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ヴァルキリースコアボードの3

 かのヴァルキリーが現れ俺をなんか連れてくのに相応しくなるよう育成するみたいなことを言ったその翌日。始まったのはあのヴァルキリーによる監視の日々だ。

「まずはお前の生活のことを知らなければ何も始まらないだろ」

 とのことらしい。まあそれはその通りだ。ヴァルキリーは俺の日常をしばらく観察して、それからどうやって点数を上げていくかを考えて行くらしい。

 ……横から観察されながら何かするのって滅茶苦茶気になって嫌なんだが。

「今日は大学に行くのか?」

 俺が鞄に参考書を詰めているとそんなことを尋ねられた。

「そうだよ。今日は一限と三限に授業があるからな」

「ふむ、良いことだ。やはり人と関わってこそ人間の本質が見えてくる。お前の45点の原因もわかって来るだろう」

 一々一言多いやつめ。何度も何度も45点と言われる俺のことも考えて欲しいものだ。

「それに大学と言うのは色々と学ぶ場だろう? より高得点を出すには自らを高める修行は大切だ」

「……大学にそんな気持ちで行くやつ少ねーけどな」

 もちろんいるのだろうが、そういうやつは俺が通っている大学になど来はしないだろう。俺がこの大学を選んだのは、地元から比較的近くて俺の偏差値でもなんとか受かりそうだったからに過ぎない。やりたいことがあるから来たわけじゃない。

「そうかそうか。まあお前みたいなのはそうなんだろうな。色々と調べてから来たからな、それぐらいは分かっているさ」

 昨日聞いた話だがヴァルハラとやらにいても色々と情報は入って来るようだ。しかし現地で実際に見聞きしたことには敵わないらしく昨日の夜は実際に歩き回って、いやこいつの場合は飛び回ってだ、色々と調べ事をしていたらしい。一生適当な調べ物をしていてくれてもいいんだが。

 一限目、教授の話を適当に聞き流しながら黒板をノートにまとめて終了。相変わらず退屈な講義だった。

「やる気の無いやつだ。そんなんで頭に入ってるのか?」

「こっちは単位さえもらえれば十分なんだよ。この講義はちゃんと出席してノート取ってればほぼ大丈夫らしいんでな」

 聞いた話じゃ出席点と最後のノート持ち込み可のテストで評定が決まるらしい。問題はそれほど難しくないとかで黒板をしっかり写していれば単位は取れるとか。

「ふーん、45点らしい発想だ」

「45点45点うるせえな」

 三限は昼からなので少し時間が空く。ヴァルキリーは日常を見たいらしいのでここは普段通りに振舞うとしよう。大学内を歩き敷地の端にある建物を目指す。

「この先は何だ? 次の授業の教室か?」

「いや、まだ時間があるから食堂に行く。昼飯にはまだ早いが友達と駄弁りながらなら丁度いいってもんだ」

「お前にも友達がいるのか」

「いるわそれぐらい」

 こいつ俺のこと滅茶苦茶下に見てると言うか、社会不適合者とでも思ってるのか? 45点ってそんなひどいのか? 赤点回避できてるだろ。

「おーっす、マッシー」

 食堂の前でこちらに手を振ってきたのは少し暖かくなってきた今の時期には暑苦しいコートを羽織った茶髪の男。マッシーと言うのは俺のあだ名で真白(ましろ)がそのままマッシーになった。

「ようウッシー。昨日は儲けたか?」

 こいつの名前は牛頭と書いてゴズと読むが、初見で読めない人が多いとかで自分でウッシーと呼べと強要された。そしてこいつはまさしく屑でパチンコ、競馬、競輪、賭け麻雀などあらゆる賭博を好んでいる。

