●03●門番の隊長、バイト面接、そして三人の不思議な女史。
●03●門番の隊長、バイト面接、そして三人の不思議な女史。
自宅から自転車で数分。
というのも……
マコの自宅は神無川県川崎市多摩(真の表記は多魔)区の北三田団地。
そこからわずか一キロメートルほど南下した場所に、東王都水道局の“長川浄水場”という施設がある。
広大な浄水池に囲まれて、キノコ状の列柱をあしらったレトロモダンな四階建ての管理棟と作業棟が佇んでいる。近未来建築かと思えば、古式豊かな異世界建築に見えなくもないし、前庭のスペースも低い緑を配した公園といった趣で、空を大きく綺麗に撮影できるので、特撮スーパー戦隊ドラマで、正義の戦士たちと悪の戦闘員が格闘する場面のロケなどに活用されている。地面の大半が芝生なので、転んでも安心なのだ。
それはともかく、TVでは悪の結社の秘密基地にされがちな、この管理棟ビルの地下に、じつは国立黒界図書館の本館施設が潜んでいる。
管理棟の前庭から背後の浄水池にかけて、二百メートル四方の地下がそっくり、深さ百メートルに至るまでが正体不明の国立魔法施設となっており、その一部に黒界図書館が含まれているのだ。
*
国立黒界図書館の一般魔法使向けの開館日は“土日祝日”と“盆暮れ正月”である。
原則的に休日のみ利用可能となるが、そのかわり24時間+αの開館として、前日の日没からオープンし、翌日の夜明けにクローズする……という、前後のタイムサービスつきだ。
要するに世間様とは真逆の時間帯でお仕事しているのだが、普通人の地上施設である長川浄水場が閉鎖しているときに開館しているので、魔法使いたちにとっては普通人の目を気にせず、気兼ねなく利用できるわけだ。
マコが訪れたのは日曜の午後で、浄水場の正門ゲートは閉まっていたが、それは魔法の幻視で、じつは真ん中を二メートルほど開けてある。
ゲートを抜けるとすぐに横断歩道。
車寄せの車道がО型の大きなロータリーになっていて、真ん中の島になった部分に門衛所がある。
「チャオ、魔女娘!」
門衛所の前で、インカムを耳につけて立っている門番が手を振った。
肩当てのついたオレンジ色のスーツと同色の細いネクタイ、同色の細スラックスという、いかにも派手な制服。顎の長さが印象的な笑顔の青年で、いつもおどけた雰囲気で明るく迎えていただけるのが嬉しい。
「ハイ! 隊長、ご機嫌いかが!」
マコも答えて手を伸ばしてハイタッチ。幼稚園児のころからだいたい週一のペースで図書館を利用してきた。ノンフィクション・ファンタジーの『ポリーの帽子屋』を借りて、徹夜で全巻読破したことを思い出す。普通人の市立図書館でも借りられる市販本だけど、黒界図書館に置いてある魔法使専用の“魔書版”は、挿絵が動くのだ。
黒界図書館の“外門”の門番がそれまでのアマモト爺さんからこの隊長さんに代替わりしたのは確かそのころ、小五か小六のあたりだったと記憶している。
もう、すっかりお馴染みだ。
マコのハイタッチの手は、今日も隊長さんの指をすり抜けて空を切るが、どちらも気にしない。マコはエア・ハイタッチした右手でそのまま敬礼すると、歩きながら「入館許可願います!」と申告する。
「はい、大歓迎ですよ、いつものようにお入りください」
「ありがとう! お仕事頑張ってくださいね」
ふと、隊長さんの靴が何色か確かめたくなるが、見てもぼやけているはずだし、足元をじろじろ見るのはエチケットに反するので遠慮する。
図書館施設の入口すなわち“内門”は、キノコ型の柱に囲われた平たいショートケーキのような門衛所のすぐ後ろにある。普通人には観葉植物の植え込みにしか見えないが、それは幻視と不可視結界を組み合わせたカモフラージュで、じつはそこに、図書館の地下ロビーへの斜路が開いているというわけだ。
国立黒界図書館は、この国最大の魔書とその関連書の収集研究閲覧施設で、百万冊以上の蔵書数を誇っている。
魔法系の文献研究所として、昔は普通人の国立国会図書館に付随して赤坂の元離宮に入居していたのだが、1964年に次元災害級の魔法事件が首都で発生したことを契機に、安全のために組織を分離して、1967年に現在の場所に移転したという。
