ヴァルキリースコアボードの17
ラグナロク、この数日その言葉が頭の中を離れない。先日、フロゥが他のヴァルキリーと話す中で出て来たそれは話によるともう目前に迫っているらしい。しかしフロゥはその事について一切触れようとはしない。
そして俺の方は。
「なあ、フロゥ」
「何だ?」
「……ラグ……、ラ、ラグドールって何だっけ」
「は? 知らん。目の前の板で調べろ馬鹿」
この調子でどうにも聞くことが出来ずにいる。或いは怖いのかもしれない。それを聞くことで何かが決定的に変わってしまうような気がして。
フロゥはきっと俺に関係することならば黙っていることは無いだろう。だからラグナロクが起こったとして俺たちが住む世界に何かおかしなことが起こったりはしないのだと思う。しかしフロゥが住むヴァルハラとやらは違うはずだ。ほぼ全ての生命が消え去ると言われるほどの戦争だ、何が起こるのか正直想像もつかない。
フロゥ、お前は戦うのなんて面倒だからこっちに居たいのか? それとも本当は戻って一緒に戦いたいのか? ……いや、答えは分かってるか。
フロゥの話をしよう。あのヴァルキリーはある日突然現れて俺を殴り蹴り馬鹿にして屑と呼んだ。その目的は俺をヴァルハラに迎えるに相応しい魂の持ち主にすることらしい。そしてその為に俺にうるし先輩へ告白しろと言ったのだ。
尊大で怠け者で自己中心的な性格の持ち主であれを称える奴がいたら正気を疑うところだろう。神話の登場人物とはとても思えない俗っぽさだ。暴力もよく振るうし言葉遣いはお世辞にも良いだなんて言えない。
文句を言えば尽きることは無いだろうな。まったく、そこまで長い付き合いでもないというのに恐ろしいことだ。
ただ、そんなあいつのことを受け入れたのは他ならぬ俺だ。
「真白、お前は自己評価が低すぎる」
いつだったかフロゥはそんなことを言った。お前は自己評価高過ぎなんじゃないか?
「大したことじゃないがお前は優しさを持っている」
そんなことも言った。お前の方がたぶん優しい。
「このスコアボードの点は必ず100点を超える」
力強くそう言ったこともあった。お前の言葉はいつだって正しかったな。
フロゥ、お前は本当に嫌な奴だよ。あれだけ色んなことをしてきやがったのになぜだか嫌いになれないんだ。
俺さ、実はお前のこと、結構好きなんだよ。
「なあ」
テレビを見ているフロゥに声をかける。
「なんだ?」
不機嫌そうな表情でこっちを見た。テレビ観賞の邪魔をするといつもこうだ。ただ今日ばかりは我慢してくれよ、大事な話なんだ。
「……俺、次の土曜日にうるし先輩に告白しようと思う」
フロゥの面食らった顔を見たのは初めてだったか? そんな顔を引き出せるとは俺もなかなかやるじゃないか。
「本気で言ってるのか?」
「冗談で言うと思うか?」
「最初にとりあえずで告白しようとしてただろ」
「あれだって本気は本気だっただろ」
茶化すなよ。こっちはこんなでも結構真面目に言ってるんだから。
不意に騒がしかったテレビの音が消える。フロゥの手にリモコンがあるから消したのかとすぐに分かった。
「告白して成功するなんて本気で思ってるのか?」
「さあ? わからないってのが本当のとこだろ」
うるし先輩とは良い関係を築けている自信はある。ただそれが告白してOKをもらえる程かと聞かれるとわからない。先輩が俺に感じているのは友情であってそれは男女関係に発展するようなものではないかもしれない。
「でも俺は今告白しようって思ったんだ」
結果は失敗に終わるのかもしれない。これまで築いた関係まで失ってしまう、そんな可能性を想像しないわけではない。ただ、その恐怖を踏み越えられるだけの決意が今の俺にはあるってだけだ。
「……ふん、まあ失敗してくればいい。お前が決めたなら私が口出しすることではないだろう」
最初の時みたいに止めないんだな。勇気と無謀は違う、みたいなこと言ってただろ。お前から見ても今の俺は単なる無謀じゃないってことだ。
フロゥ、お前はここに来るまで俺にたくさんのものをくれたな。だからさ、俺、頑張って来るよ。
ある土曜日の夕方。一人の大学生が身支度を整えて部屋を出ようとしている。何度も手荷物を確認して、何度も時間を確認して、何度も深呼吸をして、誰の目から見ても緊張しているのが丸わかりだ。
「緊張してるのか、真白」
部屋の中を漂うヴァルキリーが声をかけると彼は振り向いて頷いた。
「……安心しろ、失敗しても私は困らん」
にやりと笑うヴァルキリーの姿に大学生の彼は苦笑いを浮かべて頬を掻く。
「何だよそれ。どうせなら大丈夫とか声かけてくれよ」
「はっ、馬鹿言え。私はお前が屑だと知ってるぞ」
「ああ、まあそうね」
会話が止まる。しかし大学生に先ほどまでの落ち着かない様子は見られなかった。或いは今の軽口で少しは心が軽くなったのかもしれない。
「なあ、フロゥ」
「どうした」
「俺さ、お前が来てくれてよかったよ」
「何だいきなり気持ち悪い」
おえぇ、と吐く真似をするヴァルキリー。しかし大学生の彼は穏やかな笑みを浮かべるばかり、彼女はすぐにばつが悪くなったのか舌打ちと共に目を逸らす。
「色々とお前のおかげで楽しい日々だったし、充実してた」
「やめろやめろ、私はそんな風な事を言って欲しいわけじゃない」
「それでも伝えたいんだ」
二人の目が合う。そこまで長い時間を共にしたわけじゃない。喧嘩ばかりをしていたような気もする。それでも、通じ合うものは確かにあった。
「お前のおかげでここまで来れた。ありがとう」
ヴァルキリーはその言葉に対し何も言わなかった。
「行って来る」
そして返事は待たず大学生が外へ出て行く。バタン、と扉の閉じる音と共に部屋の中を静寂が染めた。そして少しの時間が経つとテレビの音が流れ始める。野球の歓声が部屋の中を騒々しく染め上げる中でヴァルキリーが口を開く。
「見に行く必要は無いだろ? フラれてきたところを慰めるぐらいはしてやるさ」
そう言って彼女はどこからか持ってきたビールを空ける。もうすぐここでの生活も終わりかと少しだけ名残惜しさを感じながら。