「馬鹿言えって、今日も奢ってくれよ」

 そしていつも負けて来るのでいつも奢らされる。

「たまには勝ってくれよ」

 とはいえ貴重な友人でもあり食堂の安い飯を奢るぐらいは容易いものだ。……本当に一度ぐらいは勝って奢ってくれ。

 いつものように一番安い定食を二つ頼んで席へ着く。まだ十一時にもなっていないので席はがらがらで、俺たちはいつも隅の席に座っていた。

「この前の土日は何してたんだ?」

 これもいつもの会話。土日は大学が休みだからと遠くの競馬場に行ったりするのがウッシーの日常だ、どうせ今回もそうなのだろう。

「どうせ競馬か競輪だと思ってるんだろ。今回は久々に麻雀だ。海外に行ってたやつが帰って来たからやろうって言われて二日間ずっとやってた」

「まじで? よく飽きないな」

「いや、飽きた。そのせいでぼろぼろよ。一日目は勝ってたんだぜ? 二日目で全部取り返されてさあ」

 絶対あれ俺の性格知っててやってるぜー、などとウッシーは愚痴とも文句ともつかぬことを言い続ける。俺は適当に相槌を打ちながら白身フライを頬張っていた。

「今度コンビ打ちやろうぜ。儲けは折半でいいからさ」

 しばらくしたらそんな風に俺を誘ってくるのもいつものことだ。しかしコンビ打ちってイカサマの誘いかよ。

「俺賭け事はやんねえって」

 どのみち俺は賭け事しないんだけど。理由は簡単でどうせ負けるから。賭け事ってのは俺より頭良いやつがルールを作って俺より頭良いやつが遊んでる。もし勝てるとすれば運だろうが、それだって俺は人より良いとは思えない。

「大丈夫大丈夫。賭けない賭けない」

「お前儲けは折半つったじゃん」

 あははは、と二人で大笑いした。

 とまあ、この辺はいつもしてるやり取りなのだが、今日は少し違うことがある。俺の後ろになんか宙に浮いてスコアボード片手に呟いてる奴がいるのだ。そしてここまで誰もそのことに突っ込みは入れなかった。どうやらこのヴァルキリー様は人には見えないらしい。

「それでテニサーの先輩がさ……、誰か後ろにいるのか? さっきからなんか後ろ気にしてね?」

 そしてウッシーは結構鋭い。賭けには負けてばっかなのに色々と良く気が付くやつだ。こんなギャンブル屑と言うに相応しいのに交友の幅が広いのはその辺が理由かもしれない。

「いや、ちょっとなんか背中痒くて」

「あー、ダニとかじゃね? 部屋の掃除した方がいいぞー」

 後ろから確かに、と声が聞こえたが無視する。

 ウッシーとはその後も色々と駄弁って次の講義が始まる前に別れる。相変わらず清々しいほどの屑さで友達のヒモ生活を満喫しているようだ。噂では百人の友達から飯を奢ってもらっているらしい。それが事実かどうかはわからないが、俺以外にも何人かが奢っているのを見たことがある。しかし話の中でそれとなーく一人暮らしの知恵を授けてくれたり、おすすめの講義とかを教えてくれるのでなんとなく奢ってもいいかと言う気分になってしまう。性質が良いのか悪いのか。

「45点に相応しいダメ人間の友人じゃないか」

 それでもこの文句ばっかの奴より一緒にいて楽しいので、ウッシーは凄い。本当にこの女とは金貰っても一緒にいたくない。


 さて三限目、この法律基礎の講義は真面目に受けねばならない。と言うのも担当の教授が人の道を外れた外道だからだ。外島(そとじま)教授、通称ゲド先。こいつはこの必修の講義で毎年大勢の単位を落とさせている恐ろしい人物だ。あまりの横暴に外島をもじってゲドウ、更に先生を合わせてゲド先と陰で呼ばれている。本来教授と呼ぶべきだがそこは語感を優先したに違いない。

「真面目に受けるならいいことじゃないか」

「馬鹿言え。必修じゃなかったら誰も受けないぞこの講義」

 テストまで先は長いと言うのに既に憂鬱な気分だ。どうしてこんな奴にいつまでも担当させてるのかと大学を問い詰めてやりたい。

 と、まあ文句も多いが実の所この講義はそこまで嫌いじゃない。俺は教室に入るとどの席かを選ぶふりをしてある人を探す。

「……お、いた」

 視線の先にいるのは肩まで伸ばした髪を揺らしながら講義に使う参考書を鞄から取り出している綺麗な女性。名を比良坂(ひらさか)うるしと言い、一個上の先輩だ。どうやらゲド先の被害にあった一人らしいが、おかげで俺は同じ講義を取れたのでうるし先輩には悪いがゲド先に感謝すらしている。

