ヴァルキリースコアボードの2
訳の分からない台詞と共に降って来た拳は俺の意識を飛ばし頭にこぶを作った。つまり残念なことにさっきのことは現実だったらしい。目を覚ませば床に散らばっていたごみが部屋の端に蹴飛ばされ、それによって作られた比較的綺麗な空間に鎮座するファンタジーな鎧を着た女がいる。
「やっと起きたか。最近の人間は軟弱だな」
「……うえぇ?」
やっとの思いで絞り出せたのは困惑したことを示す呻き声だけだった。いや仕方ないだろ、誰なんだよこいつ、何なんだよこいつ。
『それでは続いてはスポーツです。リーグが始まったばかりですが今年は……』
「とりあえずテレビ切れよ」
ずっと置物と化していたテレビがいつの間にかついている。この女がつけたのだろう、今も俺ではなくテレビの方に目が向いてるし。
「今良いところだから」
「どこがだよ。ただのニュースだろ」
「馬鹿か? お前の話よりニュースの方が一万倍は価値ある話をしてくれるだろ」
何だこいつ、まじで何だこいつ。正直な所今すぐ蹴飛ばして追い出したいところだが……。俺は無意識に頭をさする。大きなこぶができてじんじんと痛い。さっきは幽霊みたいに天井を抜けて来たし、蹴飛ばそうにも返り討ちに会う未来しか見えないんだよな。
時間が出来たので改めて女のことを観察する。何より目を引くのは身に付けた鎧だ。全身を覆って顔が見えないような現実で使ってたのでなく、ファンタジーにありがちな顔が見えて要所要所を守っている感じ。まあエロゲなんかにありがちな無駄に露出しているやつでもなく、防御力はちゃんとありそうかな。殴るなら顔が無難かな。……鎧付けてる相手に生身で殴り合いって冷静に考えると意味わかんねえ。
顔は整ってる、端的に言えば結構かわいい、いや目付きが悪いからかわいいというより綺麗? どのみち但し書きで『黙っていれば』を付け忘れてはいけないが。まあ口が悪すぎるだろ。さっきまでの言い分を思い出すだけで腹が立ってくる、が殴り合いでも罵り合いでも勝ち目は無さそうなので抑えろ、抑えるんだ。
後は、胸か。まあ普通ぐらいか? 俺はもうちょっとある方が好みだな。やっぱりうるし先輩ぐらいある方が良いよな、男の夢だろ。
そういえば気になることが一つ。こんな格好なのに手に持っているのは剣でも槍でも無い。サイズはコピー用紙ぐらいの、あ、よく見ると上に紙を挟む金具がついている。バインダーか、あれ。……何でそんなの持ってるんだよ。
「なあ、それ何をはせてるんだ?」
聞いたら目で黙れと返された。テレビではスポーツのニュースが流れている。興味ねえよスポーツとかさあ。そもそもスポーツの情報は娯楽であって有意義なニュースじゃなくない?
とりあえず話にならないし昼飯でも食おうとお湯を沸かし始める。こういうことをし始めると呼ばれるのが常ではあるが。
「おい、こっちに来い」
ほらな。
食事の邪魔をされたことに若干の苛立ちを覚えながら、しかし逆らうのも怖いので渋々指示に従う。テレビは消されていて空いているスペースに座れと顎で指示された。それは良いんだがなぜ俺んちに唯一ある座椅子にお前が座ってるんだ。
「今井真白だな」
おいおい、なぜ俺の名前を知っている。お前なんか見たこと無いぞ。
「聞きたいことあるだろ。聞いてみろ」
なぜ上から目線。つーか、お前が説明しろよ。それを言葉にする勇気は流石に無いが。
「お前、何なんだ?」
「まあそこからだろうな。私は所謂ヴァルキリーだ」
「……は?」
ヴァルキリーって何だっけ。漫画とかゲームとかで出て来たかな。なんか女のイメージだけぼんやりあるけどどういう職業? ってか職業なのか?