というのも、普通人には秘密とされ、利用者は原則的に魔法使に限るという閉鎖的な施設だからだ。
ロビーへとゆるやかにカーブしたスロープを降りながら、背筋にビリビリくるほど強力な防護結界を感じる。
それは、禁帯出の蔵書を誰かが持ち出すのを防ぐほかにも、魔界から現れる魔物の侵入をあきらめさせ、図書館の本に憑りついた悪霊などが勝手に外出するのを未然に止めるという目的がある。
そして魔物や悪霊など、“あの世”から“この世”へ違法に侵入してきたものは、門番の隊長氏と仲間の特殊装備隊が懐に隠し持つ除霊銃で故郷の“あの世”へ追い払ってくれるということだ。
図書館にしては警備が厳重だが、長川浄水場の地下、一辺二百メートルもの正方形で地下百メートルほどにまで広がる秘密施設は、本当のところは魔法自衛隊が対魔科学を研究する“科学センター”であるためだ。ただしその事実は隠されていて、魔法学校で教えることもない。
つまり国立黒界図書館は、非公然に活動する魔法自衛隊の強力な対魔防衛力の傘の中に入ることで、ちゃっかりとローコストでセキュリティを確保しているのである。
カーペット敷きの防音床で静謐に保たれた地下一階のロビーと地下二階に広がる開架スペースのインテリアは、曲線を多用したアールヌーボー調でまとめられていて、アルフォンス・ミュシャのイラストを借用したステンドグラスや、エミール・ガレやルネ・ラリックのガラス細工を思わせる照明器具が目につく。
ここは窓がない。書物の日焼けを防ぐためだ。それに魔書の多くは太陽光、とりわけ紫外線を嫌っていて、夜間に人目を忍んでこっそり読むものとされている。
自然光は水晶の屈折柱で地上から導かれている。そこかしこに立つ水晶の柱が紫外線の波長を除去した光をぼんやりと発している。
そして、高い天井を支えるキノコ型の柱に“飛行禁止”の表示が目立つ。
魔法使にとって、飛行箒は空を飛ぶうえで必ずしも不可欠な道具ではない。飛ぶ能力の高い魔法使は、手ぶらでも飛べるのであり、飛行箒は、空飛ぶ行為をより楽に制御する“乗り物”だからだ。
自分の足で走ることもできるが、自転車に乗ればもっと速く、体力を使わずに移動できるようなものだ。
なので、普段から“飛び慣れた”魔法使は、ついつい歩き方がピョンピョン飛ぶラビットウォークになり、月面にでもいるかのように飛び上がってしまう。
特に子供たちがそうであり、それは周囲の迷惑になるので、禁止しているわけだ。
魔法使の個人的な能力差にも配慮している。マコのように魔法の実技が不得手な魔法使にとって、目の前で誰もがフワフワと自由に飛び回っていると、それだけで劣等感が刺激されて気後れしてしまうし、読書にも集中できないというわけだ。
開架図書の本棚が並ぶ横に長いカウンターがあり、男女の魔法使がてきぱきと、蔵書の貸し出しと返却の手続きを行っていた。
収蔵図書の種類はさまざまで、純粋な魔書だけでなく、周辺書も多く扱っている。魔法関連の図鑑やエッセイ、ノンフィクション、詩集や小説やマンガも含まれ、映像や音楽のディスクもある。
ただし生のデータは絶対に禁帯出だ。パソコンやスマートフォンを経由して、“コンピュータウイルスの名を借りた電子悪霊”が世界に拡散することは、国際条約で防止が義務付けられている。
魔法関連書籍の裏表紙に同化させた三次元コードと、利用者の図書館専用IDカードの遺伝子コードをスキャナで読み取って、貸出しが行われる。この時、利用者はIDカードの遺伝子読取り面を自分の指でつまんでいる。指先の発汗から遺伝子の一部を読み取って本人確認するとともに、血流を感知して、生きている本人であることを立証しているのだ。
悪いけど、俗にいう“アンデッド”に属する行動屍体や屍鬼および吸血鬼などの“既死体”には書籍を貸し出すことはできない。返却しなくても罪に問えないからだ。なにしろ死んでいるもので、刑法の適用が難しいのである。
カウンターの内側で忙しく働く図書館員は、女性の場合は黒いエプロンドレス風のメイド服、男性は黒い執事服だ。19世紀末のアールヌーボー調デザインで統一された風景に合わせている。