「お前、にやにやしてキモイぞ」

「うるさい」

 にやにやして何が悪い。うるし先輩はお前のようなやつと違って正に女神のような存在なんだ。そう思いながら俺は先輩の隣、は流石に無理なので後ろに座る。

 うるし先輩は以前俺が参考書を忘れた時にわざわざ隣に座って見せてくれたことがある。俺みたいな日陰者にそんな風に優しくするのは普段から誰彼の区別なく優しくしているということだろう。どことなく知性と品性を備えた雰囲気を醸し出しているし、きっと女神の生まれ変わりだ。あとおっぱいも大きい。

 自分から話す勇気の無い俺はこうして先輩の近くに座ることで何かきっかけが来ないかなあと待つことしかできない。まあ見ているだけでも十分眼福なのでどうでもいいと言えばどうでもいい。

「はい、それじゃあ始めるぞー」

 ゲド先の気だるげな声が響く。ボーナスタイム終了。こっからは真面目に話を聞かないとな、うるし先輩にろくに話も聞かずさぼってる奴と思われたくはないし。


 そして何事も無く退屈な講義が終われば家に帰るだけだ。大学を出て人通りの少ない道を通っているとさっきまで割と静かだったヴァルキリーが急に饒舌に喋り出す。

「あれが大学か。この時代ではああいった勉強で競うことがあるってのはよくわかったよ。学歴だのテストの点だの言うやつだろ? しかしお前の大学生活はつまらんな、何も面白くない」

「うるさいな。あんま外で話しかけんなよ。お前周りからは見えないし声も聞こえないんだろ? 誰もお前のこと気にしてなかったしな。一人で喋ってる精神異常者だと思われるだろ」

「はっ、お前にそんなの気にする脳味噌があったのか?」

 いや気にするだろ普通。周囲の視線を考えろよ。漫画やアニメなら白い目で見られるだけで済むが現実なら精神病院行きだぞ。

「お前自身が駄目でも友人がまともならと思ったが、駄目だな。あの牛君? あまり付き合わない方がいい。賭博は大抵人を駄目にするからな。点数は下がる一方だ」

「いいんだよウッシーはあれで。結構面白い話とか聞けるしな。まあたまには奢ってくれとは思うけど」

 信号を親子連れが待っている。向かいの道路には最近行ってないコンビニが見えた。久しぶりにあそこの弁当を晩飯にするのもいいかもしれない。ボタンを押して信号が変わるのを待った。どうして押しボタン式の信号は待ち時間を長く感じるのか。個人的には普通の信号より長く感じる。

 久しぶりに来たコンビニは相変わらずの様子だったが、弁当の値段が前に来た時より上がっていたのが不満だ。思ったよりも高い弁当の品揃えを眺めていると帰り道にあるスーパーで買うべきだったかと思わざるを得ない。

「コンビニ弁当か。お前みたいなやつは自炊しろ自炊。そういう技術を身に着けようとする心が点数を上げるんだよ」

 何か言い返してやりたいが店員の目があるからぐっとこらえる。唐揚げ弁当とお茶を取って会計、これだけで800円は大学生には辛い。

「お前バイトしてるのか? こんな高い弁当買って親に申し訳なくないのか?」

 横から聞こえる声は無視だ無視。

 家に帰ると普段なら適当に動画でも漁る所だが、今日はどうもそんな気分になれない。理由は簡単で部屋を漂っているヴァルキリーが気になって仕方ないからだ。不快そうに床に落ちているごみを摘んでは部屋の端に投げ飛ばしている。

「そんなに嫌なら出てってくれよ。別にこの部屋にいなくてもいいだろ」

 その方が俺も気楽でいい、そう思ったのだが呆れたようにでかい溜息をつかれてしまう。

「はああああぁあ。お前はそんなだから45点なんだよ。いいか、もう一辺言うが私はお前の点数を上げる使命があるんだよ。今はその為に普段のお前を知る期間だ。当然、家で何をしているかも調べないといけないんだよ。そうでなかったらこんなきったない部屋とっくに出て行ってるっての!」

 くそ、何が使命だ。どっちかって言うと仕事ってかんじの雰囲気出してたろ。ノルマがどうたら上司がどうたら、ただのくたびれた社会人のくせに。

「あー、もういいもういい。わかったわかった。たく、勝手にそこらへん漂ってろ」

 俺はスマホを取り出して動画を漁り出す。画面の中では大して興味のない動画が無数に漂っている、ちなみに画面の外ではヴァルキリーとかいうわけのわからないものが漂っている。俺は適当なサムネをタップして動画を流し始めたがいつしかその内容よりも自分の考え事に夢中になって行った。