「おいおいおい、何だその間抜けな返事。いくらお前が呆れ返る程の馬鹿でも北欧神話ぐらい知ってるだろ?」
「え、いや……。まあ確かにそんな感じの名前の神話があった気はするな」
「はあ? 中身は? 知らない? 知らないくせにゲームとかやってんの?」
「別にいいだろ」
ゲームする為にそんなの調べる奴いねえよ。そうしなきゃゲームできないんなら誰もやってねえだろ。そんな風に思ったが、しかし目の前の女は愕然とした表情でこっちを見ている。
「お前マジかよ。お前さあ、漫画とかゲームとかの元ネタになりまくってんだぞ、こっちは。少しはリスペクトしろよ」
「ああ、ああ、はいはい。すみませんでした。俺が悪い俺が悪い。それでそのヴァルキリー様は何なんだよ。何しに来たんだよ」
「いやいやいや、一から説明とか面倒だろ。お前スマホ持ってるんだから、自分で調べろよ」
こいつマジでいかれてやがる。人んちにいきなり押しかけて……、あれ押しかけるって言うのか? まあ押しかけて来たにも関わらずなんだこの態度は。もしこいつがむさ苦しい男なら今頃は顔面を腫れ上がらせてやってるとこだぜ。……やれるか? いやまあ、ちょっと調べるだけだしね。うん、それぐらいはね。
心中にそんな言い訳をしながらスマホを取り出しヴァルキリーについて調べ始める。
えっと、北欧神話ねえ。エインヘリアル? ヴァルハラ? うわあ、戦場で生きる者と死ぬ者を決めるとか物騒なことが書いてあるな。
「えっと、つまり、死んだ人間を? ラグナロクとか言う戦争で戦わせる為に? 連れて行くみたいな?」
「お前頭悪いだろ」
まじでこいつ殴ってやろうか。
「神話での私たちは戦場で死んだ戦士、特に強き魂を持つ者をヴァルハラに連れて行くんだ。ヴァルハラではラグナロクに向けて彼らは腕を磨き、夜には盛大な宴でもてなされる。勇敢さと勇猛さを兼ね備えた戦士たちにとってヴァルハラに迎えられることは最上の栄誉だ。そう言った者を何人か担当したが、彼らは今でもヴァルハラで素晴らしい活躍を見せている」
知らねえ単語ばっかりで頭に入ってこねえよ。つうかさあ。
「お前、じゃあ何しに来たんだよ。ここが戦場に見えるか?」
その話が本当ならヴァルキリーとやらが来るのは戦場だろ。ここは平和な日本の安アパートの一室だ。勇猛で勇敢な戦士様がいるとはとても思えん。
「お前やっぱり馬鹿だな。神話なんて本気で信じてるのか?」
ここに来てちゃぶ台返しを食らった。目が点になるとはこういう時に使うに違いない。
「はああぁあ? お前が言い出したんだろ」
驚きが一周して怒りがこみ上げこめかみの血管がぴくぴく言っているのがわかる。いや本当に、何なのこいつ。
「神話が信じられていた時代、あの頃は戦場に満ちていた。ある戦士は自らの領土を広げる為に、或いは守る為に戦った。ある戦士は海の果ての未知を見る為に船を駆って外へ出た。ある戦士は敬愛する長の為に強大な獣を狩りに向かう。いい時代だったな、仕事が楽で」
「仕事? 何言ってんだ?」
「さっき言ったろ、私らは凄い戦士をヴァルハラに連れてかなきゃならないんだよ。当時は神話を信じて力を誇示する奴で溢れてたからな、そんな連中の中から本当に力あるやつを見極めるだけで良かった。本当にいい時代だよ。戦場に行って二、三人かっぱらえば何十年休んでも文句言われないんだからな」
バブルに贅沢しまくったおっさんみたいな感じで過去を懐かしまれた。
「……えっと、つまり、お前らはヴァルハラに連れてくノルマみたいなのがあるわけか?」
