●02●最初に習うのは“魔法の隠し方”。そしてマコのバイト、始まる。
●02●最初に習うのは“魔法の隠し方”。そしてマコのバイト、始まる。
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この世には“魔法界”という、魔法を使える人々の社会が実在している。ただし、ひっそりと、目立たぬように。
魔法を使う能力が発現した人々……所謂、魔法使いや魔女、あるいは霊能者や呪術師とか、近代以降は超能力者とか魔術師とされる人々を総合して、魔法界の法律では“魔法使…メイジ…”と呼称されている。
そして、魔法を使うことができない人々は“普通人”と呼ばれる。
世の人々は、魔法使と普通人のどちらかということになる。
マコの母も、そしてマコ自身も、れっきとした“魔法使”の一員だ。
魔法使の人々はだいたい七、八歳あたりから魔法能力が芽生えてきて、ささやかな超常現象の発生を自覚するようになる。
手を使わずに電灯のスイッチやTVのリモコンのボタンを操作したり、ふっ……と、一メートルばかり瞬間移動したり、ペットの動物の言葉が突発的にわかるようになってきたり、公園の草むらなどで、ちらっ、と翼で飛び回る妖精の姿が見える……といったことだ。困ったことに、幽霊や魔物の姿が見えるようになって、寝ても覚めても悲鳴とパニックを繰り返すという、運の悪い子もいる。そもそもマコがそうだったのだ。
そういった“奇妙な子供”の噂がご近所に広がる前に、魔法使の近親者か、あるいは“魔法児童相談所”の係員と称する黒服のおじさんやお姉さんがやってきて、“魔法塾”へ無料でご招待してくれることになる。
マコの場合は、母が“三等魔女”という、地方魔法公務員クラスの立派な魔女資格を持っているもので、物心ついたときには、母の勧めで市内にひとつだけの魔法塾に通うようになっていた。
そこで最初に教わるのは……
「人類は誰だってみんな、魔法を使える遺伝子を持っています。けれど、その遺伝子が働かないように、神様の手でブロックされているのですよ。でも、皆さんは、数千人に一人という、ごくわずかな例外として神様に認められて、魔法遺伝子が覚醒し、魔法を使うことが許されたのです。だから魔法の力はとても貴重なの、大切な宝物、大事にしましょうね」
そして、黒い尖がり帽子の魔女スタイルも小粋な塾長先生は、唇に指をあててにっこりと微笑み、全員に念を押したのだった。
「でも、このことは秘密です。魔法を使えない普通人の前で魔法を使って見せて、自慢したら、百%、いえ二万%、必ず皆さんは嫌われます。だって、気味が悪いでしょう? それに、普通人の自分ができないことを、皆さんが呪文ひとつで簡単にやってのけたら、たいていムカつきますよね。そうなったらたちまちSNSで大炎上、キモいキモいの大合唱でいぢめ抜かれます。ですから、私たちのこのクラスだけが特別なんです。よそのクラスの人たちや、知らない大人たちには、魔法のことは、ぜーーーったいにヒミツですよ!」
そして始まった初期魔法の授業は、とにもかくにも“自分の魔法力の隠し方”から手ほどきされたのだった。
一方、塾の外から何かと好奇の目を向ける普通人の奥様方や旦那衆には、こう説明されていた。
「当塾は芸能科なもので、情操教育の一環として、さまざまな大道芸の練習や、手品とか演劇のお稽古もしています。魔法使いや魔女を演じたりするのも、そのひとつなのですよ」と。
やがて小学生向けの魔法塾を修了して、多摩玉学園中学の一学年一クラスだけの魔法科……ただし世間的には“芸能科”と表記されている……に入学した時、マコはいやがうえにも自覚することになった。
この社会の中で、魔法を使える人々……魔法使の存在は、巧妙なカモフラージュで隠されていることに。
