ヴァルキリースコアボードの終わり
バスン、と無情にもボールは音を立ててキャッチャーミットの中へ。打席に立っているロキの糞馬鹿は今更にバットを振っているがそんなことして何になるって言うんだ。
『ゲームセット!』
「ふっ、ざ、け、る、なあああああ!」
ばっ、と起き上がったここは私の部屋だ。ああくそっ、夢か。本っ当に嫌な夢だ、未だにあの糞忌々しいラグナロクの夢を見るなんて。もう一か月以上も前の事なのに。
ふとうるさい羽音に気付くとそこにはヴァルキリーが好んで使う伝令用の羽虫がいた。
「今日は何をやらされるんだ……」
憂鬱な気分を引き摺りながら部屋を出る。
ヴァルハラの荘厳で趣味が悪い廊下を飛んで移動しながら思い出すのはラグナロクのこと。私が有り金に加えて知り合いから借金してまで賭けたロキ軍はオーディン軍にぼっこぼこに、それはもう赤子どころか蟻の首を捻るがごとくけちょんけちょんにやられた。ロキ軍のスコアボードに0が延々と並んでいたのをはっきりと覚えている。
「くっそ、何がグングニル投法だ。キャッチャーミットに収まるのが決まってる球なんて卑怯だろ。大体ロキもロキだ、何が過去最高の戦力だ。煽るだけ煽って一点どころか一打すらできてないじゃないか!」
終わった後にオーディンの馬鹿と握手していた姿を思い出すと腹が立つ。あそこに乱入してどっちもぼこぼこにしてやればよかった。あー腹が立つ、腹が立つ、どうにもむしゃくしゃして腹が立つ。
舌打ち交じりに歩いて辿り着いたのは借金した知り合いたちの寄り合い。
「あーやっと来た」
「フロゥクちゃんさあ、私らに借金あるのわかってるよね?」
「うるさい」
「まあいいや。とりあえずジュース買って来てねえ。ほらダッシュダッシュ」
腹が立つが借金したのは事実、従わざるを得ない。借金を返すには本来なら人間を大勢育成してその報酬を貰うのが手っ取り早いのだが私はノルマぎりぎりしかしないと決めているので余剰の金などない。仕方ないので一年間顎で使われる代わりに借金をチャラにする取引だ。正直腹の中でマグマが沸いているのかと思うぐらいには怒りが溜まるが、こればかりは仕方ない。全ては負けやがったロキが悪いのだ。
ジュースの自販機まで来たところで何がいるのかを聞くのを忘れたと思ったが、まあ何でもいいだろ。適当なのを選んでスコアボードを決済用のリーダーにかざす。
「……ん?」
反応が無いな。近付けても遠ざけても振っても何をしても反応しない。
「壊れたか?」
しかし自販機に異常は無さそうだ。スコアボードの方に異常か。これが壊れると一々上のやつに小言を言われるのが面倒なんだが……、ん?
「……70点?」
スコアボードの決済機能はノルマとして課せられた人間の点数が100点を超えていることを条件として使うことが出来る。
「おい、おいおいおい、おいおいおいおいおい!」
「……俺は、屑だ」
ぼんやりと何をするでもなくただベッドに寝転がっている姿は正に数か月前の、あいつと会う前の自分を彷彿とさせる。あの時は、そう、スマホを見ていて、気が付いたら天井から足が。
あ、天井から足が生えてる。
「真白おおぉおおお!」
「ぐぉぼぅぇ!」
前回との違いは俺が驚くよりも早く大声と共にその足が俺の腹を貫いたということだろう。貫いたというのは比喩ではない、だって腹の感覚が無い、無いのか?