 つまらない生活、つまらない人生。昨日、神話上の存在らしいヴァルキリーとか言うやつが現れた。俺の人生に初めての劇的な事態だ。ここから俺の人生が変わる、そんな予感がした。めちゃくちゃ口が悪くて話も半分ぐらいしか頭に入ってこなかったが、こいつの存在は俺の人生を劇的に変えてくれる。そういう存在だと思う。

 思うのだが。

『君の人生は君が主人公だ』

 スマホからそんな声がした。本の解説とかやってるチャンネルだ。その後も長々と色々喋っているのだがさっきの言葉だけが妙に耳に残っている。俺は主人公になれるのだろうか。そんなことを考えると同時に、実は根本的に間違いがあることに気付いている。

 今までも俺の人生は俺が主人公だろ。

 なんとなく、まだ小さかった時のことを思い出した。幼稚園、の頃は流石に実体験として記憶していることなんてほとんどない。小学生、幾つか覚えていることがある。運動会のかけっこで俺は四番目だった、ビリから二番目だ。父さんはそんな俺に苦笑いを浮かべていた。テストの点、大体60点ぐらいだった。母さんはもうちょっと勉強した方がいいんじゃない、と言っていた。

 中学校、部活をやっていた頃だ。俺はその頃の友達がバスケ部に入ると言っていたから俺もそれに倣って入った。練習について行くのも精一杯で体育の授業ではバスケ部じゃないやつより下手だと笑われた。仕方ないだろ、あいつら運動神経良いんだから。俺とは出来が違うんだよ。文化祭、段ボールを形通りにカッターで切れと言われてやったがガタガタで見栄えが悪いと言われた。

 高校……、はもういいか。

 俺は努力できなかったのだろうか。もっと良い人生を送れなかっただろうか。実の所、小学生の頃はまだそういう気概を持っていたはずだ。俺は三年生ぐらいまで運動会の前に速く走れるように練習していた。父さんも付き合ってくれて休みの日に外で走り回っていたのを思い出せる。四年生の時にもお願いしたのを覚えてる。

『もういいだろ。お前は足が速くないんだよ』

 ……覚えてる。

 勉強も頑張ろうとしていた時があった。休みの日に教科書を開いて何度も読み返していたんだ。わからないところがあると母さんに聞いたりしていた。何度も何度もそういうことを繰り返していた。

『別に私は頭が良くなくてもいいと思うわ』

 ……一人で教科書を読み返した日々も覚えてる。わからないことは日に日に増えて行った。

 俺は屑だ。そんなことは知っていたしあいつが持っているスコアボードに45点と書かれているのも納得してる。だから俺は口が悪くて文句を言いまくる上に暴力まで振るってきたこの部屋を漂っているヴァルキリーに。

「なあ、どうにかして担当って変えられないのか?」

 同情の視線を向けていた。



 私はヴァルハラで最も優秀なヴァルキリー、なぜか誰も認めようとはしないが。そして目の前にいる男は今回魂を導くべき対象であるイマイマシロ、漢字だと今井真白、御年十九歳、大学二年生。こいつは学業に対してやる気は無く、かといってバイトに精を出すでもなく、ただただモラトリアムを享受しているだけの屑人間だ。

 今は大学の講義を終えて家でのんびりしている。私はこの汚い部屋に辟易しながらもこの男をどう導くべきかを考えていた。まあ半分以上は関係ないことを考えていたことは認めるが。しかしそれも仕方ない、寝転んでスマホを見つめ続けるこの男からはこいつが屑であることしか見受けられないのだから。