“個々人の才能を多角的に伸ばす、英才的な芸能教育”の名のもとに、中学校の段階から、優秀な魔法使をめざす競争が魔法少年と魔法少女の間で繰り広げられている、この魔法クラス。
その教室の壁一枚を隔てた普通人の教室では、ごくありきたりな普通の授業を受ける少年少女が、「あっちは総合型選抜《AO》で入った連中のコネ学級なんだ。ケッ、親から理事長に寄付金ガッポリでさ、学校へ遊びに来てるんだぜ」と皮肉って納得しているわけだ。
良し悪しはともかく、“芸能科”の生徒たちは、そのヘンテコな芸術科目では優秀かもしれないけれど、普通科の国語、数学、英語などの通常科目では偏差値が低く、高校を卒業してからは、どこか名も知れぬ大学だか専門学校だかに進学していく……と思われているのだった。いや、そう思われることによって、世間の、妬み嫉みを逸らせるように配慮しているわけだ。
言葉は良くないけれど、魔法使たちの特別クラスは、外見的には「コネ連中のアホ学級」と揶揄されている。
そのように、半ば羨望、半ば蔑視のバランスを取るように、魔法使の先生たちが魔法的な手段で保護者たちの噂話の情報を操作しているのは、もちろん秘密である。
そうまでして面倒な配慮を整えて“魔法教室”を普通人も通う学校の中に組み込むのは、なんといっても、「能ある魔法使は魔を隠す」という魔法界の格言にある通り、普通人と共に生活することによって、自らの魔法能力を隠し通す技術を会得するためである。
一方、地方の辺鄙な山間部や離島に、魔法使の子弟だけを集めた魔法使専用の学校を設置して、魔法の専攻教育過程のみを徹底的に受講する……といった魔法使育成専門機関もわずかながら、あることはある。
じっさい有名な実例として、イリギス連合王国のストッコランド地方には、中世の古城を改装した世界最大規模の魔法教育機関が運営されている。二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて勃発した魔法内戦の舞台になり、その事件を記録したドキュメンタリー大作映画で、マコも観たことがあった。
世界の魔法使の憧れを集める、世界最高峰の魔法教育施設。
しかし良いことばかりではない。そこで純粋培養的な魔法教育を受けて育った若者たちは、大人になって実社会に就職してから、普通人の眼前で魔法を不用意に使ってしまい、その正体が悪い意味で露見するケースが頻発しているという。悪い意味で、というのは、奇人変人どまりならともかく、変質者や爆弾魔の疑いをかけられて官憲に通報されるということだ。
それというのも、普通人の社会の中で、忍者的に魔法能力を隠して生きる“葉隠れ生活”の訓練が不足しているからだ。その結果、成人してから普通人の社会に適合できず、精神を病む魔法使も少なくないという。
それに、もうひとつ理由がある。
人里離れた山奥や離島にぽつんと隔離されたかのように存在する魔法専用施設といえど、はるか上空からは丸見えだ。偵察衛星の目からは逃れられない。
いくら用心して不可視結界を配備して、建物などを覆っていたとしても、電波、レーザー、赤外線、X線、磁力線、さらには宇宙線や量子線も含めて多機能な探査をかけてくる軍事衛星には、いずれ発見されてしまう。
低軌道をめぐる有人宇宙船に魔法使のクルーが乗っていて、上空から魔法力の千里眼で“鵜の目鷹の目”のように地表を精密走査される事も考えられる。
つまり、科学の進歩によって、どこかの衛星画像探査企業が配信する地表画像に偶然、映り込んでしまう可能性を無視できないということだ。
そしてある日、秘境の奥にぽつんと孤立しているはずの魔法施設の玄関前に、『全国津々浦々ポツンと珍風景』などという民放番組のTVクルーを乗せた四駆のバンが仰々しく乗りつけてきて、アポなし取材を敢行されるはめになる。