「ヒュー、ごふっ、ごほ、おえっ」
ただ腹を抱えて呼吸をするだけで死にそうなぐらいむせて口から涎が垂れて落ちていく。い、生きてるのが辛い。
しかし相手は俺がそんなになっていてもお構いなしだ。首根っこ掴まれて空中に持ち上げられる。
「ふ、ろぅ、ごほっ、ごほっ、久しぶり」
ああ、フロゥだ。一か月ぶりぐらいに見たな。こいつは変わらないなあ、青筋浮かべて怒り散らすその表情似合ってるぞ。
もっとも向こうは俺の顔なんて見たくも無かったかもしれないが。
「おいこら、どういうことだこれは」
突き付けられたスコアボード、70点。がっつり下がったな。
「私の! 休暇は! どうなるんだ!」
めちゃくちゃにぶんぶん振られて頭がどうにかなりそうだ。やっぱこれ人間の力じゃないとか思ったのは後の事でやられてる最中は考えてる余裕も無かった。フロゥがやり過ぎて半分俺が気絶したいるのに気付かなかったら危なかったかも。
お互いに落ち着いてようやく話が出来るようになったのは一時間ぐらい経ってからだ。フロゥの目の前には一か月前から置きっぱなしになっていた缶ビール。
「それで、どういうことだこれは?」
そしてお馴染みのスコアボード。こうして数字で自分の評価が下されるといかに自分が馬鹿なのか、いや、屑なのかよくわかるってことだ。
「実は」
夏休み直前、俺は浮かれに浮かれていた。なにせ俺にはうるし先輩と言う彼女がいる。このまま勢いに任せて一夏の体験をすると共に先輩との仲を深めて行くための偉大なる計画があったとか無かったとか。
そして互いの試験も終わりとうとう夏休みが始まるぞ、と最高潮に浮かれたあの日、俺はうるし先輩に呼び出された。
「あの、実はね、真白君には申し訳ないんだけど……。夏休みの間、ちょっと距離を置こうかなって」
「え」
その後の話は耳に入ってこなかった。だがわかるのは俺の計画が頓挫した、どころかこのままでは先輩から別れ話を切り出されるのも時間の問題だということだ。
そして失意のまま俺はベッドに眠り、立ち上がる気力も起こらず部屋をごろごろ。気が付けばそうして一週間も経ち、今に至る。
話を聞いたフロゥは唖然とした表情で俺を見つめる。
「何だ、なぜだ? 比良坂うるしはそんな人間だったか?」
「うるし先輩への侮辱は許さんぞ」
「黙れ屑! 何か心当たりは無いのか」
そう、心当たり。それが無ければ当然こんな話は特別な事情があるのだと考えていただろう。例えば家族の事情でデリケートでソフトな話題だから詳細は話せないが……、とかね。内容? 知らね。
ただまあ。
「実は……、心当たりがある」
「……殴るのは内容を聞いてからにしてやる」
殴るの決定なのかよ。しかも既に拳を構えている。話したくねえ、が、話さなければもっと殴られるだろう。
「フロゥ、お前だよ」
「は? 私はいなかっただろ」
「それだよ」
「……まさかお前」
フロゥは信じられないものでも見るような目で俺の事を見る。
「私がいないとまともに話も出来なかったとか言い出すんじゃないだろうな」
お前、察しが良すぎるんだよ。これが何千年の年の功なのだろうなあ。
「仕方ないだろ、お前が横にいる時は勿論、いない時だっていざとなったら助けてくれるって安心感があったんだよ!」
「いや、お前」
「いなくなったら不安でさあ! 何話したらいいかわかんなくてさあ!」
泣き喚く二十歳目前の大学生、傍から見たら腫れ物扱い間違いなしだがそれでも子供の様にだらだらと言い訳を叫ぶ。
「うるし先輩を楽しませないとって気負うともっとわけわかんなくて、どうしていいかわかんなくてぇ、助けてくれよフロゥうう!」
「うわ! しがみ付くな気持ち悪い!」
蹴り飛ばされ床を転がり壁にぶつかる。と、その直後に壁が思い切り叩かれる音がした。お隣さんがお怒りだ、思わず竦み上がるね。
俺を転がした張本人であるフロゥはいつものように空中を漂い俺を見下ろしている。
「……やっぱりお前は屑だな」
言葉と裏腹にその口調は思ったよりも柔らかいものだった。
「私の休暇の為だ、比良坂うるしとよりを戻せるように協力してやる」
「ほ、本当か? フロゥ」
「私を誰だと思っている。お前みたいな奴を比良坂うるしと付き合わせた実績があるんだぞ?」
なるほどその言葉は確かにすごい説得力だ。
こうして再びヴァルキリーと共にスコアボードの点数を上げる為に、そしてうるし先輩の愛を勝ち取るべく戦う日々が始まる。