 そして私が昨日見た人間たちの野球の試合について考えている時、この男は急に口を開いた。

「なあ、どうにかして担当って変えられないのか?」

 今井真白、彼が自分から私の目を見たのは初めてかもしれない。お前はそんな目をするのだな。私を憐れむような目を。それを見て、どう返答すべきか少しだけ悩む。

「担当を変える、か。もしできるならお前の点が45点なのを見た時点で変わってると思わないか?」

 しかし面倒だったので結局はただの真実を言った。寧ろ問いを聞いた瞬間に感じたことだから思わず口をついて出たという方が正しい。

「あっ、そ」

 この男はそんな私の答えにそれだけ言ってスマホに視線を戻す。話は終わり、と言うことだろう。一方的に話を投げかけて一方的に話を打ち切る。

 ……これだから屑は。

「おい」

 呼びかけるもこいつはこちらを向こうともしない。

「おいこら!」

 二度目の呼びかけにも無反応。そうか、そんなに私に腹を立たせたいか。大きく息を吸う。今までの比と思うなよ。

「今井真白おおぉお! こっちを向けええぇえ!」

 ガンッ。今井真白が驚きの余り持っていたスマホを顔面に落とす。寝転んでスマホを見るなどという愚かな行為をするからだ。顔を抑えながら起き上がると不満そうな視線をこちらに向けて来る。

「お前なあ、近所迷惑だろ」

「はっ、私の声はお前以外には聞こえない。わかってることだろ?」

「……そう言われれば」

 自分で気付いたことさえすぐに忘れるとはやはり45点か。もう少し賢く生まれていれば10点ぐらいはおまけで貰えただろうに。しかし今はそんなことを言いたいわけじゃない。

「いいか、よく聞け」

「何だよ」

「今井真白、お前は屑だ」

 丁寧に両手で親指を下に向けるジェスチャーを交えて事実を伝える。それに対してこいつは何も言い返そうとしなかった。……腹が立つな。

「なぜ反論しない」

「無駄だろ。お前は俺のことを屑だと言う。そう思ってる奴に俺は屑じゃないって言ってどうなるんだ? お前の評価が変わるのか?」

 もっともらしいことを声高に唱える様は非常に不愉快この上ない。こいつは私が何もわからない馬鹿だと思ってるのか? 私が何人の人間を見て来たと思ってる。何千年も昔から人類をヴァルハラに迎え続けてきたヴァルキリーを舐めてるな。

「お前、変わるのが怖いんだろ」

 ぴくっ、と身体が震えた。それから動揺したのを隠すようにじっと動かなくなる。それが傍から見れば不自然だということもわからないのか。

「なんとなく見ていればわかる。お前はこのヴァルキリーたる私が現れたのに全く嬉しそうにしない。普通人間はたとえどんな状況でも選ばれし者だとか運命だとかそういうのに弱いんだ。だがお前は寧ろひたすら迷惑そうに私を見ていたな」

「……いや、流石に暴言ばっかのやつは嫌だろ」

 何か口をもごもご動かしていたが私には聞こえなかった。私の耳は都合の良いことしか聞き入れないのだ。

「このスコアボードの点を見てもお前からはやる気が一切感じられなかった。人間って言うのは点数が好きなんだ、自分が低い点数なのを知れば必ず点数を上げようとするんだ。それなのにお前はどうだ、全くやる気を出そうとしないじゃないか」

「……偏見では?」

 また何か言った気がするが声が小さいので聞き取れない。もうちょっとはきはき喋れ。

「どうせ小さい頃に努力が実らなかったとか、そんな小さな挫折の体験を引き摺ってるんだろ。お前たちは本当につまらないことですぐに挫折して動かなくなるからな。神話が流行ってた頃の奴らは腕が飛ぼうが胴体から内臓がはみ出ようが敵に向かって行ったものだが、最近の奴らは根性が足りんよ」

 もはや反論もできなくなったのか黙り込む今井真白。勝ったな。どうも最近は口頭の喧嘩で勝敗を決めるらしい。勝者が敗者を好きに出来るのはいつの世も変わらぬ道理だ。つまり私はこいつを打ち負かすことで言うことを聞かせ効率良く点数を上げられる。

「いいか、お前は変わろうとしなければならない。ヴァルハラが求めているのは戦う強き魂だ。しかし今のお前は弱い、倒せる敵から倒していかないとならないんだ。お前がまず倒すべき敵は……、そう、お前自身だ。過去に阻まれ前に進めないお前自身の弱さを打ち砕くんだ」

 決まったな。まあこの程度の奴、乗せてしまえばちょろいもんだ。

「……いや、いいよ。面倒だし」

 ガッ! 私に殴られて吹き飛ぶ今井真白。

「おっと、脊髄反射でつい手が出た」

「な、殴るなよ! 痛いだろ!」

「殴られるようなことを言うやつが悪い」

 面倒だな、こいつ。何が不満だ? より良い食事を、より良い暮らしを、より良い人生を、そうやって欲望のままに生きるのが人間だろうに。この数十年でこんな奴が増えているとは聞いていたが実際に会うと面倒なことこの上ない。