そうなると追い払うのが大変である。四駆のルーフにはGPSアンテナが立ち、衛星通信のパラボラが首を振って実況中なのだ。まさかそのまま、出口の無いダンジョンに追い込んであの世へグッバイしてもらうわけにもいかない。
そのような事情で、この国の場合は、特殊な例外を除いて、魔法教育施設は公立私立の一般校の中に組み込まれていることが多い。実際、その方が正体を隠しやすいのである。
にしても……
魔法使の少年少女たちが学ぶクラスは、アニメや映画で親しんでいる魔法学校ほどカッコよくはないし、気楽でもスリリングでもない。
競争が厳しいのだ。
校内の普通人たちの根拠のない羨望と軽蔑が入り混じる評判はさておき、実質的な“魔法学級”の、一学年でせいぜい二、三十名の生徒たちは、熾烈な得点競争を体験していく。
この国の魔法行政の頂点に立つのは、その存在を一切隠蔽された“闇政庁”の最強力組織、“統聖庁”。
この“統聖庁”の傘下に、小規模ながら多様な魔法行政機関があり、この国の魔法社会を鉄の規律で統制している。
魔法行政機関の一つに“魔法自衛隊”の名前もあるのだが、その規模どころか所在そのものが曖昧で、西暦2029年の現在、魔法界の中でもとりわけ謎の職場となっている。
それは別として、魔法使は国家試験を受けて、一等魔法使から八等魔法使までの資格を得ることができる。
試験は年齢制限がないものの、受験できるチャンスは三回までに限られる。だから、たいていは自分の魔法能力に磨きをかけてから、就活直前、大学の場合は三回生になったときに挑戦する者が多い。
もちろん魔法使たちの憧れは一等魔法使に合格することであり、そうすれば魔法界の高級官僚や一流企業のエリートコースに乗ることができて、順風満帆の魔法人生をエンジョイできるわけだ。
……というわけで、高校三年で落第中のマコの立場は、なかなか苦しいものがあった。
なんとかして高校を卒業し、どこかの大学の魔法学部に在籍しながら国家試験を受けて、最低限、八等魔法使に受かりたい……
あまりにもささやかな夢なのだけれど、下手すれば八等魔法使に落ち続けて一生涯“等外魔法使”のまま、ランクの高い魔法使のだれかに顎でこき使われる“非正規使い魔”から這いあがれなくなるかもしれない……
そう、八等魔法使ですら誰でも簡単に受かるとは限らず、さらにその下の階級が奈落の底のように用意されているというのだ。
ということで、魔法界の現実は厳しいのであった。
若いうちは受験戦争、歳をとっても競争社会。年金がもらえるのは、普通人も同じだが満七十歳からである。老後まで世知辛いことに変わりはない。
そんなマコにも、希望する職業があった。
魔法司書女史。
要するに、図書館勤務である。
魔法の座学はどうにかしのいでも、実技は散々な成績だ。
空を飛べば箒よりも先に墜ち、物を動かせば落っことし、攻撃火球をつくればアッチッチと火傷して、魔法薬の鍋を火にかければひっくり返す。
もちろん、ガマガエルやマンドラゴラや吸血コウモリや、マムシやスッポンやナメクジやムカデやゴキブリや、どこの何者かわからない生物の臓物などから生薬を精製するなど、夢のまた夢……というか、真っ先に卒倒して悪夢の世界に入眠してしまうのが常だ。
だから、務まるとしたら、図書館くらいしか……
という、極めて消極的な消去法の結果として、この国立黒界図書館のアルバイト募集に飛びついたのだ。
スマートフォンの魔法バイト求人アプリ“バイタルマギカ”で検索した募集広告のメッセージには「薄給にして退屈」と断り書きがあり、実際に不人気だったらしく採用枠が空いていた。
それもそのはずで、お仕事の内容は……
「埃をかぶった魔書の虫干し係」
しかし、溺れる魔女娘は溺死の前にワラをもつかむ心境で、図書館のバイト面接窓口へすっ飛んでいったのだ。
飛行箒でなく、自転車で。