀元前数千年の昔から、魔法の歴史は予言者の歴史でもあった。未来予知は魔法の一種だ。
古代ギリシャの“デルフォイの神託”が歴史に名を残しており、魔法の巫女たちが語った予言は記録され、文献にまとめられている。
十六世紀の占星術師ミカエル・ノストラダムスの予言書は、西暦2029年の現在ですら、謎多き魔書として好事家の熱心な研究対象となっている。ノストラマニアとかノストラーといった用語があるほどだ。
なんといっても、数多くの予言者が残した未来予知がどの程度的中したのかを検証して、その結果を採点して時系列にまとめた“魔時年鑑”は魔書としてはマイナーな存在だが、魔法の歴史的な推移を研究するうえで欠かせない記録文書となっている。
③の魔禁書は、中世の魔女狩りにみるような、魔法魔術への不寛容と迫害の歴史が生み出した、悲劇的な魔書のサブジャンルだ。
“魔法=異端”と断じられて、魔法使いや魔女と目された人々が片っ端に処刑された時代があった。そのような為政者の圧政に抗う人々が密かに書き残した魔書は、発見されたとたんに焼き捨てられたが、それでも魔法を信じる人々によって命がけで守られ、世界の各所に隠され続けた。その結果、現代に伝わることのできた文書も少なくない。哲学的・宗教的な思想書が大半だが、地動説や進化論の理論書のように、科学的真理を説く書物には、貴重な真実が含まれていることがある。
つまりそこには、“魔法=科学”という視点があり、結果的に“魔法の科学化と科学の魔法化”を実現する方法が論じられているというのだ。
“魔法と科学”は、全く相いれない真逆の概念に見えながら、じつは、根本的なところで融合するのではないか? という画期的な着想に立った研究が、じつは十九世紀以降の魔法研究の最先端分野となっている。
「……とまあ、以上は魔書に関する基礎知識ですわ」と締めくくって、アケボノ女史は、学校で教えてくれない魔法界の真実を、少しばかり追加してくれた。
「“この世”には膨大な魔書があります。この国立黒界図書館にも、百万冊をくだらない魔書が収蔵されています。でも、その九九・九九%は、真っ赤な偽物なんですのよ」
さらりと言われたので、しばらくぽかんとして、リアクションを忘れたカナリアのような顔をしたマコだったが……
「え、ええっ? 今なんておっしゃいました?」
「ですから」とアケボノ女史。「ほとんど全部がニセモノなのです。正真正銘本物の魔書と言えるのは、せいぜい一万作品のうち一作品の割合でしかないのですよ。このことは公然の秘密みたいなものですが、大っぴらに喋ることをせず、貴女の胸の内だけに収めて置くように。世間に触れ回ったら、たぶん当図書館は貴女を名誉棄損で訴えるでしょうし、いろいろと、タダでは済まなくなりますからね」
のっけから“大人の事情”を突きつけられて冷や汗をにじませるマコだったが、つまり、こういうことだ。
魔書には、本物と偽物がある。
本物とは魔法使いの著者がみずから執筆して最初に製本した一冊だけのオリジナルであり、偽物とは、そこから派生したコピー本のことだ。
本物の魔書は、印刷技術が確立する前の時代に著されたものが多い。
その場合、オリジナルとは、作者が手書きで作成した最初の一冊だ。
その中でも“本物”といえるのは、“魔法力を使って執筆された本”であり、その本は、“それ自体が魔法物理力を持つ”のである。
そうした“本物”は一冊きりであって、そこから膨大な魔法物理力を引き出して、奇跡のように魔法現象を引き起こせるわけだ。
対して、“偽物”とは、本物の魔書を原本として書き写されることで複製され、それがさらに、中世以降に印刷技術が普及することで大量に出版されて世に出回り、現在に伝わったものを指す。
要するに、ただのコピー、ただの本でしかない。
その書物には、原本と同じ内容が書かれてはいるけれど、羊皮紙なりパピルスなりペーパーなりでできた、ごく普通の“本”。魔法陣や詠唱呪文が記されていても、それを声に出して唱えるだけでなく、発声に含まれる超音波成分に自分自身の魔法力を込めなければ、魔法として発動することができない。
しょせん、単なるマニュアルブックなのだ。
しかし本物の原本は、その存在自体が魔法そのものであり、巨大な魔法物理力を秘めている。
それは、いわば持ち運びのできる魔法原動力。
複製された“ニセモノ”の魔書が楽譜とすれば、“本物”の魔書は大気を震わせる音楽そのものということになる。
表紙を開き、ページを繰るだけで、魔法の力が発動し、あふれだし、エネルギーの均衡が崩れ、読む人も周囲の環境も魔法の力場に取り込まれて、急激にして大きな魔力の変化が発生する。
まるで、魔法力の爆弾。
それが、“本物”の魔書なのだ。
「まあなんというか、お菓子の作り方を書いてある本が、そのお菓子でできているようなものね」とアケボノ女史は薄笑いを浮かべてそつなくおっしゃる。
マコは反射的に愛想笑いを返して、それから凍り付く。
例え話は可愛いけれど、言わんとするところは、わりと不気味。
だって、“爆薬の作り方を書いてある本が、その爆薬でできている”のと同じじゃん!