「そうそう、マジで怠いんだよなあ。あん時はめっちゃ頭良いやつが神話作戦とか考えて人間共に吹聴しまくってさ、まあ大当たりだよね。あいつ今は出世してオーディン様の側近扱いでノルマもあいつが決めてんの、やってらんねーって」
オーディンは偉いやつだったっけ。片仮名ばっかで覚えれねえっての。それに感覚がマジでバブル世代の悲哀みたいで聞いてられねえ。しかも神話の裏側みたいなこと聞かされると信じてたやつらが居た堪れなくなってくる。
まあそれはともかくやっぱりここに来たことは腑に落ちない。
「戦場って現代にもあるだろ。宗教とか領土とかで争ってるとこいっぱいあるじゃん。それこそニュースでやってるだろ」
「バーカ、そういうのは上に気に入られたエリートが行ってるんだよ。私みたいな上に嫌われてるやつは地道な仕事押し付けられるのが世の道理なんだ、覚えとけ」
うわあ、なんかもう、自分の実力を認めない上司が悪いって言ってるおっさんにしか見えない。いや女だからおばさんか? 見た目はなあ、悪くないんだけどなあ。
「……わかった。で、俺の所に来て結局何すんだよ。俺死ぬの?」
「馬鹿言え。今死なれたら私が困る。これを見ろ」
さっき聞いても全然見せてくれなかったバインダーにはせられた紙。そこには学校の通知表みたいな感じでたくさんの項目と数字が書かれている。
「これがお前のスコアボードだ。この点を見ろ」
右下に書かれた数字は、45。
「わかるか? 今のお前はたったの45点しかない。はっきり言って屑だ」
「屑って、俺の何がわかるんだよ。大体なんだその通知表みたいなのは」
ゴンッ!
バインダーで頭をぶっ叩かれた。痛みの余りに声も出ず頭を抱える。
「スコアボード、ね。二度と通知表なんて面白味の無い名前で呼ぶな」
何だそのこだわり意味わかんねえ、完全に殴られ損だ。こいつの点数絶対俺より低いだろ。
「で、だ。この点数はお前が戦士にどれだけ相応しい魂を持っているかを示している。一応、100超えたら及第点ってところだ」
「何点満点だよそれ」
「満点なんざ無い。まあ私の受け持ちで一番点が高かったのが一万ぐらいだったか? あいつは大国に囲まれた山間の村にいたんだが、村人よりも多い人数の軍を三度に渡って撃退した凄いやつだ。恐怖に打ち震える村人を鼓舞し、様々な策を考え、そして自ら先陣に立ち敵を討つ。正に戦士の鑑だな。最後はあっさり死んで歴史の波に飲まれて消えたがな」
「記録が残ってたら今頃大英雄として語られてたんじゃねえかそいつ。そんなのになれと?」
「無理無理無理無理」
耳が痛くなるほどの大声で否定された。しかも半笑いで、腹立つな。
「お前自分がどんな人間かわかってるだろ? 45点だぞ? 平均以下の屑魂がなんで大英雄になれるのか、お前説明してみろよ、あーはっははっはははっは」
げらげら笑うこの女に温厚な俺も流石に怒り心頭に達す、だ。女を殴るのは生まれて初めてだがこれも良い経験だろ。そう思って拳を繰り出したのだが。
パシッ。
普通に手で受け止められた。手加減とか、したつもり無いんですけど。
「あー、言っとくが喧嘩したら戦士に相応しくなれるってわけでもないから」
「うわっ!」
言葉と共に手を引っ張られる。その力は人間とは思えない力強さ、衝撃映像とかで電車に自転車が吹っ飛ばされるのを見たことがあるが、ぶつかったところで減速することも無く何事も無かったように通り過ぎる圧倒的さに打ち震えたものだ。今そんな感覚。そして戦乙女はもう片方の手で拳を握り、大きく振りかぶる。
「ふんっ」
ごおっ!