さらにその奥で事務机のパソコンに向かっていた女性がマコに気づいて立ちあがった。
「京府野麻央子さんですね、こちらへどうぞ」
これも魔法界の人々や動物や精霊たちに通じる妖精語だ。妖精語の成分は超音波であり、指向性を強めることができて、相手にしか聞こえない話法も使える。
本名をフルネームで呼ばれたマコはうなずいて「はい、宜しくお願いします」と、妖精語で答える。
互いに、唇がわずかに動く、いわば無言の腹話術みたいなやりとりだ。
応接室に通される。マコを迎えてくれた女性職員は三人で、いずれも黒いメイド服だが、エプロンを着用しておらず、花咲くローズマリーの枝を模したブローチを胸につけていた。管理職だ。
「ミスズです」と、年配といっても二十代半ばあたりの優しい面立ちの彼女は名前を告げると、「ちょうどシフトに空きができたところなので、助かります。けれど、“薄給にして退屈”なお仕事ですよ。ええと……こんなこと言って御免なさい、貴方みたいに若くて元気な娘さんには、すぐに嫌気が差してしまうかもしれません。じつは結局のところ、募集に応じられるのは、高齢者の方々ばかりなので……」
しまった! お爺ちゃんとお婆ちゃんのアルバイトだったんだ! と気づいたけれど後の祭り。そういえば年齢制限がなかった。だからといって、「じゃあ、やめときます」と気変わりできる立場でないこともすぐに自覚する。
「あのあのあの……」と舌を噛みながらマコは言いつくろった。「あ、あたし、い、いろんな意味で、自分が、“できない魔女”みたいな、不安感……があるんです。ですから、少しでも役に立つお仕事をしたいと思ったんです。ぜひぜひ、ここで。ここの図書館が好きで、図書館のお仕事に興味がありまして、その、働くことで自分を……ええと、高めたい……とか」
もごもごと口ごもってしまった。セリフの最後は“とかなんとか”のニュアンスだ。志望動機なんてまともに考えてこなかった。
「アケボノです」と二人目の管理職女史が名乗ってマコのしどろもどろにケリをつけてくれた。「つまり、お仕事を通じて自信を付けたいということですね。とてもいいことです。このお仕事、お金を稼ぐにはまったく不向きです。立派な成果を上げてボーナスを授かることもありません。そのかわり“評価されないことを耐え忍ぶ力”を身に着けることができるかも、ね。まあ、逃げ出したくなったら、いつでもおっしゃっていいことよ」
なにやら上から目線な高飛車口調のアケボノ女史。見た目はたおやかな細面ながら、キリっとした目鼻立ちが美しい少女……ほとんど、あたしと同じくらいの歳かも……と思うマコであった。この人、きっとリア充のエリートレディなのね……と、劣等感が増大する。
きっと、困った顔をしたのだろう、ミスズ女史が言葉を継いだ。
「図書館って、現在も未来もありません。過去しかないのです。どれほど膨大な本があっても、出版されて本になったとたん、それは“過去の産物”になるのですから。図書館で一年過ぎれば、それは未来に一年近づくのでなく、過去の蓄積が一年増えるだけ。図書館が“明るい未来を切り拓く”とか“未来の知に貢献する”とか唱えても、夢でしかないのですよ。上下左右、どちらを向いても埃まみれの古本ばかり。あなたのように未来のある若い娘さんには、期待外れな職場かもしれませんね」
そうかもしれない……と、マコは心の中でうなずく。……だって、この三人さんは幽霊なんだもの。ずっと昔に亡くなられた、本の好きな三人の女性。人生をはるかな過去に置き去りにしてしまった、三つの魂。
門番の隊長もそうだが、魔法界の職場では、まだ“あの世”へ正式に旅立っていない幽霊たちが働いているケースがしばしばある。
幽霊とは、死後に肉体から離れて霊界物質の魂だけとなった存在が、その残留思念の強さゆえに“この世”のさまざまな物質を集めて、質量のある姿を作り出したものだ。
魂が持つ求心力で、“この世”の気体、液体、個体の分子を集合し、大気中を漂う粒子や粉塵や繊維くず、羽毛、花弁や落ち葉、そういった軽量な物体も取り込んで合成し、生前の姿を見た目だけは再現している。