「何が不満だ、今井真白。私は今までに何人もの魂をより良く導いて来たいわばプロだ。それに別に戦争に行けなんて言ってない。格闘技をやれという話でもない。人間の肉体がどれだけ強いかなんて私たちは興味無いんだ」

「それはさっき聞いた」

「私はお前に自らの人生を良くする為に戦えと言っているんだ。そうやってずっとだらだらと過ごしたいのか?」

「言いたいことは分かる」

「ならなぜだ!? もう一度聞く、何が不満だ、今井真白!」

 私はこいつの考えなどわからない。残念なことにヴァルキリーも人間同様に他の者の心の内などわからない。手に持ったスコアボードに目を落とせば過去にどんな生活を送って来たのかが詳細に書かれているが、それに対して何を思っているのかは書かれていない。結局のところオーディン様や他の神々にだって誰が何を考えているかなんてわかりはしないのだ。

 今井真白は私をじっと見ていた。その目には燦燦たる未来への高揚も暴力を振るうヴァルキリーへの恐怖も無い。純然たる、不信感。

「お前は自分の仕事を果たそうとしているだけだろ。ならお前である理由が俺には無いじゃないか」

 それは暴言や暴力を用いてきたツケだろうか。現代人はどうやらそれらを嫌っているらしいとは聞いていたが、数十年前は当たり前にやって来たことだぞ。それ以前だってお前たちは様々な暴力と隣り合わせの日々を送っていたはずなのに、これほど短い時間の間にそんなに変わってしまったのか、人類。

「わ、わかった。確かにそうだな。よし、ではこうしよう。少なくとも暴力はもうやめる。暴言の類も可能な限り控えよう。ただその、癖づいているからな、やってしまうこともあるかもしれん。その時は何だ、食事でも奢ろう。ヴァルキリーは物に干渉することはできるからな、金には困らん」

「……うわ、犯罪かよ」

「ご要望なら普通に働いて稼いでも構わんぞ。お前が寝ている間にバイトでもすればいい」

 一部のヴァルキリーは気に入った人間の為に夜間バイトをしていると聞いていたが、まさかこんな奴の御機嫌取りの為にそれをするかもしれないとは。屈辱だ。

 しかしそんなご機嫌取りをしてみて改めて奴を見ても口をへの字に曲げて嫌そうにしている。不信感は少しも減っていないようだ。

「何だ、バイトできないとでも思っているのか? 私は普通の人間などより強い肉体を持っているから仕事先には困らんぞ」

「いやまあ、他の人に見えないだろお前……。そういうの抜きにしてもだな。そもそも暴力や暴言がどうのって話じゃないんだよ」

「何? 違うのか?」

 じゃあ暴力で言うことを聞かせてもいいか。……という話でもないんだろうな。わざわざそんなことを言うやつが多少の暴力で考えを変えないって。

 わけもわからず考えてみて、しかしやはりわからない。屈辱だが答えを教えろと視線を送る。それに対して奴は。

「……自分で考えてくれ」

 この野郎、怒りが拳の形を取った。ただ握られた拳は、振るわれることなくゆっくりと解かれる。暴力は好きだが、あれは殴る相手が真正の屑だから楽しいのだ。今のこいつはたぶん殴ったところで虚しさを覚えるだけだ。

「金や権力が望みか? その方向に導くこともできる」

「一億円ポンとくれるなら嬉しいな」

「友人や恋人ならどうだ?」

「友達はウッシーがいるからなあ。彼女は欲しいけど、まあ、うん……、別にいいや」

「お前今ちょっと揺らいだだろ」

 図星だったのか必死に顔を背けている。欲はある、と。じゃあ何が問題なのか。

「アニメの影響か。こうやって良いことばかり言って来るいかにも善人面した奴が実は黒幕だったみたいなのを見たんだろ」

「お前言うほど善人面じゃねえよ」

 ゴン、頭を殴ると良い音が鳴った。床に倒れ伏す今井真白を見下ろしていると心が浮足立つようだ。うむ、やはり暴力は良い。

「……このまま寝るか」

「あ、貴様、逃げる気か!」

 そのまま本当に電気を消して布団に籠ってしまった。流石にまだ寝るには早い時間だというのに。健全な大学生ならまだ遊び惚けている時間だぞ。

「……どう説得したものか」

 何ということだ。どうにか説得しないと私の休暇が無くなってしまう!