耳の横で風が大きな音を立てた。俺の顔は風圧で歪み、地面に落ちていた紙が宙を舞い、ゴミ袋がはためいて音を鳴らす。窓がガタガタとなる音がようやく収まった頃、俺は引き攣った顔で恐怖の笑みを浮かべている。
「真面目に話を聞く気になったか?」
俺は何度もこくこくと頷いた。
このヴァルキリーの目的は以下の通りだ。
「戦場が少なくなった今、ヴァルハラに迎える魂が年々減っていた。そこで糞上司が考えたのが、良い魂を選別するのではなく、良い魂を作り出すことだ」
「作り出す?」
「さっき見せたスコアボードは戦士に相応しい魂であればある程点が高くなる。それでヴァルキリーが人間をサポートして高い得点にしてから死んでもらうわけだ。100を超えるのがここではノルマだな」
なるほど、それが俺みたいなやつの所に来た理由、か?
「他にもっと有望なやつはいないのか? その方が楽だろ」
「人間一人一人を調査するなんて面倒だからな。行き先はくじ引きで決まるんだよ。私は運悪くお前の所ってわけだ」
人の人生を左右しようとしてるくせに滅茶苦茶いい加減な方法で決めてやがる。義憤に駆られると言いたいところだが、先ほどの拳が思い出される。もはやこの女に歯向かう勇気なんて残っていないぞ。
「だからお前にはこれから素晴らしい戦士の魂になれるよう生き方を改めてもらうぞ」
「訓練とかするのか? 空手とか柔道でもやればいいか?」
「人間如きが多少鍛えても意味ないっての。お前はビルよりでかい巨人に空手で勝てると思うか?」
そんなの想像するまでも無い。そういやさっき調べた神話に巨人が出て来るとか書いてあったっけ。本当にいるのかよ。
「ヴァルハラに至った魂には新たな肉体が与えられる。向こうに行けば大地を砕き天を割る力が手に入るってわけ」
つまり漫画やアニメの主人公みたいになれるのか。俺もそう言うのに興味が無いわけじゃない。巨人がいるなら巨人をぶん回して投げ飛ばしてみたいと思うのはみんなの夢じゃないでしょうか。
「まあ今のお前の魂はいらないが」
……あっそう。
「戦士として相応しい魂ってのは勇敢さや勇猛さがあるってことが最も重要視される。お前のように怠惰で卑屈でそのくせ他人を見下しているような屑とは正反対だな」
「俺の何を知ってるんだよ」
「45点なんてそんなやつに決まってる。はあ、何でこんな奴の担当に……」
滅茶苦茶露骨に嫌そうな顔で溜息をつかれる。そんなに低いのかよ45点、そんなに低いかもな45点。
「サポートって結局何をするんだ」
あまり放っておくと話が進まない上にひたすら悪態をつかれそうなのでこちらから続きを促す。なぜこちらが気を遣う必要があるんだ。
「ああ、私にできるサポートってのは要はアドバイスだ、助言だ、ヒントを与えるってことだ」
「具体的にこうすればいいってのは無いのか?」
「まあ無くはないが、結局最後はお前自身が変わらないと意味がない。人に言われたからこうしました、じゃ意味が無いだろ」
人の言いなりってのは確かに楽なだけで勇敢だとかとは対極の位置なのかもしれない。俺がこうして大学生をやっているのも流れに身を任せて楽をしてきた結果だ。特別やりたいことも無くモラトリアムの延長を求めてここに来ただけ。大学を有意義に過ごしているとは言い難い。
そんな風に悩んでいるのを知ってか知らずか目の前のヴァルキリーはふんぞり返って胸を叩く。
「まあ大船に乗ったつもりでいろ、私はこの道千年を超えるベテランだ。お前ぐらいあっさりと100点を越させて見せる」
俺はたぶんぽかんとしながらその姿を見つめていたと思う。彼女のようなやつは俺が見てきた世界にいなかった。テストは平均点の少し下、運動神経も中の下、そんな俺に向けられてきた視線はいつだって同情が混じっていた。怒られるほど悪くはないが褒めれる点は特にない、そんな扱いに慣れて自虐ネタにしようともしたが、知らないやつの自虐は扱い辛く気まずいだけだ。
話は逸れたが結局のところ俺が何を思ったかと言えば簡単だ。こいつはとっても、そう、可哀想だなと。
「そうすりゃお前が長生きした分だけ休暇を楽しめるからな」
……うん、可哀想だった、にしよう。同情とか必要なさそうだ。