まるで3Dホログラムをリアルに造形したみたいな感じだが、幽霊一体で数グラムから数十グラムの質量があるので、超音波の妖精語で喋ることができるし、鉛筆を持ったり、パソコンのキーボードを打つ程度のことはできる。天才ピアニスト、ディヌ・リパッテイの幽霊は、その質量を指先に集中させてピアノの鍵盤を弾き、自らの葬儀の日にショパンの“葬送”を厳かに奏で上げたという。
ここ数十年で“この世”はタッチパネルばかりになったので、スマートフォンはもとより、ATMの操作も幽霊にできるようになった。この三人ともたぶん、比較的最近の死者から休眠している銀行口座を譲り受けて、自分の預貯金を管理しているだろうし、NISAも試しているかもしれない。
幽霊がクッキリと見えるのは魔法使に限られ、普通人の目にはほとんど見えない。正面衝突しても、するりと透過する。ただし幽霊にもわずかながら質量があるので、生暖かい風とか、濃い湿気や、霧雨、漂う粉雪、あるいは瞬間的な突風のように感じることがある。
幽霊たちを“この世”につなぎとめる理由はそれぞれだが、今生きている人類に悪さをすることはなく、全く平和に共存している。
ただし、恨みをつのらせて悪霊化するケースはあり、それはもはや幽霊ではなく、住所を魔界へ移籍した“魔物”に分類される。悪鬼妖怪、魑魅魍魎のたぐいだ。また魔物の中には行動屍体や屍鬼、吸血鬼などがあり、もちろんそれらは単なる“幽霊”とは別物の、有害な魔物の一種である。
それらを含む“魔物”がさらに狂暴化、巨大化した場合は“怪獣”となる。
そのような“怪獣”が“この世”に現れたときは、魔法自衛隊が出動して退治してくれると信じる魔法使も多いが、実際に“怪獣vs魔法自衛隊”の戦いを目撃したという報道はなく、一種の都市伝説となっている。
それはさておき、“現役の故人”とも称される“幽霊”たちは、魔法界の中にひっそりと存在し、職を得て働くものもいるわけだ。たぶん、それぞれが“この世”にやり残したことを何とかして全うしたいと思っているのだろう。
でも、その心境は残念ながら、死んで幽霊になってみないとわからないものだ。
そんな“幽霊”の一人、ミスズがマコに問いかけていると感じた。
ここには過去しかないわ、明るい未来は、たぶん、探しても見つかりませんよ。それでも、いいかしら? ……と。
マコはあいまいにうなずいた。
ほかに、やってみたいバイトがあれば、そっちを優先している。たぶん、他に行くところがないと思ったから、結局、ここに来たんだ……と、自分を納得させる。
「なら、試して御覧なさい」と、アケボノが微笑んだ。悪意は感じられなかったので、マコはほっとする。けれど、そんな安堵を踏みつけるかのように、アケボノは続けた。
「図書館ってね、実際は天国でも理想郷でもないわ。本は守るけれど、人を守るとは限らない。よく売れた本は何セットでも買い揃えるけれど、読まれない本はさっさと破棄する。権力者の気に入らない本を率先して焚書に差し出す図書館だってあるのよ。図書館は決して、正義の味方じゃない。でもいつか、パンドラの匣の底にちっぽけな希望を見出せると信じるなら……」
バイト志望のいたいけな少女に対して、さすがにそれは言い過ぎと感じたのか、ミスズがさえぎった。
「良いは悪い、悪いは良い。みんなちがって、みんないい」
なにかの呪文のように聞こえたけれど、その語感に“面倒なことは気にせず、自分なりにやればいいですよ”とのニュアンスが感じ取れたので、マコは答えた。
「試してみます」
「こんにちわ」と、唐突に三人目の幽霊女史が妖精語で口を開いた。こちらもマコと歳が違わない、丸顔で、素朴なはにかみの少女。
「ユキエ」と少女は自分を指さすと、その手を前に出して、お釈迦様みたいに指で輪を作った。
「採用です」と、その輪を見たミスズとアケボノが微笑んで言った。バイト採用の決定権は、このユキエと名乗る幽霊少女に委ねられていたのだ。
「ありがとうございます!」
マコが立ちあがってぴょこんとお辞儀すると、ユキエは控えめに一言だけ添えた。
「どういたしまして」
なんて優しい響きの言葉なんだろう……と、マコは思った。