 夜、窓の向こうには夜の闇とその中に煌めく街の灯りが見えるのみ。部屋の中は暗く、電子機器が自らの存在を主張するように小さなランプを点灯させているだけだ。壁際に敷かれた布団で今井真白が寝息を立てることなく目を閉じている。その枕元で胡坐をかきながらヴァルキリーが空中を漂っていた。

 空中を漂うヴァルキリーは時折眠っている男の顔を見つめ、そうかと思えば持っている手板に目を落とし、かと思えばそれを投げて頭を掻きむしって考え込む。もう何時間もそうしている。無論、それは彼女自身が宣言した通り自身のノルマを達成する為に頭を捻っているのだろう。ただ、こう思う者もいた。

 本当にそれだけなのか?

「なあ」

 今井真白が目を閉じたまま声をかけた。ヴァルキリーは意外そうに彼の方を見る。

「……起きてたのか」

「まあ……。お前さ、何でそんな悩んでんの?」

 彼は純粋に不思議そうに尋ねた。ノルマや休暇がというのは本心なのだろうが、本当にそれだけならあそこまで悩む理由がどうしてもわからなかったのだ。

「難しく無いんじゃないか? 俺みたいなやつの意見を変えるなんて」

 頑なに意見を翻さずにいることは難しい。多くの人間は周囲の声に、自身の経験に、時代の風潮に押し流されるようにして次々と発する言葉が変わる。何千年も生きているというヴァルキリーはそんなこと当然承知の上のはずだ。彼女は経験を駆使すれば簡単に今井真白の意見を変えることが出きる。

「お前が真正の屑ならそれで楽しく終われるだろうな」

 その言葉はかなり意外な言葉だったのだろう、今井真白は目を見開いて彼女を見るとゆっくり起き上がる。

「今井真白、お前は屑だが……。どうしようもない屑じゃない。私はお前の腑抜けた態度には腹が立つが、押しボタン式と気付いていない親子の為にわざわざ信号を渡るような奴だと知っている」

「……いや、あれは弁当買いに行っただけだし」

 それは大学の帰り道の事だ。彼は道中でコンビニで弁当を買う為に信号を渡った。そこは押しボタン式の信号で通りがかった時に親子がそこでじっと待っていた、押しボタンを押さずに。

「善意の押し売りを嫌ったお前はカモフラージュの為にわざわざコンビニに入った。正直、馬鹿げてると思う」

 ぐうの音も出ないのか今井真白は唇を噛むばかりで何も言おうとしない。ヴァルキリーは大きく溜息をついて彼を指差す。

「小さな、人によっては馬鹿にするような善行だ。ただ、そのくだらない善行を見たからこそ私には、お前を見捨てる選択肢が無くなってしまったんだよ。どうしようもない屑は暴力で無理矢理に従わせればいい。今までもずっとそうして来たさ。だがお前みたいな奴相手では何も面白くない」

 その言葉を聞いて今井真白は黙り込む。ただ、じっとヴァルキリーの顔を見ていた。

「何だ?」

「……なあ、名前あるのか?」

 ヴァルキリーはこれまで一度も人間に名前を名乗ったことは無かった。過去何千年の間にそんなことを尋ねるやつはいなかったからだ。これまでしたことが無い故に人間に名を教えるのに若干の抵抗があるのか渋い顔を浮かべる。しかし今井真白がいつまでも彼女の方を見ているものだから遂には根負けしたのかもしれない。

「……フロゥクだ」

「そうか」

 小さな呟きを聞いて今井真白は満足そうに笑う。

「明日からよろしくな、フロゥ」

 その言葉を残してすぐさま今井真白が布団の中に潜り込んでいた。彼女はぽかんと口を開けて理解できないものを見るような目を向けている。しばらくそうして見つめていたがやがて溜息を一つ、ゆっくりと目を閉じる。

「扱き上げるからな、覚悟しろ、真白」

 そう呟いた彼女は不思議と楽しそうに笑っていた。

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