11.食事
アスフィ家からほど近い広場。マナの基外具はすでに知れ渡っているため、そこにあっても住民は騒がない。いつまで経っても注目を浴びるのは変わらない。
初めてのこの光景を目撃する商人や旅人は仰天しているが、それを表面に出さないように必死だ。
見えているぞ? そういった視線に敏感だからな。
待っていると、遠くから赤髪の少女が走ってくる。昨日の少女だ。手に箱を提げている。お土産か。そう言えばレレイラへのお土産の注意として、食べ物は駄目だというのを伝え忘れていた。
まぁ大丈夫か。
「来たよ~」
手を振る少女に手を返し、移動式クッションの高度を下げる。
「じゃあ、乗ってェ」
「うん」
少女が軽々乗り込んでくるのを見届け、私は基外具を立たせる。
「うおっ!? 意外と高い!」
「行くよ~~」
「おぉ~~」
力の抜けた声。直後、移動式クッションはシャカシャカと動き出す。
いざ、レレイラの家へ!
△▼△▼△▼△▼△▼
「ん」
私は小さく声を漏らしながら伸びをします。昨日は熱が出てしまったせいで寝込んでしまいましたが、今日はもうすっかり元気になりました。
昨日は集会に行けませんでした。マナに会いたかったのですが、残念です。
自室での学習に一区切りつけ、教材を棚に戻します。
「フゥ」
体力がなく小柄な私にとって、この日常的な行動ですら重労働です。まだ太陽は折り返していないのに、疲れてしまいました。今日はもう何もする気が起きません。
コンコンと窓が叩かれました。ここは2階です。叩く人は決まっています。
私は病み上がりかつ疲れた体を起こして、窓を見ます。少し歪みがあるせいで明瞭に景色は見えませんが、おそらくあれは昆虫の脚でしょう。
マナが訪ねてきました。彼女はとても寂しがり屋ですので、昨日会えなかったことがかなり堪えたのでしょう。
窓を開けると脚が下がり、マナが顔を覗かせてきました。心成しか口角が上がって見えます。
「やぁ、昨日は来ていなかったけど、どうしたのぉ? 病気ぃ?」
「うん、ちょっと熱が出ちゃって。ごめんね、行けなくて」
「ううん、私は良いのぉ。レレイラは大丈夫なのぉ? レレイラが元気な方が私は嬉しいからぁ」
「僕も~」
「フフ。ありがとう。心配しないで? もう治ったから」
そこでピクリと止まりました。今の”僕も~”は誰の声でしょう? よく見ますと、マナの肩越しにいらっしゃる赤髪橙瞳の方は何者ですか? どこか見覚えがあるのですが、まさか私の知っている公爵家の方ではないですよね? 最近アナスタシア様と親しい仲と噂のあの方ではないですよね!? ラで始まってグで終わる家名の方ではないですよね!? ね!? マナ!?
「ま、マナ、後ろにいらっしゃる方は?」
「お、レレイラ、気付いた? この子はねぇ。この子はねぇ。……昨日会って仲良くなったこだよぉ。そういえば名前知らないやぁ」
「え!?」
「そういえば名乗ってなかったっけ?」
「ホェ!?」
マナは天才です。大や超をいくつつけても表現しきれない程の天才です
3歳の頃はすでに基外具を作り始め、発明し、改良し、改善し、遂には国が認める程の物まで作りました。現在普及している。規格化された釘を製造する基外具を作ったのもマナです。しかも、それは5歳の時。
しかし、その天才の要素と比例するように、マナには常識がありません。大部分が欠如していると言っていいでしょう。
どうして素性の分からない方と、そこまで仲良くなれるのですか? 気付いて。その燃えるような赤い髪と、夕日のような橙の瞳は、王弟様とその親族の証です。
「私はマナ、こっちはレレイラ。よろしくぅ」
「僕はアルドラ。よろしくね」
「ヒュ!?」
夢ならばどれほどよかったでしょう。今、はっきりとランレイグ家の1人娘、アルドラ様の名が聞こえてきました。やっぱり勘違いではありませんでした!
「どうした、レレイラ。やっぱり体調が悪いのかぁ?」
「僕達帰った方がいいのかな?」
「いいいいいいいいい、いえ! そのようなことはございません! ちょっと、マナ! こっち来て!」
「うん?」
のそのそと動いて、少しだけ私の方に近づいてきました。耳打ちをしますが、ここでも聞かれていないかが心配で仕方ありません。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! あのお方はアルドラ・ランレイグ様! 現国王様の弟にあたるグエドル様の1人娘で、私達が支持している第2王女様のご親友だよ!」
マナが目を丸くします。そして、アルドラ様を拝見します。アルドラ様は胡坐をかいて、手を振ってこられました。マナは視線を戻しました。その体には僅かに震えが見えます。
「そうなの?」
「そうだよ!」
「……どうしよ」
「知らないよ!」
マナがダラダラと汗を流し始めた。
「不敬な事したら殺されちゃうよ」
「僕、そんな怒りっぽくないよ? 不敬即殺とかしないよ?」
「ピィ!?」
聞かれていた!? 終わりました、何もかも。私はきっとこのまま処刑されて死ぬのでしょう。
「あ、そういえば、お土産持ってきたんだけど、いる?」
「光栄の極みにございます!」
お土産が目の前に差し出されます。私の立場を考えれば、受け取る以外の選択肢などありません。
「もっと砕けた感じでいいのに」
曖昧な笑みを浮かべながら、私は受け取ります。
ふわり、と。中から良い匂いがしてきます。これは間違いなく食べ物です。私の空いたお腹を刺激してきます。
「あ、アルドラ様、私」
「知っているよ。吐いちゃうんでしょ?」
嫌がらせ。私の脳裏にはその言葉が過ぎります。
「まさか、僕が何も考えずに持ってきたなんて思ってないだろうね」
「え?」
「君が食べられると確信があるからこそ、僕は持ってきているのさ」
よく分からないことを仰っていますが、私が断れるはずがありません。私は伯爵、アルドラ様は公爵なのですから。
箱を開けると、中には切り分けられた赤いフルーツの乗ったタルト。とても美味しそうで、我を忘れそうになってしまいます。
ムグと喉が鳴ってしまいます。意を決して一口含んでみます。味に文句などなく、むしろかなり美味しい。
10秒、20秒と過ぎようと、私に吐き気が訪れません。本当に食べられています。これは一体?
「レレイラァ? どうしたんだぁ?」
私はいつの間にか、涙を流しながら、タルトを頬張っていました。食事とは、ここまで幸せなものだったのですか? 私の貧弱な語彙では、これが精一杯です。この感情は幸せ以外の言葉で言い表すことができません。
マナは、私が頬張る姿を見て、涙を浮かべています。
正直な話、なぜ食べても大丈夫なのか分かりません。加えて、なぜアルドラ様が大丈夫だと知っていらっしゃったのかも分かりません。ニコニコしていらして話す気はなさそうです。
しかし、そんなこと、親友と同じものが食べられる喜びと比べれば、些細なことです。私はマナと抱き合い、ただ、涙を流しました。