しかし問題は、“本物”と“偽物”の区別がそう簡単ではないことだ。
羊皮紙に手書きで記され、立派に装丁された魔書があるとする。
印刷技術が普及する前につくられた魔書ならば、“本物”は手書きであり、“偽物”も手書きでコピーされたものになる。
では、目の前にある一冊が本物か偽物なのか。
作者の直筆なのか、それとも何者かが似せて書いたものなのか。
それを区別できる明確な基準がないのだ。
熟練した魔法司書が慎重の上にも慎重を重ねて、防護結界で包みながらページを繰り、筆跡に練り込まれた魔法を探ることで、その正体を見極められる。
大切なのは“何が書いてあるか”ではない。
“何が含まれているか”だ。
ページが白紙でも、その紙面の繊維にとんでもない魔法が溶け込んでいるかもしれないのだから。
そうやって発見された“本物”はここにも数十冊ばかりあるという。
それらはみな、幾重にも装甲結界のロックをかけられ、国立黒界図書館の最深部に設置された教理結界石室に封印安置されている。
まさに、放射性物質に等しいほどの、厳重な管理下に置かれているのだ。
そのような事情なので、図書館が一般の魔法使への閲覧や貸出しに応じている魔書は全て“あらかじめ安全が確認された、偽物ばかり”というわけだ。
しかし、わざわざそんなことを利用者に告知することはない。
“偽物”であっても、魔法に関係する書物である“魔書”の一冊であることに変わりはない。
図書館は文字通り“図書の館”。
偽物か本物か、それだけで図書を差別することはしないのだ。
たとえ偽物の魔書であっても、読む者の心をゆさぶり、感動させてくれれば、その価値は十分なのだから。
「ということで、貴女のお仕事なのですが……」とアケボノ女史はマコの仕事場となる魔書室を見渡して言う。
「この魔書室には、まだ本物か偽物か精査できていない魔書を保管しています。書類上は十三万千三百十三冊ですけど、正確に数えた人は誰もいません。どの本も古いものばかりなので、見ての通り埃をかぶって虫食いも進んでいます。そこで手順書に従って、魔書の煤を払い、それらの“自動除虫器”で虫干しをお願いしたいのです」
「…………」
ぽかんと口を開けて、困り顔のマコ。
数秒置いて、目下の心配事を質問した。
「だ……だって、ということは、その、この、山みたいに、いーっぱいの魔書の中に、もしかすると“本物”が混じっていて、うっかり触ればドカンと爆発とか?」
「ぷっ」
アケボノ女史は噴き出して、ハンカチで顔を押さえてしばらくクックッと小鳩のように上品な笑いを漏らした。
「それは大丈夫です。魔法物理力を突然に危険なレベルで自然に発動するような本物の魔書ばかりだったなら、何百年も昔に爆発していますし、そうなったら地球がいくつあっても足りないかも。私たちはとっくの昔に宇宙の塵に還っていますわ」
そしてマコに請け合った。「人類にとって有害な作用を起こしかねない、本物の魔書は、間違いなく作者によって不活性魔法が掛けられて、いわば安全装置がロックされた状態にあるはずです。そうしないと」アケボノ女史はニッコリ笑ってダイジョーブとばかりに、親指でサムアップサインを作った。
「そうしないと、作者の魔法使い自身が真っ先に吹き飛んでしまいますから、ね」